スコットランド、および脱退へのホップ的青写真
Andrei Kreptul, Scotland and the Hoppean Blueprint for Secession, Mises Daily, 2014/10/02, http://mises.org/daily/6905/Scotland-and-the-Hoppean-Blueprint-for-Secession
先の木曜日のスコットランド脱退住民投票の最終投票結果が公開されてから一週間が過ぎた。さらなる分析によれば、(今では前)スコットランド第一大臣アレックス・サーモンドとイエス・スコットランドが間違った戦略を使ってしまったかもしれないらしい。彼らがすべきだったことは独立にイエスを投じたどの一元自治体地方も連合王国を去ることが許されると住民投票前の交渉期間に主張することだった。言い換えれば、脱退運動は分権主義的に少しずつ行われるべきだったのだ。
次のことを考えてみよ:
- 先の木曜日に有権者に提出された住民投票質問は:「スコットランドは独立国土であるべきか?」だった。「スコットランド」という言葉は既存のスコットランド領土と領海の境界を含んで定義される。
- 最終投票結果は360万投票うちイエス44.7パーセントとノー55.3パーセントだった。2013年スコットランド独立投票条例に要求されるとおり、これらの票はスコットランドの32一元自治体地方内で投じられて数えられた。
- 32自治体地方のうち32の宣言をもって、結果は4つの自治体地方(グラスゴー、ダンディー市、ラナークシャー、ウエスト・ダンバートンシャー)が独立に賛成を投票したことを示した。これらの3つの地方での投票率は75パーセントから88パーセントにわたった。
- ノーへの投票は51パーセントから54パーセントの僅かな投票差で8つの他の自治体地方で優越した。これらの8地方での投票率は84パーセントから89パーセントにわたった。
最終投票結果はイエス・スコットランドがスコットランド中に広がる360万の投票者から独立賛成投票の多数を得ることがいかに難しいかをまさしく明らかにし、なぜハンス=ハーマン・ホップが提案したモデル[訳注:(岩倉竜也訳)『為さねばならぬ事』「ボトムアップの革命」を参照せよ]を使ってスコットランド自治体地方の小規模脱退を要求すべきなのかを例証した。
ホップは彼の本『民主主義:失敗した神』“Democracy: The God That Failed”で中央政府との紛争を最小化し成功を最大化する脱退手段を提案した:
現代リベラル‐リバタリアン脱退戦略はヨーロッパが封建的社会構造に点在する何百もの自由独立都市の存在で特徴付けられていたおよそ12世紀から17世紀(現代中央国家の発生)までの中世ヨーロッパからヒントを得るべきだ。
このモデルを選び、多数の増加しつつある領土的に分離した自由都市――大陸全土に散らばった多くの香港とシンガポールとモナコとリヒテンシュタイン――に何度も中断されながらアメリカ合衆国[引用者注:あるいはスコットランドなど]を創設しようと励むことで、二つのさもなくば達成不可能だった中心的な目標が成し遂げられる。
第一に、そのような少しずつ撤退の戦略は、リベラル‐リバタリアンな潜在力が国の至るところに大いにかつ非均一に広がっている事実を認識するのにくわえて、脱退を政治的、社会的、かつ経済的にあまり恐ろしくないものにする。
第二に、この戦略を国土一帯の大数の立地で同時に追求することで、大衆的支持と自発的協調の水準を確保する脱退者に対して上出来な弾圧に必要な統一的反感世論を創造することが中央国家にとって過度に困難になる。
ホップがさらに書き留めるには:
自由都市領土の数がまだ少ない間は……政府弾圧の危険が最大だ。ゆえにこの局面の間は中央政府とのどんな直接対決も避けることが賢明である。その正統性を丸ごと拒否するよりは、たとえば自由領土内での連邦ビルなどの政府「財産」を保証し、そしてこの領土内で万人および万物に関わる将来の課税と立法をする権利「だけ」を否定することは深慮深く思われよう。これが適切な外交的如才なさをもってなされ、そして世論における十分な支持の水準が所与であるならば、中央政府がいかに領土を侵略するか、そして自分自身の本分を気にする以外の罪を犯していない人々の集団といかに衝突するかを想像するのは難しい。しかる後にいったん脱退領土の数が決定的多数に達したら――そして或る立地でのすべての成功が他の地方での模倣を促したら――脱退者と衝突することの困難は指数的に増加するだろうし、中央政府はすぐに無力になり自重で内破するだろう。
イエス側が優越したにせよ、イギリス連合王国とスコットランド政府が各国の最善の利益において「協力して建設的に働き続ける」エディンバーグ協定をそれぞれ約束したことは書き留める価値がある。かくてこの特殊の場合では中央政府による住民投票後の弾圧はありそうにないだろう。
デイヴィッド・キャメロンと「一緒の方がマシ」連合は、スコットランドのほとんどがイギリス連合内に留まるよう票決するだろうという信念に基づき、多数派のイエス票を達成したどの自治体地方にもイギリス連合から去ることを許すようにイエス・スコットランドからの申し込みを受け入れたかもしれない、ということも可能である。
もちろん、この戦略がスコットランド人たちに利用されなかったことには、地方的で非リバタリアンな、政治的およびイデオロギー的な、さまざまな理由があるだろう。もしもイエス・スコットランドがホップ脱退戦略を使っていたら、グラスゴーとダンディー市の新たな独立都市国家およびノース・ラナークシャーとウエスト・ダンバートンシャーの自治体地方が発生していただろうし、これらは北海油田・ガス田から生じる税収でスコットランド福祉国家を保持するよりは、生き残るためにイギリスおよび世界の残りとの本物の自由貿易政策を求めるよう強いられていただろう。生き残るために自由貿易政策を採用する香港とリヒテンシュタインとモナコとサンマリノおよびその他の小さい独立都市国家の経済的成功の話を、そしてこれらの国々の多くには自身の通貨があることを教育していただろう。
メディアソースは先週スコットランドの次期第一大臣の早期筆頭ニコラ・スタージョン“Nicola Sturgeon”が将来の別の独立住民投票の可能性を排除しなかったと報告した。もしもそのような投票が起こっていたら、分権的かつ地方的な脱退のホップ的取り組みは短期的にも長期的にも政治的・経済的な成功のどちらについてもはるかに大きな見通しをもたらしていただろう。
(出典: mises.org)