経済科学とオーストリア学派の方法論
〔訳注:大変申し訳ありませんが、脚注をクリックしてもうまく対応する脚注にリンクしません。〕
序文
社会科学の女王たる経済学が、自然科学に関わる方法の経験主義と実証主義を採用した日は悲劇的な日であった。この変化は経済思想を席巻し、知識人と政治家が政府計画の有効性を信じるようになったのと――偶然ではなく――同時に起こったものだ。どちらの学説も自身の失敗を気にせず無神の信仰のまま我々の時代に残っている。
ハンス=ヘルマン・ホッペはこの並外れた論説で、自然科学に関わる方法は経済理論にはうまく適用されないというルートヴィヒ・フォン・ミーゼスの議論を拡大する。ついでホッペ教授は、経済学、経済理論の容赦なさ、演繹的論理の使用、純粋理論の妥当性、先験的知識の存在が、人間行為の科学たる人間行為学という大きな学科の一部であることを論じる。
将来を正確に予言でき、ゆえに国家は市場よりうまく経済を計画することができるという失敗済みの仮定から、経済学者が自身を解放すべきであるならば、彼らはもっと根本的な方法論的誤りをも再考せざるをえなくなる。これが起こるとき、今日の傑出した人間行為学者であるホッペ教授が不可欠の役割を担ってゆくだろう。
ルウェリン・H・ロックウェル二世
ルートヴィヒ・フォン・ミーゼス研究所
目次
- 人間行為学と経済科学
- 人間行為学、および認識論の人間行為学的基礎について
- 推薦文献
人間行為学と経済科学
1.
オーストリア学派の学者は他の経済思想学派とは強硬に意見が合わず、ケインジアンとマネタリストと公共選択学者と制度学派と歴史学派とマルクス主義者に対して同意をしないことがよく知られている。[1]意見の不一致が最も著しいのはもちろん経済政策と経済政策案が生じるときである。時にはオーストリア派の学者も特にシカゴならび公共選択の学者と同盟を組むことがある。数人の名を挙げれば、オーストリア派のルートヴィヒ・フォン・ミーゼスとマレー・N・ロスバード、そしてシカゴのミルトン・フリードマンならび公共選択のジェームズ・ブキャナンが、自由市場経済を擁護し、「自由主義」的および社会主義的な中傷者に反対する努力において頻りに結び付けられる。
そのような臨時の同意が戦術的または戦略的な理由のためには重要であるかもしれないのと同じぐらい重要なことだが、それでも彼らは、ミーゼスとロスバードに代表されるオーストリア学派とそれ以外のすべての学派を分かついくつかのとても根本的な違いで包み分けられているから、やはり皮相的にしか同意することができない。経済理論と経済政策の水準における不同意のすべて――たとえば、金本位制対法定不換紙幣、自由銀行対中央銀行、市場対国家行為の厚生含意、資本主義対社会主義、利子と景気循環の理論などに関する不同意――が生じる究極的な違いは、どんな経済学者も提起しなければならないような、まさしく第一級の問題の答えに関わっている。すなわち、経済学の主題とは何なのか、そして経済学的定理とはどんな種類の命題なのか?
ミーゼスの答えは経済学とは人間行為の科学であるというものだ。これ自体はとても論争を巻き起こしそうには聞こえない。しかし、ここからミーゼスが経済科学を評するには、
その言明と命題は経験からは導出されない。それらは論理学と数学の命題と同じように先験的である。それらは経験と事実に基づく検証や反証の対象とはならない。それらはどんな歴史的事実の理解に対しても論理的かつ時間的に先行する。それらは歴史的出来事のどんな知的把握にとっても必要条件である。[2]
経済学の地位が純粋科学であり、経験的自然科学より論理学などに適用されるような学説の方ともっと共通していると強調するために、ミーゼスは経済学に例示される知識の部門に相応しい用語として、プラクシオロジー(行為「プラクシス」の論理「ロゴス」)〔訳注:和訳で「人間行為学」〕を提案する。[3]
オーストリア派の学者、あるいはもっと正確にはミーゼス主義者を他の現在の経済学派から区別するのは、経済学とはその命題に厳密な論理的正当化を与えることができるような科学である、つまり先験科学であるというこの評価である。他の学派はいずれも経済学のことを、経験科学であり、物理学のような科学であり、継続的な経験的テストを要するような仮説を発達させるものとして思い浮かべている。そして彼らはみな――限界効用の法則か、収穫の法則か、利子の時間選好理論とオーストリア景気循環理論のような――経済定理には明確な証明を与えることができ、その妥当性を否定することがまったくの矛盾であると示すことができるというミーゼスの見解を独断論的かつ非科学的であると見なしている。
オーストリア派に対するこのほぼ一般的な反対は主流派方法論思想の高位な代表者であるマーク・ブローグの見解に例示される。ブローグがミーゼスを評するには、「経済科学の基礎に関する彼の書き方は、彼らが誰かに真剣に受け取られたことはあるのだろうか訝しいばかりの特異性癖であり、かなりクランキーである。」[4]
ブローグは己の侮辱の正しさを実証するための議論を一つたりとも差し出さない。オーストリア派に関する彼の章はこの声明で質素に終わる。まさか、ミーゼスの先験主義に対するブローグらの拒絶は、先験主義的方法論に含意される論争的厳密さの要求基準は彼らの手には負えないと証明しているという事実以上のことに関連するかもしれないとでも?[5]
ミーゼスに経済学を先験科学と特徴付けさせたのは何か? ミーゼスは自分の発想を二十世紀初期に優勢だった主流派の見解から外れたものとは思っていなかったと耳にするのは、現今の視座からは驚くべきことかもしれない。ミーゼスは経済学者が実際にしていることに反して彼らがすべきことを指図してやろうとは望まなかった。むしろ彼は、経済学とは本当は何だったのか、そして、いかにして経済学者を名乗るほぼ全員がそれを暗黙裡に思い浮かべてきたのかを体系化して明示するおりに、この業績を経済学の哲学者のものと考えていた。
そしてそれは実際に正しい。ミーゼスは、以前はただ暗黙的な知識でしかなかったものに体系的な説明を与える際、少なくとも英語圏では以前は曖昧で未知だったいくつかの概念的かつ用語論的な区別を導入した。しかし、経済学の地位に関する彼の立場は本質的には当時の正統派がこの問題に関して抱いていた見解への完全な同意だったのである。たとえばジャン=バティスト・セーとナソー・シニアとジョン・E・ケアンズのような主流派経済学者は、「先験」という言葉こそ用いなかったが、経済学をかなり似たように記述していたのだった。
セーが記すには、「経済学の論文は証明の支持や例証さえ要求されず、少しの一般的原理の表明に限定されるだろう。なぜならば、これらは誰もが知っているような事柄の表出であり、その全範囲におけるその相互関係として、理解しやすい形に並べられたものだからである」。そして「いつであれ、経済学はその論拠を構成する諸原理が否定不可能な一般的事実の厳格な演繹であるときは、不動の基盤に依存している」。[6]
ナソー・シニアによれば、経済学的な「前提は少しの一般的命題や観察結果や意識から成り立ち、証明や形式的言明すらほとんど要求せず、ほぼすべての人がそれらを耳にするやいなや、それらが自分の思考に馴染み深いことや、少なくとも以前の知識に含まれていることを、すぐに認める類のものである。そして彼の推論はほぼ一般的であり、もしも正しく推論するならば、前提と同じだけ確実である」。そして経済学者は「この科学が観察よりも推論に依存していることと、主要な困難がその事実の確認ではなくその用語の使い方に存ずることに気づく」べきである。[7]
そしてジョン・E・ケアンズが述べるには、「人類は物理学的な究極原理の直接的知識をもたない」が、他方で「経済学者は究極的原因の知識から始める」。……「かくして、物理学的研究の場合には調査員にとって最も険しい仕事となる原理発見に際し、経済学者は自分の研究課題を形成する現象を支配するこれらの究極的原理を研究の初めからすでに知っているものと見なされていい」。経済学では「我々が知りたい事柄の直接的で容易な証明を意識のうちと感覚の証拠のうちにもっているかぎり、推測は明らかに場違いであろう。したがって、経済学では仮説は決して究極的な原因と法則を発見する助けにはならない」。[8]
ミーゼスの先輩たるメンガーとベーム=バヴェルクとヴィーザーの見解も同じである。彼らもまた経済学のことを――自然科学とは対照的に――その命題がいくつかの究極的な正当化を与えられる学説であると記述する。しかしながらまたもや彼らはミーゼスが用いた用語法を使わずにそう記述するのであった。[9]
そして最後に、経済学に関するミーゼスの認識論的特徴付けもまた、明示的に定式化された後でもまったくもって正統派である――そして確実に、ブローグが言うような特異性癖ではない――と見なされていた。ライオネル・ロビンズの本『経済科学の本質と異議』は一九三二年に初めて出版されたものだが、これは経済学の人間行為学としての記述のいくらか水割りされた変種にほかならない。けれどもそれは約二十年間方法論的な北斗として経済学の専門家に尊敬されていた。
実際、ロビンズは序文で自らの方法論的立場の最重要資料としてミーゼスのことを明示的に選び出している。そしてこのテキストで、ミーゼスとリヒャルト・フォン・シュトリグルは――後者の立場は本質的にミーゼスと区別できないが[10]――他の誰よりも頻繁に満足げな様子で引用された。[11]
とはいえ、これらのすべての例証は現在の状況を判断するには役立つかもしれないが、結局は歴史にすぎない。それでは、古典派経済学者が自分たちの科学を自然科学とは異なるようなものと見なす根拠は何か? そしてミーゼスによる先験科学と後験科学のこの違いの明示的な再構成の背後にあるものは何か? それは、妥当化の過程――或る命題が真であるか否かを発見する過程――が或る分野と他の分野では異なるという認識だった。
まず自然科学を手短に見てみよう。もしもいくつかの天与の物質を、指定のテストにかけるなら……たとえば他の種類の物質と混ぜるならばどんな帰結が生じるかについて、我々はどう知るのか? 明らかに、実際にそれを試してみて何が起こるかを観察する前には、我々はその帰結を知らない。もちろん予測をすることはできるが、我々の予測は仮説的なものにすぎず、これが正しいか間違っているかを発見するためには観察が要求される。
そのうえ、たとえ我々がいくつかの明確な結果を観察したとして……たとえば二つの物質を混ぜることが爆発を引き起こすと観察したとしても、そのような結果は我々がそのような物質を混ぜるときにはいつも変わらずに、つまり不変に起こるのだと確かめることはできるか? またも答えはノーである。我々の予測はいまだに、しかも永遠に仮説的である。爆発は他の一定の条件――AとBとC――が満たされた結果として生じたにすぎないということも可能である。これが真相であるか否かについてと、これらの他の条件が何であるかについては、決して終わることなき試行錯誤過程に従事することでしか発見できない。これは最初の仮説的予言が当てはまる範囲について我々の知識を進歩的に改善することを可能にさせてくれる。
さて、いくつかの典型的な経済学的命題に向かおう。次のような命題の妥当化過程を考えてみよ。いつであれ二人の人々AとBが自発的交換に従事するときは、両者ともそこから利益を期待しているに違いない。そして、彼らは交換される財とサービスについての逆選好順位をもっているに違いないので、Aは、己が彼に与えるものより、Bから己が受け取るものの方を高く価値付けており、かつBは同じ二つのものを逆の仕方で評価しているに違いない。
あるいは次のことを考えてみよ。いつであれ交換が自発的ではなしに生じたとき、一方の当事者は他方の犠牲で利益を得ている。
あるいは限界効用の法則を。いつであれ財の供給が或る追加的一単位で増加するとき、各単位が等しくサービス可能と見なされているならば、かかる単位に帰属する価値は減少するに違いない。なぜならばこの追加的単位は、もしも供給が一単位不足していたら、そのような財の単位によって最も低く価値付けられている目標より、なおのこと価値が低いと見なされていた目標の達成の手段としてしか利用できないからである。
あるいはリカードの結社〔協業〕の法則をとってみよ。二人の生産者AとBについて、もしもAが二種の財どちらの生産にとりかかってもBより生産的であるならば、それでもなお彼らは相互に有益な分業に従事することができる。なぜならば、AとBが分離して自給的に両方の財を生産するのではなく、Aがもっと効率的に生産できる一方の財の生産に特化するならば、全般的物的生産性がもっと高いからである。
あるいは他の例として、いつであれ既存の市場賃金より高い賃金を要求するような最低賃金法が施行されるときは、非自発的失業に結果する。
あるいは最後の例として、いつであれ手元に現金準備で保有される貨幣需要が不変である間に貨幣量が増加するとき、貨幣購買力は下落する。
このような命題を考察するときに、その妥当化過程で、はたして自然科学の命題の真偽を確立するのと同じタイプの真偽を確立することに意識を向けるか? これらの命題は、二種類の自然物質を混ぜた結果に関する命題と同じ意味で仮説的なのか? 我々はこれらの経済学的命題を観察で継続的にテストすべきなのか? そして、これらの命題の適用範囲を知り、我々の知識を徐々に改善してゆくためには、自然科学での場合に見受けられるように、決して終わらない試行錯誤の過程が要求されているのか?
これらの疑問への答えがはっきりとした否であることは――ここ四十年のほとんどの経済学者にとっては別だが――非常に明白であるように思われる。交換とは何であるかに関する我々の理解からは、AとBが交換に利益を期待しており、かつ両者が逆選好順位をもっているに違いないことが必ず出てくる。そして強要的交換の帰結についても同じことが言える。事情が異なっているところは想像さえできず、百万年前もそうであったし百万年後もそうであろう。そしてこれらの命題の適用範囲もはっきりと明らかである。いつであれ何かが自発的交換や強要的交換であるとき、これらは真であり、これについてはこれですべてである。
他の所与の例に関しても違いはない。行為する人はみなつねに彼をあまり満足させないものよりもっと満足させるものの方を選好するという異論の余地なき言明からは、同質財の供給の追加的単位の限界効用が減るに違いないことが必ず出てくる。このような命題を確立するために継続的なテストが要求されると考えるのは単なる不条理にすぎない。
リカードの結社法則も、その適用範囲の記述一回かぎりで、ちょうど記述された状況の存在そのものから論理的に出てくる命題である。もしも記述されたとおりにAとBが異なっており、ゆえに生産される財に技術的代替比が存在するならば、彼らがこの法則によって特徴付けられる分業に従事していると、生産される物的産出量はさもなくばの場合より多いに違いない。そして他の結論は論理的に間違っている。
最低賃金法や貨幣量増加の帰結に関しても同じ事柄が真である。失業の増加と貨幣購買力の減少は、すぐそこの命題で述べられた最初の条件記述自体に論理的に含意される帰結である。事実、これらの予言のことを、最低賃金法とさらなる造幣を実際に試して何が起こるか観察しなければならないと、つまり観察と独立してはその妥当性が確立されないものと考えるべき仮説的な予言だと見なすのは不条理である。
類推するなら、あたかもピタゴラスの定理を実際に測ることによって確立しようとするかのような話なのだ。ちょうど誰でもそのような試みを批判すべきであろうというのと同じように、経済学的な命題は経験的にテストされなければならないだろうと考えることがまったくの知的混乱の証である、と言ってはいけないのか?
しかしミーゼスは単に経済学と経験科学のこのかなり明らかな違いに気づいていただけではない。彼は我々にこの違いの本性を理解させ、そして、観察を必要とせずに現実についての何かを教える経済学のようなユニークな学問がいったいなぜ存在できるのか、いかに存在できるのかを説明してくれる。これこそは過大評価しきれないミーゼスの業績である。
彼の説明をもっとよく理解するためには哲学の分野に遠出をしなければならない。もっと正確にいえば、知識の哲学、あるいは認識論の分野に赴かねばならない。わけても、『純粋理性批判』で最も完全に発達したイマヌエル・カントの認識論を調べなければならない。人間行為学についてのミーゼスの考え方は明らかにカントに影響を受けている。ミーゼスのことを平凡で単純なカント主義者だと言っているのではない。実は後に指摘するとおり、ミーゼスはカント自身が引き返した点を越えてカント的認識論を推し進めていったのである。ミーゼスは、今の今まで正統派のカント主義哲学者に完全に無視されて真価を認められていなかった方向でカント的哲学を改善した。それでもやはりミーゼスはカントから、人間知識の本性に関するいくつかのカント的な根本洞察を取り出したのと同様に、彼の重要な概念と用語上の区別を持ち出している。かくして我々はカントに向かわなければならない。
カントは、古典的経験論わけてもデイヴィッド・ヒュームのものを批判する過程で、我々の命題はすべて二重の仕方で分類できるという考え方を発展させた。一方では、命題は分析的か総合的であり、他方では先験的か後験的である。これらの違いの意味は次のとおりに要約される。命題は、真であるか否かを知るために形式論理の手段で十分であるならば分析的であり、さもなくば総合的である。そして、命題が真理であると確立するために、もしくは少なくとも真理であると確認するために観察で十分であるならば、その命題は後験的である。もしも観察が必要ではないならば、その命題は先験的である。カント主義哲学の特徴的な印は、真なる先験的で総合的な命題が存在するという主張である――そしてこれこそはミーゼスがカント主義者と呼ばれることに同意する理由である。総合先験命題とは、真理値を確立するためには形式論理の手段では十分でなく(十分ではないといってももちろん必要ではある)、そして観察を必要とすらせずに、その真理値をはっきりと確立できるものである。
カントによれば、数学と幾何学は真なる先験総合命題の例を提供している。彼はまた、因果律――すなわち、いつも変わらず、つまり時間不変的に作用する原因があり、すべての出来事がそのような原因のネットワークに埋め込まれているという言明――のような一般的原理も、真なる総合先験的な命題であると考える。
カントがこの見解をどう正当化したかを説明するために長い詳細に立ち入ることは、ここではできない。[12]いくつかの注意で十分だろう。第一に、形式論理が十分ではなくかつ観察が不必要であるならば、そのような命題の真理はどう導出されるのか? カントの答えは、真理は自明の実質的な公理に求められるというものだ。
何がこの公理を自明にするのか? カントの答えは心理学的な意味で明らかだからというものではない。そうだったら我々はただちにそれらに気づいているだろう。対照的にもカントの主張では、それは木の葉が緑色だというような経験的な真理を発見するよりもっと骨が折れるのが普通である。それらが自明なのは、人が自己矛盾せずには真理を否定できないからだ。すなわち、人がそれを否定しようとする際に、実際上、暗黙裡にその真理を認めてしまうからなのである。
どうすればそのような公理を見つけられるのか? カントが答えるには、我々自身を反省することによって、知る主体としての我々自身を理解することによって、である。そして、この事実――先験総合命題は究極的には、内的な、反省的に生産される経験から導出されること――もまた、そのような命題はなぜ必然的に真であると理解されるような状態になることができるのかを説明する。観察的な経験は物のことをただそれがそうであるというふうに現すだけであり、なぜ物がそうでなければならないのかという理由を示すものは経験のうちには何もない。しかしこれとは逆に、カントが記すには、我々の理性はそのような物のことを、「理性自ら自己の計画にしたがって産出した」必然的なあり方として理解することができる。[13]
このすべてについてミーゼスはカントに従う。しかしすでに言ったとおり、ミーゼスはカントがただぼんやりと流し見しただけだったところに極めて重要な洞察を付け加えたのだ。カント的哲学がある種の観念論を含んでいるように見えるのは、この哲学のよく知られた不和であった。もしもカントが見たとおり、真なる先験総合的な命題とは我々の心がこのように働き、しかも必然的にこのように働くに違いないという命題であるならば、そのような心的範疇が現実に従うことをどうすれば説明できるのか? たとえば、原因性の原理たる因果律とは我々の心の機能が従うに違いないものと理解されざるをえないならば、現実がこの原理に従うことはどうすれば説明できるのか? 現実は実は心の創作にすぎないものでありうるという不条理な観念論的な仮定をしなければならないのだろうか?[14]誤解のないように言っておくと、私はカント主義に対するそのような非難が正当化されるとは思わない。とはいえ、カントには間違いなく彼の定式化の部分部分を通してこの非難を受けるいくらかのもっともらしさがある。
たとえば次のプログラム声明を考慮せよ。「われわれのいっさいの認識は〔現実〕に依準せねばならぬと、これまでは想定されていた」が、その代わりに「〔観察的現実〕がわれわれの認識に依準せねばならぬ」と仮定されなければならない、と。[15]
ミーゼスはこの挑戦に解決をもたらす。真なる総合先験的な命題は自明の公理であり、しかも、どんな意味であれ「観察」よりむしろ我々自身を反省することによってこそこのような公理が理解されるに違いないというのは、カントが言うとおり真実である。しかし我々はさらに歩みを進める。そのような必然的な真理が単なる我々の心の範疇ではなく、むしろ我々の心が行為する人間のものであることを、我々は認識すべきなのである。我々の心的範疇は究極的には行為の範疇に基づいて理解されるべきなのだ。このことが認識されると、すべての観念論的提案がたちまち消え失せる。その代わりに、真なる総合先験的な命題の存在を主張する認識論が実在論的認識論になるのである。究極的には行為の範疇に基づいていると理解されるから、心的な世界と、現実的、外的、物理的な世界の間の隔たりが橋渡しされる。知識とは心と現実が連絡を取るところの行為を通して現れるものなのだから、そのような行為の範疇として、現実の特徴を示しているのと同じぐらい心的なものでもあるに相違いない。
カントはこの解決を仄めかしていた。たとえば、数学は(反復的な操作の)繰り返しの意味に関する我々の知識に基づいていると彼は考えていた。そしてまた彼はいくらか曖昧に、行為とは何なのかに関する我々の理解と、行為することの意味に関する我々の理解〔悟性〕が原因性の原理を含意しているということにだけは気づいていた。[16]
それでも、この洞察を手前に持ってきた人はやはりミーゼスだった。ミーゼスが気づいていたとおり、原因性とは行為の範疇なのである。行為することは後の結果を起こすために早い時点で物に介入をすることを意味する。ゆえに、すべての行為者はどうみたって恒常的に作用する原因の存在を先行前提しているに違いない。ミーゼスが述べたとおり、因果律は行為することの必要条件なのである。
しかしミーゼスはカントとは違いそのような認識論に興味がない。彼は行為を心と外的現実の橋渡しとだ認知することで、真なる先験総合命題がどうしたら可能であるかというカント主義的な問題に解答を発見した。そして彼は原因性の原理、つまり因果律の他にも、論理の要石としての矛盾律のような、認識論の中心的諸命題に関して極上の価値があるいくつかの洞察を差し出した。しかしミーゼスの主題は経済学なので、私は先験的な真なる命題としての因果律の更なる詳細を説明する問題を休ませておくべきだろう。[17]
ミーゼスは、認識論が我々の行為の反省的知識に間接に基づいており、それによって現実についての先験的に真なる何かを述べると主張できることに気づくだけではなく、経済学もまた行為の反省的知識に基づいており、しかももっとずっと直接的な仕方で基づいているということにも気づく。経済学的命題は反省的に得られた行為の公理から直接的に流れ出てくるのだ。そして何らかの現実についての先験的で真なる言明であるものとしての命題の状態はミーゼスが「行為の公理」と呼ぶものの理解から導出されるのである。
この公理、すなわち人間が行為するという命題は、真なる総合先験命題のための必要条件を正確に満たしている。この命題が真であることは否定できない。なぜならば、否定は行為に範疇化されるので、言明の真理は文字通り抹消できないからである。そして公理はまた観察からは得られない。なぜならば、観察されるものは身体的な運動しかなく、行為というようなものはないので、言明の真理は観察ではなく反省的な理解から生じているからである。
さらに言えば、観察されるよりは理解される何かであってもなお、それはやはり現実に関する知識である。なぜならば、この理解は、自身の物理的な身体の手段をもって物理的な世界と心の相互作用に携わる範疇にほかならない、という概念的な区別に従事するからだ。そして行為の公理の含意はすべて、確かに心理学的な意味では自明ではないが、しかしいったん明示されれば、現実と存在の何かに関する否定不可能な真なる命題として理解されることができるのである。[18]
なるほど、行為者が目標を追求するところのあらゆる行為は心理学的に自明でもなければ観察されもしない。そして、或る目標は何であれ行為者によって追求されるという事実は、彼が行為の開始時に抱くことができた他のどんな目標よりも相対的に高い価値を当の目標に置いていることを明らかにする。
彼の最高に価値付けられた目標を達成するためには後の結果を生産するためにもっと早い時点で介入するなり不介入を決定する(これももちろん不作為の介入である)なりしなければならないことも、そのような介入がいくつかの稀少手段(少なくとも行為者の身体、その居場所、介入に吸収される時間)の利用を不変に含意することも、明白ではなければ観察可能でもない。
他の目標ではなく或る目的を選択し選好した結果として、それぞれのすべての行為が費用の発生を含意することも、自動的に明らかとも観察可能ともならない。費用というのはたとえば、実現させることができないか、その結果に必要な手段が他のもっと高く価値付けられた目標の生産に束縛されているせいでその実現が延期されなければならないような、最も高く価値付けられた代替的目標に付加される価値を見限ることだ。
最後に、行為の目標はすべて、その開始時点では、行為者にとって費用より価値があり、割り切られた機会よりもその価値が高く順位付けられるような結果、つまり利潤を生み出せると見なされているに違いないことも、はっきりと明白なことや観察可能なことではない。そうに違いないにもかかわらず、行為者が過去を顧みれば、実際に達成された結果が――以前の期待とは対照的にも――放棄された代替的な結果より低い価値しかないのではないかという損失の可能性のせいで、行為者はみな不変に脅かされている。
これらのすべての範疇――価値、目的、手段、選択、選好、費用、利潤と損失、同様にして時間と因果律――は行為の公理に含意されている。しかし人は、これらの範疇で観察を解釈することができるためには、行為するとは何なのかをすでに知っていることが必要である。観察的な経験とは観察される準備ができている出来合いの「所与」ではなく、実のところ行為者に構成されるこれらの範疇の鋳物なのである。また、上述の一連の否定的試みによって概説されたような行為本性の洞察に沿って証明されたとおり、それらの反省的再構成は単純で心理学的に自明な知的課題でもない。
いったん明示されたら誰もがたちまちそれを真であると認識し、そして真なる総合先験的な言明として理解できること、すなわち観察とは独立して妥当化され、ゆえに何にせよどんな観察によっても反証不可能な命題として理解できることを明示的に認識するためには、骨の折れる知的な努力を要したのだった。
行為公理の反証を挙げる試みはそれ自体が目標を目指す行為であり、手段を必要とし、他の行為方向を排除し、費用を負い、望ましい目標を達成するか達成しないかの可能性に行為者を服従させ、利潤と損失に導く。
そしたらそのような知識の所持そのものは決して異論を唱えられないし、これらの概念の妥当性は、何か異論を立ててこれに反証することがすでにこれの存在を先行前提するから、どんな偶然的経験によっても決して反証することはできない。実に、観察することもまた行為であるからには、行為のこれらの範疇が現実の存在をもつことをやめる状況はそれ自体決して観察することができない。
ミーゼスの偉大な洞察とは、経済学的な推理が行為のこの理解に基礎をもっていることと、先験的に真なる総合的な命題としての行為公理の地位からある種の応用論理としての経済学の地位が導出されることであった。交換の法則、限界効用逓減の法則、リカードの結社の法則、価格統制の法則、貨幣数量説――どの例も私が言及した経済学的命題である――はこの公理から論理的に導出される。そしてこれこそはそのような命題を自然科学のものと同じ認識論的タイプの命題と考えるのが滑稽な印象を与える理由である。そう考え、ゆえにその妥当化のためテストを要求することは、誰もが実際に行為者であるという事実を確立するためには事実発見行為の過程に従事しなければならないがこの過程の可能な結果は知らないと考えているようなものだ。一言で言おうか。不条理だ。
人間行為学が言っていることは、真理を主張する経済命題はすべて、行為の意味に関する異論の余地なき真なる実質的な知識から、形式論理の手段で演繹可能である、と示さなければならないということである。
特に、経済学的推論はすべて次のものからなる。
1 行為の諸範疇を理解し、そのような価値、選好、知識、手段、費用などに起こる変化の意味を理解すること。
2 行為の諸範疇が想定する世界を記述すること。すなわち、明確な人々を行為者に同定し、明確な対象を彼らの行為の道具に同定し、明確な目標を彼らの価値に同定し、明確なものを彼らの費用に同定する世界を記述すること。そのような記述はロビンソン・クルーソーの世界でもあろうし、また行為者が二人以上いる個人間関係が可能な世界でもあろうし、物々交換の世界でも、一般的交換手段として貨幣を使用する貨幣交換の世界でもあろうし、生産手段としてただ土地と労働と時間しかない世界でも、ここに資本財を加えた世界でもあろうし、はたまたある種の行為をそれら手段への侵害や脅迫とみなして物理的処罰を行う多様な社会制度がある世界などでもあろう。
3 この世界での帰結を論理的に演繹すること。すなわち、何らかの特定の行為遂行がもたらす帰結や、この状況が特定の仕方で変化した場合にもたらされる特定の行為の帰結を演繹すること。
演繹の過程に間違いがなければ、そのような推論が生み出す結論は先験的に妥当であるに相違いない。もしも導入された状況や変化が虚構か仮定である(ロビンソン・クルーソー世界や、分割不可能か完全に特定的な生産要素しかない世界)ならば、結論はもちろんただそのような「可能世界」としてのみ先験的な真理である。かたや、もしも状況や変化が現実の行為者によって現実として同定され、そのように認知され概念化されうるならば、結論は現実のとおりの世界に関する先験的に真なる命題である。[19]
このようなものが人間行為学としての経済学の観念である。そしてオーストリア派の学者が同僚とともに発する究極的な不同意の言葉は次のような形をとる。いわく、彼らの声明は、行為の公理から演繹できないか、行為の公理から演繹できる命題に対して明らかな矛盾すらしてしまっている、と。
たとえ原因と帰結として互いに関わりあっている一定の出来事の評価と事実の同定に関しては同意があったとしても、この同意は皮相的である。というのも、そのような経済学者は、言明が実際には真なる先験的な命題であるときに、間違って、その言明を経験的によくテストされた命題だと信じているからである。
[1] 最初の二つのエッセーはthe Ludwig von Mises Institute’s ‘Advanced Instructional Conference on Austrian Economics,“ June 21-27, 1987で行った二つの講義に基づいている。第三のエッセーは『私有財産の経済学と倫理学』第九章から再印刷されている。
[2] Ludwig von Mises, Human Action (Chicago: Henry Regnery, 1966), p. 32.〔ルートヴィヒ・フォン・ミーゼス『ヒューマン・アクション―人間行為の経済学』(村田稔雄訳、春秋社、2008)〕
[3] ミーゼスの方法論的作品は主に彼のEpistemological Problems of Economics (New York: New York University Press, 1981)〔『経済学の認識論的問題』〕と、Theory and History (Washington, D.C.: Ludwig von Mises Institute, 1985)〔『理論と歴史―社会的・経済的発展の解釈』(岩倉竜也)〕と、The Ultimate Foundation of Economic Science (Kansas City, Kans.: Sheed Andrews and McMeel, 1978)〔『経済科学の根底』(村田稔雄訳、日本経済評論社、2002)〕と、Human Action, part I〔『ヒューマン・アクション』第一部〕に含まれている。
[4] Mark Blaug, The Methodology of Economics (Cambridge: Cambridge University Press, 1980), p. 93〔マーク・ブローグ『経済学方法論』〕。似たような侮辱の言明として、Paul Samuelson, Collected Scientific Papers, vol. 3 (Cambridge, Mass.: Harvard University Press, 1972), p. 761〔ポール・サミュエルソン『科学的論文集』〕を見よ。
[5] もう一人の有名な人間行為学批評家は『経済理論の意義と基本公準』“The Significance and Basic Postulates of Economic Theory(London: Macmillan, 1938)”のテレンス・W・ハチスンである。ハチスンはブローグのように経験主義のポパー的変種の支持者であり、以来経験主義的方針に沿って経済学を前進する見通しにあまり熱狂的ではなくなってきたが(たとえば、彼のKnowledge and Ignorance in Economics (Chicago: University of Chicago Press, 1977)〔『経済学における知識と無知』〕;と、The Politics and Philosophy of Economics (New York: New York University Press, 1981)〔『政治と経済哲学』〕を見よ、彼はいまだにポパーの反証主義に代わるものが見えていない。ハチスンの立場と発達にとても似たものがH・アルバートに見受けられる(彼の早期のMarktsoziologie und Entscheidungslogik(Neuwied: 1967)〔『マルクト社会学と意思決定論理』〕を見よ。)経験主義的立場の批判のために、Has-Hermann Hoppe, Kritik der kausalwissenschaftlichen Sozialforschung. Unterschungen zur Grundlegung von Soziologie und Ökonomie(Opladen: 1983)〔ハンス=ヘルマン・ホッペ『因果科学的社会予想批判、社会学と経済学の基礎付けのための研究』〕と、“Is Research Based on Causal Scientific Principles Possible in the Social Sciences? Ratio 25, no. 1 (1983)〔「社会科学は因果科学原理に基づくか?」〕と、“In Defense of Extreme Rationalism” Review of Austrian Economics 3 (1988)〔「過激理性主義の擁護」〕と、Llewellyn H. Rockwell, Jr., ed., The Meaning of Ludwig von Mises(Auburn, Ala.: Ludwig von Mises Institute, 1989)〔ルウェリン・H・ロックウェル2世(編)『ルートヴィヒ・フォン・ミーゼスの意味』〕の“On Praxeology and the Praxeological Foundations of Epistemology and Ethics”〔「人間行為学、および認識論と倫理学の人間行為学的基礎」〕を見よ。
[6] Jean-Baptiste Say, Treatise on Political Economy (New York: Augustus Kelley, [1880] 1964), p. xx, xxvi.〔ジャン=バティスト・セー『政治経済学論考』〕
[7] Nassau Senior, An Outline of the Science of Political Economy (New York: Augustus Kelley, [1836] 1965), pp. 2-3, 5.〔ナソー・シニア『政治経済科学の概説』〕
[8] John E. Cairnes, The Character and Logical Method of Political Economy (New York: Augustus Kelley, 1965), p. 83,87, 89-90,95-96.〔ジョン・E・ケアンズ『政治経済学の特徴と論理的方法』〕
[9] Carl Menger, Untersuchungen über die Methoden der Sozialwissenschaften(Leipzig: 1883)〔カール・メンガー『社会科学の方法に関する研究』〕とidem, Die Irrtümer des Historismus in der Deutschen Nationalökonomie(Wien: 1884)〔同、『ドイツ国民経済における歴史主義の誤謬』〕、Eugen von Böhm-Bawerk, Schriften, F. X. Weiss, ed. (Vienna: 1924)〔E・X・ヴァイス(編)、オイゲン・フォン・ベーム=バヴェルク『著作』〕と、Theme der gesellschaftlichen Wirtschaft(Tübingen: 1914)〔フリードリヒ・フォン・ヴィーザー『社会経済の主題』〕とidem, Gesammelte Abhandlungen(Tübingen: 1929)〔同、『[未]論文集』〕を見よ。ミーゼスによる先駆者への評価として、彼のEpistemological Problems of Economics, pp. 17-22〔『経済学の認識論的問題』〕を見よ。経済定理との関係での述語「先験」はフランク・H・ナイトにも用いられるが、彼の方法論的著物はしかし体系的厳密さに欠ける。Knight, On the History and Method of Economics(Chicago: University of Chicago Press, 1956)〔ナイト『経済学の歴史と方法』〕の彼の“What Is Truth in Economics”〔「真理とは何か」〕と、The Ethics of Competition(Chicago: University of Chicago Press, 1935)〔ナイト『競争の倫理』〕の彼のThe Limitations of Scientific Method in Economics〔「経済学における科学的方法の限界」〕を見よ。
[10] Richard von Strigl, Die ökonomischen Kategorien und die Organisation der Wirtschaft (Jena: 1923).〔リヒャルト・フォン・シュトリグル『経済範疇と経済組織』〕
[11] 主としてロンドン・スクール・オブ・エコノミクスでの同僚だったカール・R・ポパーの影響によって、ロビンズの方法論的立場は時が経つにつれてフリードリヒ・フォン・ハイエクのようにますますミーゼス的ではなくなってきたことには言及する価値があるかもしれない。このことについてはLionel Robbins, An Autobiography of an Economist(London: Macmillan, 1976)〔ライオネル・ロビンズ『ある経済学者の自伝』〕を見よ、そしてミーゼスの人間行為学の観念に対するハイエクの不同意は最近ではルートヴィヒ・フォン・ミーゼスのErinnerungen (Stuttgart: 1978)〔『思い出』〕に対する彼の“Einleitung”〔「導入」〕で再言明されている。ミーゼス自身による、ポパーについての完全に否定的な判定は、彼のThe Ultimate Foundation of Economic Science p. 70〔『経済科学の根底』〕に見つかる。彼の判断に対する支持として、またHans H. Hoppe, Kritik der kausalwissenschaftlichen Sozialforschung(Opladen: Westdeutscher Verlag, 1983)pp. 48-49〔ハンス=H・ホップ『因果科学的社会予想批判』〕を見よ。
[12] カントの先験主義的認識論の輝かしい解釈と正当化は、F. Kambartel, Erfahrung und Struktur. Bausteine zu einer Kritik des Empirismus und Formalismus(Frankfurt/M.: 1968)〔フリードリヒ・カンバーテル『経験と構造―経験主義と形式主義の批判のための積石』〕、特に第三章に基づいている;またHans-Hermann Hoppe, Handeln und Erkennen(Bern: 1976)〔ハンス=ヘルマン・ホッペ『行為と認識』〕を見よ。
[13] Immanuel Kant, Kritik der reinen Vernunft, in Kant, Werke, vol. 2, W. Weischedel, ed. (Wiesbaden: 1956), p. 23.〔イマヌエル・カント『純粋理性批判』(天野貞祐訳、講談社)78ページ以降〕。
[14] 特に脚注12で引用したF・カンバーテルの作品を見よ。また、生物学者・動物行動学者のコンラート・ローレンツのVom Weltbild des Verhaltensforschers (Munich: 1964)〔内気な研究者の世界像〕とDie Ruckseite des Spiegels. Versuch einer Naturgeschichte menschlichen Erkennens (Munich: 1973)〔遊びの裏―自然史の人間的認識の試み〕で与えられたカント解釈も役に立つ。オーストリア派の信奉者の間ではアイン・ランドのカント解釈(たとえば、彼女のIntroduction to Objectivist Epistemology(New York: New American Library, 1979)〔『客観主義的認識論の入門』〕やFor the New Intellectual(New York: Random House, 1961)〔『新しい知識人のために』〕が大いに人気である。彼女の解釈は徹底的な非難声明に満ちているが、とにもかくにも解釈資料の完全な欠如に特徴付けられる。カントに関するランドの横柄な無知についてB. Goldberg “Ayn Rand’s ‘For the New Intellectual’” New Individualist Review 1, no. 3(1961)〔B・ゴールドバーグ『アイン・ランドの「新しい知識人のために」』〕を見よ。
[15] 〔『純粋理性批判1』(天野貞祐訳、講談社学術文庫404、1979)〕
[16] カント的な数学解釈のために、H. Dingler Philosophic der Logik und Mathematik(Munich: 1931)〔H・ディングラー『論理学と数学の哲学』〕と、Paul Lorenzen, Einführung in die operative Logik und Mathematik(Frankfurt/M.: 1970)〔パウル・ロレンツェン『操作的な論理学と数学のアプローチ』〕と、Ludwig Wittgenstein, Remarks on the Foundations of Mathematics”(Cambridge, Mass.: M.Ll: Press, 1978)〔ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン『数学の基礎』〕、またKambartel, Erfahrung und Struktur pp. 118-22〔カンバーテル『経験と構造』〕を見よ。現代物理学の観点からのまれにみる注意深く慎重なカント主義解釈のために、P. Mittelstaedt, Philosophische Probleme der modernen Physik(Mannheim: 1967)〔P・ミッテルシュテット『現代物理学の哲学的問題』〕を見よ。
[17] これらの問題に関するいくつかの一層広範な考察のために、Hoppe “In Defense of Extreme Rationalism”〔ホッペ『過激理性主義の擁護』〕を見よ。
[18] これ以降について、Human Action chapters IV, V〔ミーゼス『ヒューマン・アクション』第四、五章〕を見よ。
[19] またホッペ『因果科学的社会予想批判』第三章を見よ。
2.
非人間行為学的な思想の学派は、一定の出来事間の関係が実際には必然的かつ論理的な人間行為学的法則であるときにも、誤ってそれらを経験的な法則だと信じている。そのせいで、彼らは「玉が赤色であり、同時に赤色ではない、ということはありえない」というような言明が、あたかもヨーロッパとアメリカとアフリカとアジアとオーストラリアでテストを要するかのように振る舞っている(もちろん、そのように神経図太く馬鹿げた研究に支払う大量の資金を要求している)。そのうえ、一定の出来事間の関係とは出来事間の偶然的で歴史的な連結の情報にすぎず、これは将来の出来事の法則に関してはとにかくどんな知識も提供できないと先験的推理で示せるときにも、非人間行為学者は一定の出来事間の関係を(予言的な含みをもって)良く確立された経験法則だと信じている。
このことが例証しているのは非オーストリア学派が陥っている他の基本的混乱である。というのは、理論と歴史の範疇的な違いと、この違いが社会的および経済的な予想の問題にきたす含意、以上に関する混乱である。
私が話を始めるべきところはまたもや経験主義の記述からであり、経済学と社会科学一般を物理学などと同じ研究の論理と考えるこの哲学からである。経験主義――今日経済学で最も広く受け入れられた見解――によると、理論的研究と歴史的研究には範疇的な違いがないわけを説明しよう。そしてこれが社会予言にとって何を含意するのかを説明しよう。そしたら、これとは非常に異なっているオーストリア派の見解は、経験主義的立場の批判と論駁から発達させられるだろう。
経験主義を特徴付けるのはこれが二つの緊密に関連する基本的命題を受け入れているという事実である。[1]最初の最も中心的な命題によれば、経験的知識と称される現実についての知識は観察的経験で検証可能であるか少なくとも反証可能でなければならないらしい。観察的経験は原理的にはいつも、実際にあったこととは違っているかもしれない類の知識であるから、(必然的知識と逆の)偶然的知識しか導き出すことが出来ない。これが意味するのは、現実的な出来事の帰結が或るあり方であるか、それとも他のあり方であるかは、誰も経験に先んじては――すなわち、実際に特殊な観察的経験をする前には――知ることができないというものである。他方で、もしも知識が観察的経験によっては検証可能でも反証不可能でもないならば、それは何ら現実に関する知識ではない。それは単純に、言葉に関する知識、用語の使用法に関する知識、記号の変形規則に関する知識にすぎない。いうなれば、それは分析的な知識であり、経験的な知識ではない。そしてこの見解によれば、分析的知識をちょっとでも知識と見なすべきかは非常に疑わしい。
経験主義の第二の仮定は、因果的な説明と予測に関するものであり、因果律の問題に対する第一仮定の拡張と適用を定式化する。経験主義によれば、現実的現象を因果的に説明することや予測することとは、「もしもAならばB」というタイプの言明を定式化することや、変数が量的測定を許すべきであれば「もしもAが増加(減少)するならばBが増加(減少)する」というタイプの言明を定式化することである。
(現実的現象であるAとBの項で)現実に言及する言明としては、その妥当性は決して確実性をもって確立することができない。すなわち、その命題のみを調査することでは確立できず、また当該命題を論理的に演繹することができるような他の命題を調査することでも確立できないのである。その真実性は事前には知りえない将来の観察的経験の結果に依存しているので、つねに仮説的であるだろうし、つねに仮説的なままであり続ける。経験が仮説的因果的説明を確証すべきなのだとしたら、これは仮説が真であることを証明しない。Bが予言どおり実際にAに続いて起こっているという事例を観察しなければならないのだとしたら、これは何も検証しない。AとBは普通名詞であり、抽象名辞であり、あるいは哲学的用語法では普遍であり、不定数の事例がある(あるいは原理的には、不定数の事例があるかもしれないような)出来事と過程に言及する。後の経験はいまだにこれを反証することがありえる。
そしてもし経験が仮説を反証したとしても、これは決定的ではなかろう。というのも、Bに続いてはAが起こらなかったことが観察されたとしても、仮説的に関係する現象はやはり因果的に結びついていたということがなお可能であろうからだ。これまでは無視されており支配されていなかった他のいくつかの環境や変数が仮説上の関係を実際に観察されることのないよう妨げてしまっていたにすぎないということもありうるのである。せいぜい、反証は研究中の特殊な仮説は立てられたとおりに完全に正しくはなかったとしか証明しない。我々は仮説化されたAとBの関係を観察できるかもしれないので、いくつかの改善が必要であり、見守られて支配されるべきいくつかの追加的変数の特定が必要である。しかし確かに、ちょうど確証はそれが存在することを決して決定的には証明しないように、反証はいくつかの所与の現象間の関係が存在しなかったことを決して一回限りでは証明しない。[2]
この立場を考察すると、これにもまた先験的であり同時に現実的でもあるような知識の否定が含意されていることに気づく。経験主義によれば、先験性を主張する諸命題は定義か恣意的規約で相互に関係する紙上の記号にすぎず、ゆえに完全に無効であるらしい。それは何であれ現実世界との結合を欠いている。そのような記号のシステムはその記号に経験的解釈が与えられたときにしか経験的に有意味な理論にならない。けれどもそのような解釈がその記号に与えられるやいなや、理論が先験的に真であることはもはやなく、むしろ仮説的になり、そして永遠に仮説的なままであり続けてしまう。
そのうえ経験主義によると、我々は何かが他の何かの可能な原因であるか否かを確実に知ることができないらしい。もしも我々が或る現象を説明したいならば、可能な原因に関する仮説化はどうやっても先験的な考察には制約されない。すべてのものがあらゆるものに何らかの影響を及ぼせる。我々はそれが影響するか否かを経験で発見しなければならないが、そのとき経験がこの疑問に明確な答えを与えることは決してないだろう。
次の点は我々を本節の主題である理論と歴史の関係へと連れていってくれる。我々は、経験主義によれば歴史的説明と理論的説明には主立った違いがないことに気づく。すべての説明は同じ種類のものである。我々が現象を説明するためには、その現象の原因としていくつかの他の現象を仮説に立ててから、この仮説化された原因が時間内で実際に結果に先行したか否かを見てみなければならない。かたや理論的説明とはまだ発生していない結果の説明、あるいはむしろ予言であり、かたや歴史的説明は過去に存ずる何かに言及し、すでに生じた出来事に言及するかぎりは、理論的および歴史的な説明の間には区別が存在する。けれども構造的にはそのような歴史的説明と理論的予言には違いはない。さりとて、特に経験主義が理論の予言力を強調し、その力を歴史的与件だけでテストすることには満足しないわけを説明する実用的な違いはある。[3]このわけは道化じみたデータ分析遊びに携わったことがある者みなにとってまったく明白である。説明さるべき現象がすでに起こっているならば、それに時間的に先行し、その原因と見なされうるような、あらゆる種類の出来事を発見するなどちょろい話だ。そのうえ、もっと多くの先行変数を発見することで可能原因リストが長くなるのを厭うならば、我々は以降のとおりにすることができる(し、この計算機の時代では、それはもっと簡単ですらある)。先行する変数のどれかを取り上げて、その変数と他の被説明変数の別の関数関係――線形関数や曲線関数、再帰関数や非再帰関数、加算的関係や乗算的関係など――を洗い出す。ついで、一つ、二つ、三つと、我々が探していた、与件に一致する関数関係を発見するのである。そしてそれらはたった一つではなく、望むだけのどんな量でも発見することができる。
しかしこれら先行する出来事すべてのうちどれが原因なのか、または、これらの関係のタイプすべてのうちどれが因果的に有効な関係なのか? 経験主義によれば、ここで我々を助けられるような先験的な考察はないらしい。そういうわけで、経験主義者は予言の重要性を強調するのである。これらの多岐にわたる歴史的説明の一つが実際に正しい――か、少なくとも間違っていない――ことを見抜くために、まだ生じていない出来事を予言する際にそれらを使ってみることで、それらがどれほど良いか見てみろ、そうすることで間違っている説明を除き去れ、と、それらを調べるよう求められているのである。
経験主義およびその理論と歴史と予想に関する考え方に関してはこれぐらいにしておこう。この予言的成功の強調が経験主義のかなり明白な相対主義的含意をちょっとでも変えるか否かという疑問の詳細な分析に立ち入るつもりはない。ちょうどその学説自体が語っていることによれば、予言的確証も予言的反証も、変数ペアの間に因果的関係が存在するかしないか決定するには役立たないということを思い出せ。これは予言を哲学の要石にすることで得られるものが何であれかなり疑わしいことを明らかにするはずだ。
私は経験主義者の哲学の立脚点そのものに対して挑戦をしようと思っている。経験主義に対してはいくつかの結論的な論駁が存在するのだ。経験主義的な経験的知識と分析的知識の区別が火を見るより明らかな虚偽と自己矛盾であることを示そう。[4]そのときこれは、理論と歴史と予想に関するオーストリア派の立場を発展するよう我々を導くだろう。
経験主義の中心的主張はこうだ。すなわち、経験的知識は経験によって検証可能か反証可能でなければならず、分析的知識は検証可能でも反証可能でもないからどんな経験的知識も含んでいない。もしもこれが真実であるならば、こう問うのが適切だろう。経験主義のこの根本的な言明の地位は何だ? この地位は明らかに分析的でも経験的でもないはずだ。
まずは分析的だと想定しよう。しかしながら経験主義的な学説によると、分析的命題は紙上の殴り書きや無駄口にすぎず、どんな有意味な内容も欠かしているらしい。それは現実に関しては何も言わないのだ、と。それゆえ経験主義は、自分が言ったり意味したりしている内容を、言ったり意味したりすらできないはずだと結論しなければならないだろう。にもかかわらず他方では、この学説がずっと言ったり意味したりしていたと思しき内容を本当に言ったり意味したりしているならば、それは実際に我々に対して、現実に関する何かを知らせているのである。実際、我々に対して現実の根本的構造を知らせているではないか。現実には我々の仮説を確証なり反証なりしかねないような将来の経験に先んじて知ることができるものは何もないと言っているではないか。
しかも、もしもこの有意味な命題が分析的であるとされるならば……すなわち、その真理を名辞の分析で確立することができる、どんな反証も許されない言明であるとするならば、手元に得られるものは憚りもなくぎらつく矛盾である。経験主義はそれ自体が自滅するナンセンス以外の何物でもないと証明されるだろう。[5]
なのでおそらく、我々は残りの選択肢を選ばなければならず、経験的および分析的な知識間の経験主義に根本的な区別のことを経験的言明だと宣言しなければなるまい。しかしそしたら経験主義的立場はとにかくもはや重要ではなくなってしまう。そうなったら、この命題は――経験的なものとして――当然間違っているだろうし、これが偽であるか否か決定するとき何の基準に基づいて聞いてもいいと認められなければならないのも当然だろうからである。もっと決定的なことには、それは真か偽の経験的命題として、何か「今までのところ、吟味された命題は実際すべて分析的か経験的かの二つの範疇に振り込まれている」のような歴史的事実しか述べることができないからだ。この言明は真なる先験的ながら経験的な命題を産出することが可能であるか否かを決定する仕事にはまったく関係がない。実際、もしも経験主義の中心的主張が経験的命題であると宣言されるならば、経験主義は科学的知識の論理たる認識論であることをすっかりやめてしまうだろうし、せいぜいのところ、一定の言明を扱う一定の恣意的な方法を一定の恣意的な名前で呼ぶ完全に恣意的な言葉の慣習にすぎないだろう。経験主義はどんな正当化も無駄な立場であろう。
経験主義に対する我々の批判において、この第一歩が証明することは何か? これは、経験主義的な知識観念が間違っていることを明白に証明しており、有意味な先験的議論の手段でこれを証明している。そしてそうする際に、カント的でミーゼス的な真なる先験総合命題の観念が正しいことを示している。もっと特定的なこととしては、理論と歴史の関係が経験主義に叙述されるようなものではありえないと証明している。また、経験主義に存在を認められるような単なる観念にすぎない理論とは範疇的に異なる理論――経験的に有意味な理論――の領域があるに違いない。また、先験的理論はあるに違いないし、理論と歴史の関係は経験主義が我々に信じさせようとするものとは異なっており、それより複雑であるに違いない。実際にどれほど異なっているかは、私が経験主義に反対するもう一つの議論、もう一つの先験的議論、および理論と経験的研究の関係が知識の全分野で同じであるという経験主義に含意されるテーゼに反対する先験的議論を提示するとき明らかになるだろう。
経験主義的な観念が自然科学を扱う際にどれほど適切と見なされようとも(私はこれが自然科学にすら不適切だと考えるが、ここではこれをこれ以上追及できない)、[6]経験主義の方法が社会科学に適用可能であると考えることは不可能である。
行為は要素となって、我々が社会科学の主題と見なすものを成り立たせる現象の分野である。経験主義は行為のことを他の現象と同じように経験で検証か反証が可能な因果的仮説によって説明されうるし説明されなければならないと主張する。[7]
今これが事実だとすれば、経験主義はまず――現実の何かに関する先験的知識は存在しないというそれ自体の学説とは対照的にも――行為に関して時間不変的に作用する原因が存在するとの想定を強いられる。
どの特殊な出来事がどんな特殊な行為の原因であるか、人は先験的には知らないはずだった。しかし経験主義は一連の出来事に関する別々の経験を、互いに確証なり反証なりするものとして関係させたがる。そしてもしもそれらが互いを反証するならば、我々は本来、反証に対して仮説の再定式化で応じなければならない。けれどもそうするためには、我々はそのような原因の作用について時間を超えた恒常性を想定しなければならないし、しかも、行為の原因が存在すと知ることは、もちろん行為の現実に関する知識である。そのような原因に関するこのような想定がなければ、異なる諸経験は互いを確証なり反証なりするものとして相互に関係させられることは決してできない。それらは単純に無関係な、共約不可能な観察にすぎない。こっちに一つあり、あっちにもう一つある、そしてこの二つは同じであるか似ているか、もしくは違っている。それ以外のことは分からない。[8]
くわえてもう一つの矛盾があり、この矛盾を明白にすることは、社会科学の分野での理論と歴史の関係が自然科学でのそれらの関係とは完全に異なる本性をもっているというミーゼスの中心的洞察へただちに我々を導いてゆく。
この矛盾とは何か? もしも行為が実際に時間不変的に作用する原因によって支配されるものとして思い浮かべられるならば、こう問うことは確かに適切である。すなわち、説明者を説明するとはどういうことか? 彼らの行為を因果的に予言するとはどういうことか? 結局、彼らこそが仮説創造および検証と反証というまさにこの過程を行い続ける人物なのである。
経験の確証か反証を身につける――古い仮説を新しい仮説に置き換える――ためには、おそらく経験から学習をできなければならない。もちろん経験主義者はみなこれを認めるよう強いられる。さもなくば、いったいなんで、ちょっとでも経験的研究に従事しているのやら。
しかし、もしもいまだ知られざる方法によって人が経験から学習できるならば、人は後に知ることになる事柄を任意の時点で知ることはできず、したがって、人がこの知識に基づいてどう行為すればいいかを任意の時点で知ることはできない。人は知識をもった後にしかこれを説明できないように、行為の原因を出来事の後で再構成することしかできない。実際、科学的前進は人が人の知識と行為を恒常的に作用する原因によっては予言不可能であると見なさなければならないという事実を決して変更することができなかった。人はこの自由の着想を幻想と考えるかもしれない。それに、人間悟性より実質的に優れた認知能力をもつ科学者の見地や神の見地からすればこれは正しいのかも知れない。しかし我々は神ではないし、たとえ神の立場からは我々の自由が幻想であり、我々の行為が予言可能な道を辿っているとしても、我々にとってこれは必要であり不可避な幻想である。我々は我々の以前の状態に基づいて、我々の将来の知識状態やこの知識を露わにする行為を事前に予言することはできない。我々はそれらを出来事の後に再構成できるだけなのである。[9]
かくして経験主義的方法論は、知識と行為――その必然的成分として知識を含むもの――の分野に適用されるとき、まったくの矛盾にすぎない。社会現象に関する予測方程式を定式化する経験主義志向の社会科学者は単に無意味なことをしているにすぎない。結果を未知と認めざるをえないような企てに従事する彼らの活動が証明することは、彼らがやっているふりをしていることはできないということだ。ミーゼスが言うとおり、そして彼が繰り返し強調してきたとおり、人間行為の分野に経験的因果定数は存在しないのである。[10]
それで、人は先験的推理の手段によって次の洞察を確立してきた。自然史とは反対に、社会史は予言的目的のために利用できる知識を生み出さない。むしろ、社会的および経済的な歴史はもっぱら過去に言及する。いかに、そしてなぜ人々が過去に行為したかについての研究結果には、はたして彼らが将来にも同様に行為するか否かに関する体系的な支持が欠けている。人々は学習できるのだ。人が明日知ることを現在予言できるだの、明日の知識が今日の知識とどう異なっているか現在予言できるだのと想定するのは不条理である。
アインシュタインが相対性理論を実際に発展させる前にこれを予言できないのと同じだけ、人は自分の一年後の砂糖需要を今日予言することはできない。人は今から一年後に知る砂糖のことを今日知ることはできない。そして彼は、一年後に彼の貨幣をめぐって砂糖と競うすべての財を知ることはできない。しかし将来の知識状態は恒常的作用原因に基づいて予言することができないことは認められなければならないから、たとえば月や天気や潮の将来の振舞いに関する予言と同じ認識論的タイプの予言を行うまねはできない。これらは時間不変的に作用する原因の仮定を正当に使うことができる予言である。しかし将来の砂糖需要に関する予言は完全に事情が異なっている。
社会的経済的な歴史は再構成的な説明としか考えられず、体系的な予言に関係する説明と考えることは決してできないとくれば、経験的社会研究の論理に関してもう一つの著しく重要な洞察が続いて出てくる。そしてこれが社会科学研究に相応しい方法論である、という主張に関して言えば、これは少なくとも経験主義に対するもう一つの決定的な批判に相当する。
さきに述べた、経験主義が説明的理論の予言的機能をかなり強硬に強調するわけを思い出せ。説明されるすべての現象には、多数の先行する出来事があり、そのような先行する出来事で当該現象を説明できるような多数の関数関係がある。しかしこれらの競合的な説明のうち、いったいどれが正しいのか、どれが正しくないのか? 経験主義的な答えは次のとおりこうだった。予言してみろ、将来の出来事を予言するに成功したか失敗したかこそが、どの説明が正しいかそれとも正しくないかを告げている。明らかに、この助言は行為に関して時間不変的に作用する原因がなければ働くまい。で、あるのか? もちろん、経験主義はこの疑問に答えられない。
とはいえ、たとえ行為はどんな科学的方法でも予言できないものだとしても、これは或る再構成的歴史説明が他のどの説明ともちょうど同じぐらいの出来映えでしかないことを含意しない。たとえば、私がドイツからアメリカに移住した事実を説明するために、私の意思決定に先立ってミシガンのトウモロコシが急成長を経験したことが私の意思決定を原因付けたのだと指摘しても、これは不条理と見なされるだろう。しかし私の決定に先立ってミシガンのトウモロコシに実際に起こった出来事を想定しておきながら、なにゆえに不条理と見なすのか? 理由はもちろん、ミシガンのトウモロコシは私の意思決定には関係なかったと、この私があなたに告げるからである。そして何であれ少しでも私について知られていることに関するかぎり、これが実情であると認識されることができるからである。
しかしどうすればあなたがこれを認識できるのか? 答えは、私の動機と利害を理解し、私の確信と切望を理解し、私の規範的な志向を理解し、そしてこの行為に結果するための私の具体的な展望を理解することによってである。どうやって誰かのことを理解するのか、そしてそのうえで、我々の理解が実際に正しいことをどう検証するのか? 問題の第一部分に関して言えば……彼との疑似的意志疎通と、彼との相互行為に携わることで理解する。疑似的と称するわけは、我々はカエサルがルビコン川を渡ったわけを知るため実際にカエサルと意識疎通するこができないのは明らかだからである。しかし我々は、彼の著述を研究し、これを彼の実際の振舞いに表明された彼の確信と比較することができるし、我々は彼の同世代人の著述と行為を研究し、それによって、カエサルのパーソナリティと時代を理解したり、彼の時代での彼の特殊な役割と立場を理解したりしようと努めることができる。[11]
問題の第二部分――歴史説明の検証問題――に関して言えば、等しく理解に基づいている二つの競合的な説明のどちらが結局正しいか、そしてどちらが正しくないかを決定させてくれるような絶対的にはっきりした基準がないことは、最初から認めなければならない。歴史とは、自然科学が精密科学であるというのと同じ意味での精密科学ではなく、あるいは経済学が精密科学であるというのとは非常に異なる意味において、精密科学ではないのである。
二人の歴史家は、所与の説明さるべき行為について、たとえ事実の記述と影響の諸要素の評価では同意に至っても、行為を生じるそのような諸要素に割り当てられたそれぞれの重みづけの評価に関してはなおも不同意を行うかもしれない。そして完全に曖昧さなく事を決定する方法はないかもしれない。[12]
けれどもここで誤解しないでほしい。それにもかかわらず、歴史的説明にも何らかの種類の真理基準がある。歴史家間のあらゆる可能な不同意を除去することはないが、それでもなお説明の広い範囲を排除し不適格とする基準である。その基準とは、どんな真なる歴史的説明も、原理的には、説明されるべき行為を行った行為者がその説明を検証できなければならず、そして彼が行為したとおり彼に行為させるよう寄与したものとしての説明的要素を検証できなければならない、というものである。[13]ここでのキーフレーズは、原理的には、である。もちろんカエサルはどうやってもルビコン川を渡った理由に関する我々の説明を検証できない。そのうえ、彼は実際、この説明を検証できても検証せずにいようとする強い理由があるかもしれない。というのも、そのような検証行為は彼が抱いている他の目標と衝突するかもしれないからである。
また、どんな真なる説明も当該行為者によって検証可能でなければならないと言うことは、あらゆる行為者がつねに彼自身の説明者たる最善の資格をもっていると言っているわけではない。アインシュタインは、彼がなぜ、そしていかに相対性理論に辿り着いたかを、他の誰より良く説明できるかもしれない。しかし、そうではないかもしれない。事実、科学史家がアインシュタインのことと、彼を発見に導いた影響を、彼自身よりも理解することが可能であるということは実にありえる話である。そしてこれが可能であるわけは、影響する要素や、人の行為を決定する規則が、潜在意識にしかないかもしれないからである。[14]もしくはまさしくそれゆえに、人がこれらの要素や規則に気づき損ねてしまうということも、実に分かりきっていることかもしれない。
或る人物について彼自身よりも他の人々の方が良く理解していることがあるという不思議な事実を理解するには、次のような類比がとても役立つかもしれない。たとえば演説を考えてみよ。もちろん演説する人物は自分が言っている事柄を言っているわけについて、おそらくかなりの程度理由を言うことができるだろうし、彼の見方で物事を見るよう彼を導いた影響を彼自ら定式化することができるだろう。彼はおそらく他の誰よりもそうすることができる。とはいうものの、彼は自分が言うことを言っているとき、彼自身にも明示しがたい規則に、習慣的に無意識に従っている。彼は自分が言っている事柄を言っているとき、また一定の文法規則にも従っている。しかしこれらの規則は彼の行為に影響しているはずなのに、彼がこれらをまったく定式化できないということはしょっちゅう起こる。誰かの行為を彼自身より良く理解する歴史家は演説の文の構造を分析する文法家にとても良く類似している。どちらの職務も、実際に話者に従われているのに、話者自身には定式化できないかしにくい規則を再構成し、明示的に定式化するのである。[15]
話者が従っている規則をすべて定式化することは彼自身にはできないかもしれないし、専門的な歴史家や文法家に助けてもらう必要があるかもしれない。しかし文法家の説明にとっての真理の基準はそれでもなお、以前には暗黙的にのみ知られていたことが明示された後でも――原理的には――説明の正しさを検証できなければならないと気づくことは非常に重要である。文法家や歴史家の説明が正しいためには、これらの規則が実際に行為者の行為に影響していると行為者自身に認識できる必要があるだろう。理解に基づいた必然的に再構成的な研究としての歴史研究の論理についてはこれぐらいにしておこう。[16]
人間の知識と行為の分野で因果的予言の不可能性を確立する議論は、そうであれば、もはや予想とは上出来か不出来な推測以外の何物でもないという印象しか残さなないだろう。しかしながら、リンゴの成長段階を予言できるのと同じ意味で人間行為を予言できると考えることが間違っているのと同じぐらい、この印象は間違っていよう。経済理論と経済史の相互作用に関する、ミーゼス主義者に独特の洞察が図面に入ってくるのはここである。[17]
実際、社会的および経済的な将来を完全かつ絶対的な不確実と考えることができないわけが理解困難にすぎるということはないはずだ。行為の分野での因果的予言の不可能性は先験的議論で証明された。そしてこの議論は行為に関して次のような先験的に真なる知識を組み込んでいた。すなわち、それらを時間不変的に作用する原因に支配されるものとして思い浮かべることはできない。
かくして、経済予想が実際つねに体系的には教授不可能な技能であろう一方で、あらゆる経済予想はそのような行為に関する先験的知識の存在によって制約されているものと考えられなければならないこともまた同時に真実なのである。[18]
たとえば人間行為学的命題たる貨幣数量説をとってみよう。もしも人が貨幣量を増加し、かつ貨幣需要が一定に保たれるならば、貨幣購買力は下落してゆく。そのような行為に関する我々の先験的知識が我々に教えることは、貨幣量が増加するか減少するか一定するかを科学的に予言することは不可能であるということだ。また、貨幣量に何が起こるかにかかわらず、現金残高に保有される貨幣需要が増えるか減るか保たれるかを科学的に予言することも不可能である。我々はそのようなことを予言できると主張することはできない。なぜならば我々は人々の将来の知識状態を予言することができないからだ。けれども、これらの状態が貨幣数量と貨幣需要に影響することは明白である。そしたら、数量説に組み込まれた我々の理論、我々の人間行為学的知識は、経済的将来を予言するビジネスにかなり制限的な有用性をもつのである。
たとえ貨幣量の拡大が既成事実であっても、理論は将来の経済的出来事を予言させてくれない。人はなおも、貨幣需要に何が起こるかを予言することはできないのである。もちろん貨幣需要に関する併発的出来事は来たるべき事柄の形に影響を及ぼす(そして貨幣供給の増加を厳選として生じる結果を停止なり増加なり減少なり加速なり減速する)けれども、そのような併発的変化は原理的には予言することも実験的に定数化することもできない。すべての変化がことごとく行為に影響する主観的な知識のことを、先行変数に基づいて予言可能だのと考えたり、定数として保つことができるだのと考えたりすることは、あからさまな不条理である。事実、実験者自身が、知識を定数化したがるせいで、時間を超えて彼の知識わけても実験結果の知識を定数化することなどできやしないと先行前提しなければならない。
貨幣数量説は、予言に定数を用いる定式に基づいて、特定の経済的出来事を確実か確率的なものにすることはできない。それでもやはり、理論は可能な正しい予言の範囲を制限するだろう。しかもその制限の仕方は、経験的理論としてではなく、人間行為学的理論として、我々の予言に論理的な制約として働くことによってであろう。[19]そのような知識(我々の例では貨幣数量説)に調和しない予言は体系的に間違っており、予想過誤の数を体系的に増やしてしまう。これは、論理的に間違った熟慮と推理の連なりで予言に辿り着いた人よりも、正しい人間行為学的推理に基づく人の方が必然的に上出来な経済予言者であることを意味してはいない。そうではなく、人間行為学に通じた予想者は疎い者より長期的には上出来であろうことを意味するのである。
人が出来事を正しく「貨幣供給の増加」と同定し、かつ、そのような出来事は論理的必然性によって「貨幣購買力の下落」と連結すると人間行為学的に正しく推理したにもかかわらず、間違った予言を行うことはありうる。彼は貨幣需要を一定と予言したのだろうが、実際には増加したのだろう。かくして、予言されたインフレーションは期待どおりには現れなかった。そのかたわらで、貨幣量増加は貨幣購買力人とは関係ないと間違って考えている人が、購買力の下落なしと正しい予言を行うことも等しくありうることである。というのも、彼の間違った原因・帰結評価を相殺するような他の併発的変化が発生した(貨幣需要が増加した)せいで偶然にも彼の予言を正しくなったのかもしれないからだ。
しかしながら、そしてこれこそ人間行為学が経済的出来事の予言を論理的に制約するという要点に我々を戻すのだが、健全な人間行為学的知識をもっている人もそうでない人も含めて、あらゆる予想者が平均的には他の併発的変化を予期するに十分な知識を等しく身につけているとしたら? 彼らが平均的には社会的で経済的な将来に関して等しく運の良い推測者であったら? そしたら明らかに、貨幣数量説のような人間行為学的法則を認識し、これに応じて予言する予想者の方が、人間行為学に無知な予想者集団よりもっと成功するだろうと結論しなければならない。
時間不変的に作用する原因の仮定を用いて貨幣需要の変化を科学的に予想可能にするような予言定式を打ち立てることは不可能である。貨幣需要は必然的に人々の将来の知識状態に依存するが、知識状態は予言不可能なのである。かくして人間行為学的知識には非常に限定的な予言的有用性しかない。[20]
けれども、貨幣需要の増加のような変化が生じることを正しく予想して、しかも貨幣量の増加が実際に生じてきたことを同等に正しく理解する予想者のうちでも、貨幣数量説を認識する人しか正しい予言をすることはない。そして確信が人間行為学と一致しない人は必然的に間違えることになる。
経済的予想の論理と人間行為学的推理の実践的機能を理解することは、経済学の先験的定理とは将来何が起こりうるかに論理的限界を課すものと見ることであると同様、経験的予言への論理的制約として働くものと見ることなのである
[1]どんな形態の先験主義にも反対することで団結した――経験主義の多様な代表的説明として、R. Carnap, Der logische Aufbau der Welt (Hamburg: 1966)〔R・カルナップ『世界の論理的構成』〕と、idem, Testability and Meaning (New Haven, Conn.: Yale University Press, 1950)〔同『検証可能性と意味』〕と、Alfred J. Ayer, Logic, Truth, and Language (New York: Dover, 1952)〔アルフレッド・エイヤー『言語・真理・論理』〕と、Karl R. Popper, Logic of Scientific Discovery (New York: Harper and Row, 1959)〔カール・ポパー『科学的発見の論理』〕と、idem, Conjectures and Refutations (London: Routledge and Kegan Paul, 1969)〔同『推論と論駁』〕と、C. G. Hempel, Aspects of Scientific Explanation (New York: Free Press, 1970)〔C・G・ヘンペル『科学的説明の諸問題』〕を見よ。経済学にもいくらか注目する説明として、特にErnest Nagel, The Structure of Science (New York: Harcourt, Brace and World, 1961)〔アーネスト・ナーゲル『科学の構造』〕と、Felix Kaufmann, Methodology of the Social Sciences (Atlantic Highlands, N.J.: Humanities Press, 1944)〔フェリックス・カウフマン『社会科学の方法論』〕を見よ。
[2] 経験主義の相対主義的で――政治の水準では――干渉主義的な含意について、Hans-Hermann Hoppe, “The Intellectual Cover for Socialism,” The Free Market (February 1988)〔ハンス=ヘルマン・ホッペ『社会主義の知的な庇い手』〕を見よ。
[3] 経験主義者・実証主義者による予言の強調として、特にMilton Friedman, “The Methodology of Positive Economics” in Friedman, Essays in Positive Economics (Chicago: University of Chicago Press, 1953)〔ミルトン・フリードマン『実証経済学の方法論』〕を見よ。
[4] 経験主義に対する理性主義的批判として、Kambartel, Erfahrung und Struktur〔カンバーテル『経験と構造』〕と、Brand Blanshard, Reason and Analysis (LaSalle, Ill.: Open Court, 1964)〔ブランド・ブランシャード『理性と分析』〕と、A. Pap, Semantics and Necessary truth (New Haven, Conn.: Yale University Press, 1958)〔アーサー・パップ『意味論と必然的真理』〕と、Martin Hollis and Edward Nell, Rational Economic Man (Cambridge: Cambridge University Press, 1975)〔マーティン・ホリスとエドワード・ネル『合理的経済人』〕を見よ。
[5] ミーゼスが『経済科学の根底』で記すには、
論理実証主義の本質は、あらゆる先験的知識が分析的にすぎないとする指摘により、先験的知識の認知的価値を否定することである。いわく、それらは新しい情報を提供せず、定義と前提にすでに含意されていることを断言しているトートロジーや単なる音声にすぎない。総合的命題を導き出すことができるのはただ経験だけである、と。さて、この学説には明白な異論がある。というのは、この総合先験的な命題はないという命題それ自体が――現在の著者が考えるには偽であるところの――総合先験的な命題であることだ。それは明らかに経験によっては確立されることができない。
[6] これについては、脚注23に引用された作品に加えて、特にH. Dingler, Die Ergreifung des Wirklichen (Münich: 1955)〔フーゴ・ディングラー『現実の把握』〕と、idem, Aufbau der exakten Fundamentalwissenschaft (Münich: 1964)〔同『精密根本科学の構成』〕と、Paul Lorenzen, Methodisches Denken (Frankfurt/M.: 1968)〔パウル・ロレンツェン『方法的思惟』〕と、F. Kambartel and J. Mittelstrass, eds., Zum normativen Fundament der Wissenschaft (Frankfurt/M.: 1973)〔F・カンバーテルとユルゲン・ミッテルシュトラス(編)『科学の規範的根源へ』〕、および私の“In Defense of Extreme Rationalism”『過激理性主義の擁護』を見よ。
[7] 脚注20に引用された文献に加えて、たとえばArthur Goldberger and Otis D. Duncan, eds., Structural Equation Models in the Social Sciences (San Diego, Calif.: Academic Press, 1973)とH. B. Blalock, ed., Causal Inferences in Non-Experimental research (Chapel Hill: University of North Carolina Press, 1964)と、Arthur L. Stinchcombe, Constructing Social theories (New York: Harcourt, Brace & World, 1968)のような典型的な経験主義的産物を見よ。
[8] 以降について、ホッペ『因果科学的社会予想批判』第二章と『因果科学的原理に基づいた研究は社会科学において可能か?』を見よ。
[9] 面白いことに、この議論はカール・ポパーによって『歴史主義の貧困』の序文で初めて提出された。しかしながらポパーはそのような議論が実際には彼自身の方法論的一元論の観念も無効化し、人間的な行為と知識の分野での彼の反証主義の適用不可能性を論証してしまうことには完全に気づき損ねていた。このことについて、私のKritik der kausalwissenschaftlichen Sozialforschung, pp 44-49〔『因果科学的社会予想批判』〕とK. O. Apel, Die Erklären: Verstehen Konstroverse in transzendental-pragmatischer Sicht (Frankfurt/M.: 1909, pp. 44-46, footnote 19〔カール=オットー・アーペル『説明―超越論的実用主義的な観点における理解論争』〕を見よ。
[10] Mises, Human Action, pp. 55-56.
[11] 歴史の論理について、Mises, Theory and History, chapter 14と、The Untilate Foundation of Economic Science, pp. 45-51と、Human Action, pp. 47-51, 59-64を見よ。
[12] Mises, Human Action, pp. 57-58.
[13] 歴史的および社会学的な再構成と検証の論理について、またHoppe, Kritik der kausalwissenshaftlichen Sozialforschung, pp. 33-38を見よ。
[14] 精神分析的な説明と検証の論理について、A. McIntyre, The Unconscious (London: Duckworth, 1958)〔アラスデア・マッキンタイア『無意識―概念分析』〕と、Jürgen Habermas, Erkenntnis und Interess (Frankfurt/M.: 1968)〔ユルゲン・ハーバーマス『認識と関心』〕を見よ。精神分析の関連性について、またMises, Human Action, p. 12を見よ。
[15] 「有能な話者」の「直観的知識」を通した確証を要求する規則の再構成に携わる言語学的説明の論理について、Noam Chomsky, Aspects of the Theory of Syntax (Cambridge: M.I.T. Press, 1965)〔ノーム・チョムスキー『文法理論の諸相』〕を、またK.-O. Apel, “Noam Chomskys, Sprachtheorie und die Philosophie der Gegenwart” in Apel, Transformation der Philosophie, vol. 2 (Frankfurt/M.: 1973)〔カール=オットー・アーペル『哲学の変貌』の「ノーム・チョムスキーの言語理論と現代哲学」〕も見よ。
[16] 経験的社会科学の経験主義的・実証主義的哲学に対する重要な批判と、再構成的理解に基づく社会研究の説明のために、またK.-O. Apel, Transformation der Philosophie〔カール=オットー・アーペル『哲学の変貌』〕とidem, Die Erklären: Verstehen Knotroverse in transzendental-pragmatischer Sicht〔同『説明―超越論的実用主義的な観点における理解論争』〕と、Peter Winch, The Idea of a Social Science and Its Relation to Philosophy (Atlantic Highlands, N.J.: Humanities Press, 1970)〔ピーター・ウィンチ『社会科学の理念―ウィトゲンシュタイン哲学と社会研究』〕とidem, Ethics and Action (London: Routledge and Kegan Paul, 1972)〔同『倫理と行為』〕と、Jürgen Habermas, Zur Logik der Sozialwissenschaften (Frankfurt/M.: 1970)〔ユルゲン・ハーバーマス『社会科学の論理によせて』〕と、G.H. von Wright, Explanation and Understanding (Ithaca, N.Y.: Cornell University Press, 1971)〔ジョージ・ヘンリック・フォン・ライト『説明と理解』〕も見よ。
[17] 理論と歴史の関係について、特にMises, Human Action, pp.51-59〔『ヒューマン・アクション』〕とEpistemological Problems of Economics, chapters 2-3〔『経済学の認識論的問題』第二・三章〕を見よ。
[18] 元オーストリア派およびネオ歴史主義者・解釈学者・虚無主義者のルートヴィヒ・ラハマンは、うんざりするほど将来の知識状態の予言不可能性を繰り言するが(彼の“From Mises to Shackle: An Essay on Austrian Economics and the Kaleidic Society,” Journal of Economic Literature 54 (1976)〔『ミーゼスからシャックルまで―オーストリア派経済学と万華鏡的社会についてのエッセー』〕とThe Market as an Economic Process (New York: Basil Blackwell, 1986)〔『経済過程としての市場』〕を見よ)が、この後者の点を完全に見逃している。というのも彼は明らかに、将来知識と論理的拡張ゆえ将来行為の不可知性を知っていると主張しているからだ。けれどもそしたら彼は将来の知識と行為に関して何かを知っているのである。彼はそのような知識と行為に関して何かを知っているに違いない。そしてこれこそ(私が“On Praxeology and the Praxeological Foundations of Epistemology and Ethics,” p. 49〔『人間行為学、および人間行為学的な認識論と倫理学の基礎』〕以降で説明したとおり)まさしく人間行為学が主張している、そのような行為に関する知識と、そのような知識が不変に行為者の知識であるに違いないという事実ゆえにどんな将来知識にも必ず備わる構造に関する知識なのである。
[19] 社会的および経済的な予想の論理について、またHoppe, “In Defense of Extreme Rationalism,” sections 3, 4〔ホッペ『過激理性主義の擁護』第三、四節〕も見よ。
[20] またMurray N. Rothbard, Power and Market (Kansas City, Kans.: Sheed Andrews and McMeel, 1977), pp. 256-58〔マレー・N・ロスバード『権力と市場』〕の、自由市場における環境対政府干渉に妨害された環境における経済理論化の異なる機能についても見よ。
人間行為学、および認識論の人間行為学的基礎について
1.
ルートヴィヒ・フォン・ミーゼスは最も偉大で革新的な経済学者として経済学的命題の論理的地位の問題を何度も徹底的に分析した。たとえば我々はそれらをどう知るに至るのか、そして我々はそれらの妥当性をどう確認するのか? そのような考察が経済学の体系的進歩を達成するためには欠かせないと考える人々の中でも、ミーゼスは実に最高位の地位を占めている。というのも、そのような根本的疑問に対する答えの誤りは、知的大事業に際してどれも我々を偽りの経済学説のような知的大惨事などへと自ずと導いてしまうからである。したがってミーゼスの三冊の本は経済学の論理的基礎をまるごと明確にするために捧げられている。それらは一九三三年にドイツで出版された『経済学の認識論的問題』“Epistemological Problems of Economics”と、一九五七年の『理論と歴史』と、一九六二年の『経済科学の根底』であり、最後の本は彼がすでに八十歳を過ぎてから発表された。そしてミーゼスの本領たる経済学の分野での研究には、彼がたえず認識論的問題の分析を重んじていたことが表れている。最も特徴的なのは、彼の傑作『ヒューマン・アクション』が最初の百と数ページでもっぱらそのような問題を扱っており、残りのほぼ八百ページも認識論的な考察で満ち満ちていることである。
ミーゼスの伝統にすっかり倣うと、経済学の基礎も本章の主題になる。私は二重の目標を定めた。第一に、ミーゼスが経済科学の究極的基礎に関して提案する解答、つまり純粋行為理論を、あるいは彼自ら名付けたとおりに言えば、プラクシオロジー、人間行為学を説明したい。第二に、ミーゼスの解答が単なる経済学と経済命題の本性に関する異論の余地なき洞察の域をはるかに超えているわけを論証したい。
彼の解答は認識論が究極的に依存するところの基礎を我々が理解できるようにするための洞察をも提供している。私が章題で仄めかしているとおり、まさしく認識論の基礎と見なされるべきものは人間行為学なのであり、ゆえに、ミーゼスは経済学者としての偉大な業績の他にも、理性主義哲学の企て全体の正当化に画期的な洞察をもって貢献していたのだということを示したい。
[1] 以降についてはまた私のKritik der kausalwissenschaftlichen Sozialforschung.
Untersuchungen zur Grundlegung von Soziologie und Ökonomie〔『因果科学的社会予言批判。社会学と経済学の基礎づけのための研究』〕;同“Is Research Based on Causal Scientific Principles Possible in the
Social Sciences?,” chapter 7〔『社会科学は因果科学的原理に基づくか』第7章〕;同“In Defense of
Extreme Rationalism”〔過激理性主義の擁護〕を見よ。
2.
ミーゼスの解答の話に移ろう。典型的な経済命題の論理的地位は何か? たとえば、限界効用の法則(いつであれ、ある人物によって等しくサービス可能であると見なされる財の供給が追加的な一単位によって増加するならば、以前にはこの財の単位によっては満たされなかった最も価値が低い目標よりなお価値が低いと見なされる目標を達成する手段としてこの追加的な単位が使用できるようになるにつれて、この単位に添付される価値は減少してゆくに違いない)や、貨幣数量説の法則(いつであれ、手元に現金準備で保有される貨幣需要が一定でありながら貨幣量が増加されるならば、貨幣の購買力は下落してゆく)の論理的地位は?
ミーゼスは答えを定式化する際に二重の挑戦に突き当たった。一方には現代経験主義に差し出された答えがあった。ルートヴィヒ・フォン・ミーゼスにとって馴染み深いウィーンの地は実に経験主義運動の初期中心地の一つであって、この運動は当時、後の数十年間にわたって西洋世界で優勢な学界哲学として定着しようとする間際にあり、経済学者の圧倒的多数派が自身の学問として想像するところのイメージが形成されたのはちょうどこの頃であった。[1]
経験主義は自然と自然科学をモデルにとる。経験主義によれば、前述の経済命題の例は自然の法則と同じ論理的地位を有する。それらは自然の法則のように、二つ以上の出来事間の仮説的関係を、本質的に「もしも~ならば…」という言明の形で述べる。そして経済学的命題は自然科学の仮説のように、経験に対して継続的テストを要する。経済的出来事の関係に関する命題は決して或る試行かぎりで確実に妥当化されることができない。それどころか、偶然的な将来の実験結果に永遠に服従するのである。そのような実験は仮説を確証するかもしれない。しかし、経済命題は関連する出来事の記述に普通名詞(哲学的な専門用語では、普遍)を使うだろうから不定数の事例や実例に適用されるだろうし、それによって将来の実験で反証される余地がつねに残ってしまうから、確証は仮説が真であることを証明しないだろう。確証が証明できることはすべて、仮説が間違っていることはいまだ判明していないということでしかない。逆に、経験は仮説を反証するかもしれない。反証は確かに、仮説が主張する何かは間違っていたと証明するだろう。しかし反証は、特定された出来事間の仮説的関係が決して観察されないと証明するわけではないだろう。それが示すことは単に、観察に際して今まで実際に確認され支配されていたものしか考慮されていなかったし支配されていなかったので、その関係はまだ現れていなかったのだということにすぎない。しかしながら、他の事情が支配されればすぐにそれが現れるかもしれないという可能性は決して除外することができない。
この哲学に刺激されて現代経済学者のほぼ全員と彼らのビジネスの行い方に特徴的になった態度は懐疑主義の一種であり、「経済現象の領域で不可能であると確実に知りえることは何もない」というモットーである。もっと正確に言えば、経験主義は――自然科学的現象との厳格なアナロジーによって――経済現象のことを客観的与件として空間上に延長しており量的測定の対象になると見なすから、経験主義的経済学者の奇妙な懐疑主義は何一つ保証しない社会工学者の態度として記述されていいだろう。[2]
もう一方の挑戦は歴史学派の側から来た。オーストリアとスイスでのミーゼスの生涯において、歴史主義哲学は実際ドイツ語圏の大学と体制で優勢なイデオロギーになっていた。この名声は経験主義の急騰で大幅に落ち込んでいる。しかし、歴史主義はここ十年にかけて西欧世界の学界で勢いを取り戻してきた。これは今日でも解釈学や修辞学や脱構築主義や認識論的無政府主義の名の下で、どこまでも我々に付きまとう。[3]
歴史主義とその現代版に最も顕著なことだが、そのモデルは自然科学ではなく文献テキストである。歴史主義的学説によれば、経済現象には測定可能な客観的大きさはない。それどころか、それらはちょうど読者の前に展開されて読者に解釈される文献テキストのように、経済学者に理解され解釈されるべく歴史の上に繰り広げられた主観的な表現と解釈なのである。それらの出来事の帰結は主観的世界でのように客観的法則に従わない。文献テキストにも、歴史的な表現と解釈の連続にも、恒常的関係に支配されるものはない。もちろん一定の文献テキストは実際に存在するし、歴史的出来事の一定の連続も存在する。しかしこれは何かが実際に起こった順序どおりに起こらなければならなかったことを決して含意しない。それは単に起きただけだ。しかしながら、つねに異なる文献的ストーリーを発明することができるのと同じ仕方で、歴史と歴史的出来事の帰結もまた完全に異なる仕方で起こってしまってもいい。そのうえ、歴史主義わけても現代の解釈学的変種で目に付くことだが、つねに人間の表現と解釈に偶然に関連するこれらの編成はどんな客観的法則にも制約されない。文章では何もかもをどうとでも表現なり解釈なりすることができるので、同じ考え方に沿えば、歴史的および経済的な出来事とは何にせよ誰かがしかじかと表現するか解釈するものに他ならないし、そしたら歴史学者と経済学者による記述とは何にせよ彼が過去の主観的出来事をしかじかと表現するか解釈するものに他ならない。
歴史主義哲学が生み出す態度は相対主義の一つである。そのモットーは「すべてが可能」である。歴史主義者・解釈学者にとっての歴史と経済学はどんな客観法則にも制約されないので、文芸批判の問題であるとともに美学の問題になる。したがって彼のアウトプットは、誰かが感じたことは他の誰かにも感じられたのだというように私は感じましたという長々しい論説の形をとる――遺憾にも、これこそ特に社会学と政治科学のような分野で見慣れてしまった文献の有り方である。[4]
私は経験主義者と歴史主義者の両者が何かこっぴどく間違っていることはみな直観的に感じられるはずだと確信している。彼らの認識論的な説明は彼ら自身のモデルにさえ一致しない、すなわち、かたや自然、かたや文献テキストにさえ馴染まないように思われる。いずれにせよ、彼らの説明は限界効用法則や貨幣数量説のような経済命題にふれてはまったくの間違いであるように思われる。限界効用の法則からはここそこでポコポコ現れる確証実験や反証実験の実証に永遠に服従する仮説的法則としての印象を受けようがないのは確実だ。そしてそれを量化可能な大きさとして語られる現象として考えることは馬鹿馬鹿しい以外の何ものでもない。また、歴史主義的解釈もそれよりマシなものには思えない。貨幣数量説によって言及される出来事間の関係が願うだけで抹消できしまうと考えることもまた不条理に思われる。そして、貨幣と貨幣需要と購買力のような概念がどんな客観的制約もなく形成され、単に気まぐれな主観世界に言及するのだという観念の不条理は言うまでもない。それどころか経験主義的学説とは対照的に、経済命題の例は論理的に真であり、しかも実際に主観的な出来事に言及しているように聞こえる。そして歴史主義とは対照的に、経済命題が述べている事柄は歴史上のいつどこにおいても抹消される可能性などありえないように思われるし、主観的出来事に言及しつつも客観的に制約された概念的区別を含んでいるだろうし、普遍的に妥当な知識を組み入れているだろう。
ミーゼスは彼自身以前のもっと良く知られた経済学者ほぼ全員と同じようにこれらの直観を共有している。[5]しかし経済学の基礎を探求するとき、ミーゼスは直観を超えた。彼はこれらの直観を正しく理解し正当化できるようになるための基礎を体系的に再構成すべく、経験主義と歴史主義の挑戦に取り組んだ。彼はそうすることで経済学に新たな学科を切り開こうとはしなかった。かつては直観的にしか把握されていなかったことを説明するにあたって、ミーゼスは、それまでされてきたことをはるか凌いでいったのだ。彼は経済学者の直観の理性的基礎を再構成するにあたって、我々に経済学の将来の発展のための適切な道を保証し、我々を体系的な知的誤りから保護してくれる。
ミーゼスが再構成の初めから注記するとおり、経験主義と歴史主義は自己矛盾的な学説である。[6]経験主義について言えば、すべての出来事が自然であれ経済であれ仮説的にしか関係しないという経験主義的概念はちょうどこの基礎的な経験主義的命題を伝えること自体によって矛盾してしまう。というのも、もしもこの命題がこれ自体単なる仮説的真理にすぎない、すなわち仮説的〔仮言的〕に真なる命題であると見なされるならば、それは認識論的な宣言としての資格さえ得ないだろう。そしたらそれは、経済命題は我々の直観がそうと知らせるとおりの範疇的〔定言的〕または先験的な真理ではないし、そうではありえないという主張の正当化を何一つ提出しないだろう。しかしながら、もしも基本的な経験主義的前提がそれ自体範疇的に真であると想定されるならば……言い換えれば、出来事が関係する仕方に関して何かしら先験的に真であると言うことができると想定するならば、これはすべての経験的知識が仮説的知識であるに違いないというテーゼ自体を裏切っているから、先験的に妥当な経験的知識を生産すると主張する経済学のような学問はその余地が残る。さらに――自然科学的現象とのアナロジーによって――経済現象が観察可能で測定可能な大きさと見なされなければならないという経験主義的テーゼはそれ自体のせいで結論的にならない。というのも、経済学的概念は観察に基づくと我々に告げるときに、経験主義が我々に有意味な経験的知識を提供したがっていることは明らかだからである。にもかかわらず、観察と測定それ自体の概念は観察し測定することを主張する際に経験主義者が使用せざるをえないものなのに、明らかに観察と測定は鶏と卵またはリンゴとナシが観察的経験から導出される概念であるという意味での経験からは導出されない。人は誰かが観察や測定することを観察できるわけではないのだ。むしろ、観察と経験が一定の観察可能な現象のことを観察と測定に服する現象として解釈できるようになるためには、まず先に理解をしなければならない。かくして、経験主義はそれ自体の学説とは対照的にも、観察よりむしろ――経済命題が理解に基づくよう求める我々の直観どおり――理解に基づく経験的知識があることを是非なく認めさせられるのである。[7]
かたや歴史主義について言えば、その自己矛盾は勝るとも劣らない。というのも、もしも歴史主義が主張するとおり、歴史的および経済的な出来事は――観察されるよりむしろ主観的に理解される出来事の連続と想定されて――どんな恒常的で時間不変的な関係にも支配されないならば、ちょうどこの命題もまた何か歴史学と経済学に関する恒常的な真理を語っていると主張することができないからだ。これはそうではなく、いうなれば、はかない真理値をもった命題であろう。願えば今は真かもしれず。でも願わなければ、ひょっとしたら、ちょっと後には偽になっているかもしれず。願うか願わないかについては誰も何も知らない……。けれども、もしもこれが基本的な歴史主義的前提であるならば、これもまた認識論としての資格がないだろうことはやはり明らかである。歴史主義はなぜ我々がこれを信じるべきなのかについてどんな理由も寄こさずにやってきた。しかしながら、もしも歴史主義の基本命題が不変に真であると想定されるならば、歴史的および経済的な現象のそのように恒常的な本性に関する命題は、そのようなものを否定する学説それ自体に矛盾するだろう。さらに、歴史的および経済的な出来事はどんな客観的要素にも制約されない主観的な創作にすぎないという歴史主義者の主張は――そしてその現代の後継者たる解釈学者の主張はなおさら――ちょうどそう言う言明そのものによって偽であることが証明される。というのも明らかに、歴史主義者は理由もなくまさにこの言明が有意味であり真であると見なさなければならいし、この言明がほにゃらかほげほげといったただの完全に無意味な音ではなく、厚かましくも何事かに関して特定の何事かを言わなければならないのに、そしたら明らかに彼の言明は恣意的で主観的な創造の領域外部にある何かによって制約されていると想定されなければならないからである。もちろん、歴史的および経済的な表現と解釈が単なる主観的な創作と見なされてもいいというかぎりでは、歴史主義者が英語かドイツ語か中国語か他の言語で言っていることを私も言うことはできる。しかし私が選んだ言語で言うことは何であれ、私の言明に存ずる何らかの命題的な意味によって制約されていると想定されなければならず、この意味はあらゆる言語にとって同じであり、それが表現される特殊な言語形態が何であれ、それとは完全に独立して存在するのである。そして歴史主義的信念とは対照的にも、そのような制約の存在は思うがままに片付けられるようなものではない。むしろ、単なる無意味な音を生産することとは逆に、我々がちょっとでも何かを有意味に言うためには論理的に必然的な先行前提であると理解することができるようなものは、客観的なのである。もしもちょうど有意味な言明の先行前提であるものとしての論理の法則により実際に彼の表現と解釈が制約されているということが事実ではないならば、歴史主義者は自分が何かを言っていると主張することすらできまい。[8]
経験主義と歴史主義に対するこのような論駁でもって、ミーゼスは理性主義哲学の主張が上出来に再確立されることと、経済学の諸命題は先験的に真である可能性がそう直観されるとおりに擁護されることを見て取るのである。実際、ミーゼスは彼自身の認識論的探求を明示的に西洋理性主義哲学の仕事への貢献であると見なしている。彼はライプニッツとカントに連なって、ロックとヒュームの伝統の反対側に立つのだ。[9]ロックの有名な格言「あらかじめ感覚の中にないものは知性の中にはない」に反してライプニッツが同等に有名な格言「ただし知性自体を除いて」と言い返すとき、ミーゼスはライプニッツの側に付く。そして、彼は己の仕事を純粋理性つまり認識論の哲学者としてのカントの仕事と厳密に類比し、経済の哲学者として認識する。カントのように、ミーゼスは真なる総合的先験的な命題の存在を論証しようと欲する。すなわち、その真理値は明確に確立されることができるけれどもそうするためには形式論理の手段では不十分でありかつ観察は不必要であるという、カントと同じ命題を論証しようと欲するのである。
経験主義と歴史主義に対する私の批判は一般的な理性主義の主張を証明してきた。我々は観察からは導出されないけれども客観的法則に制約される知識を確かにもつということが証明されてきた。事実、経験主義と歴史主義への我々の論駁はそのような先験総合的な知識を含んでいる。けれども――限界効用の法則と貨幣数量説のような――経済学の命題がこのタイプの知識たる資格を得ると示す構成的な仕事はどうなっているのか? ミーゼスは、そうするためには、理性主義哲学者が伝統的に定式化してきた制約に応じて、経済命題が二つの要件を満たさなければならないことに気づく。第一に、それらは観察的な証拠からは導出されないことが論証可能であるに違いない。なぜならば観察的証拠はそれらがそのように起こったことしか明らかにせず、それらの中には物事がそのような在り方でなければならないと示すものがないからである。そうではなく、経済命題は知る主体としての我々自身に関する理解、つまり反省的認知に基づくことが示されなければならない。そして第二に、この反省的理解は自明の実質的な公理としての一定の命題を生産するに違いない。そのような公理が心理的な意味で自明であるということではなく、すなわち、人がそれらに即座に気づかなければならないとか、真理が心理的な確信の感覚に依存するとかいう意味ではない。対照的にも、ミーゼスは先人のカントのように、そのような公理を発見することは木の葉が緑であるとか私の背丈は一八八センチであるとかのような観察的真理を発見することよりはるかに骨が折れるという事実を大いに強調する。[10]むしろ、それらを自明の実質的な公理にするものは、みなそれらを否定しようと試みる際すでにそれらの妥当性を先行前提しているから、それらの妥当性を自己矛盾なく否定することはできないという事実である。
ミーゼスはどちらの要件も彼が行為の公理と称するもの、すなわち、人間が行為することと、彼らが意図的な行動を発揮することで満たされると指摘する。[11]明らかにこの公理は観察からは導出されず――観察されるものは身体的運動でしかなく、行為のようなものではない――、その代わりに反省的理解から生じる。そして実際この理解は自明な命題についての理解である。なぜならば、否定自体が行為に範疇化されるので、この真理は否定できないからである。しかしこれはまったくのトリビアルにすぎないのではないのか? そして経済学と何の関係があるのか? もちろん、価格と費用と貨幣と信用のような経済学的概念は行為する人々がいるという事実と関わることは以前から認識されていた。しかし経済学のすべてをそのようなトリビアルな命題に基礎付けて再構成することができることと、どうすればそうできるかは、確かにまったく明らかではない。まさにこれを示しおおせたことがミーゼスの最も偉大な業績の一つなのである。すなわち、それ自体は心理的に自明ではないが心理的に語られるこのトリビアルな行為の公理によって含意される洞察があり、これらの洞察こそは真なる先験総合的な命題としての経済学の定理に基礎を提供する、と。
なるほど、あらゆる行為で行為者が目標を追求することも、目標が何であれ、それが行為者に追及されたという事実は彼が行為開始時に考えられた他の行為目標より相対的に高い価値を当の目標に置いたに違いないことも、心理的に明白ではない。行為者が自分の最も高く価値付けられた目標を達成するために後の成果を生産すべく時間内のもっと早い時点で介入――もちろん、意図的介入――するか介入しないと決めるかしなければならないことも明白ではないし、そのような介入が何らかの稀少手段――少なくとも行為者の身体と、その立つ余地と、行為にかかる時間――の利用を不変に含意することも明白ではない。それからまた、行為者は目標を効率的に達成するためこれらの手段を必要と見なすに違いないから、これらの手段は行為者にとって価値――目標の価値から導出される価値――があるに違いないことも、この行為は順次に遂行されることしかできず、つねに選択を含んでいること、すなわち、所与の時間において行為者にとって最も高く価値付けられた成果を約束する一つの行為の方向を取り立てながら、同時に他の低く価値付けられた目標の追求を排除しているということも自明ではない。――あらゆる目標を同時に実現することができず――他でもなく或る目標を選択して選好して取り扱ったことの帰結として、それぞれのすべての行為には費用が発生すること、すなわち或る目標を達成するために必要な手段が他の一層高く価値付けられた生産のために束縛されているせいで、実現できないかその実現が延期されなければならないような代替的な目標のなかで、最も高く順位付けられたものを断念していることも、自動的に明らかにはならない。そして最後に、あらゆる行為の目標はその開始時点では行為者にとってその費用より価値があり、断念された価値よりもっと高く順位付けられた価値をもつ成果を、つまり利益を生むことができると見なされているに違いないということも、しかし過去を顧みれば期待とは裏腹に、実際に達成された成果が実は放棄された代替より低い価値しかないことに気づくことで、あらゆる行為がまた損失の可能性によってつねに脅かされていることも明白ではない。
我々が経済学の核心として知っているこれらの諸範疇――価値、目的、手段、選択、選好、費用、利潤と損失――はすべて行為の公理に含意されている。それらは行為自体と同じように、観察から導出されはしない。むしろ人がそのような範疇のタームで観察を解釈できるためには、行為することの意味するところを人がすでに知っていることが要求される。それらは「所与」ではないし、観察される用意もないのに、観察的経験は行為者に構成されたとおりのこれらのタームにはめ込まれるので、行為者ではない人はみな決してこれらを理解できない。そしてこれら範疇とこれらの相互関係は行為公理に明白に含意されてはいないけれども、それらが含意されていることといかに含意されているかがいったん明示されれば、もはやそれらが公理自体と同じ意味で先験的に真であると認識することは難しくない。というのも、ミーゼスがちょうど行為の概念そのものに含意されるものとして再構成してきたものの妥当性を反証しようと試みることは、目標を目指しつつ、手段を要し、他の行為の方向を排除しながら、費用を発生させて、望ましい目標を達成するかしない可能性に服し、それで利潤か損失に導くことにならざるをえまい。かくしてミーゼスの洞察の妥当性を論争したり反証したりすることはまったくもって明々白々に不可能である。事実、行為の範疇が現実的存在をもつことをやめる状況はそれ自体決して観察されることも話されることもできない。なぜならば観察をすることも話すこともそれ自体行為であるからだ。
すべての真なる経済命題は、これこそ人間行為学に関するすべてであり、ミーゼスの偉大な洞察を成り立たせるものなのだが、どれも行為の意味とその範疇に関するこの異論の余地なき真なる実質的な知識から形式論理の手段で演繹されることができるのである。もっと正確に言えば、すべての真なる経済定理は、(a)行為の意味の理解、および(b)所与として仮定されるか所与として同定される――そして行為範疇の用語で記述された――状況や状況的変化、および(c)この状況や状況的変化から行為者に対して結果する――またもやそのような範疇の用語で記述された――帰結の論理的演繹、以上から成り立つ。たとえば限界効用の法則
は、行為者は自分をあまり満足させないものよりもっと満足させるものの方をつねに選好しているという異論の余地なき事実の知識に、彼は追加的一単位で等しくサービス可能と見なす単位の財(稀少手段)の供給増加に直面しているという仮定を加えることで続いて出てくる。ここから、この追加的単位はそのような財の単位で以前には満たされていた最も低い価値よりなお喫緊性が低いとおぼしき不安を除去する手段としてしか使用されえないことが論理的必然性をもって続いて出てくる。演繹の過程に欠陥がなければ、経済学的理論化が生み出す結論は他の経済命題の場合も限界効用の法則の場合となんら違わず、先験的に妥当であるに違いない。これらの命題の妥当性は究極的には論争の余地なき行為の公理に遡ってゆく。経験主義がするように、これらの命題が確証のために継続的な経験的テストを要求すると考えることは不条理であり、純然たる知的混乱の証である。そして歴史主義がするように、経済学は恒常的な不変の関係について言うべきことなどないし、歴史的に偶然的な出来事を扱うにすぎないと信じることは、負けず劣らず不条理であり混乱している。意味ありげにそう言うことは、いやしくも何かを有意味に言うことがすでに行為することと行為の諸範疇の意味の知識を先行前提するので、そのような言明が間違いであると証明してしまっているのである
[1] ウィーン学団について、Viktor Kraft, Der Wiener Kreis (Vienna: Springer, 1968)〔フィクター・クラフト『ウィーン学団』〕を見よ。経験主義的かつ実証主義的な経済学解釈について、Terence W. Hutchison, The Significance and Basic Postulates of Economic Theory〔テレンス・W・ハチスン『経済理論の重大さと基本公準』〕〔原注:以来、経験主義のポパー派的変種の熱烈な信奉者たるハチスンはポパー化された経済学の見込みにかなり熱意を失ってきている――たとえば彼のKnowledge and Ignorance in Economics〔『経済学における知識と無知』〕を見よ――けれども、とにかくポパーの反証主義に縋り付いているせいでいまだに代替案が見えていない。〕および、ミルトン・フリードマン『実証的経済学の方法と展開』とMark Blaug, The Methodology of Economics〔マーク・ブローグ『経済学の方法論』〕のような代表的作品を見よ。;ウィーンでのミーゼスの私的ゼミナールの参加者による実証主義的説明はF. Kaufmann, Methodology of the Social Sciences〔フェリックス・カウフマン『社会科学の方法論』〕である。経済学での実証主義の優勢は、経済学を明示的に経験(後験)科学に分類しない教科書がおそらくたった一冊もない――他に何だっていうんだ? という具合である――事実に裏付けられる。
[2] 経験主義と実証主義の相対主義的な結果について、Hoppe, A Theory of Socialism and Capitalism(Boston: Kluwer Academic Publishers, 1989)chapter 6〔ホップ『社会主義と資本主義の理論』〕と、idem, “The Intellectual Cover for Socialism”〔『社会主義の知的な庇い手』〕も見よ。
[3] Ludwig von Mises, The Historical Setting of the Austrian School of Economics(Auburn, Ala.:Ludwig von Mises Institute, 1984)〔ルートヴィヒ・フォン・ミーゼス『経済学オーストリア学派の歴史的境遇』〕と、同 Erinnerungen (Stuttgart: Gustav Fischer, 1978)〔『追想録』〕と、同『理論と歴史』第十章と、Murray N. Rothbard, Ludwig von Mises: Scholar, Creator, Hero (Auburn, Ala.: Ludwig von Mises Institute, 1988)〔マレー・N・ロスバード『学者、創造者、英雄』〕を見よ。歴史主義的観念の批判的研究のために、カール・ポパー『歴史主義の貧困』も見よ。歴史主義の経済学解釈のもっと古い版の代表として、Werner Sombart, Die drei Nationalökonomien (Munich: Duncker & Humblot, 1930)〔ヴェルナー・ゾンバルト『三つの国民経済』〕を見よ;現代の解釈学的な小細工として、Donald McCloskey, The Rhetoric of Economics (Madison: University of Wisconsin Press, 1985)〔ドナルド・マクロスキー『経済学のレトリック』〕と、Ludwig Lachmann, "From Mises to Shackle: An Essay on Austrian Economics and the Kaleidic Society,” Journal of Economic Literature (1976)〔ルートヴィヒ・ラハマン「ミーゼスからシャックルまで:オーストリア派経済学と万華鏡的社会についてのエッセー」『経済文献ジャーナル』〕を見よ。
[4] 歴史主義・解釈学の過激相対主義について、Hoppe, “In Defense of Extreme Rationalism”〔ホップ『過激理性主義の擁護』〕と、Murray N. Rothbard, “The Hermeneutical Invasion of Philosophy and Economics,” Review of Austrian Economics (1988)〔マレー・N・ロスバード「哲学と経済学に対する解釈学の侵入」『オーストリア派経済学レビュー』(1988)〕と、Henry Veatch, “Deconstruction in Philosophy: Has Rorty Made it the Denouement of Contemporary Analytical Philosophy,” Review of Metaphysics (1985)〔ヘンリー・ヴィーチ「哲学における脱構築:ローティは当代分析哲学の結末づけたか」『形而上学レビュー』〕と、Jonathan Barnes, “A Kind of Integrity,” Austrian Economics Newsletter (Summer 1987)〔ジョナサン・バーンズ「統合の種類」『オーストリア派経済学ニュースレター』〕; David Gordon, Hermeneutics vs. Austrian Economics (Auburn, Ala.: Ludwig von Mises Institute, Occasional Paper Series, 1987)〔デイヴィッド・ゴードン『解釈学対オーストリア派経済学』〕を見よ。当代社会学に対する輝かしい批判として、St. Andreski, Social Science as Sorcery (New York: St. Martin’s Press, 1973)〔聖アンドレスキー『黒魔術としての社会科学』〕を見よ。
[5] ジャン=バティスト・セーとナソー・シニアとジョン・エリオット・ケアンズとジョン・スチュアート・ミルとカール・メンガーとフリードリヒ・フォン・ヴィーザーのような先駆者の認識論的見解に関して、Ludwig von Mises, Epistemological Problems of Economics, pp. 17-23〔ルートヴィヒ・フォン・ミーゼス『経済学の認識論的問題』17-23ページ〕と、またMurray N. Rothbard, “Praxeology: The Methodology of Austrian Economics,” in Edwin Dolan, ed., The Foundations of Modern Austrian Economics (Kansas City: Sheed and Ward, 1976)〔マレー・N・ロスバード「人間行為学:オーストリア派経済学の方法論」エドウィン・ドラン(編)『現代オーストリア派経済学の基礎』〕を見よ。
[6] 本章の初めに引用されたミーゼスの作品と脚注40で言及された文献に加えて、Murray N. Rothbard, Individualism and the Philosophy of the Social Sciences (San Francisco: Cato Institute, 1979)〔マレー・N・ロスバード『個人主義、および社会科学の哲学』〕を見よ。経験主義的経済学に対する素晴らしい哲学的批判のために、Hollis and Nell, Rational Economic Man〔ホリスとネル『合理的経済人』〕を見よ。経済学には言及しないものの――反経験主義と反相対主義にして特に価値がある一般的な理性主義の擁護として、Blanshard, Reason and Analysis〔ブランシャード『理性と分析』〕; Kambartel, Erfahrung und Struktur〔カンバーテル『経験と構造』〕を見よ。
[7] 認識論的二元論のために、またApel, Transformation der Philosophie, 2 vols〔アーペル『哲学の変貌』二巻〕とHabermas, Zur Logik der Sozialwissenschaften〔ハーバーマス『社会科学の論理に向けて』〕も見よ。
[8] これについて、特にHoppe, “In Defense of Extreme Rationalism”〔ホップ『過激理性主義の擁護』〕を見よ。
[9] Mises, The Ultimate Foundation of Economic Science, p. 12〔ミーゼス『経済科学の根底』〕を見よ。
[10] カント『純粋理性批判』p. 45と、Mises, Human Action, p. 38〔ミーゼス『ヒューマン・アクション』〕を見よ。
[11] 以降について、特にミーゼス『ヒューマン・アクション』第四章とマレー・N・ロスバード『人間、経済及び国家』第一章を見よ。
[12] 限界効用の法則について、ミーゼス『ヒューマン・アクション』Mises, Human Action, pp. 119-27とロスバード『人間、経済及び国家』Rothbard, Man, Economy, and State, pp. 268-71を見よ。
3.
経済学の基礎の探求に関するミーゼスの答えとしては、ここではこれで十分だろう。私はいまや二つ目の目標に向かいたい。なぜ、そしていかに、人間行為学がまた認識論の基礎をも差し出すかについての説明である。ミーゼスはこの課題に気づいており、この洞察が理性主義哲学にとって大きな重要性をもっていることを確信していた。しかしミーゼスはこの問題を体系的な仕方では扱わなかった。彼の大量の著作の本文中に散りばめられた、この問題に関するわずかな短い論評しかないのである。[1]したがって、私は以下で新分野に踏み出さなければならない。
二つ目の先験的公理を導入し、行為公理との関係を明らかにすることで説明を始めたい。そのような理解が我々の問題を解くための鍵である。二つ目の公理は論議の先験性と呼ばれ、それは人間には論議能力があり、ゆえに人間は真理と妥当性の意味を知っていると主張する。[2]行為公理の場合のように、この知識は観察から導出されるものではない。というのも、観察されるのはただ言語的な(非目的的)行動だけであり、そのような行動を有意味な議論として解釈するためには解釈に先立つ反省的な認知が必要である。そして公理の妥当性は行為公理のように議論の余地がない。まさしく否定そのものが議論であるから、人が議論できることを人が否定することは不可能である。実際、「私は議論しない」と沈黙して自分自身に言うことすら、自己矛盾せずにはできないのだ。人は議論することができないと人が議論することはできない。また、この真なる命題の否定を主張せずには、主張に真や妥当を意味させるものを知っているとは議論できない。
行為と論議の先験的公理の両者が密接に関係していることを見て取るのは難しくない。一方では、その存在をもって妥当性の観念を出現せしめるところの論議とは行為の部分集合でしかないので、行為は論議より根本的である。他方では、行為と論議およびその相互関係について今しがた認識されたことを認識するためには論議を必要としており、この意味では論議は行為より根本的であると見なされなければならない。論議なしでは行為について知られることは何も言われることができないだろう。しかしそしたら、論議が可能であるために先行前提される行為とは論議の過程で明示的に妥当性の主張を討論できるような行為であるという洞察は、論議に先んじては知らなくてもいいけれども論議に際して明らかにされるのだから、もしも論議する個人が、行為することの意味をすでに知っており、しかも行為に含意される知識をもつことの意味をすでに知っているならば、一般の行為と特殊の論議に関する意味の二つは論理的必然性をもって織り合わされた先験的な知識の房として考えられるに違いない。
行為の先験性と論議の先験性の相互関係に関するこの洞察が示すことは次のとおりである。認識論の任務は伝統的には、先験的に真であると知られること、ひいては先験的知識の主題でないと先験的に知られることを定式化することであると考えられてきた。ちょうど我々がしてきているとおり、知識の主張が論議の過程で提起され決定されることと、これが否定不可能であることを認識することで、人はいまや認識論の仕事をもっと正確に、「人が議論するという事実そのものにすでに含意されている、論議的には異論の余地がなく、ゆえに論議的には否定できない命題を定式化することである」と再構成できるのである。そして、そのような仕方では妥当性を確立できない命題の領域からそのような先験的知識の領域の輪郭を描くことは、その妥当性のために追加的で偶然的な情報を必要とするし、またまったく妥当性を確認できないことであり、それは形而上学的という用語の侮辱的意味で単なる形而上学的な言明にすぎない。
しかし、ちょうどこの議論するという事実には何が含意されているのだろうか? 論議の先験性と行為の先験性の間の切っても切れない相互関係に関する洞察がその答えを提供するというのがこの問いに対する答えだ。まさしく一般的な水準では、論議が行為を先行前提することも、知識が行為に埋め込まれていることも、論議的に否定できないことである。そしたらもっと特殊な水準では、知識自体が行為の範疇であることも、知識の構造は知識が行為範疇の枠組みで果たす特定の機能に制約されているに違いないことも否定できないし、そのような構造的制約の存在はとにかくどんな知識によっても決して反証を挙げられない。
人間行為学に含まれる洞察が認識論の基礎を提供するものとして見なされなければならないというのはこの意味においてである。知識は私が先に説明した目的や手段とははっきりと異なる範疇である。我々が行為で達成しようと努める目的も、我々がそうするために利用する手段も、どちらも稀少価値である。目的に置かれた価値は消費に従属しており、消費の際に根絶されて破壊されるから、永遠に新しく生産されなければならない。そして使われる手段も節約されなければならない。しかし――知識自体を手段や目的と見なすか否かにかかわらず――知識に関してはそうではない。もちろん知識の獲得には少なくとも身体と時間の稀少手段を必要とする。しかし知識は一度獲得されればもはや稀少ではない。消費されることも、手段として消耗に服するサービスとなることもありえない。いったん知識があることになれば、それは無尽蔵の資源となり、忘れられないかぎりは不朽の価値を組み入れるのである。けれども、知識は正常な環境での空気と同じ意味では自由財ではない。[3]そうではなく、それは行為の範疇なのである。空気とはぜんぜん異なり、知識はそれぞれの行為すべての心的要素であるだけではなく、もっと重要なこととして、知識は妥当化の対象になり、いわば、行為の範疇的枠組みの不変の制約内で、行為者にとって積極的な役割を果たすということを証明しなければならない。これらの制約が何であるかを明らかにし、かくして人がそのような知識構造について何を知りうるかを明らかにすることが認識論の仕事である。
そのような知識構造の人間行為学的制約の認識はそれ自体では非常に重大なものだという印象を与えないかもしれないけれども、非常に重要な含意をもっている。一つには、この洞察に照らすことで、理性主義〔合理論〕的哲学が幾度となく答えあぐねていた難問に答えが見つかるのである。それがある種の観念論を含意しているように見えることは、ライプニッツ・カントの伝統における理性主義者とのいつもの口論の種であった。理性主義は先験的に真なる命題が観察からは到底導出されえないことに気づいて、どうしたら先験的知識が可能であるかという疑問に対し、ロックとヒュームの伝統での受動的で鏡のような心の経験主義的モデルとは対照的に、能動的な心のモデルを採用することで答えてきた。理性主義哲学によれば、先験的に真なる命題はその基礎を思考の原理の操作にもっている。それらの原理は能動的で行為的な心の範疇に基づいており、さもなくば操作を行うことなど考えもつかないような原理である、と。さて、そのような立場に対する明らかな批判は、経験主義者が指摘してやろうと熱狂しているとおり、もしもこれが実際に実情であれば、そのような心的範疇が現実に一致するわけを説明することができないというものである。むしろ、先験的知識が現実の構造に関する知識を組み入れられると主張するためには、現実は心の創造物であると想像しなければならないという不条理な観念論的仮定を受け入れさせられるだろう、と。そしてそのとおり、カントに続いて「われわれのいっさいの認識は〔現実〕に依準せねばならぬと、これまでは想定されていた」が、「〔観察的現実〕がわれわれの認識に依準せねばならぬ」と想定しようという理性主義哲学者のプログラム言明に直面するとき、そのような断言はあたかも正当化されているかのように見えたのだった。[4]
知識を行為範疇の枠組みでの役割によって構造的に制約されたものと認識することは、そのような苦情に解答を与える。というのもこれに気づくや否や、あらゆる観念論的な理性主義哲学の提案が消滅し、その代わりに先験的に真なる命題が存在すると主張する認識論が現実主義的〔実在論的〕な認識論になるからだ。行為範疇に制約されたものと理解されれば、現実の外的で物理的な世界と心的な世界の間の見かけ上架橋できない溝が架橋されるのである。いうなれば心は行為によってしか現実と接触しないのだから、そのように制約されれば、先験的な知識は心的なものであるのと同じだけ現実の構造の反映でもあるに違いない。行為するとは物理的現実において認知的に導かれた物理的身体の調整なのだ。かくして、行為者の知識として知識に課される構造的制約についての洞察として考えられた先験的知識が実際に事物の本性に対応することに疑いなどありえない。そのような知識の現実主義的な性格は、人には別様に思考することができないという事実だけではなく、その真理を抹消することができないという事実にも現れるだろう。
けれども――伝統的な理性主義者の能動的な心のモデルを物理的身体の手段で行為する行為者の心のモデルに取り換えることで先験的知識がただちに現実的知識にもなる(実際、文字通りに抹消不可能と理解されうるほど実際現実的である)という一般的な含意を別にしても――人間行為学的な認識論の基礎を認識することにはもっと特定的な含意がある。もっと特定的には、この洞察に照らせば、――経験主義的時代精神に抵抗して――現実世界についての真なる先験命題が可能であるという多様な哲学的前線を不屈の精神で維持する嘆かわしいほど数少なくなった理性主義哲学者に決定的な支持が与えられるのである。[5]そればかりか、人間行為学的知識制約の認識に照らせば、多様な理性主義者の努力と業績が体系的に統合されたものになり、理性主義哲学の本体に統一されてゆくのである。
知識が論議に現れると同じく行為に特有の範疇であることを明示的に理解することで、次のような、絶え間なく永続する理性主義的主張が実際に正しい理由がただちに明らかになる。論理の法則――ここでは最も根本的なもの、すなわち命題論理と結合子(「~かつ…」、「~または…」、「もしも~ならば…」、「~ではない」)と量化子(「~がある」、「すべての~」、「いくつかの~」)で始める論理――は現実に関する先験的な真なる命題であり、経験主義者と形式主義者が考えるような恣意的に選ばれた記号の変形規則に関する単なる言語的な規約ではない。これらは現実の法則であると同じく大いに思考の法則でもある。なぜならば、それらは究極的な基礎を行為に置く、どの行為者にも抹消不可能な法則だからである。行為者がすべての行為それぞれに際して選択をすることができるおかげで、彼は何らかの特定の状況を同定し、他でもなく或る方法でそれを範疇化する。固有名前や何かを名指しなり同定なりする表現と名指しなり同定なりされた何らかの特定の属性を断定するか否定する述語から成立する、(「ソクラテスは人である」のような)最も初等的な命題の構造を究極的に説明し、そして論理の要石たる同一性と矛盾の法則を説明するのはこれである。そして、「~がある」と「すべての~」および含意より「いくつかの~」、同様に「~かつ…」と「~または…」と「もしも~ならば…」と「~ではない」の範疇の理解を説明するのもまた行為と選択のこの普遍的な特徴である。[6]もちろん人は、何かが「a」かつ「非a」でありうるとか、「かつ」は他の何かではなくこれを意味するとか言うことはできる。しかし人は矛盾の法則を抹消することができないし、「かつ」の現実の定義を抹消することができない。我々は単純に物理的な身体でもって空間的な場所において行為することにより、矛盾の法則を恒常的に肯定し、「かつ」と「または」の意味についての我々の真なる構成的な知識を恒常的に表示しているのである。
同様に、理性主義者がつねに理解していたとおり、算術が先験的ながら経験的な学問であることの究極的理由もまた認識可能になる。流行の経験主義的・形式主義的な正統派の信仰では、算術のことを、恣意的に規定された変形規則に従って恣意的に定義された記号の処理として思い浮かべ、ゆえにどんな経験的な意味も完全に欠けていると考える。算術をいかに技巧的であれ遊び以外の何物でもないとするこの見解にとっては、物理学での算術の上出来な適用可能性は知的な困惑である。なるほど、経験主義者・形式主義者はこの事実を単なる奇跡的な出来事であると釈明せざるをえまい。しかしながらこれが奇跡ではないことは、算術の人間行為学的あるいは――最も高名なる理性主義的哲学者・数学者のパウル・ロレンツェンと彼の学派の用語法をここで用いれば――操作的または構成主義的な性格がいったん理解されたら明らかになる。先験総合的な知的学問としての算術とその性格は、繰り返しの理解、行為の繰り返しに関する我々の理解に根を張っている。もっと正確に言えば、「これをせよ、そして現在の結果から始めて再びこれをせよ」の意味の理解に基づいている。そのとき算術とは、構成されたか構成的に同定された何らかの単位でもって、現実の物を扱うことなのである。それは、繰り返しの規則に従えばそれらが構成されたという事実ゆえに、そのような単位の間にどんな関係が保たれるべきかを論証するのだ。パウル・ロレンツェンが詳細に論証してきたとおり、現在数学気取りのお遊戯すべてに構成的な根拠がありうるわけではない――ないのであれば、それらは何なのかと言えば、もちろん次のように認識されなければならない――認識論的に無価値なシンボル遊びだ。しかし物理学で実際に利用される算術的道具のすべて、すなわち古典的分析の道具は構成的に導出されることができる。それらは経験的に空虚なシンボリズムではなく、現実についての真なる命題である。それらは一つ以上の確定的な単位から構成され、これらの単位が「再びそれをせよ、以前の演算を繰り返すことでもう一つの単位を構成するか同定せよ」の手続きによる単位として構成されるか同定されるかぎり、すべてのものに適用される。[7]またもや、もちろん人は2に2を足したら時には4だが時には2や5単位なのだとか、観察的現実ではライオンに羊を足したら兎なのだとか言うことはできるし、これは真でありさえするかもしれないが、[8] 行為の現実では、繰り返し演算でこれらの単位を同定または構成すれば2たす2が4以外ではありえないという真実は決して抹消することができない。
さらに、幾何学、つまりユークリッド幾何学は空間に関して、先験的ながら経験的知識を組み込んでいるという古い理性主義的主張も、人間行為学的知識制約の洞察に照らせばまたや支持される。非ユークリッド幾何学わけてもアインシュタインの重力の相対性理論の発見以来、幾何学に関する流行の立場はまたしても経験主義的・形式主義的である。それは幾何学のことを、経験的で後験的な物理学の部分であるか、もしくは経験的に無意味な形式主義であると想像する。けれども、幾何学が単なるお遊びであるとか経験的テストの永遠の支配下にあるとか言うことは、ユークリッド幾何学が工学と建築の基礎であり、そこの誰も決してそのような命題を単なる仮説的な真理にすぎないとは考えないという事実とは相容れないように思われる。[9]知識を人間行為学的に制約されたものと認識することは、経験主義的・形式主義的な見解が正しくないわけと、ユークリッド幾何学の経験的成功が単なる偶然ではないわけを説明する。空間的知識が含まれているのも行為である。行為で物理的身体が使われるのは空間においてである。行為せずには空間的関係の知識もその測定もありえまい。測定とは何かを基準に相対させることである。基準がなくば測定はなく、測定がないならば、基準を反証できるような測定はないのである。すると、究極的な基準を賄うものは空間での身体的運動の構成に存ずる規範であるに違いないし、これに体化された空間的構成の原理どおりに人の身体で測定器具を構成する際に存する規範であるに違いないことは明らかだ。ユークリッド幾何学とは、またもパウル・ロレンツェンが特に説明してきたとおり、我々の点と線と面と距離のような同質(均等)で基本的な形態の構成に存する理想的規範の再構成以上でも以下でもなく、これらの形態は多かれ少なかれ完全であるが、物差しのように最も原始的な空間測定の器具にさえつねに組み込まれたり気づかれたりして完成可能な方向にある。自然なことだが、これら規範と規範的含意はどんな経験的測定の結果でも反証不可能である。逆に、これらの認知的妥当性は空間で物理的測定を可能にするのがこれらであるという事実によって立証されるのである。どんな実際の測定も人の測定基準の構成へ導く規範の妥当性をすでに先行前提しているに違いない。幾何学が先験科学であり、同時に経験的に有意味な学問であると見なされなければならないというのはこの意味なのである。なぜならば、それはどんな経験的で空間的な記述にとってもまさにその前提条件であるのみならず、また空間での行為的で能動的な順応にとっても先行条件であるからだ。[10]
知識の人間行為学的性格の認識を鑑みれば、論理と算術と幾何学に関するこれらの洞察は認識論的二元論のシステムに統合され組み込まれるようになる。[11]この二元論的な立場が主張することは範疇的に別個の扱いと分析の方法を要求する二つの知的探求の領域があると先験的に理解することができるというものであり、この究極的な正当化もまた知識の人間行為学的本性に存ずる。それは我々が因果律に範疇化される対象の領域とそうではなく目的論的に範疇化される領域を識別すべきわけを説明する。
因果律、事物の原因性が行為の範疇であることは、人間行為学の議論ですでに手短に指摘してある。関係に関する過去の観察を将来の出来事に投影する、恒常的・時間不変的に作用する原因があるという原因性の観念には(ヒューム以降の経験主義が気づいていたとおり)とにかく観察的な基礎がない。人は観察間の連結を観察することはできないのである。たとえできても、そのような観察はそれが時間不変的連結であるとは証明しまい。そうではなく、原因性原理、つまり因果律とは、我々の行為を観察的世界への介入として、自然な状態とは異なり介入しなければ生じなかった好ましい状態を生産するために「自然」な出来事の向きを転換する意図で行われるとする理解に含意されているものと理解されなければならず、かくして時間不変的に作用する原因を通して互いに関係する出来事という概念を先行前提するのである。行為者は先のどの介入が後のどの結果を生産したかについての特殊な仮定に関して誤りを犯すかもしれない。しかしどんな行為も成功にせよ失敗にせよ、たとえ特殊な出来事を生む特殊な原因が行為者に既知ではありえないとしても、恒常的に連結した出来事があることそれ自体は先行前提されている。そのような仮定がなければ、二つ以上の観察的経験を論理的に共約不可能な出来事と解釈するよりむしろ互いに反証なり確証なりするものと範疇化することは不可能であろう。時間不変的に作用する原因の存在それ自体がすでに想定されている場合にしか、観察的証拠を確証なり反証なりする特殊な事例に出会うことはないし、また、自分の行為を以前の知識の確証と成功に分類するか反証と失敗に分類することで過去の経験から何かを学ぶことができる行為者が存在できるのである。先験的な因果律の妥当性が確立されるのは行為して成功と失敗を区別するがゆえであり、たとえその妥当性を反証しようと試みても成功するはずがない。[12]
因果律を行為の必然的先行前提と理解することで、その適用可能性の範囲の輪郭は目的論の範疇の範囲から先験的に線引きされなければならないことがただちに含意されている。実際、目的論と因果律の両範疇は厳格に排他的なのである。行為は因果的に構造化された観察的な現実を先行前提するが、そのような構造を要することが我々に理解できるような行為の現実性は、それ自体は因果的に構造化されていない。そうではなく、目的に指揮された有意味な行動として目的論的に範疇化されなければならないのが現実なのである。事実、人は二つの範疇的に異なる現象の領域があるという見解を否定することも抹消することもできない。なぜならばそのような試みは、そのような観察的現実のことを何かを否定するような意味として解釈するために、観察的現実上で起こる行為としての因果的に関係した出来事を前提するとともに、因果的というよりむしろ意図的に関係する現象の存在をも先行前提せざるをえないからである。原因一元論も目的一元論もこっぴどい矛盾にぶつからずには正当化できない。どちらの立場にせよ、物理的に言明を行いつつ、そうする際に何かを有意味に言っていると主張することで、事実として論争の余地なく両者の補完性が擁護されてしまい、原因的現象と目的的現象の領域どちらもが擁護されてしまうのである。[13]
行為ではないものはすべて必然的に因果律に範疇化されなければならない。この領域で先験的に知ることができることは、それが因果的に構造化されているということ――それと、命題論理と算術と幾何学の範疇に応じて構成されていること[14]――以外には何もない。この現象の範囲に関して他に知ることができることはすべて偶然的観察から導出されなければならず、ゆえに後験的知識に相当する。特に、因果的関係か否かにかかわらず、二つ以上の特定の観察的出来事に関する知識はすべて後験的知識である。いわずもがな、このように記述される現象の範囲は、ふつう経験的自然科学の分野と見なされているものと(多かれ少なかれ)一致する。
逆に、行為であるものはすべて目的論的に範疇化されなければならない。この現象の領域も論理と算術の法則によって制約される。しかし空間的に延長した物体を測定する装置に体化される幾何学の法則によっては制約されない。なぜならば、観察可能な物が主観的に解釈されなければ行為は存在しないので、観察可能物を空間的測定ではなく反省的理解によって同定されなければならないからである。また行為は因果的に連結された出来事でもない。そうではなく、目的と手段の範疇的枠組み内で有意味に連結された出来事なのである。
任意の行為者の特定の価値、選択、費用が何であるか、何になるだろうかを先験的に知ることはできない。これは完全に経験的で後験的な知識の領分に振り込まれよう。事実、行為者が取り掛かる特殊な行為がいったいどれになるかは、観察的現実や他の行為者の行為の現実に関する彼の知識に依存するだろう。そしてそのような知識の状態を時間不変的に作用する原因に基づいて予言できると考えることは明白に不可能である。物知りな行為者も彼の将来の知識を実際に身につける前に予言することはできないし、彼が彼自身のことを未知の経験から未知の方法で学習できると考えるべきことは、彼が予言の成功と失敗を区別しているというだけでも実証されている。かくして、行為の特殊な方向に関する知識は後験的でしかありえない。そしてそのような知識は行為者の自己知識のことも含んでいる――自己知識はあらゆる行為の必要成分であり、そのあらゆる変化は選択されている特殊な行為に対して影響しうる――から、目的論的知識は必然的に再構成的か歴史的な知識でもあるに違いない。それは将来行為の予言と体系的に関連することのない事後的説明しか提供しないだろう。なぜならば原理的には、将来の知識状態は恒常的に作用する原因に基づいては決して予言できないからである。いわずもがな、後験的で再構成的な行為科学の部門のそのような輪郭は歴史学と社会学のような学科の普通の線引きに一致している。[15]
行為の分野に関して先験的に真であると知られて
いる
ことと、そのとき歴史学的および社会学的な説明を制約しなければならないことはこうだ。第一に、そのような知識はどれも本質的に行為者の知識の再構成であるに違いなく、いつであれ目的と手段、選択と費用、利潤と損失などの知識で再構成されるべきものである。第二に、これらは確かにミーゼスが考えたとおりの人間行為学の範疇であるから、そのような説明はどれも人間行為学の法則に制約されなければならない。そしてこれらの法則は私が説明してきたとおり先験的な法則であるから、将来の行為の方向に対する論理的制約としても作用するに違いない。行為者が身につけた特定の知識状態が何であれ、彼の知識状態は行為範疇の用語で記述されなければならないのだから、人間行為学の法則はどんな特定の知識状態からも独立して妥当である。そのようなものとして行為に言及するので、人間行為学的法則の範囲は行為科学の分野にありうるすべての予言的知識の範囲と一致する。事実、さしあたり先験科学としての幾何学の地位が究極的には我々の行為の理解に基づいていたことを無視しても、人間行為学がもっと根本的な認知的学科と見なされなければならないかぎり、認識論の体系全体の中で人間行為学プロパーに特有の役割は幾何学の役割といくらか類比することで理解できる。人間行為学は行為の分野のためにあり、幾何学は観察(行為ではないもの)の分野のためにある。我々の測定装置に組み込まれる幾何学が観察的現実の空間的構造を制約するように、人間行為学は行為の分野で経験される物の領域を制約するのである。
[1] ミーゼスが記すには、「知識は行為の道具である。その機能は不安を除去するためにどう努力を進めるかを人に助言することである……。行為の範疇は人間知識の根本的範疇である。それは論理の範疇と規則性と一様性の範疇をすべて含意する……。個人の心は行為する際に自分を外的世界たる環境とは異なるものと見て、そこで起こる出来事の方向に影響するために彼の環境を学ぼうと試みる」(『経済科学の根底』(pp. 35-36)[未])。また、「先験的なかたや思考と推理、かたや行為、どちらも心の表れである……。理性と行為は同源にして同質であり、同じ現象の二つの側面である」。(同上(p.42))。ただし彼はここで多かれ少なかれこの問題から身を引き、「思考と行為の関係を探求することは人間行為学の領分ではない」(『ヒューマン・アクション』(p.25)[未])と結論する。
[2] 論議の先験性について、またK. O. Apel, Transformation der Philosophie, vol. 2〔K=O・アーペル『哲学の変貌』第二巻〕も見よ。
[3] 経済的すなわち稀少な手段と知識の根本的違いについて、またミーゼス『ヒューマン・アクション』(p.128, 661)を見よ。
[4] イマヌエル・カント『純粋理性批判』(天野貞祐訳、講談社、2012年)81-82ページ。もちろんカントの認識論に対するそのような解釈が実際に正しいか否かはぜんぜん違う話である。とはいえここではこの問題を明晰にすることに関心はない。行為主義的および構成主義的なカント哲学解釈のために、F. Kambartel, Erfahrung und Struktur, chapter 3〔F・カンバーテル『経験と構造』第三章〕を、またHoppe, Handeln und Erkennen (Bern: Lang, 1976)〔ホップ『行為と認識』〕を見よ。
[5] 脚注46で触れた作品に加えて、またBrand Blanshard, The Nature of Thought (London: Allen and Unwin, 1921)〔ブランシャード『思考の本性』〕と、M. Cohen, Reason and Nature (New York: Harcourt, Brace, 1931)〔M・コーエン『理性と本性』〕と、idem, Preface of Logic (New York: Holt, 1944)〔同『論理序文』〕と、A. Pap, Semantics and Necessary Truth, (New York: Reidel, 1972)〔A・パップ『意味論と必然的真理』〕と、S. Kripke, “Naming and Neccessity,” in D. Davidson and G. Harman, eds., Semantics of Natural Language〔S・クリプキ『名指しと必然性』〕と、H. Dingler, Die Ergreifung des Wirklichen〔H・ディングラー『[現実の把握]』〕と、idem, Aufbau der exakten Fundamentalwissenschaft〔同『[精密基礎科学の建築]』〕、W. Kamlah and P. Lorenzen, Logische Propädeutik (Mannheim: Bibliographisches Institut, 1968)〔W・カムラーとP・ロレンツェン『[論理予備学]』〕と、P. Lorenzen, Methodisches Denken, (Frankfurt/M.: Suhrkamp, 1968)〔『方法的思惟』〕と、同『コトバと規範』と、K=O・アーペル『哲学の変貌』も見よ。
[6] 論理の理性主義的解釈について、Blanshard, Reason and Analysis, chapters 6, 10〔ブランシャード『理性と分析』第六章と第十章〕と、P. Lorenzen, Einfürung in die operative Logik und Mathematik (Frankfurt/M.: Akademische Verlagsgesellschaft, 1970)〔 P・ロレンツェン『操作的な論理学と数学のアプローチ』〕と、K. Lorenz, Elemente der Sprachkritik (Frankfurt/M.: Suhrkamp, 1970) 〔K・ローレンツ『言語批判要諦』〕と、idem, “Die dialogische Rechtfertigung der effektiven Logik,” in: F. Kambartel and J. Mittelstrass, eds., Zum normativen Fundament der Wissenschaft (Frankfurt/M.: Athenäum, 1973)〔同「効果的論理学の対話的正当化」F・カンバーテルとミッテルシュトラス(編)『科学の規範的基礎のために』〕を見よ。
言語と経験の命題的性格については、特にW. Kamlah and P. Lorenzen, Logische Propädeutik, chapter 1〔W・カムラーとP・ロレンツェン『論理予備学』第一章〕と、パウル・ロレンツェン『コトバと規範』第一章を見よ。ロレンツェンが記すには、
そもそも私が一つの語法を規約と呼ぶのはその語法のかわりに受け入れられる別の語法を私が知っているときなのです。……しかしながら、私の知るかぎりでは、要素文の使用にかわりうる別の行動はありません。もし固有名詞や述語を受け入れなかったら、私はいかにして語るべきか、まったくわからなくなるでしょう。……各固有名詞は規約です……しかし何はともあれ、固有名詞を用いることそのものは規約ではありません。それは言語に特有のパターンです。したがって私はそれを「論理的」と呼ぶつもりです。述語の場合も事情は同じです。各述語がそれぞれ一つの規約です。これは自然言語が二つ以上存在することによって示されています。しかしすべての言語はまぎれもなく述語を用いています。〔同上19ページ〕
またJ. Mittelstrass, “Die Wiederkehr des Gleichen,” Ratio (1966)〔J・ミッテルシュトラス『平等回帰』〕も見よ。
同一性と矛盾の法則について、特にB. Blanshard, Reason and Analysis, pp. 276ff, 423ff〔B・ブランシャード『理性と分析』276ページ以降と423ページ以降〕を見よ。無意味な象徴的形式主義としてか伝統的な2値論理の理解を論理的に先行前提するものとしての3値以上の論理に関する批判的評価についてはW. Stegmüller, Hauptströmungen der Gegenwartsphilosophie vol. 2 (Stuttgart: Kröner, 1975), pp. 182-91〔W・シュテッグミュラー『現代哲学の主流』第二巻182-91ページ〕と、B. Blanshard, Reason and Analysis, pp. 269-75〔B・ブランシャード『理性と分析』269-75ページ〕を見よ。たとえば多値論理あるいはF・ヴァイスマンに提案された開かれた手触りの論理に関してブランシャードが記すには、
我々は形式論理の白か黒かの区別が生きた考えには非常に不適切であると、ヴァイスマン博士――とヘーゲル――に同意するばかりである。しかしなぜヴァイスマン博士のように、人は二値より多く区別された論理を採用するに際しては白黒論理と両立不可能な代替的システムを採用しているのだと言うべきなのか? 彼が実際にしてきたことは「~ではない」という言葉のもっと古い意味の内部に若干のグラデーションを認識することである。我々はそのようなグラデーションがあることも、彼に実際に区別したがられたより多くあることも疑わない。しかし古い論理の洗練はその放棄ではないのだ。たとえ「~ではない」が近似の大きさをカバーするかもしれないとしても、また私は自分が見た色合いがどれであったかを知りようがないとしても、私が昨日見た色は決定的に黄色い色合いであったかそうではなかったかのいずれかであることはいまだに真実である。(同、273-74ページ)
[7] 算術の理性主義的解釈について、Blanshard, Reason and Analysis, pp. 427-31〔ブランシャード『理性と分析』427-31ページ〕を見よ。算術の構成主義的基礎について、特にLorenzen, Einführung in die operative Logik und Mathematik〔ロレンツェン『操作的な論理学と数学のアプローチ』〕とidem, Methodisches Denken, chapters 6, 7〔同『方法的思惟』第六章〕と、同『コトバと規範』第四章を見よ。古典分析の構成主義的基礎について、P. Lorenzen, Differential und Integral: Eine konstruktive Einführung in die klassische Analysis (Frankfurt/M.: Akademische Verlagsgesellschaft, 1965)〔P・ロレンツェン『構成主義的古典分析アプローチ』〕を見よ;数学的形式主義に対する輝かしい全面的批判のために、Kambartel, Erfahrung und Struktur, chapter 6, esp. pp. 236-42〔カンバーテル『経験と構造』第六章、特に236-42ページ〕を見よ;有名なゲーデル定理は構成的に基礎付けられる数学にとっては関係ないことについて、P. Lorenzen, Metamathematik (Mannheim: Bibliographisches Institut, 1962)〔P・ロレンツェン『メタ数学』〕を、またCh. Thiel, “Das Begründungsproblem der Mathematik und die Philosophie,” in F. Kambartel and J. Mittelstrass, eds., Zum normativen Fundament der Wissenschaft, esp. pp. 99-101〔Ch・ティール「数学と哲学の根拠問題」F・カンバーテルとJ・ミッテルシュトラス(編)『科学の規範的根底』特に99-10ページ〕を見よ。クルト・ゲーデルの証明――証明として、先験的知識の可能性に関する理性主義的主張を掘り崩すよりはむしろ偶然的にも支持するもの――は、一定の公理的理論の一貫性を論証するためにはこれらの形式化された対象理論自体よりもっと強い手段を伴うメタ理論をもたなければならないから初期形式主義者ヒルベルト・プログラムが上出来には成し遂げられないと論証するにすぎない。まったく面白いことに、形式主義プログラムの困難は1931年のゲーデルの証明の数年前にすでに老いたヒルベルトをカント式に数学の実質的解釈を再導入する必要性を認識するよう導いてしまっており、これはその公理にどんな形式的一貫性証明とも完全に独立した基礎と正当化を与えたことだろう。Kambartel, Erfahrung und Struktur, pp. 185-87〔カンバーテル『経験と構造』185-87ページ〕を見よ。
[8] この種の例は現実の法則たる理性主義的算術規則の観念に「論駁」するためにカール・ポパーに用いられている。Karl Popper, Conjectures and Refutations (London: Routledge and Kegan Paul, 1969), p. 211〔カール・ポパー『推測と反駁――科学的知識の発達』[未]〕を見よ。
[9] これについて、またミーゼス『経済科学の根底』ページMises, The Ultimate Foundation of Economic Science pp.12-14も見よ。
[10] ユークリッド幾何学の先験的特徴について、Lorenzen, Methodisches Denken, chapters 8 and 9〔ロレンツェン『方法的思惟』第八章と第九章〕と、同、『コトバと規範』第五章と、H. Dingler, Die Grundlagen der Geometrie (Stuttgart: Enke, 1933)〔フーゴー・ディングラー『幾何学の基礎付け』〕を見よ。客観的な、すなわち間主観的に意思疎通可能な測定の必然的な先行前提たるユークリッド幾何学、特に非ユークリッド幾何学の経験的検証について、Kambartel, Erfahrung und Struktur, pp. 132-33〔カンバーテル『経験と構造』132-33ページ〕と、Peter Janich, Die Protophysik der Zeit (Mannheim: Bibliographisches Institut, 1969), pp. 45-50〔ペーター・ヤニヒ『時間の前物理学』45-50ページ〕と、idem, “Eindeutigkeit, Konsistenz und methodische Ordnung,” in F. Kambartel and J. Mittelstrass, eds., Zum normatipen Fundament der Wissenschaft〔同「[未]一貫性と方法的[未]」F・カンバーテルとJ・ミッテルシュトラス(編)『科学の規範的根拠』〕を見よ。(結局、人がアインシュタインの理論を肯定するために用いる望遠鏡のレンズそれ自体はユークリッド原理に従って構成されざるをえない。)
フーゴー・ディングラーの導きに従って、いわゆるエアランゲン学派のパウル・ロレンツェンらメンバーは前物理学のシステムを考え出してきた。これは経験物理学のあらゆる先験的先行前提から成立し、幾何学の他に時間測定学と質料測定学(すなわち、重力なき古典力学、あるいは「合理的」力学)を含んでいる。
幾何学、時間測定学、質料測定学は空間、時間、質料の経験的測定を「可能に」する〔先験的〕な理論です。それらは一経験科学という近代的な意味での物理学がその仮説的な力をふりかざして、議論をはじめる前に打ち立てられねばなりません。したがって私はこれら三つ学科を前物理学(protophysics)という共通の名前で呼びたいと思います。(Lorenzen, Normative Logic and Ethics, p. 60)〔ロレンツェン『コトバと規範』111ページ〕
[11] 認識論的二元論の根本的本性について、ミーゼス『理論と歴史』[未]Mises, Theory and History, pp. 1-2も見よ。
[12] 因果律の範疇の先験的特徴について、ミーゼス『ヒューマン・アクション』第一章と、ホップ『因果科学的社会予想批判』と「社会科学において因果科学的原理に基づく研究は可能か?」を見よ。また、特に量子物理学の不確定性原理の必然的先行前提について、および因果律を反証するものとしてハイゼンベルクの原理を解釈する際に含まれる根本的な心得違いについて、Kambartel, Erfahrung und Struktur, pp. 138-40〔カンバーテル『経験と構造』138-40ページ〕と、またホップ「過激理性主義の擁護」脚注36を見よ。実際、量子物理学に特徴的である、それ以上簡単化できない――決定論的というよりむしろ――確率論的な予測の可能性を説明する個々の測定行為が順次にしか遂行できないことは、まさしく異論の余地なき人間行為学的な事実である。量子力学の分野で何か実験を遂行し、特に二つ以上の実験を繰り返してこれが実情であると言明するためには、因果律の妥当性がすでに先行前提されていなければならないのは明らかである。
[13] 因果律と目的論の範疇の必然的な補完性について、ミーゼス『ヒューマン・アクション』p. 25[未]と、同『経済科学の根底』pp. 6-8[未]を見よ。〔ホップ『因果科学的社会予言批判』〕と「」と、〔G・v・ライト『規範と行為』〕と〔『説明と理解』〕と、〔K=O・アーペル『説明―超越論的実用主義的な[未]における理解論争』〕
[14] もっと正確に言えば、論理と算術と(幾何学含む)前物理学の範疇に応じて構造化される。上記柱脚62を見よ。
[15] 歴史学と社会学の論理について、本章冒頭で触れたミーゼスの作品に加えて、Hoppe, Kritik der kausalwissenschaftlichen Sozialforschung, chapter 2〔ホッペ『因果科学的社会予言批判』第二章〕も見よ。
[16] 人間行為学的な理論に対する歴史学と社会学の範疇的独自性と、人間行為学が社会予言と経済予言ならびに歴史学的研究と社会学的研究に課す論理的制約について、ミーゼス『ヒューマン・アクション』[未](原典pp. 51-59)とホッペ『過激理性主義の擁護』を見よ。
4.
私は人間行為学の適切な場所を確立しつつ、究極的には行為公理に基礎付けられる理性主義哲学の体系を概説して戻ってきた。私のここでの趣旨は、経済学は人間行為学であり、人間行為学の擁護は異論の余地がなく、経験主義的または歴史主義的――解釈学的な経済解釈は自己矛盾的な学説である、というミーゼスの主張を再肯定することであった。そして人間行為学の本性に対するミーゼス主義的な洞察はまた、伝統的な理性主義哲学が上出来に再構成でき体系的に統合できるような、ちょうどその基礎を提供すると指摘することが私の目標であった。
理性主義哲学者にとっては、これは人間行為学が考慮されるべきことを含意しているように思われるだろう。なぜならば、知識の構造に対する人間行為学的な制約についての洞察はまさしく懐疑主義と相対主義に反対する際の彼の知的防衛に際してミッシングリンクを提供するからである。ミーゼスの伝統にある経済学者にとっては、私の主張によれば、これは、偉大なミーゼス自身になされたより一層鮮明で深遠な人間行為学とオーストリア学派経済学の擁護を構成するために、彼が西洋理性主義というもっと広い伝統の内部における己の立ち位置を明示的に認識するに至るべきであり、彼がこの伝統に提供される洞察を抱合するに及ぶべきであるということを意味している。
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(出典: mises.org)