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皆様、こんにちは。
宮川氏の代理投稿です。よろしくお願いします。
今、一刻の猶予なき正邪乱れいる此の時、日蓮大聖人直系の弟子、
池田先生の弟子として御書を拝したい。
華果成就御書に曰く「よき弟子をもつときんば師弟・仏果にいたり・
あしき弟子をたくはひぬれば師弟・地獄にをつといへり、
師弟相違せばなに事も成べからず」 ( 900頁 )
師弟不二、これこそが絶対の勝利の法たる法華経の兵法の第1である。
先生は、ある時おっしゃいました。
「牧口先生は、戸田先生を見出された。戸田先生には、私が居た。
私には、誰も居ない。」
「皆んな裏切った。奥さんだけだった 」とも。
又、先生は、
「あの時(54年)、学会は私を見捨てた。だけど私は、学会を見捨てないよ」と。
だから、守って欲しい、糺して欲しい、とも。
師匠が、弟子を、どれだけ深く、愛して下さっているか、再び、御書を拝したい。
「返す返(がえ)す今に忘れぬ事は頚(くび)切られんとせし時、殿はとも(供)して
馬の口に付きて、な(泣)きかな(悲)しみ給いしをば、いかなる世にか忘れなん。
設(たと)い殿の罪ふかくして地獄に入(い)り給はば、日蓮をいかに仏になれと
釈迦仏こしらへさせ給うとも、用ひまいらせ候べからず。同じく地獄なるべし。
日蓮と殿と共に地獄に入るならば、釈迦仏・法華経も地獄にこそをはしまさずらめ。」
( 崇峻天皇御書 1173頁)
文永8年(1271年)9月12日
立正安国の為、全民衆の幸せの為に、民衆から搾取の限りを尽くす
当時の鎌倉幕府権力者に対して、命を惜しまず国家諫暁なされた
我が師・日蓮大聖人。
伊豆に流され額を斬られ、御腕を折られ、弟子を殺された。
幾多の苦難を受け、遂に斬首の刑場に向かう途上、
大聖人は熊王と言う童子を使いに出し、弟子の四条金吾にその旨を伝える。
着の身着のままで駆け付けた金吾は、刑吏より大聖人が乗られた馬の手綱を貰い、
馬を引いた。武士であり、人前で落涙するなど恥である事は承知であったが、
金吾は、馬の口に付いて、我が大聖人を見上げて嗚咽した。
大聖人と共に、殉死すると覚悟する事で金吾の涙は止まる。
その時の四条金吾に対して大聖人は、例えば、四条金吾が武士である故に
殺傷があったかもしれない、もしその罪によって金吾が地獄に行くならば、
私も金吾と共に地獄に行く、と。
例え、釈尊や三世十方の諸仏が、
「日蓮大聖人、貴方は法華経に身を捧げ殉じたのだから、仏として仏の世界、
寂光土においで下さい 」と、いくら言っても私は従わないよ。
弟子が地獄に行くのなら師匠である私も、誰が何と言おうと、
弟子と一緒に地獄に行きます、と。
法華経に殉じた日蓮大聖人と、その私の処刑を悲しみ泣いてくれた
弟子・四条金吾が共に地獄に行くならば、釈尊や諸仏そして法華経も
全てが地獄にあるでしょう。
地獄即寂光、地獄即仏界の原理を現ずるでしょう、と。
これが大聖人の弟子を思う心であり、
我が師・池田先生が全会員を思う慈悲です。
いよいよ午前2時半、丑寅の刻に差し掛かる時、にわかに騒がしく
簡易に造られた刑場に、大聖人は刑吏によってお連れされる。
大聖人の急を聞いて駆け付けた信徒の数は数十名となり、
本来なら内々に処刑するはずであったが、仕方なく民衆信徒が
斬首の邪魔しないように柵で仕切られる。
いよいよ、処刑役の武士2人の1人が、刀を抜いて上段に振りかぶる。
再度、御書を拝したい。
「兵士(つわもの)どもうちまはり・さわぎしかば、左衛門尉申すやう
只今なりとな(泣)く、日蓮申すやう不かくのとのばらかな・これほどの
悦びをば・わらへかし、いかに・やくそく(約束)をば・たがへらるるぞ」
四条金吾は、自らの太刀の刃を両手で掴み、師より一瞬早く、
割腹する覚悟であった。師の斬首される御姿を見る事が弟子にとって、
どれ程の苦しみであるか、金吾は、太刀取りが太刀を振りかぶった瞬間、
「只今なり!」絶叫して、泣いた。そして、腹に突き立てた白刃に、
渾身の力を入れようとした。
一瞬、金吾の脳裏に次の言葉が走った。「無念なり、金吾生涯の遺恨なり。」
今、正に師匠である日蓮大聖人が首を切られ、弟子である金吾も殉死する。
それは日蓮仏法の滅亡を意味した。
金吾には、その悲しみ、苦しみ、絶望しかなかった。
金吾の刀が正に腹を貫こうとした時瞬間、師匠の大音声が轟いた。
「我が弟子、四条金吾殿は、仏法の道理を御存知ではなかったか!
法華経を広めれば迫害は、当然ではないか!
今、迫害されていると言う事は、法華経の行者の証明ではないか。
此れ程の悦びを笑いなさい!
久遠の昔に、私と共に妙法に命を捧げようと約束した誓いを、
どうして、 忘れるのか!」
金吾は、師匠の魂の叫びに、ハッと我にかえり、
今、正に腹を切ろうとしていた刀を投げ捨て、
「そうだ!今こそ師弟一体となって、弟子が獅子王となって戦う時である。
断じて、俺が師を護る!」と心の中で叫んだ。
長刀で腹を切ろうと白刃を素手で握っていた手のひらから滴り落ちる血を、
殉死の決意に変えて、金吾は袂にいれていた念珠を手に、大聖人のお題目の
大天を貫くように響き渡る南無妙法蓮華経と言う唱題に唱和した
集っていた檀信徒も涙を払い、御題目に唱和した。
眼前の不幸に、嘆き悲しんでいる時ではない。全世界を救済すべき、
この偉大な日蓮仏法を滅亡させてなるものか!
例え、私、1人になろうとも、私が師匠を御守りする。
師匠と共に、戦うのだ!
その1人1人の決意が波動となって、天空を揺るがす祈りとなって
暗黒の世界に響き渡った。
その後は、師弟一体の祈りに、諸仏・諸天が舞い降り、
悪党共は大聖人の首を切る所か、馬から降りて大聖人に膝まづき逃げまどう。
大聖人は、笑いながら、
「日蓮は、幕府が即刻首を切るほどの大罪人なのに、何故遠くに退くのか?
早く近くに来て、しっかり抑えなさいよ!早く首を切りなさいよ。
夜が明けたらたら、見苦しいから早く切りなさいよ。」
笑いながらおっしゃっても、突然真夜中に出現した
光り物・諸天善神の脅威に逃げ惑い、うずくまるばかり。
日蓮大聖人の仏法が如何に凄いか。
そして、1人1人の弟子が、師匠の思いを知り、師弟一体となった時、
100%の不可能が可能になると言う法華経の兵法。
大聖人門下・池田先生の直弟子が、どれほどの力を持っているかを心に、
悪党どもを笑い飛ばしながら、御書を拝したい。
「江のしま(島)のかたより月のごとく・ひかりたる物まり(鞠)のやうにて
辰巳(たつみ)のかたより戌亥(いぬい)のかたへ・ひかりわたる、
十二日の夜のあけぐれ、人の面もみえざりしが、物のひかり月夜のようにて、
人々の面もみな見ゆ。太刀取、目くらみたおれ臥し、兵共おぢ怖れ、
きょうさめ(興醒)て、一町ばかりはせのき、あるいは馬の上にて
うずくまれるもあり、日蓮申すよう。いかにとのばら、かゝる大に禍なる
召人には遠のくぞ。近く打ちよれや打ちよれや、とたかだかとよばわれども、
いそぎよる人もなし。さてよ(夜)あけば・いかにいかに頚切(くびきる)べくは
いそぎ切るべし夜明けなばみぐる(見苦)しかりなんと・すすめしかども・
とかくのへんじ(返事)もなし。」
(913~914頁)
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