どうも、ラッキーマンです。
僕は今死にたいと思わないんだけど、社会の中には今この瞬間にも「死んでしまいたい」と思う人たちがいて、その理由ってなんでだろうか?ってことを考えていました。
たくさんの理由がある中で、僕が考えたのは
「周りの期待に応えようとしすぎてるんじゃないか?」
っていうことです。色々な期待に応えようとしたんだけど、ダメだった、うまくいかなかったってなった時に「ああ自分は生きていてもしかたがないな。」って思うんじゃないかな?
たぶん小さい頃っていうのは期待なんかあんまりされてなかったと思うんです。まぁ中には英才教育で物心ついたときには「東大行け!!」とか「官僚なれ!!」とか「大企業は入れ!!」みたいな期待をされた人も一部いるとは思うけど、ほとんどの子供はそうじゃなかったと思う。
きっと、「元気に育ってくれれば」「自分のやりたいことやってくればいい。」そんなことを親も周りの人も思っていたはずです。
ところが、だんだんと年齢を重ねていくごとに周りが求めるものというのは高くなってきます。
いい成績をとらなければ・・・
いい学校を出なきゃ・・・
いい会社に入らなきゃ・・・
高い給料もらわなきゃ・・・
親孝行しなきゃ・・・
結婚して子供つくらなきゃ・・・
何歳までに○○してなきゃ・・・
直接は言われていないかもしれない。でも、こうなんていうのかな無言の圧力とでもいうんでしょうか。何となく空気のようなものがあって、その圧が成長するにつれて僕たちに押し寄せてくるわけですよ。
その期待に応えられる人はそれでいい。おそらくそういう人は今楽しい人生を送れているんでしょう。わからんけども。
問題は、そうじゃなかった人。周りの期待に応えれなかった人なんですよね。そういう人っていうのは「あー、自分は全然期待に応えれてないな。」っていうことを無意識のうちに感じてます。
正社員になれない→期待に応えれなかった
結婚できない→期待に応えれなかった
いい会社に行けなかった→期待に応えられなかった
みたいな感じで、期待に応えれない自分に対してどんどんダメだししていってしまう。どんどん減点していっちゃうんですよね。この減点方式を採用しだすと自分という人間がほんとに嫌になります。否定しまくります。それがやがて自分という存在を消してしまいたい、「死んでしまいたい」という考えに繋がるんじゃないかな?と僕は思うわけです。
周りの期待なんか無視してもいいんじゃない?
勘違いしないでほしいのは、「期待に応えるのが悪い」といいたいわけじゃないんです。誰かに期待されることで「じゃあ、頑張ってみよう」と思う人がいるのも確かだし、期待されることで伸びていく人もいるでしょう。
心理学にはピグマリオン効果というものがあります。これは「人というのは期待されるとその期待に応えようとしてそれに見合った結果を出そうとする」というものです。つまり心理学では期待をすることがいい結果に繋がると考えられているわけです。だから期待すること自体はうまく使えばいい方向に繋がることもあります。
ただその期待に対して必要以上にプレッシャーを感じてしまったり、あるいはそんな期待に応えられない自分はダメなんだと必要以上に自分を責めてしまう人っていう人も中にはいますよね?そういう人の場合、いったん周りの期待を無視しちゃっていいんじゃないかな?と僕は思うんですよね。期待されることがいい方向に働かないのであればそれはただの重しにしかなりませんから。
ちなみに明石家さんまさんは、たとえ番組などでうまくいかなくても落ち込まないそうです。それは「自分に対して過度な期待をしてないから。」だから、仮にうまくいかなくても「今の自分はこんなもんなんだ。」と受け入れられる。
この考え方はいいっすよね。期待に応えようとして答えられなくて落ち込んでしまう人や自分を責めてしまう人は参考にしてほしい。
期待を無視して自分のやりたいことをやってみる
期待っていうのは、良くも悪くも他人目線のものなんですよね。下手すりゃ、そこに自分の願望とかやりたいことっていうのはいってなかったりするわけです。
そんでその期待に応えようとして「なんか違う。」「こんなことしたいんじゃないのに」なんて思いつめちゃって病んじゃったり死にたくなっちゃったりするんじゃないかな?
そういう人にはまず
「他人の期待なんか無視していいから自分の好きなこと、やりたいことをやってみよう。」
ってことを伝えたいし、それを自分にも言い聞かせてほしい。
「自分は周りの期待になんか応えなくてもいいんだ。」と期待に応えない自分を認めてあげてほしい。するとかなり気持ち楽になるんじゃないかな?と僕は思うわけです。
っていうかほんと死ぬぐらいなら、そんな周りとか社会の期待とかそんなもんぶん投げてポイしちゃっていいと思いますよ。人を殺すとかもの盗むとかそういう悪いことしなきゃどう生きたっていいでしょ?って思うんですよね。
そんである程度、自分の中でそういう死にてぇとか、しんどい気持ちみたいなのがなくなったら改めて期待というものと向き合ってみてさ、それで応えられるようなら周りの期待に応えてみてもいいだろうし、「やっぱ期待には応えられないから、マイロード突き進むわー。」っていうならそれでもいい。
どちらにせよ、それが自分のやりたいことで熱を注げるものであればそれは自分にも周りにもいい影響を与えるんじゃないかなんて僕は思っています。
まとめ
今回僕が言いたかったのは、
- 辛いのは周りの期待に無理に応えようとしてるからなんじゃないか?
- 死にたいぐらいなら周りの期待なんか無視してもいいんじゃない?
- とりあえず期待は無視して自分のやりたいことやってみればいいんじゃない?そういう自分を認めてもいいんじゃない?
ってところかな。陳腐なライフハックみたいな感じですが、まぁ思ったことを好き勝手に書いてだけなのでお許しください(>_<)
まぁそうはいってもなかなか難しいかもしれないですけどね。まじめは人ほど色々な期待をしょい込んじゃったりするもんだから。そういう人は「その期待に応える必要って本当にあるんですか?」って自分の問いかけることは大事。
そんでもし期待に応えようとして苦しいならそんな期待はいったんわきにでもおいておいて興味のあること、やりたいことやってみればいいんじゃないかな?そっから道が開かれたりするんじゃないかな?なんて思ってます。
期待に応えようと頑張りすぎて、つぶれないようにしていきましょう。死にたくなったら期待なんて無視しましょう。
それでは今回はこの辺で。
最後までご覧いただきありがとうございました。
次回もよろしくお願いいたします。