人付き合いをしていく中で、
切っても切れないのが
相手とのちょっとした違和感。
自分はこう思うのに相手はそう思ってはいない、
自分は強く感じてることを相手は気にも留めてない、
自分は悪として忌み嫌うことが
相手にとってのスタンダードであったり、
あるいはどうでもいいことだったり。
これは血が繋がっている家族や
心を許す友人や愛する人含む、
すべての人に言えること。
わたしたちが一人一人違う顔を持つように、
モノの考え方や捉え方だって全く違う。
目に見えるそんな違いは当然のことと捉えるのに、
心の違いは目には見えないがゆえに、
目の前にいる人に対しても
自分と同じ考えを持っているものだとつい思ってしまう。
さてそこからちょっと話飛びますが、
一般人が個人ブログで書く内容というのは、
例えるなら自分のお庭にどんな花を育て、
どんな作物の種を植えるかということに
似ていると思っています。
なので、
好きに植えて整えているであろう
他人の庭の花や作物に対して、
いちいちそれはおかしいだとか間違ってるとか
こうすべきだとかモラルに反するだとか、
そんなことを言う気には私はなれない。
好きに植えて思うままに育てて、
好きな花を咲かせればよいのです。
飽きたら違う花を植えてもいいし、
庭仕事そのものをやめてもいい。
ましてや周りの目を気にして、
自分の庭を評価してもらいたいがために
好きじゃない花を植える必要はない。
どんなことにもただただ、
自分に正直に。
最優先にするのは
いつも自分の気持ち。
だってこの人生の主人公は、他ならぬ自分。
自分が楽しめない庭仕事に何の意味があるの?
それと同じく他人の人生はその人のもの。
だから他人との違いはそのまま認めて受け入れて、
(悪い言い方に聞こえるかもですが)
その人の好きなようにさせて、
ほうっておけばいいのです。
だってその人の人生にとって
その他の人間はただの脇役なわけで、
その人の幸せはその人にしかわからないのです。
我が子に対してさえ、
私はそのように思っています。
先週友人と行ってきたワインのお祭り、昼飲みしてきたの楽しかった♪
これは私の考えですが、
恋愛や友情含め人付き合いというものは、
その人との違いを受け入れ、
可能ならばそれを楽しみ、
さらには愛でることにより、
ふっと浮かび上がる自分のスタイルを
自分自身が理解するために存在しているような気がします。
そう考えると、
他者との違いすら
ありがたく思えてくるのです。
だって、
自分に気づきを与えてくれる存在ですからね。
これはどんなことにも言える私の好みだけど、
みんな同じなんてつまんない。
私はもっと人の個性を見たいし、
その人独自の考え方を知りたい。
なんでもいいよ、
みんなと一緒でいいよ、って言ってる人より
こう思うからこれにする、って言う人が好き。
それが自分の好みにフィットするかどうかはまた別の話。
そして自分もそういう人間でありたいので、
私は読む方にどう思われようと、
こうやってたまに
自分の思ったことを心のままに書き連ねるし、
その際の表現をふんわりさせる気もないのです。
だってここは、つまり私の庭なので。
∵ きょうのあまいもの ∵
実家の母の手作りおやつ。
こういうマメさ、私は一生かかっても敵わない。