岡崎京子では救えなかった人たちのその先の時代
—— 『先生の白い噓』7巻の発売ということで、いよいよ物語も佳境に入ってきましたね。
鳥飼茜(以下、鳥飼) そうですね。8巻で完結の予定です。
—— 今回は鳥飼先生のこれまでの作品を振り返りながら、なぜ『先生の白い噓』という作品が生まれたのかについて伺えればと思いまして。
鳥飼 はい、よろしくお願いします。
—— そもそも、どうして教師を主人公にしようと思ったんですか?
鳥飼 そんなに大きな意味はなかったんですよね。学校を舞台にしたのは、いろんな子が出てきて描きやすかったからってだけで。格付けやマウンティングみたいな、人間の品性の悪い部分が出やすい場所が学校で、それを目の当たりにさせたいっていう作家の欲みたいなことはあったと思いますけど。
—— 原美鈴は教師じゃなくてもよかった?
鳥飼 美鈴先生に起きる事件が描ければと思っていたので、元々は重要じゃなかったです。本当は美鈴先生も28歳から30歳くらいの設定にしたかったんですけど、最初の担当の方が「センセイはもっと若く! せめて24歳くらいにしてくれ!!」って。私が言ったんじゃないんで、その人炎上すればいいですね(笑)。なので美鈴先生は年の割にしおれた感じなんですが、結果的にキャラクターが全体的に若くなったんでよかったです。
—— もし最初に構想した年齢のままだと、舞台が学校じゃなかったかもしれないんですね。
鳥飼 かもしれない。新妻くんが新入社員だったかもしれないですし。あとは高校生にしたから若者の持て余した欲望みたいなものが描けたのは良かったです。格付けやマウンティングって大人でもやりますけど、本来は幼稚なことだから、学校っていう設定が妥当だったのかな。
—— 主要な登場人物もそうですけど、新妻に思いを寄せる佐古田ミカの暴走具合とかは、まさに持て余してる感じですね。
鳥飼 初期のころは私の意地の悪さがスパークしてしまって。これこれー!みたいな感じで描いてしまいました(笑)。
—— それと緑川椿のセリフ「自分の体が自分を苦しめるなんて考え、狂ってる」はカッコ良かったです。
鳥飼 緑川椿は超カッコ良すぎて、これ一回きりだなと。
—— だからその後登場してないんですかね。
鳥飼 緑川椿が体現してることって、岡崎京子先生や安野モヨコ先生が描いてきたことなんですよ。私はまさしくその人たちに影響を受けた世代だから、緑川椿も私にとってスターなんです。ただ、当時はそれが答えだったけど、今の時代はまた違ったものが出てきているっていう思いがあって。
—— ああ、なるほど……!
鳥飼 私だってああやって生きていきたいし、ある部分ではそう振る舞ってきたけど、それでは満たせないものがいっぱいあることがわかってしまった。イケイケで自分から男とやりまくって、っていうのは、若さや美しさが備わっていて始めて成立するところがある。だからそこに追いつけなかった人たちがたくさんいたし、今はそれが理想だと思われなくなってきてる。
—— だから物語の初めの方で緑川椿にあのセリフを言わせる必要があったんですね。
鳥飼 彼女のセリフが答えだったら良かったんですけど、今はそこから先の時代に来ていて、これからどうしましょうっていうことを描きたいんです。それは私もまだわからないし、読んでいる人たちも一緒に考えてほしいなって。
典型的なホームドラマを描いていたら限界を迎えた
—— 『先生の白い噓』はかなりシリアスな作品ですけど、初の長期連載作品になった『おはようおかえり』のころから、鳥飼先生の作品ってコメディタッチのものが多かったですよね。
鳥飼 ああ、確かにそうですね。本当は『モーニング・ツー』で連載ができるかも、って時から「性」をテーマにした暗いトーンの漫画が描きたいと思ってたんですよ。でもいきなり新人がそんな読者を選ぶような漫画を描かせてもらうのって難しいんですよね。多分編集部内でもそういう判断があったと思うんですけど。
—— とはいえ鳥飼先生はどの作品でも性の問題や、女性の生き辛さの問題は常に取り上げてこられたようにも思います。
鳥飼 ただ、読み返してもらうと分かるんですが『おはようおかえり』でもそういう話を入れたのって3巻くらいからなんですよね。最初はやっぱりまず読んでもらうことを意識したので、読者に喜んでもらえるもの描かなきゃって必死で。キャラクター設定とかも、結構編集さんに言われたとおりだったり(笑)。
—— え、そうだったんですか(笑)。
鳥飼 もともとそういうことが描きたかったから、あまりに典型的なホームドラマ感に抵抗があって、自分の中で限界を迎えちゃったんですね。でもせっかく貰えた仕事だし、読んでくれている人もいたので、その延長線上でどう自分が面白がって描けるかを考えたら、ああいう展開になりました。だから思ってたのと違うって感じた読者は多かったと思いますね。私自身がまさかそういう終わり方になるとは思ってなかったから。
—— ではシリアスな『先生の白い噓』の方が、本来の鳥飼先生の作風なんですかね。
鳥飼 古谷実先生のアシスタントだったので、『シガテラ』とか『ヒミズ』の影響はあるかもしれない。あとは岡崎京子先生みたいな世界観が好きだったりとか。漫画家になる以上は、やっぱり自分らしさとか作家性みたいなもの出したいと思うじゃないですか。そういう厭世観とかアンチハッピーエンドみたいなものと作家の自意識って結びつきやすいから、若いころは飛びつきやすいんですよ。
—— 暗い作品を描かれる若手漫画家の方、よくいらっしゃいますね。
鳥飼 逆にデビューしてすぐにほんわかしたホームドラマをちゃんと描ける人のほうが天才なんじゃないかなあ。私はそれをやろうとして澱が溜まっていってしまったけど。「とにかく人間はいいもの」みたいな方向に押し込んでいった結果、これは全然解決しきらんと思っちゃった。
—— 一貫してどの作品も安易なハッピーエンドには持っていかないぞ、という感じがします。
鳥飼 それはあります(笑)。自分がのほほんと生きていたら足元掬われた経験があったので、戒めとして描いているところがあります。注意喚起じゃないですけど、みんな足元注意だぞっていう。
—— 実際の社会ってそういうもんですもんね。
鳥飼 そう! 結婚してハッピーみたいな終わり方したって、2年後ぐらいに離婚してるだろって。だいたい芸能人の結婚とか見てても2年くらいで離婚するでしょくらいに思ってる(笑)。
—— 『おはようおかえり』がまさにそうでしたね。主人公の一保と実佑紀がドラマチックにくっついたと思ったら、エピローグで当たり前のように別の女の子と付き合っているっていう。
鳥飼 それってすごく普通のことじゃないですか。けど、すごく叩かれました(笑)。アレに関しては展開として急すぎたかなって反省も若干ありますけど、「絶対この人と!」って思ってたのに、2年経ったら別の人と結婚してたなんて自然なことですよね。だからあれも前方注意くらいの感じで。
漫画は自分が発言できる場所
—— これまでも、コメディを描きつつもその注意喚起はありましたよね。生きづらさ、特に女性の生きづらさを描かれていたわけですし。
鳥飼 それを描くのは二つの要素があって、一つは物語にしやすいから。『地獄のガールフレンド』を描いた時は、毎回生きづらさをどうしようって考えることで話を作ってました。生きづらさって漫画を描くときのテーマになりうるんですね。もう一つは漫画を描くことって自分が発言する場所でもあるということなんです。
—— 発言する場所、ですか。
鳥飼 私漫画家としてコンプレックスがあって。他の漫画家さんと比べると全然漫画に詳しくないんです。
—— え、そうなんですか?
鳥飼 こう言ってしまうと他の漫画家さんに失礼かもしれないんですけど、最初は自分が食べていく手段として就職活動みたいな気持ちで漫画家を始めてしまったから、漫画が好きな人と話しても全然わからないくらい詳しくなくて。
—— 意外ですね。凄く漫画に詳しい方なのかと思っていました。
鳥飼 ファンタジーがわかりやすいんですが、自分の思い通りの世界を漫画の中に作るというのが本来の漫画家なんだろうっていう思い込みがあって。自分は経験を元にしか描けないから、純粋な友情とか涙とか結婚してハッピーエンドみたいなものは描けない。現実主義すぎて、ファンタジーに酔えないんです。
—— なるほど。
鳥飼 そうしたら、古谷さんのアシスタントを卒業して自分の漫画を描くようになった時に、古谷さんから「鳥飼さんはもっと普段喋ってるようなことや思ってることを描いたほうがいい」って言われたんです。古谷さんの漫画を読むと、人生はままならないけど前に進むしかない、っていうことが言いたいんだって伝わってくるじゃないですか。じゃあ自分に描けるものはなんだろうって考えたら、私の思っていたことを描けばいいんだって思えたんです。
—— それが生きづらさの問題だったりするわけですね。
鳥飼 生きづらさもそうだし、人間て本当はいいよってこととか。女性のマウンティングの問題って結構取り沙汰されるけど、「女同士って結構いいよね」って。自分の発言の場がここなんだって思うようになりました。
—— その集大成が『先生の白い噓』ということでしょうか。
鳥飼 どうだろう(笑)。でも『先生の白い噓』を描ききったら7割くらい言い切っちゃったって感じになると思います。
次回は5月30日(火)公開予定
構成・写真:大熊信(cakes)