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プラトンのイデア論と アリストテレスの形相(エイドス)は どちらも事物の本質でい...

jack731hpさん

2013/1/420:51:02

プラトンのイデア論と
アリストテレスの形相(エイドス)は
どちらも事物の本質でいいですか?
細かな違いと見分け方はどこですか?

イデアは個物に内在する事物の本質という考え方は間違っているのでしょうか

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rsk4212892さん

2013/1/614:26:51

プラトンの「イデア論」は、ソクラテスの弁証法とピタゴラスの「数こそ始源である」という数学思想にヒントをおいて考えられたものといいます。
また、ギリシャ語では定冠詞というものが発明され、個物を一般化することが可能になりました。個々の人間に対し、定冠詞をつけると人間一般になります。
プラトンにとって真理とか実在は、時間による変化がなく、永遠でなければならないという前提がありましたから、弁証法によって個別的・特殊的なものをメタ・レベルに「止揚」してゆき、最後に到達するもっとも普遍的な概念が、同時にもっとも実在するもの、真の実在だと考え、これを「イデア」とか「形相(エイドス)」と考えました。
このイデアとか形相に比べると、私たちのいう個別的・特殊的な個物は実在性の劣る、仮象に過ぎませんでした。
今の私たちは実在(リアル)といえば、現実とか個物を意味しますが、プラトンの考えはこの常識とはひっくり返っていたのです。
アリストテレスはこのプラトンの「イデア論」を批判しました。
かれにとって個物は、つまり実在は形相と質量(ヒューレー)」との結合体です。
個物が先にあり、しかるのち、形相とかイデアがあります。
形相とかイデアをプラトンは独立に存在するといいましたが、アリストテレスは質量あっての形相であり、イデアであると主張しました。
たとえば、「ソクラテスは人間である」という命題では、個物であるソクラテスが主語で、人間は普遍的な概念としても述語に過ぎません。人間はあくまで述語であって主語を離れて存在するものではありません。
プラトンは主語から切り離して普遍的な概念が存在するといいましたが、アリストテレスからすれば、それは間違いなのです。
このプラトンの普遍こそ実在するという「実在論(リアリズム)」とアリストテレスの個物こそ実在するという考えが、中世まで引き継がれますが、中世末期の15世紀の「普遍論争」で、普遍概念は実在するかが争われ、普遍概念は単なる言葉で、個物こそ実在するという「唯名論(ノミナリズム)」が勝利し、この論争に終止符が打たれることになります。
しかし、プラトンの考えはルネサンスの新プラトン主義に受け継がれ、ガリレオの数学的自然科学となって現在に至っており、決して滅びたのではありません。最初に述べたようにプラトンの「イデア論」がピタゴラスの数学にヒントを得て作られたことを思い出しましょう。また、近代哲学の主観主義もプラトニズムのバリエーションというべきものです。

質問した人からのコメント

2013/1/6 21:55:05

難しいですね…ありがとうございましたm(__)m

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