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フェイスブックにアドバイスしていたら「お前がやれ」と言われて…|【児玉太郎】集中連載第1回
TARO KODAMA 児玉太郎(写真右)
アンカースターCEO。1977年生まれ。1999年ヤフー入社。ソーシャルメディア事業を担当。2010年1月フェイスブック入社。カントリーグロースマネジャーとして活躍し、2014年6月に独立。2017年5月、キックスターターのカントリーマネージャーに就任
2017年5月29日~6月1日、第2回アドバタイジングウィーク・アジア(AWA)が開催されます。そのアドバイザーをつとめるのが、アンカースターCEOとして海外企業の日本進出支援を行っている児玉太郎氏。フェイスブック・ジャパンの第1号社員にして成長戦略の責任者をつとめ、ユーザー数を激増させて日本に実名制のSNSを根付かせた人物です。
また児玉氏は、誰でもクリエイターを支援できるコミュニティプラットフォーム「KICKSTARTER(キックスターター)」の日本版ローンチにあたり、カントリーマネジャーをつとめるとも発表され、各界の注目を集めています。
そして今回、クーリエ・ジャポン会員向けに、4日連続にて児玉氏の大型語りおろし連載をお届けします。新たなビジネスに挑戦する人間なら絶対におさえておくべき示唆に富み、目からウロコの英語の上達法までわかる特別企画。しっかり読み込める大ボリュームです!
小さなベンチャーに「なんでもやります!」と入ったら…
10歳から20歳くらいまで、ロサンゼルスで暮らしていました。学校も現地校です。
当たり前なんですけど、米国の学校では日本史の授業がないんですよ。じゃあなにを勉強するかというと、アメリカ史をやるわけです。世界史の授業の中で少し日本をやりますが、教科書の2ページくらい。だから普通に米国で勉強していたら、日本のことなんて、全然わからない。
戦争の話も、グローバルな視点で勉強します。だからまあ、「真珠湾が攻撃されました」っていう形ですし、原子力爆弾の話もします。
そうすると織田信長と豊臣秀吉が同じ時代に生きていたことすらわからない。なので、週末は補習校で日本の勉強もしていました。
あさひ学園という日本人の子供のための学校があって、毎週土曜日に日本語や日本史を勉強するんです。日本についての教育は、そこである程度受けました。だから僕のなかには、米国と日本が50:50くらいでブレンドされているんですね。
父親の事業がうまくいかなかったこともあって、高校卒業後、日本に帰ってきました。渡米前は横浜の山の手に家があったんですが、帰国したら雨漏りするボロアパートに父が住んでいて、児玉家は大変なことになっているなと実感しました。
ガテン系なバイトや、引っ越し屋さんや販売の仕事をしたりして、僕も家計を支えるようになりました。でもたまたまあるホームページを見ていたら、ウェブサイトのスタッフ募集をしていたんです。ベンチャーの、まだ小さい100人くらいの会社です。
当時の僕は、ロン毛で顔も真っ黒。いつもタンクトップにツナギを着て引っ越しをやっていたので、そんな風貌で。髪の毛を束ねて、安いスーツを買って、面接に行きました。
「なんでもやるか?」「なんでもやります!」と、丁稚奉公みたいな感じで拾っていただきました。それが「Yahoo! Japan」、つまりヤフーでした。
運がいいことに、ヤフーがまだ100人くらいの規模のときに、21歳か22歳くらいで入社しました。当時ヤフーは新卒も採っていなかったので、断トツで最年少だったと思います。
いろいろな部署を転々としながら、最年少で課長職、部長職になりました。やがては部下が百何十人もいる事業部の企画部門を任せられ、Yahoo!知恵袋などいろんなサービスの担当企画部長をやっていました。
お礼に呼ばれたらザッカーバーグが
そんなとき、米国のフェイスブックの人がヤフーを訪ねてきたんです。「日本のユーザーが全然伸びないんだけれど、同じ外資系IT企業のヤフーはなんでこんなにうまくいっているの?」とヒアリングに来たんですよ。
米国でも、当時のフェイスブックはヤフーよりもはるかに小さな会社で、社員も数百人しかいませんでした。
僕はたまたま、ロスにいたときの友達とつながるためにフェイスブックで遊んでいて、けっこう詳しかったんです。だからフェイスブックが面白い、面白いって前々から社内で騒いでいました。そこで「おまえ相手してやれ」と僕がアサインされたんです。
フェイスブックの人たちが来日するたびに、日本のカルチャーや日本語について教えたり、サービスをこういうふうに変えたほうがいいんじゃないかってパワポつくって提案したりしました。本当に1年に何回も来日するので。
いま思えば、そこで来日していた人たちは、フェイスブックでめちゃくちゃエラい人たちでした。ただ当時は、自分の方が若干立場が上な気分で(笑)。いまじゃ企業価値が逆転どころか、ヤフー全体の10倍とかになっちゃいましたけれど、当時は小さいベンチャー企業だったので、いろいろアドバイスしていたんですよ。
1年ほどそうしているうちに、お礼がしたいと言われました。サンフランシスコの本社に遊びにおいで、と招かれた。ところが、実は面接だったんです。
2日間の日程に面接がぎっしり入っていました。最後にマーク・ザッカーバーグと会って、「どういうふうにしたらいいと思う?」と意見交換をしました。
その最終面談の場に、いつも日本に来ていた人もいたんですけれど、その人が――あんまりエラい人だと思ってなかったんですけど――インターナショナルの総責任者でした。
彼に「いくらだったらヤフーを辞める?」って訊かれて、当時はまだ未熟だったので、「いくらでも辞めます、いくらでも行きます!」って言っちゃったんです。いま思えば、いろいろ交渉の余地があったのかなあと思うんですけど。
日本に帰って、「フェイスブックに誘われちゃいました。スパイのつもりで行ってきます」と報告して、10年以上勤めたヤフーをあっさり辞めました。それまで辞める気なんか全然なかったんですけど、直感でした。
そうして、履歴書も出さないままフェイスブック・ジャパンの1号社員になりました。それが2010年です。
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