信じるか信じないかは貴方次第…
日本人と他民族の同祖論というのはどういうわけか人気があるテーマです。
だいたいトンデモ論で片付けられることが多いですが、もっともらしい理屈や理論が備わっているので、信じている人も意外といるようです。だいたい、日本人ほど「日本人論」とか「日本人のルーツ」のようなものにこだわる人たちも珍しいと思います。単に自分たちのルーツを知りたい、というだけでなく、ある種のナルシシズムや優越感があって、個人的にはどうかと思うのですが。
様々にある「同祖論」も、当時の政治的経済的な要求があって作られている感があり、当時の人たちの対外感が垣間見えて興味深いものになっています。
1. 日琉同祖論
日琉同祖論は、その名の通り日本民族と琉球民族は同じ出自の民族である、とする説。
この説はもともと、16世紀前半の京都の僧侶・月舟寿桂が「鶴翁字銘井序」という書物に「源為朝は伊豆大島で死んだのではなく、実は琉球に逃れて支配者(創業主)となったという伝説がある」と書いたのが元々の発端です。もし琉球の支配層が源氏の血統なら、琉球は日本の附庸国である、というのです。
月舟寿桂がどこでこの説を聞いたのか分かりませんが、後のこの説が琉球に伝わり、17世紀前半の琉球の歴史家・羽地朝秀は、琉球王朝の正史「中山世鑑」で、「琉球最初の王・舜天は源為朝の子」と書き記しました。
当時は薩摩藩による琉球支配の支配の深化が行われており、その支配の口実に使われたことに加えて、琉球王朝の中にも薩摩藩による支配を受け入れる勢力が多くなり始めたこともあり、統治システムの理論的主柱に「源為朝始祖説」が使われたようです。
琉球の正史が「支配層は源氏出身」と書かれてしまったので、その後の江戸幕府と明治政府による支配が継続されたし、新井白石なども日本と琉球の言葉の共通性などを展開。「日琉同祖論」が発展することになりました。
2. 日鮮同祖論
日鮮同祖論は、日本人と朝鮮(韓国)人とを同祖とみなす主張です。
本格的に展開されたのは明治10年ごろ、国学者の横山由清や歴史家・三宅米吉、山路愛山らが提唱しました。
日本と朝鮮の両民族は同じ祖先を持ち、古代には同一国家を持っており、天皇家は朝鮮半島起源である、という主張です。古代は国と国との境界が曖昧だったし、朝鮮南部の伽耶のように倭の人間が住んでいた地域もあったので、ある程度近い存在であるのは確かなのですが。
ただし、日鮮同祖論は日本の朝鮮半島支配をイデオロギー的に支えた言説で、日韓併合により「出自を同じくする民族が古代関係へ復古するのだ」という大義名分に用いられました。
戦後は朝鮮半島では「日本による支配を正当化した悪の思想」だとして嫌われたし、日本でも「天皇陛下が朝鮮半島から来たなど絶対に認められない」という主張も根強く、一般的には人気がない説ではあります。
同祖と言い切っちゃうのは微妙ですが、関係性は濃いはずなんですけどね。
3. 日ユ同祖論
日ユ同祖論は、いくつもある同祖論の中で一番人気があるトンデモ界の絶対エース。たまにテレビでも特集されることがあるので、結構知られた言説です。
その主張の骨子は、「イスラエルの失われた支族が日本に渡来した」というもので、その根拠に神道とユダヤ教の類似性や、習慣・祭り・文字など類似性があまりにも多いと主張されています。
なんでここまで日ユ同祖論が人気があるのか謎なんですが、優秀なユダヤ人と共通性を持つことに対するプライドや人種的優越感みたいな、プライドとナショナリズムがねじ曲がった何か臭いものを感じます。
日ユ同祖論の分析サイトや書籍は非常に多いので、興味がある方は色々お探しになってくださいませ。
日ユ同祖論対談 飛鳥昭雄×久保有政 (ムー・スーパー・ミステリー・ブックス)
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4. 日キルギス同祖論
キルギスは中央アジアのチュルク系民族国家で、古くは匈奴に属する遊牧民族「契骨(けいこつ)」という名で知られました。
そんな遊牧民族と日本人が同祖だと言ってるのは誰かというと、等のキルギス人の中でそう言っている者がいるのだそうです。
在京キルギス大使館が開設されるにあたって、松宮外務大臣政務官(当時)が以下のように挨拶しています。
キルギス共和国は、雄大なテンシャン山脈、神秘的なイシク・クリ湖を有する自然豊かな大変美しい国であるとお伺いしております。キルギスの方々の間では「大昔、キルギス人と日本人が兄弟で、肉が好きな者はキルギス人となり、魚を好きな者は東に渡って日本人となった。」と言われていると伺っており、またキルギス人と日本人は顔がそっくりであるともよく聞いています。
"在京キルギス大使館の開館 平成16年4月22日" 外務省ホームページ
松宮氏が誰からこの話を聞いたのかよく分かりませんが、「顔が似てるから昔は兄弟だったのかもね、ハハ」レベルの話であるように思います。
5. 日シュメール同祖論
シュメール人は世界史の教科書の初めのほうに出てくるので聞き覚えあると思います。
ティグリス川とユーフラテス川の間に住み、紀元前3500年頃にメソポタミア文明を作った民族とされます。「ウル」「ウルク」などの都市遺跡は有名ですね。
実はシュメール人の民族系統ははっきり分かっておらず、それを逆手にとってか、シュメール人と日本人は同祖であるという斜め上の主張が存在します。
シュメールの神話では「空の神々であるアヌンナキが地上に降り、人間を含め地上のあらゆる事物を作った」とされています。これは日本神話の天孫降臨と国生みの話と似ている。また、「天皇」を呼び表すの古い言葉はすべてシュメール語で解釈でき、それは「天から降られた神」を意味しているのだそうです。さらには、三種の神器や皇室の紋章など、類似点が多い。それは日本人とシュメール人の出自が一緒だからなのではないか、というのです。うーん、逆重箱の隅つつきというか。
この日本人シュメール起源説は、戦前にシュメールについての研究を進めていた「バビロニア学会」なる学会で盛んに提唱されたもので、当時からあまり相手にされなかったようですが、戦後になってますます非現実的とされてトンデモ論の仲間入りをすることになってしまったのでした。
6. 日エチオピア同祖論
同祖論の極め付けがこれ。日本人とエチオピア人が同祖という一周回ってファンキーな説です。
1930年にエチオピアでハイレ・セラシエ1世が即位し、翌年大日本帝国憲法を模範とした「エチオピア1931年憲法」が制定されました。
日本を模範とした近代化を模索するエチオピアは、同年外相ヘルイ・セラシエを団長とする使節団を日本に送り交流を深め、一時は皇族女性黒田雅子をエチオピア皇族アラヤ・アババに嫁がせる計画まで持ち上がりました。メディアは盛んに「アフリカの万世一系の国エチオピア」を報じ、エチオピアへの関心は一般レベルでも高まりました。
この急速な関係の発展は、日本経済界にエチオピア進出への要望が強くあったことに加え、イタリア・イギリス・フランスなどの列強に政治的圧力を強められていたエチオピアが日本の政治力と軍事力を頼ったためでもありました。
さらにこの2国間関係を思想面で支えたのが、「黒龍会」を始めとした大アジア主義を掲げる右翼グループで、彼らは「日本人とエチオピア人は同一起源である」と主張しました。
曰はく、両民族ともその起源は中央アジアであり、東へ向かったのが日本人で、アフリカに向かったのがエチオピア人。アフリカ大陸に渡ったエチオピア人は日に焼けて黒くなった。
この説を聞いた外相ヘルイ・セラシエは歓喜し、帰国後に記した「大日本」にそれを書いています。
1935年にイタリアがエチオピアに侵攻すると、日本の世論はエチオピアを支持する声が高まりますが、イタリアが全土を掌握し、また日独伊防共協定が1937年に結ばれると、急速にエチオピア・ブームは去っていき、「日エチオピア同祖論」もいつしか消えていきました。
まとめ
民族という概念自体が凄くファジーで塊のないものだと思うんですけど、現在の価値観を基準にして、ざっくりとした共通性で括って同祖認定してしまおうという発想自体が色々アレな気がします。
もしかしたら本気で信じてる人もいるかと思うんですけど、左脳的なフリをして全編エモーショナルで感性に訴えかける言説は何か毒が仕込んであるものですので、よく注意したいものです。
ロマン主義という別のジャンルのものとして楽しむ分には良いんですけどね。
参考文献
エチオピアの歴史 明石書店 岡倉登志
「日鮮同祖論」を通してみる天皇家の起源問題 金光林 新潟産業大学人文学部紀要
日本・イスラエル比較文化研究 : 日猶同祖論考 大塚 清恵 鹿児島大学教育学部研究紀要. 人文・社会科学編
参考サイト