「よつて判断するに、所論の指摘するように、報道機関の報道は、民主主義社会において、国民が国政に関与するにつき、重要な判断の資料を提供し、国民の『知る権利』に奉仕するものである。
-最高裁昭和44年11月26日大法廷決定」
要約:
・企業は詐欺トレーラーを流し、顧客は炎上に便乗する。両者の信頼は軽視され、ゲーム業界は無政府状態。
・企業は特権を、商業誌は娯楽を、互いに提供する、蜜月関係にある。
・つまり、商業誌はジャーナリズムでなくエンターテインメントを提供している。
・一方で、顧客もまた娯楽性しか望まず、企業・商業誌・消費者のトライアングルが形成。
・結果、企業の不正や詐称など増長。辛うじて顧客の立場が守られているのは、海外誌の報道のおかげ。SNSは所詮受け身で砂場に過ぎない。
・現代では、業界のコンセンサスが失われるのと同時に、企業は顧客へ急接近。今こそジャーナリズムは必要とされ、ゲーマーの意識が問われる時。
ゲームの中のジャーナリズム
が、凋落して久しいという声がある。
ネットを見てみて欲しい。ゲームの情報を調べれば、それは噂レベルと変わらないまとめサイトが溢れ、作品の審美を測るレビューは、どれも提灯記事ばかりだと。
ゲーマーは、一体誰の情報を信じればよいのだろうか。
マスコミがジャーナリズムとしての機能を放棄し、ゲーム業界は荒野と化した。
トレイラーを見る。あの華麗なグラフィックは、発売日にはギザギザのテクスチャが転がる荒野へ。半年後の今日には発売だって?半年後にはもう半年待てと言う。
パブリッシャは各産業の中で明らかに情報へのモラルが欠けている。
発売日という数字すら彼らは守る気はないし、守らなくても怒る人間はいないとたかをくくっている。
一体何故、我々と企業、メディアの間にこれろどの溝が生まれてしまったのか。
本稿では、何故現代のゲーム業界でジャーナリズムが消え、企業と顧客の間から信頼が奪われたのか考察したい。
うーん。周辺グッズまで内製化を加速するのか。こういった情報も自社発信だし、この記事自体も内製。販社を子会社化したから売るものを増やしたいんだろうけど、最近餅は餅屋の領域に踏み出しすぎだと思うなあ。 https://t.co/igGbjuG0vg
— 水ピン / 水間勇一 (@MIZUPIN) 2017年5月17日
例えばこのツイート。このジャーナリズム的指摘は共感するが、そもそも我々やファミ通がジャーナリズムに相当する存在だろうか?
「商業誌」のジャーナリズムは娯楽へ
まず最初に述べるのは、ゲーム業界の中のメディアと聞いて誰もが思い浮かべるであろう「商業誌」だ。
彼らは「ファミ通」のように紙媒体だったが、現在ではウェブ媒体に移行しつつある。
商業誌は少なくとも、業界のメディアの中で、最も権威と権力を持った存在だ。
言わずもがな、彼らはこの業界のメディアで生計を立てる、(一応)プロであるし、彼らは人生の大半を費やして記事を書いている。
更に、彼らは組織化され、単なる記者に加えて編集者や各分野に特化した部門を持っている。おまけに、何年も継続して維持することで、一定の権威も確保している。
より注目すべきは、彼らは特権も持っている点だ。
彼らが何故発売前にレビューできるのかといえば、彼らが新作のコピーを発売前に融通されたからだし、
プレスリリースといって、誰よりも早く商業誌向けに様々な情報を、優先的に提供されている。(記者クラブのようなものだ)
民主主義社会の我が国では、往々にしてメディアはこのような特権に肖ることが出来る。
憲法21条の中に、間接的・限定的とはいえ報道の自由どころか取材の自由まで認められている程だ。
だがそれは、市民が正しく必要な情報を得るために、その情報を確保するジャーナリストは、それだけ広範な自由と重い責任を持つから認められているに過ぎない。
しかし、残念ながら、現実には彼らの特権は決して報道の自由、ゲーマーの民主主義を尊重したものに使われておらず、
単に、商業誌の「エンターテインメント性」と、それによって生じる「広告性」故に、生じた特権になっているのが現状である。
何故、発売前にゲームを提供するか?それは発売前に都合の良いレビューを書いて、盛り上げてもらうため。仮に微妙な作品でも、最低限フォローしてもらうためだ。*1
何故、優先的に情報を提供するか?それは、一見取材して手に入れた情報と見せかけて、将来売り込みたいゲーム情報を、よりそれっぽくゲーマーに知らせるためだ。
『FF15』に(10点満点中)7点を付けただけで、その特権を取り上げるぞとスクエア・エニックスが圧力をかけたことは、記憶に新しい。
彼らの見出しを一気に読むといい。ほんの僅かでも、企業に都合が悪かったり、悪印象を与える記事があるだろうか。それはもうプラウダ*2やフェルキッシャー・ベオバハター*3よりも、空虚なお祭り記事だけ。
加えて、新興のゲームメディアは、記事がコピペばかり、ソースも弱いとキュレーションメディア同様のものまで増えている。
だが、そもそも商業誌を攻めるのもお門違いかもしれない。
企業と商業誌の蜜月関係は、同時にゲーマー(大衆)も加担しているからだ。
以前、同紙でも述べた通り、ゲーマーは基本的に批判を嫌う。
殆どのレビューにおいて、仮にメディアが「間違った賞賛」をしても指摘されることはないが、「間違った批判」には、明らかに解釈の余地があったり個人差がある表現でも、指摘される。
情報にしても同じ。誰が企業の「汚い部分」を見て気分良くするだろう?少し企業の対応を指摘しただけで、「風評被害」までチラつかせてメディアを脅迫するゲーマーには、日本の極右勢力も見習うべきだ。
つまるところ、ゲーム企業と、その広告兼、ゲーマーのぬるま湯関係を維持する商業誌のトライアングルは、三流の下部組織的なエンターテイナーとして成立し、ジャーナリズムは何一つ期待できないと言える。*4
海外誌とゲハブログが、辛うじて日本の報道を守っている
企業と商業誌、そしてゲーマーの三人の鉄のトライアングルは、一見して誰も損をせず、ゲーム文化を支えているように思える。
だが現実には、こうしたジャーナリズムを蔑ろにするぬるま湯関係により、多くの不祥事をひた隠しにされた例がいくらでも浮上している。
各企業は当たり前のように発売日を詐称し*5、実機プレイを謳う美麗なトレーラーでは実際はPC専用にカスタマイズされており*6、e-Sportsを掲げる競技シーンでプロが当たり前のように不正をして開催側がそれを隠蔽、ついでにリークしたチームを制裁した。*7
決して一部の例でない。どの企業も大なり小なり、似たような不正を累犯している。このトライアングルにおいて、実際は大衆ばかりが一方的に不利益を被っている。
それでも、辛うじて現代日本のゲーム業界で、ゲーマーがこうした不正を知り、また不正への圧力を与えられているのは、海外誌の存在なくしてあり得ない。
企業にとって否定的だったり、想定外の事件や意見のソースの多くが海外誌だ。
そしてそのリークを商業誌が辛うじて「転載」し、SNSで騒がれて公になったもので、上記の不祥事も大半が海外メディアにより報道されたものである。
ゲームの評価であれ、同じだ。今や日本のゲーム業界で「レビュー」といえば、海外誌である。
海外誌の名前も知らないが、平均何点だったか、というのはSNSやバイラルメディアで大きく拡散される。一方、ファミ通のレビューは失笑され、ゲムスパは海外誌の無断転載だ。
確かに、海外誌だからといって必ずしも蜜月関係の枠外ではない。
だが、あちら側では積極的にジャーナリズムについて議論され、しかも必要とする人が多いのも事実であり、この点で大きく日本の商業誌は遅れを取っていると言う他ない。
だが無論、理由もなく海外誌の情報が我が国に浸透するとは考えられない。皮肉にも、辛うじてこのジャーナリズムのバトンを繋ぐのが、所謂ゲハブログである。
記事の内容は扇動的かつ感情的で、グレーなものも多く、極めて信憑性が低い。
しかし、企業の宣伝を垂れ流し、販促をゴリ押し、速報性すら薄い商業誌と比較すれば、ゲハブログの方が大衆の支持を得ていると、SNS上の影響力を鑑みても明らかだ。
仮に、ゲハブログがいなかったとして、執拗なまでに販促された大作や、企業のもたらした各不正を指摘した海外メディアの報道を、誰が輸入できただろうか。
SNSには不可能だ。先程言ったように、SNSは影響力こそあるが、常に受け身だ。主体性のない、SNS単独で問題提起は難しく、SNSの漠然とした流れも影響力のあるメディアが具体的な記事にして、ようやく効力を持つ。*8
私はゲハブログの仕事を賞賛するつもりはない。
だが皮肉なことに、扇動的で信憑性の低いゲハブログが生き残る最大の要因は、ただ思考停止で垂れ流す商業誌にもSNS(の多数の信者)の無力さ故ではないか。
企業の顧客への急接近と、新たなトライアングルの形成
EAが,E3に参加しないことを決定したのは,おそらくジャーナリストを鼻であしらったのではなく,むしろジャーナリストのプレビューがこれまでよりも少ないという事実に対するリアクションだったのだ。
先述した企業・商業誌・消費者のトライアングルの癒着は、辛うじてゲハブログや海外誌によって抑えられているものの、やはり不毛だ。
そんな中、任天堂やEA、Bethesda等の大手ゲーム企業は、急速にプレスを離れ、直接消費者に訴える「独自の報道」を形成しつつある。
トライアングルの安易な癒着こそ、企業・商業誌・消費者がお互い軽んじ合い、企業はともかく、商業誌も消極的な娯楽記事ばかり書き、消費者が盲目的に罵り合い、業界にコンセンサスは形成されていないことを考えれば、彼らの独自路線は当然の対応だと思える。
だが、散々述べたように、こうした路線には課題も残る。
『FF15』はその典型例だ。「FF病」「極上クオリティ」などセンセーショナルな言葉で顧客を煽る、信者ありきのプロモーションは、作品完成後に強く批判された。
商業誌を排除し、企業と顧客が直接向き合う。聞こえは良いが、どうしても独善的で閉鎖的な関係となり、いずれ袋小路となるだろう。
だからこそ、この流れを受け入れる上で、我々は強くジャーナリズムを意識すべきだと思う。企業が顧客に急接近し、自社の魅力を余すことなく語るなら、一方でその課題や欠点を指摘する第三者として報道機関が動く。
この「新たなトライアングル」は、上記の記事でも指摘されている通り、従来の腐ったようなトライアングル以上に、メリハリがあり多様性のある関係性を構築できるだろうし、ゲーマー同士が攻撃的に啀み合う必要も薄まるはずだ。
既に企業は動き始めた。ゲーマーの眼となるジャーナリズムには、眼を必要とする人々の声が必要だ。我々の意識が問われる。
今こそゲームにおけるジャーナリズムの在り方を見直し、それを一人ひとりのゲーマーが体現すべき時代となったのではないか。
*1:つまりレビューでも何でもない。
*2:ソ連共産党の機関紙
*3:ナチスの機関紙
*4:はてな村に入り浸ってプロ市民がその最たるものだろう
*5:「ファイナルファンタジーXV」発売日変更のお知らせ | SQUARE ENIX
*6:Ubisoft chief: 'We learned from the mistakes we made with Watch Dogs' | Technology | The Guardian
*7:「LoL」の日本リーグ「LJL CS」で大規模な不正が発覚 - GAME Watch
*8:ごく一部のSNSで話題を作る賢い人→ゲハ拡散→その他SNS拡散って流れ。前者は海外誌同様に重要な立場だと思うが、他はいくら口先で否定しても追従することしか出来ない人たち。