特集2
● - 読むヨーグルト
プロバイオティクスの基礎研究からヨーグルトのヒット商品
細菌の菌株名(略称)の「LG21」を製品名に使用しているヨーグルトのヒット商品。斬新かつ独創的なプロバイオティクス研究者の基礎研究から誕生した製品である。その誕生の物語。
1982年、オーストラリアのWarrenとMarshallにより、ヒトの胃からヘリコバクターピロリ(図1;以後、ピロリ菌と略す)が発見された。その後の研究により、ピロリ菌は世界人口の半数が感染しており、胃潰瘍(かいよう)、十二指腸潰瘍および胃がん(図2)発症の主要な原因となる病原菌であることが分かった。2005年、彼らはこの業績でノーベル賞を受賞する。日本でのピロリ菌感染者は、今、総人口の約40%と推定される。感染者の経過を追うと、1年後にはその約5%の人が胃潰瘍あるいは十二指腸潰瘍を発症し、また約0.5%の人が早期がんを含む胃がんを発症すると予想されている。従って感染者のピロリ菌を除菌することは、これら胃の病気の発症リスクを下げるうえで大きな効果があると考えられる。 現在、これらピロリ菌感染者で、かつ潰瘍などの病気を発症した人に対しては、抗生物質を用いたピロリ菌除菌療法が行われ、その治療に当たっては健康保険の使用が認められている。しかし近年、抗生物質が効かない耐性ピロリ菌の増加が目立っており、除菌成功率は10年前の90%台から70%台にまで低下している。一方、大部分のピロリ菌感染者は、これらの疾病を発症しておらず、早急に治療が必要というわけではない。 しかし、このようなピロリ菌保菌者も非保菌者に比べれば、消化性潰瘍や胃がん発症のリスクは明らかに高く、除菌を含む何らかの対処をすべきである。ところが、対象者が全国で数千万人と膨大な数に上るため、これら全員に除菌療法を行うことは、医療経済上のみならず、さまざまな抗生物質耐性菌を大量につくってしまうという観点から極めて困難である。従って、医薬品によらず日常的に行えるピロリ菌感染症のリスク低減が、これら健康ピロリ菌保菌者についても必要である。
プロバイオティクス(Probiotics; 以下Pbと略す)とは、口腔内から肛門にいたる広義の消化管に定住する常在細菌群に働き掛けたり、あるいはそれ自身が、生体に有益な効果をもたらす生きた細菌を指す用語である。筆者らがピロリ菌感染症に対してPb使用を考えるに至ったのは、研究上の目的でピロリ菌感染動物をつくろうとした経過から、たまたま導かれたものであった。 当初、通常環境で飼育している普通の実験用マウスに、大量のピロリ菌を飲ませて胃に感染させようと何度も試みたが不成功であった。 原因を調べた結果、もともとマウス胃内には乳酸桿菌が多数定住していることがわかった。ヒトの胃内に比べ、マウス胃内は酸性度がpH4程度と弱いため、乳酸桿菌群が常在細菌叢(そう)を形成していると考えられた。従って普通のマウスでは、この常在乳酸桿菌に阻まれてピロリ菌が胃に感染できないのではと考え、次に無菌マウスを用いて同様に試みたところ、今度は容易にピロリ菌感染が成立した。ここで用いた無菌マウスとは、帝王切開により無菌的に出生し以後も無菌アイソレータ内で飼育したマウスで、文字どおり体表体内に全く細菌が存在しない。 これらの動物実験結果は、ヒトのピロリ菌感染症でも乳酸桿菌のPbとしての継続投与が感染抑制およびリスク低減に有効であることが示唆された。しかし、ヒトに応用するに当たっては以下の問題点を解決する必要があったため、1997年、乳酸菌応用研究においてトップレベルにあった明治乳業株式会社中央研究所に以下のような共同研究開発を提案した。
共同研究の提案を受けた当時、ヒトの胃で作用する乳酸菌は、食品企業の研究の対象ではなかった。しかし、古賀の専門分野である無菌マウスを用いた乳酸菌のピロリ菌感染阻害の理論は独創的であった。一方、腸内フローラ(いわゆる善玉菌や悪玉菌などの総称)の制御は、明治乳業の重要な基盤研究の1つである。世界のPb 研究の大部分は腸がターゲットであり、このフローラ制御の理論を腸から胃に置き換えて考えると非常に興味深く、共同研究に合意した。 安全性などを考慮し、明治乳業が保有する2,500株以上の乳酸菌の中からヒトあるいは発酵乳由来のラクトバチルス属の乳酸菌203株を対象に、ヒトの胃でピロリ菌を抑制する乳酸菌探しを開始した。 まず、試験管内で人工胃液耐性試験、酸性条件下の増殖性試験、ヒト胃上皮細胞に対する付着性試験、混合培養によるピロリ菌増殖抑制試験を行い、これらの条件に適う3菌株を選抜した。 次に、動物実験を行い、これら3菌株をピロリ菌感染マウスに毎週1回、連続8週間経口投与し、胃内ピロリ菌数(図3a)および血清ピロリ菌抗体価(図3b)を測定した。その結果、ラクトバチルス・ガセリOLL2716株(図4;以後、LG21と略す)投与群は、検出限界以下までピロリ菌数が減少し、血清ピロリ菌抗体価が最も低下した。これらの検討結果より、LG21はピロリ菌抑制に最も優れた菌株であることが判明した。 また、LG21を高い活力のまま継続的に摂取する食品形態としてヨーグルトが最適であると考えた。その理由は、[1] LG21がヨーグルト中で活性を保持しやすい [2] ヨーグルトのカード(乳たんぱく質の凝集体)と混在することによりLG21の胃内残存性が高い [3] ヨーグルトの緩衝作用によりLG21の胃内生残性が高い [4] 嗜好(しこう)性や手軽さから日常の食生活に組み入れて継続して摂取しやすい、などである。 並行して、試験管内で選抜された3菌株を用い、ヨーグルト適性試験を行った。LG21は、ヨーグルト中で2週間10℃に保存しても50%以上の生残率を示し、3株中最も優れていた(図5)。また、LG21を添加したヨーグルトの風味および物性は非常に良好であった。従って、LG21はピロリ菌抑制作用だけではなく、総合的にヨーグルトと相性の良い優れた乳酸菌であることが確認された。 その後、東海大学医学部を中心にLG21を含むヨーグルトを用いた臨床試験を行い、ヒトの胃においてピロリ菌の抑制および炎症の改善効果を確認した。 しかし、開発段階で課題も多かった。一例を挙げると、LG21は溶存酸素に弱く、通常の紙容器では賞味期間内の菌数維持が難しかった。種々の検討の結果、バリアー性の高い紙容器の開発などにより問題点を順次解決した。 医学研究者の斬新な発想は、食品企業の各部門および医師主導の臨床試験などの総合力で、新タイプのヨーグルトとして商品化につながった。この商品は発売して10年を経過したが、現在も多くのお客さまに支持されている。しかし、ヨーグルトはあくまで薬ではなく食品である。食品の持つ最も重要な役割は、生命や健康な生活の維持であり、食品の最大の利点は、通常の量を継続的に摂取しても人体に副作用がないことである。食品の役割を踏まえ、その利点や機能性を最大限に活用して、国民の健康に貢献することが食品企業の使命と考える。 なお、薬事法に抵触する可能性があるため、ここでは乳酸菌研究および商品開発研究に限定した記述とし、当該商品名および商品写真の露出は差し控える。 |