ワンピースが大好きでした。でも、魚人島あたりで読むのをやめました。よく言われるのが、セリフが長い・説明が多い・ごちゃごちゃしているなど……僕自身が本当にそうだったのか、当時感じていた違和感も含め、その理由を考察しました。以下、読者向けの内容になります。
ウォーターセブン編は総合すると好きです。が、違和感がいくつかありました。
違和感
ルフィの「死ぬまで!!」というセリフ
ブルーノと対峙する場面があります。
40巻第382話 鬼の隠れ家より
これを見て、頭に浮かんだルフィのセリフがいくつかあります。
→「死ぬぞ!」というサンジに「死なねェよ」
8巻第63話 死なねェよ より
→「また繰り返す気か!?」と言うエネルには「鐘が! 鳴るまで!」
32巻第298話 島の歌声(ラブソング) より
→ロビンには「『生きたい』と言えェ!」
41巻第398話 宣戦布告 より
この「死ぬまで」というセリフの意図は、ロビンを救うことと自身の身の価値比較です(今後の海賊人生も含めているかも)。一つの話の最後の描写なので、次回につなぐという意味でもわからなくはないのですが……。
ルフィが明確な目標を設定した場合、止まらないことは過去の描写からも見てもわかりきっています。なので、そういった意味も含めて違和感を感じました。じゃあ他のセリフはどうか。ルフィだったら、、、やっぱり四文字くらい。
「うるせえ」「さあな」「わからねえ」「壊れるまで」「助けるまで」
どれもしっくりきません(僕のセンスの問題かも)。でも「死ぬまで」というのは……。
緊張感に欠けるバトル増加と技名
海列車内のワンゼ(麺のやつ)とCP9新入りネロあたりから、かったるさを自覚しました。包丁を使ったサンジのネタバトル、フランキーのお披露目バトル、ルッチの戦闘力の示唆のためとは言え……。
39巻第373話 必要悪 より
また、技名の多さもその要因です。これはゾロとカクのバトルが顕著でした。キリマンジャロ、ビガン、九刀流? 週刊少年ジャンプ掲載なので仕方がないと思いますが……。
一方で。サンジがジャブラ(狼)が闘うことはなんとなくわかっていましたよね。でも、その前にカリファとの絡みがあります。そこで「死んでも女は蹴らん」というサンジの精神性が出ているセリフ。これは、スパンダムとの対比だと思われます(後述)。
ウォーターセブン編はプロットの美しさを感じる一方で、悪い意味でバトルの長さを感じました。
ルフィvsルッチのバトル
個人的に、ルッチは敵キャラとして最も好きです。
髪をくくった時であったり、掌底を打ち込む時のスピード感ある描写は美しさを感じます。新入りを殺し、上司を蔑みながらも自身の目的のために利用するあたりも良いですね。レオパルドという悪魔の実も、これ以上ないほどキャラに合っていると思います。
当時の記憶
ルフィが動かなくなったスキに仲間を殺しに行けよ! ギア3のパンチを食らった時に「意識が飛びそうだ」なんて思うかな? と漠然と思っていました。
見返してみて
でも、これらは間違いだと気付きました。ルッチはルフィとの戦闘を楽しんでいる描写がいくつもあります。セリフも、
「骨のある男に会えたかと思えば~」
「『通すわけにはいかん』とそれくらい言わせろ」
「まァあんな砲撃で死んで貰っても…興醒めだが」などなど。
ルッチは何年間も退屈していたのでしょう。それは
「五年住んだが…こんな島にゃあ…名残惜しむ情もわかねェ…」
38巻第361話 追伸 より
というセリフからも伝わります。やっと見つけた好敵手との戦い。
結果的にルッチのこの精神面でのスキが、ルフィにトドメを刺したと勘違いする描写を生みます。実力差を埋めたのは、ルフィの仲間を思う強さ(=ワンピースで最も大切な価値観)。そういったことも示しているあたり、ワンピースらしさが存分に出ているバトルだと思います。
ロビンの描写とスパンダムのセリフ
僕が大好きな描写の一つに、掴まれた髪を引きちぎってロビンが石橋を食らいつく場面があります。
あれだけ死にたいと口にしていたロビンが、本当に死の恐怖を感じる場面です。
ロビンの心に「仲間を信じ切る」=(仲間に裏切られることへの恐怖を克服した)という、今までになかった価値観が芽生えた描写です。それは即ち、強烈な生への執着が生まれたことを意味します。ただ同時に、弱みにもなる。この話と次の第419話“英雄伝説”は、ロビンの表情が今までと異なる描き方をされています。
「言葉にならない……!」
「悔しくて涙が止まらない」
というセリフはもちろん、弱さを孕んだ表情の描写の数々。
このあたりの人物・心理描写は本当に圧巻の一言に尽きます。ロビンの精神性やその変化が凝縮された、僕の大好きな描写です。
43巻第418話 ルフィvsロブ・ルッチ より
でも、久しぶりに読み返してみて愕然としました。なんと、スパンダムが「生への執着!」と言っていたのです。上の画像↑↑
この、描写を説明するという行為。
言葉は悪いですが、表現が下手な作家に顕著に見られます。編集者ならば、絶対に作家にさせてはいけない行為。肝に銘じないといけないポイントの一つだと思います。
そもそも説明は、描写だけでは足りない部分を補うものです。描写から伝わっていることを説明すると、バランスの悪さを感じてしまいます。結果、セリフがだらだらと長く感じてしまう。
今までにも、セリフの長さを感じたことはありました。しかし、この場面は絶対に必要ないと僕は考えます。なぜなら、前後も含めて最高の描写をしているから。
もう一つ言えば、スパンダムが感じたロビンの「生への執着」は、僕が感じたロビンの「生への執着」とは異なります。
素のニコ・ロビンという人間の精神性を初めて描写したのは、クロコダイル戦後です。
24巻第218話 “記録指針(ログポース)”が丸い理由(わけ) より
(ミス・オールサンデーとしてなら、ウイスキーピーク~ですが)。
この「夢」を読者は理解していますよね。過程も見てきました。なのに、ロビンの過程を一部しか知らないスパンダムが説明=代弁している形になるわけです。
これには違和感を感じました。描写の説明に加え、(スパンダムらしさはあっても)必要性は感じない。
スパンダムの役割
スパンダムはただの悪役ではありません。容赦なく女を殴る蹴る(=サンジのセリフ「女は死んでも蹴らん」との対比)。でもそれ以上に、ロビンとフランキー両名の過去に関わる、超重要キャラです。
ウォーターセブン編では「存在の肯定」を一つのテーマにして描かれています。過去を含めたすべてを全否定してくるスパンダムを倒すことは、ロビンとフランキーの「存在の肯定」に直結します。先程述べた、今までになかった価値観(仲間を信じ切る)=今後のロビンの核となる価値観も、すかさず全否定する。その直後にウソップにやられてしまいますが、嫌なキャラとして素晴らしい仕事ぶりです。
なのに……。
ネタっぽく書いて長くなる分はスルー出来ました。でも、この場面は非常に重要なだけにいただけません。
セリフの多さが逆に良かった点
ルフィとウソップが言い争いから決闘へ至る(35巻あたり)ところです。
ウソップはフランキー一家に金を奪われた後、結果的にボロボロになります。
35巻第328話 海賊誘拐事件 より
ウソップにはルフィのような戦闘力がない。でも、そこが長所なのは読者が一番わかっています。弱くても弱いなりに仲間の思い方がある。結果、ウソップにしか出来ないことが生まれる……例えば、海列車内で煙幕を巻いてロビンをかつぎ出したところ。一瞬であれ、CP9全員を出し抜いてますよね。
でも、弱いという一点の心の引け目が決闘へとつながってしまう。言われた言葉が心に残ってしまうわけです。
35巻第329話 おれの名は「フランキー」 より
それがルフィとの言い争いの時に、
「使えねェ仲間は…次々に切り捨てて進めばいい」
という形になって表れます。このように、段階を経た心理描写を決闘につなげるあたりは、これ以上ないほどプロットの美しさを感じます。
決闘中、ウソップが「これが! おれの戦闘だ!」と言っています。これはルフィの戦闘における倫理観の理解とズレを示しています。それをルフィもわかっているから、ウソップの攻撃をすべて受けきった。じゃないと、戦闘開始直後にゴムゴムの◯◯でぶっ飛ばしてもおかしくない。でもそれだと、ウソップの心を折れないわけです。心を折る必要があるのは(作者的に)伝えたい言葉があるから=ウソップの倫理観に合わせる必要=攻撃を受け切ることで生まれたセリフが
「お前がおれに! 勝てるわけねえだろうが!」
の後に続く描写です。
間違いなく、全員が決闘の結果をわかっていたはず。どっちが悪いわけでもない。みながルフィの気持ちもわかるし、ウソップの気持ちもわかる。会わせる顔がないなんて感情は、僕自身、今までの人生で何度も感じてきたことです。共感せずにいられません。
それでも、人生には前へ進むために折り合いをつけなければいけない時があります。結果的に、「別れ」になることもしばしば。別れにも様々な種類があることを読者は知っています。そんな人生においての「別れ」の意味の一端を、美しく描いている。仲間だから乗り越えてこれた。でも、仲間だからこそ辛いこともある。
本当に素晴らしい描写の数々だと思います。
この場面における各々の仲間の思い方(=精神性)の具体例
サンジ
ウソップが狙撃が得意なのは誰の目から見てもわかります。ただ、後ろからルフィたちの戦闘を見ていたという視点はどうでしょうか。または敵の動向を見る視点。自分の狙撃の範囲を広げるような努力の過程なども。「カッとなった勢いで命を賭けるほど、ウソップはバカじゃない……」とわかってはいても、そういった点はルフィは詳しく知らないでしょう。
でも、サンジは違います。コックとして、仲間の命を預かる人間として、日々仲間の観察を怠りはしないはずです。その証拠に、仲間に目を配るような、細かな気配りをする描写が数多くあります。
「人を見る=相手の立場に立てる=仲間を活かせる=敵を出し抜ける」すべてがサンジという人間を表現していると思います。
同じ時間を過ごした人間でも、人の見方は異なるものです。サンジは強いですが、一方で弱さも理解している。だからこそ、「今すぐこの船から…」と言いかけたルフィに蹴りを入れた。ウソップの心に癒えない傷を残してしまうNGワードを誰よりも理解しているんだと思います。
こういったサンジの精神性は後々、「状況を読め!!!」というセリフにもつながります(=ウソップがいればロビンは助かる=存在の肯定の連鎖=仲間や個性の大切さが伝わる)。サンジが言うからこそ、サンジだからこそウソップに伝わる言葉だとも言えます。
ゾロ
「メリー号はもう直せねェんだよ」とルフィが言った後、ゾロはその様子を一部始終、唯一黙って見ていました。一歩引いて、違った視点で成り行きを見届けた。この決闘は一味の中に忘れられない記憶として残り続けることになります=この時の行動が後に同じようなことがあった場合の指標にもなる。ゾロはそれを理解していることを示したかったのだと思います。
また、青キジ戦での敗北経験も少なからず関係しています(=フォクシー戦にも意味が出てくる)。集団における勝利は自信の獲得や勢いにつながりますが、敗北は自信の喪失・継続か変化の判断を迫られることになります。チームスポーツなどでは顕著ですよね。
つまり、一味としての自信が揺らいでいることをゾロはわかっていた。だからこそ、
「迷うな」「お前がフラフラしてやがったら おれ達は誰を信じりゃいいんだよ」
という芯のあるセリフが生まれたのだと思います。ナンバー2としての自覚もあるでしょう。それは後々、ウソップが戻ってくる前の「一味について説く」(45巻第438話 プライド)という描写にも描かれてますね。すべてがゾロという人間性を象徴しています。
結果的に、「敗北しなければわからないことがある」という作者の意図も伝わります。青キジに負けないと生まれない流れですから。
→ギア2の誕生につながる点も良いですね。仲間を失わないためにルフィが考えた結果がギア2です。
結論
仲間内での対比の構図、それに伴う心理・存在の肯定の連鎖が抜群に美しい。これがウォーターセブン編の真骨頂だと僕は思いました。
総合的に見れば、ウォーターセブン編は本当に良かった。本当に……。
次は問題のスリラーバーク編です。
フォクシー編↓↓