台湾で使われている言葉は中国語・・・まあ正解と言えば正解です。
しかし、果たしてそれだけで済ませて良いものでしょうか。中国語とひと言で言ってもいくつかの方言に分かれているし、中国語だけで台湾を語るには、確実に片手落ちです。
中国の言語事情を語っていけば、ブログなどでは済まない膨大な量と時間を費やします。真剣に書くから原稿料と調査費よこせと。
しかし、台湾は幸いちょうど良いボリューム。
台湾に興味を持ってきたり、既に持っていても言語事情にはあまり詳しくない方へ、台湾の言語事情でも書いてみようと思います。
ただ、ひとこと言っておくと・・・ここから長いよ(笑
1.國語(北京語)
いわずと知れた「中国語」です。「中華民国」の公用語となっています。
(マンダリン記事)
ここでは中国語は「普通話」」と言う旨のことを書いたのですが、それはあくまで中国での話。
台湾では、「國語(国語)」と言います。発音はクォーユー。
「中文」(チョンウェン)という人も、中国や香港等に比べると多いですが、「國語」という人が圧倒的。
そこが中国と違うところです。
しかし、これは台湾独特の言い方というわけではありません。
中国でも、福建省・広東省では、いわゆる中国語のことを「国語」と言う人が主流です。
中国語の難しいところの一つは、地方や人によっていろんな単語にいろんな言い方があるということ。それも、辞書に載っているだけでもラッキー、という次元のものが多い。
中国と台湾の「中国語」は、同じ北京語を母親に持っているので、基本は同じです。
イギリス英語とアメリカ英語、東京弁と大阪弁ほどの違いでしょう。
しかし、同じ母体から生まれた子供なものの、育った環境が違うので、やはり違うところは違う。
言語も人間の営みの一部。人間が環境に影響されやすいのであれば、言語も同じなのです。
この細かい違いを書き出すと、また長くなってしまうので後日別記事にして書きます。
しかし、ちょっとだけ一例を。
私が台湾で中国語を勉強していた時のこと。
授業で、
「『彼は台北へ行きます』を中国語にせよ」
というような問題が出てきました。
なんや、超楽勝~。そんなもの、夢の中でも書けるわい。
私はこう書きました。
「我去台北」
しかし、これが×とされたのです。
正しくは「我到台北去」だと。
いやいやいやいや、台湾人みんな「我去台北」って言ってるやん!
そりゃ「我到台北去」ってことはわかってるけど、周りはみんな「我去台北」やぞ!
と抗議しても、判定は覆らず。
台湾だったので口が避けても言えませんでしたが、中国なら「我去台北」と書いても○です。
20年前の話ですが、いまだに納得いきません(笑)
2.台湾語
台湾語は、中国語の方言の一つです。
中国語には、衛星のように数々の方言が存在しているのですが、台湾語もその一つ。
正式には、「ミン(もんがまえに虫)南方言の中の台湾方言」です。
「ミン南方言」なんてこと聞いたことがないと思いますが、これ、俗に「福建語」と言います。
言語学的には「福建語」という表現が間違いなのですが、それは横へ置いておきましょう。ここでは「ミン南語」としておきます。
「ミン南語」とは福建省を流れる最大の川、「ミン江」のこと。そこより南の方言ということになります。
「ミン南方言」の使用範囲はけっこう広く、福建省南部はもちろん、広東省東部や西部の雷州半島(雷州語)、海南島の方言も仲間です。
ミン南語はけっこうバラエティに富んでいるのですが、何故一ローカル方言がここまで広まったのか。
あくまで私の推定ですが、福建人の性質に関係していると思います。
中国人は元来大陸型で、海に関してはズブの素人。「海恐怖症」の如く、海洋進出を長年恐れていました。
最近、中国が海軍を増強して「海洋国家」たらしめていますが、歴史を見ると海嫌いが激しすぎて「大陸引きこもり」だった国が何を言うとんねんと(笑)
ところが、例外が存在します。それが福建省の人たち。
福建省は山が多く、土地も痩せたところが多く、農業にはあまり適していません。
その環境もあって、彼らは昔から海に出て漁業を生業にしていました。
「南船北馬」という言葉もあるように、中国の南には川や湖が多く船には馴れているのですが、福建省の人たちはそこから一歩進んで、海に出ました。
台湾人の祖先も、海とはお友達の連中が海峡を渡った福建省の人たちです。
彼らが現地で、元々台湾に住んでいた原住民と混血したのが、今の台湾人のベースとなっています。
同じように、船で海を渡ることは怖くない彼らは、南へ南へ渡り子孫を残し、それが言葉(方言)に残っている・・・と考えると納得できます。
さらに南へ行くとベトナムやタイですが、そこの華僑は福建省系が多いですし。
台湾語独自の特徴
台湾語には他のミン南方言の言葉と比べ、少し違う面を持っています。
①アモイ方言と泉州方言のチャンポン
中国語の中に「ミン南方言」という方言があり、「ミン南方言」の中にもまた方言がある・・・ややこしいですが事実です。
上の分布図を見ても、中国語を「母親」とするとひ孫のような関係になります。
方言なので「方言の中の標準語」は存在しないのですが、その扱いを受けているのがアモイ(厦門)という都市の方言。
アモイは貿易都市として栄えて今でも福建省最大の街であり、ここ出身の華僑も多いのが特徴です。
福建語、ミン南方言なんて我々日本人には縁がないや・・・とお思いですが、なにげに使っている言葉にアモイ方言由来のものが隠されています。
それは「お茶」のTea。
もちろん英語なのですが、その語源はアモイが中国最大のお茶の輸出港だったことにさかのぼります。
中国語で「お茶」は「茶(チャー)」なのですが、アモイ方言になると、同じ漢字で「テ」。同じ「中国語」のはずなのに、全く発音が違います。
なので、福建省名物の烏龍茶は「ウーロンチャ」ではなく、「ウーロンテ」になります。
その「テ」が訛り、英語のTeaやフランス語のTae(テ)になった、という歴史があるのです。
ちなみに、中国語では「チャ」というように、北京語など北の言葉は「チャ」なのですが、そこからロシア語の「チャイ」、日本語の「ちゃ」になりました。
面白いのが韓国語。実は「チャ」と「タ」の二種類の発音があります。
ふつうは「チャ」なのですが、伝統儀礼の「茶礼」は「タレ」と言い、ミン南方言式の発音が化石のように残っています。
アモイの前の福建省最大の貿易都市が、泉州と言われるところでした。
あ、日本の大阪南部の泉州ではありませんよ(笑)
ここは宋~元の時代に東洋一と呼ばれた貿易港として栄え、今でも人口に占めるイスラム教徒率が高い、ちょっと不思議な街です。
中国なのに、アラビア文字の表記の店があったり、モスクからアザーンが流れてきたり、
「あれ?ここって中国福建省だったよね?」
と、地元のウーロン茶を飲みながら異国を感じることができます。
あのマルコポーロも、ここから船に乗りイタリアへ帰っていきました。シルクロードを渡って・・・は中国までの「往路」です。
そこでマルコが泉州でインド行きの船を待っている時、地元の船乗りから聞いたというのが、
「黄金の国ジパング」の話でした。
英語のJapanなどの語源も、その「ジパング」から来ています。
じゃあ、そもそも「ジパング」って何なのさ!?
という疑問が思い浮かびますが、書き出すとまた長くなるので後日。
台湾語は、台湾に定住した人の出身地によって違うのですが、多数派はアモイ方言派とみなしていいでしょう。
泉州方言派は台北などの北部に多く、アモイ方言派は台南など南部に多い、と聞いたことがありますが、今は多数派のアモイ方言派に押され、泉州方言派は吸収されつつあるそうです。
じゃあ、この2つの何が違うのかって?そんな難しいことは聞かないで下さい(笑)
② 日本語が混ざっている
台湾は1895年から1945年まで、日本の統治下にありました。つまり「日本」だったということです。
台湾ではこの50年間を、「日治時期」「日本時代」と名付けています。
大きな歴史の流れから見ると、50年間は大した時間ではありません。
しかし、文化に影響を与える期間となると、50年間は十分な余裕を持っています。
台湾語を聞いていると、時々「日本語っぽいもの」が聞こえてくることがあります。
一瞬、あれ?と思うのですが、それは気のせいではありません。
台湾には日本と日本人が遺して行った「置き土産」が、見えるもの、見えないものにかかわらず結構多いのですが、
台湾語にも大きな足跡を残しています。
「バス」「ビール」「オートバイ」「トラック」「おばさん」「運ちゃん」などは日本語のまま残っています。
今残っているかどうかはわかりませんが、「土用丑の日のウナギ」や「秋は秋刀魚」という習慣まで残っていました。
私が台湾にいた頃は、10月になるとみんな七輪を出し、玄関で秋刀魚を焼いている風景が、魚を焼く香ばしい匂いと共にありました。
七輪で焼くなんてなんだか昭和だなーと、感心しながらスーパーに入ると、
「今年の秋刀魚入りました!!」
というケバい広告が。ここは一体どこの日本かよと。
台湾へ行くと、「黒輪」という食べ物をあちこちで見ることができます。
コンビニにもあるので、台湾に行ったことがある人は見たことがあるはずです。
「黒輪」って一体なんなのか?どうやらおでんっぽくもあるのだけど・・・
とその得体の知れない食べ物に、怖くなった人もいるかもしれません。
國語(北京語)で読むと「ヘイルン」なので、「黒輪」の正体が余計わかりにくくなる。
しかし、これを台湾語では、
「オリェン」
と読みます。
発音がビミョーに違うのですが、日本の「おでん」の音訳です。
味は、なんだかおでんとちょっと違うよね・・・という感じを抱かせるものでしたが、台湾人は「日本のおでん」と信じて疑いません。
また、「黒輪」を日本風に「関東煮」と書いている屋台もあります。
・・・「台湾語の中に残る日本語」は、また別記事にして書こうと思います。
これから書き出すと、泉のように書きたいことが湧き出てくるので、1万文字じゃ済まなくなる(笑)
北京と台湾語の違い
「北京語と台湾語は違うの?」
こういう疑問もよく聞かれます。
答えを先に言うと、全然違います。
方言の関係なので全然別物というわけではないのですが、方言と思って東京弁と大阪弁程度の違いと思ったらとんだ認識違い。
方言と聞いて油断たり甘く見たまま実際に習い、
「そんなはずじゃなかった!!」
と頭を抱える人を数多く見てきました。
ヨーロッパに例えると、北京語が英語なら台湾語はイタリア語かスペイン語、というくらいの距離があります。
それも台湾語は、広東語や上海語などの他の方言と比べて、難しさがもう一段階くらい違ってきます。
近頃の台湾ブームで台湾語学習者が増えているとのことですが、「方言」ってナメてかかるとえらい目に遭いますよ。心してかかった方がいいです。少なくても「英語学習者がスペイン語を勉強する」くらいの覚悟で。
北京語は問題がないペラペラレベルの人間でも、いざ台湾語となるとイチからやり直しです。いや、なまじ北京語の知識があるばかりに、それが邪魔をすることすらあります(それは広東語も同じ)。
北京語と台湾語の違いを、よく使う言葉で。
赤字が北京語、青字が台湾語です。
「こんにちは」
你好:ニーハオ
你好:リホウ
「ありがとう」
謝謝:シエシエ
多謝:トーシアー
「すみません」「ごめん」
対不起、不好意思:トゥィプチー/プーハオイース
□□(漢字なし):パイセー
失禮:シッレー
「私は日本人です」
我是日本人:ウォーシーリーペンレン
(または北京語台湾訛りでウォースーズーペンゼン)
我是日本人:コアーシージップンナン
またはゴアーシーリップンラン
3.客家語(はっかご)
台湾語は聞いたことはあるけれど、客家語なんて聞いたことがない。そんな人も多いと思います。
客家(はっか)とは漢民族の一派で、「客家」とは「よそ者」「部外者」という意味です。
はるか昔、1000年から1500年前にかけて、客家人の祖先は中国北部に住んでいました。が、戦乱などで故郷を捨て、中国南部に定住した難民の子孫たちです。
戦乱のない南部に移住したものの、彼らは「よそ者」として迫害され、山奥や荒れ地に追いやられます。
「客家」という言葉は、そこから来ています。
長年迫害された境遇と教育好きな性格から、「中国のユダヤ人」とも言われています。
中国南部に、こんな建物があります。
要塞のような丸く高い建物。中国語で「圓楼」と言うのですが、これが客家人の住宅なのです。
客家はよそ者として地元から襲撃すらされるので、家を要塞にせざるを得なかったのです。襲撃されたら、「圓楼」の中に籠城して抵抗する。だから住宅と同時に要塞、日本のお城の感覚です。客家人がどういう境遇だったかがこの一枚で理解できます。
この「圓楼」は中国のどこにでもあるわけではなく、客家人が住むところ、福建省、それも超山奥にしかありません。
広東省に行くと、丸いを意味する「圓」が、方形を意味する「方」になり、「方楼」になります。
「圓楼」ほどの要塞ぶりではありませんが、「方楼」は中国だけでなく、香港にもいくつか残っています。
客家人は、根っからの商売人である漢民族にしては商売がヘタクソな方です。何故ならば正直でマジメだから(笑)
その分、一族挙げて教育に力を入れることで有名で、中国人の学者や政治家に客家人が非常に多い。
初の台湾人総統の李登輝、シンガポールの初代首相のリー・クワンユー、鄧小平などは、先祖をたどれば客家出身です。
客家人は、中国にいてもそうそう会うことはないですが、客家人のメッカ広東省に行くと、そこら中にけっこういます。
台湾も人口の15%が客家人です。この数、後で解説する原住民の数より多いのです。無視できる数ではありません。
台湾客家も例に漏れず、先輩格の福建系の人たちに迫害された経緯があるので、今でも一つの地域に固まって住んでいることが多いです。
台湾客家の一例は、現総統の蔡英文さんでしょう。彼女は台湾南部の客家出身です。
ああ典型的な客家人だなーということは、Wikipediaの経歴だけで感じることができます。
ちなみに、蔡英文さんが客家語を話せるかというと・・・聞いたことがないのでわかりません。
おそらく、話せないのではないでしょうか。「台湾人」として同化し、客家語が話せない客家人も台湾では多くなっています。
逆に、台湾語が話せない客家人もたくさんいます。
「台湾人」がすべて台湾語を話せると思ったら、大間違い。
台湾の歌手に王心凌(ワンシンリン)という女性がいます。
彼女のルックス以上に、中国語がやけにかわいいのですが、彼女も台湾北部の客家出身。おまけに台湾語が話せない。北京語と客家語はOKのようです。
台湾語が話せない台湾人は何人も見かけたけど、若い娘では珍しいかな!?
じゃあ、客家語とはどういうものなのか。
客家人は、先祖が中国北方に住んでいたと書きましたが、その面影が客家語に残っています。
客家語は、だいたい唐くらいの中国語の発音体型が残っていると言われています。
例えば有名な唐詩、「国敗れて山河あり」で有名な『春望』の原文は、
国破山河在
城春草木深
感時花濺涙
恨別鳥驚心
烽火連三月
家書抵万金
白頭掻更短
渾欲不勝簪
日本だと「国敗れて山河あり、城春にして草木深し・・・」という風に読んでいきますが、中国では原文を現代中国語で読んでいきます。
しかし、今の中国語で発音するとわからない、ある法則が隠されています。
唐詩は「詩」であるので、詠んできれいなことが求められます。それは文だけでなく、実際に読んだ時の音にも求められる。
じゃあ、これを客家語・・・はわからないので広東語で読んでみると、「あること」に気が付きます。
国破山河在
城春草木深
感時花濺涙
恨別鳥驚心
(後半は面倒くさいので省略)
赤字にした部分の発音を抜き出します。
深
北京語:shen1(シェン)
広東語:sam(サム)
心
北京語:xin1(シン)
広東語:sam(サム)
おわかりの通り、ちゃんと「深」と「心」で韻を踏んでいるのです。
これは客家語も同じだそうで、北京語だけ習っているとわからない、唐詩の奥深さが見えてきます。
漢詩をボーっと広東語で読んでいて気づいた法則なのですが、これは大発見や!!俺って天才ちゃう!?と一人大騒ぎ。
大学院で中国哲学を専攻していた留学生に、興奮しながら報告しました。
すると彼の口からは、
「そんなもの、明治時代から研究され尽くしていますよ」
私の「天才伝説」は、ほんの数秒で音を立てて崩れ去りました(笑)
客家語はあまり詳しくはないのですが、元々北方の言葉だけあって、発音のところどころにその残骸が残っていると言います。
また、「客家料理」なるものもあり、南の住民なのに味付けが塩辛い(北方系)など、元北方系というルーツを垣間見ることができます。
中国は広州に住んでいた頃のこと。
私が話せる客家語は、
「ンガイヘイニップンニン」(私は日本人です)
くらいなのですが、道を歩きながら「ンガイヘイ・・・」とつぶやいていました。
すると、
「ニップンニン!!」
という声と共に、握手を求めてくる中国人の姿が。
「ニップンニン」と言って反応してくるのは、間違いなく客家人。しかし、いちおう確認のために、
「ハッカニン?」(客家人か?)
と聞いてみる。彼は、
「ヘー、ヘー」(そうそう)
と客家語で答える。
ただそれだけなのですが、これがとんだ「客家人ホイホイ」となり、滅多に会わない数客家人を数十人掘り出しました。
広東語や台湾語を話せる日本人は多けれど、客家語になるとほとんどいないと思います。少なくても私は聞いたことも見たこともありません。一人だけいたのですが、日本に帰化した台湾客家でしたし。
自分で言うのも何ですが、研究者以外で話せるのは私だけじゃないかと。といっても、話せるのは「ンガイヘイニップンニン」だけですが。
客家人を見た目で判別するのはまず不可能。どうしても客家人に会いたければ、台湾だったら客家人が多く住む苗栗か桃園で、
「ンガイヘイニップンニン」
とつぶやきながら歩いてみましょう。何人か釣れるかもしれません!?
また、台湾語で相槌を打っている時は、
「シー、シー」(是、是)
なのですが、たま~~に
「ヘー、ヘー」(係、係)
と言っている人がいます。
ヘーヘー言っている人が客家人です。
世にも珍しい、客家語のニュースです。
もちろん、私が聞いても何言ってるのかさ~~っぱりわかりません。
たまに「ハッカ(客家)」と言ってるな~という程度です。
これくらいで勘弁して下さい(笑)
4.原住民の言葉
台湾に住んでいる民族を、外国籍を除いて大雑把に分けると、
・漢民族系
・原住民系
ときれいに分かれます。もちろん、人種としての分類も全く違います。
今まで紹介した言葉は漢民族系のものでしたが、今回はもう一つの原住民の言葉です。
台湾には、アミ族・タイヤル族・プユマ族など16の原住民が住んでおり、人口比は全人口の2.1%です。
台湾原住民は「平地原住民」と「山地原住民」に分かれていますが、台湾に行ったことがある人や、知識がある人が思い浮かべる「台湾の原住民」は、まず山地系と思って結構です。
平地系は台湾の漢民族と同化し、今はあまり残っていません。
台湾人は中国人と比べ、彫りが深く肌も褐色など「濃い」ことが多いですが、それは数百年かけて原住民(主に平地系)と混血した結果です。
山地原住民は、かつては「蕃族」などと呼んでいましたが、日本統治時代に「高砂族」と変更になり、「中華民国」後に「高山族」「高山同胞」などになりました。私も中学校くらいの授業で、「高山族」で習った覚えがあります。
しかし、原住民のアイデンティティの確立や、台湾の民主化などにより、「原住民(族)」という呼び名が定着しています。
「先住民」とすると、中国語のニュアンスでは「既に滅んで現存しない民族」になってしまうので、「原住民」となっています。
台湾の原住民なんて見たことも聞いたこともない?
なら、こんな「台湾人」は知ってるでしょう。
私くらいの40代。アラフォーなら
ちょっと古い?なら30代の方なら彼女はどうでしょ。
ビビアン・スーです。
ちょっと古い?じゃあこの人はどうでしょう。
共通点は、みんな台湾の原住民だということ。
ビビアン・スーは母親が原住民(タイヤル族)のハーフですが、他の二人は100%原住民。
その中でもアミ族は、運動神経に優れた民族としてスポーツ選手を多数排出しています。郭源治と陽岱鋼はアミ族ですね。
ちなみに、郭源治と同時期に活躍した元西武の郭泰源は、同じ「郭」でも全くの別人。泰源の方は台南生まれの漢民族です。
彼ら16の原住民の言葉は、中国語の「シナ・チベット語族」とは全く違う「オーストロネシア語族」に属し、マレー語やインドネシア語、フィリピンの言葉(タガログ語など)と親戚です。
しかし、部族間で言葉は通じず、すぐ近くに住んでいるものの、交流は長い間ほぼゼロだったそうです。
そんな彼らを変えたのが、日本統治と日本語。
日本統治時代に彼らは日本語という「共通語」を得、それが部族間の交流を促し、さらに民族のアイデンティティを高める結果になりました。
日本語が国際(?)共通語になっていた、唯一の例です。
ほんの14~5年前まで、原住民の間の共通語は「日本語」で、4~5歳の女の子がきれいな日本語をしゃべっていたというような、ここは日本か!?と錯覚してしまう風景がありました。雨の中山奥の人里離れた集落に入ると、そこに住んでいたのは原住民だった。が、老若男女みんな日本語が話せた。日本人だと名乗ると、おお、日本人に日本語を話すのは何十年ぶりだろうと・・・まるでおとぎ話の世界のようでした。
山奥のある村の教会の壁に、「ひらがな」が書いてありました。
しかし、日本人の私が読んでも、それがひらがなであることは確かだが、意味がさっぱりわからない。何かの暗号か?
「当たり前だよ」
と村の長老が日本語で言います。
教会の壁の「ひらがな」は賛美歌の原住民語訳を、カンニングペーパー代わりにひらがなで書いただけだそうです。そりゃわからんわ。
原住民の人たちによると、日本語は自分たちの言葉にとてもフィットするようで、今の中国語は違和感がある「異物」なんだとか。
何故全く縁もゆかりもない2つの言語が「フィット」するのか?
日本語は最後の音が常に母音で終わる言語なのですが、それに共通した言語がマレー語やハワイ等南太平洋の言語です。
マレー語の親戚である原住民にとっては、母音で終わる日本語は「遠い親戚」に思えるのです。
これ、全く根拠がないわけではありません。
「日本人は一体どこから来たのか」
これは永遠のテーマでもあり、日本人が大好きなテーマですね。
これはどこからか一方向から来たと思うから無理があるのであって、いろんな方面からやって来たハイブリッド・混血と思えばなんの違和感もありません。むしろ「そりゃそーやろ」とさえ思います。
その中に、「黒潮に乗ってやってきた人たち」がいます。
フィリピンから台湾、沖縄、日本と大きな潮の流れがあります。
この黒潮に乗って、南太平洋から島伝いに民族が移動してくる。何らおかしくないどころか、そりゃそうだろうと。
「黒潮民族」が共通の祖先を持っていれば、言葉の根っこも同じでもおかしくありません。
黒潮の流れに沿って住んでいる「黒潮民族」には、ある2つの共通点があります。
一つは「浦島太郎」。彼らは浦島太郎の民話を持っています。
細かいストーリーは違うのですが、
・竜宮城(のようなところ)へ行った
・そこで何年も過ごした
・主人公が故郷に帰ったら何百年もの月日が経ち、自分を知っている人はいなかった
といったところは共通しており、日本・台湾のアミ族・フィリピン・ヤップ島原住民の民話として伝わっています。
もう一つが、ATLです。
ATLとは「成人T細胞白血病」のことで、母乳で伝わる特殊なウイルスが白血病や悪性リンパ腫を引き起こすという病気です。
このキャリア、何故か日本人に非常に多く、それも沖縄・鹿児島・宮崎・長崎・高知・和歌山の人にしか存在しません。
(まれに、北海道や東北の太平洋側にあり)
九州では昔から風土病として恐れられており、何故か長崎県が「全世界」のキャリアの2割を占めるなど、地域(県)によって偏りがあるのも謎の一つです。
ATLのキャリアは、日本人以外では台湾の原住民、ニューギニアやマレー・インドネシアの民族に多く、アメリカや駐米の原住民や、ペルーの数千年前のミイラからも発見されています。
逆に、中国人や韓国人などの大陸系民族には全くありません。
黒潮沿いの民族に共通する風土病ですが、ご安心を、ATLのキャリアでも、実際に発症するのはほんのごく稀です。
話が脱線しすぎて、何の話をしていたか忘れてしまいました(笑)
そうそう、台湾の原住民と日本人、特に九州・沖縄・高知あたりの人は、遠い存在とは言い切れない。
「黒潮民族」として何かしらの共通点を持ち、共通の先祖を持っているかもしれない。そういうことを書きたかったわけです。
長くなりましたが如何でしょうか。
たぶん、長すぎてクタクタかと思いますが(笑)、台湾に旅行に行ったり、どこかで関わる時の参考までにしていただければ幸いです。