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>2010年12月19日、古谷 博(小多仁伯)は死亡したとのことですが、皆様に本人から、お便りさせていただきます。別に幽霊ではありません。
ことの発端は、あるジャーナリストのブログに掲載された内容が皆さんからの「ご冥福」のおことばとなったようです。
ご関心を持っていただきありがとうございました。
私 は、普段ネットはあまりやりませんので、沖浦様、波木井様については、全く知りません。 古谷はいたって元気です。
老醜をさらして日々、奮闘しています。
しかし、沖浦様のブログを拝見し、気にかけていた尊敬する知人の消息というか活躍の一端を知る事ができましたことは、望外の幸せでした。
その方は田山翔さんです。
私に は山北英俊さんというほうがぴったり来ます。
山北さんには、随分とご迷惑をかけた思い出がありますが、そのご恩は終生忘れる事はできません。
また、山北 さんに連なるファミリーのお一人お一人に対しても、手を取って感謝したい思いで一杯です。
沖浦様もそのお一人かと思いますが、顔とお名前が一致しませんことをお許し下 さい。
いつの日にか皆様とお会いする機会が到来する際には、まっさらな感性のままにお話をしたいものです。
山北さん、皆様のご健康とご活躍をお祈りいたします。
沖浦様、山北さんにお伝え頂ければ幸甚です。
~引用終わり~
今人間革命で離島本部の事が書かれています。
この後離島フェスティバルの話も出てくると思いますが、そのフェスティバルの演出を担当し、スタッフを送り込んで陰で支え成功へ導いた人がおられました。
山北英俊さんと言います。
後年、世間では田山翔、あるいは田山翔一と言うネームで演出家としてご活躍です。
私が行った熱原三烈士の演出もこのお方です。
私は昭和53年、隠岐の島フェスティバルへスタッフとして学会本部から派遣されて参りました。
その時古谷さんが全体の責任者でした。
芸術部書記長だったと記憶しています。
田山さんの元で深夜まであれこれ未来を語り合ったものでした。
今財産となっています。
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