k-styleのアインシュタインの言葉(神秘)


こちらでは、アインシュタインの生涯についての論評を行うものではない事を、あらかじめお断りしておきます。

誰よりも彼自身が、科学技術とその利用が人類にもたらした幸福と不幸を、科学に携わった一人の人間として生涯見つめ続けることになりました。

こちらでは、彼がその科学追究の生涯をとおして気づいて語った神秘に関する言葉を見てゆくこととします。

アインシュタインは、その生涯をかけて科学を追究し続けました。そうすればするほどに、現代の多くの人々から非科学的と見られ続けている神秘(真理)の真価に気付いたのです。


「好奇心はそれ自体が存在理由を持っているのです。

人は永遠という神秘、生命という神秘、そしてこの実在の驚くべき構造などの神秘について深く思いをめぐらせてみるとき、

畏敬の念を覚えずにはいられないのです。

毎日この神秘をほんのわずかでも理解しようと試みるだけで十分です」

 

「神聖な好奇心を持ち続け、自分を単なる成功者にすることより、真に価値のある人間にすべきです」

(アルバート・アインシュタイン)

 彼は、神秘にたいして畏敬の念を覚えずにはいられないと言っています。さらに、神秘を理解しようとすることを勧めています。

容易に理解できるであろうとは言っていないのです。 毎日ほんのわずかでも理解しようと試みるだけで十分であると言っています。

さらには、神聖なものへの好奇心を生涯失うことなく持ち続けて、自分をこの世の単なる成功者にするのではなく、自分そのものが真に価値のある人間となるようにと勧めているのです。

この言葉の真意は、この世の成功者が良いとか悪いとかの問題ではないでしょう。

ここで言う価値のある人間とはどのような人のことでしょうか、それは成功者としての部分を除いたその人そのものでしょう。

生涯、神聖なものへの好奇心を持ち続けることによって素の本人自身 (この世の成功者としての地位や社会的名声や名誉や財や権力等々を除きさった自分自身、本性) を磨き育て、真に価値ある人になるようにと勧めているのです。


「われわれが経験しえる最も美しいものは神秘です。

それはすべての真の芸術と真の科学の源なのです」

(アルバート・アインシュタイン)

人は、この世の生命についてその本質を知りたいと求めても、ある限界に至ります。その先にあるであろうものを、神秘と呼んでいます。

さらには、生命の死についても同様に、その先にある生命の本質に至ることは通常では困難です。我々が何らかの形で、わずかでもその神秘を知ったとき(触れたとき)が本質発見の機会になるのでしょう。

現代科学は神秘的なものや宗教的なもの(科学による解明が困難なもの)に対して、寛容ではないのが現状です。

人間の科学は、この世の生命に対して様々に手を加える事には優れていても、真の意味においては、野の草一本の命さえも作り出す事(創造)は出来ません。

その使い方次第で生命の尊厳に対する問題も考えられる遺伝子技術もクローン技術も、その元になる細胞がなくてはなりたたないでしょう。それらの生命そのものへの最大限の尊重が求められます。


「生命の神秘への洞察が宗教を生んできたのです。

普段の我々の能力では、その最も素朴な形しか理解できない最高の知恵、最も輝かしい美しさがその姿を現した時、普段の我々には入り込めない真の存在を知るのです。

この知識と感動が真の宗教の中心にあるものなのです」

(アルバート・アインシュタイン)

科学には限界があります。科学による探究は、この現在我々が住む宇宙(現象界)に限ってさえ、その拡がりと深さに対しては理解の限界を感じます。

この地球上に生きているという事(その意味)においては、人間自身が、この現象界(自然界)の生命(植物、動物)の一部にすぎません。

その人間の多くが、現代社会においては非科学的という言葉で、生命の神秘(真理)や真の宗教(真の信仰)をややもすると軽んじ、遠ざける傾向が見られます。

現代社会の人間の活動は科学の発達とともに急速に広がり続け、一面においては豊かさを提供しつづけているのですが、反面においてはこの守りはぐくむべき、自然界の様々なものを人間本位に破壊し続けています。

人類生存の活動は止めることは出来ません。しかし、人類はより豊かな(と称する)生活を得るために、再生できないほどに川を海を空を汚し続け、地上の緑を無くし続けなければ生きていけないのでしょうか。

環境問題は今この時に、特に重要な課題として取り組む必要があるでしょう。人類を始めすべての地球上の生命は自然の大いなる恵み(地球環境)に守られて生きてきたのです。

今(現代)こそあらためて、神秘(その奥にある真理)から学ぶべきことがあるのではないでしょうか。

人間はこの地球上になぜ生まれてきているのか、どのように生きるべきか。

そして、一人一人は何を大切に生きるべきか。


アインシュタインは独自の信仰心を持っていた事が知られています。それはこの宇宙の法則を追究する事によって得られた確信でした。宇宙の法則に人間には及びもつかない力(神の意志)を感じていたのです。それは、彼のこの有名な言葉にもその片鱗がうかがえます。

「神はサイコロを振らない」

(アルバート・アインシュタイン)

この宇宙は一貫した法則(神の意志)に貫かれており、それに対しては人間の計らいの入り込む余地は無い事を表現していると言えるでしょう。

アインシュタインは、常にこの世界に存在する一貫した秩序と美しい調和の本質を追究し続けました。

しかし一方で、科学によってはその真の本質を知る事は永遠に出来ないであろう事(限界)も気付いていたのです。

アインシュタインが神と人間について語った言葉があります。

「科学を真剣に追究している者は誰であっても、
宇宙の法則の中に神の霊が顕在していることを
確信するに至るのです。
神の霊は人間の霊をはるかに凌いでおり、
神の霊を前に人間は自らの力のささやかなることを知り、
謙虚にならざるを得ないのです」
    (アルバート・アインシュタイン)

A.Einstein,The Human Side,Helen Dukas and Banesh Hoffman,eds.
(Princeton,N.J:Princeton University,Press,1999)

科学の追究者としてのアインシュタインは、宇宙の法則の中に
神(神の霊)の存在を確信したのです。

神(神の力の顕在)を前にして人間の力(知恵、能力)の限界(無知)に気付くことになりました。
謙虚にその思いを語っているのです。

この謙虚な自覚は、人類に語り継がれている崇高な哲学、思想の言葉である「無知の知」につながるものでしょう。

この我々の住む宇宙(現象界の内の物質界)さえ、その極一部も真の意味では解明されてはいません。

真の科学の探究が深まれば深まるほど、神の力(意志)の顕在を、より以上に確信することになるのでしょう。

そして、真に謙虚な心には、この地上に人間が生きている意味も、やがて見えてくるのでしょう。


こちらのアインシュタインの言葉は、その生涯において、科学を真剣に追究し続けた彼の、心からのメッセージであると受け止めここに紹介します。

k-styleにおきましては、アインシュタインのこれらの言葉を紹介するにあたり、彼のその言葉の真意が、読まれる方、一人一人に正しく届きますように願っています。


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