お使いのブラウザは最新版ではありません。最新のブラウザでご覧ください。

CNET Japan ブログ

経済産業省の次官・若手レポートとその反応を読んだ勢いで書いた雑文

2017/05/21 11:30
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

プロフィール

クロサカタツヤ / KUROSAKA, Tatsuya

インターネットや通信、放送サービスが大きく変容する中、産業、政策、技術開発等の最新動向や、情報通信サービスと社会の関係性を考える上での「新たな視点」を、さまざまな分野でコンサルティング活動をしているクロサカタツヤ氏がお届けします。
ブログ管理

最近のエントリー

 

経済産業省(METI)の事務次官と若手が共同で編さんした「不安な個人、立ちすくむ国家~モデル無き時代をどう前向きに生き抜くか~」が発表されました。

このレポートについて、何か一言(特にdisり基調で)物申すことが、ここ数日のネット論壇の流行のようです。


「時代遅れのエリートが作ったゴミ」発言者に訊く!若手経産官僚のペーパーに感じた違和感とは。

http://youth-democracy.org/topic/interview170520

経産省「次官・若手ペーパー」に対する元同僚からの応答

http://hirokimochizuki.hatenablog.com/entry/response.meti

経産省若手官僚レポートは、ズルい 霞が関ポエムに踊らされてはいけない

https://news.yahoo.co.jp/byline/tsunemiyohei/20170520-00071158/


なので、ぼくもうっかりブームに乗って、というか乗り遅れて、ひどい雑文を書いてみます。といいますか、facebookグループ「クロサカさんの仕事部屋」でも、実に多くのご意見をいただいたので、あくまでそれを下敷きにした、自分なりの整理です。

https://www.facebook.com/groups/597190250369020/permalink/1330743447013693/


まず、METIの若手の皆様には、こうしたレポートを発表されたことに敬意を表したいと思います。四の五の言っても、これをMETIの名前で出すってのは、それなりに勇気と体力がいることですからね。

一方、学術的にはちょっと拙いところもあろうかと思います。少なくとも、予備検証なしの仮説を、既存の分析結果の恣意的な再解釈で肉付けして、何らかの説得力を持たせようというのは、学問的誠実さの観点から「我田引水」と批判する向きもあるでしょう。

ものすごく当たり前のことなんですが、データ分析や集計というのは、予め何を明らかにしたいのかが決められて、それに基づきデータ収集の方法や分析手法が決められて、最後に集計されます。たとえば、全国の家庭でのテレビ視聴率を測りたいのに、新橋駅前で酔っ払ったサラリーマンに街頭アンケートとか、ないですよね。

逆に言えば、既存の分析結果を引用するのであれば、その分析の目的や手法に沿った形での解釈が求められるわけです。テレビ視聴率の結果を用いて「テレビ視聴が減ってる!これは一家団らんの危機!」とか、簡単に言ってはいけないということです。だって一家団らんを構成する要件って、テレビ以外も多いですよね。


そんなことを踏まえた上で、でもこうやってまとめたことには、一定の評価をしたいとは思っています。なぜならMETIは学術機関ではないし、これは査読を求めるペーパーではないから(なので冒頭から「レポート」という言い方をしています)。そうした堅牢性が求められるペーパーは、経済産業研究所(RIETI)の役割かな、と思うんですね。

もちろん、エビデンスベースの政策形成が謳われる昨今、METIの現場だってもっと堅牢に考えなきゃダメだろという批判も、十分成立するでしょう。ただ、我が国のエビデンスベースアプローチは、全般にまだまだ道半ばなのが正直なところで、そこはもう少し時間の猶予が与えられていいんじゃないかと…おっと、それこそRIETIのレポートがありましたね。


「エビデンスに基づく政策」に関するエビデンス

http://www.rieti.go.jp/jp/columns/a01_0447.html


そんなわけで、全体の気分としては少し割り引いて眺めつつ、このレポートの中でおそらくハイライトとして注目すべきは、10-11ページの「昭和の人生すごろくのコンプリート率」というあたりだと思います。

検討の委細はほとんど存じ上げませんが、たぶんここはプロジェクトのリーダー的な役割を担ったであろう30代前半くらいの方々の「肌感覚」に基づいた論考じゃないかと思います。

少し上のアラフォー(つまりぼくの世代です)は就職氷河期からの激務続きで、男女や生活の場所を問わず苦しんでいる。

自分たち(30代前半)はその部下として、彼らの苦しみに連座させられつつ、下の世代からからは単なる突き上げだけでなく「パイセンなにテンパってるんですかウケる」とかdisられる。

遠く上を眺めてみれば、年金待ちの団塊世代がテレビの前で寝そべりながら、アベ政治を云々してる。

そしてこのままじゃみんな寿命延びちゃう、どうしよう。

みたいな。特に「コンプリート率」という言葉を敢えて選んでいるあたりに、そんな行間を、ぼくは読み取りました。


いや、これはまったくの妄想です。だから完全に空振りの可能性も大いにあります。ただ今回、このレポートがSNSで盛り上がった背景には、そうした問題意識を行間から読み取って、共感した人が多かったからじゃないかな、と思います。

というか上記に挙げたような話って、SNSで以前からさんざん論じられてきた問題意識ですからね。だから本レポートをポジティブに受け取った方は「俺たちの気持ちがMETIに届いた!」「METIさん期待してます!」みたいな心理ではないかな、と思っています。

そして裏返せば、今回イラっとしている人は、少なからず「これまでの議論の焼き直しじゃねーか」「偉そうにフリーライドすんな」みたいな気分もあるのかもしれません。だからこそ「で、METIの若手官僚さん、次のアクションは?」みたいなdisが生まれてしまっているような気もするんですね。


そしてそこに、このレポートの罪深さがあるんじゃないかと思っています。ちなみにここでいう「罪深い」というのは、全面否定ってことではないです。

何しろ、本レポートには、これまでの霞が関曼荼羅とは違う、熱量がある。すなわち、「何かを知りたい」「何かをしたい」というモチベーションが、前面に現れている。それは人間が生きる上での原動力ですから、否定しようがないんです。

そして読んだ人はそれを受け取った。だからこそ、肯定と否定の如何に関わらず、何か言いたくて仕方なくなった。そしてバズった。

正直、ここまでは大成功だと思います。SNSを社会運動の道具として使いたいと思って、それが必ずしもうまくいっていない向きからすれば、嫉妬する人さえもいたかもしれませんね。


ただ、このままだと、このレポートは「話題提供」で終わるんじゃないか。そんな気もします。

その理由は、おそらくみんな片手間だったろうから、こういう活動はなかなか継承されなさそう、というMETI内の都合も、おそらくはあるでしょう(これも想像ですけどね)。ただ、それ以上に、やはり内容の問題が大きい。それは、冒頭に述べた、科学的な堅牢さの不足です。

なにしろ私たちは情報の洪水の中に生きています。だからこそ、堅牢じゃないと一過性の運動論で終わるし、それは誰かが燃料を連続的に投入しない限り、すぐ消えちゃうんですよ。

そして、さらにそれ以上に大きな問題を感じています。それは「発言者の正当性」、つまり「これMETIの仕事か?」というです。


実はこれこそが「クロサカさんの仕事部屋」で指摘されてハッとしたことなんですが、これってMETIに限らず、役所が問題提起しちゃ、本当はダメな内容ですよね?

では誰か。それは「政治」です。

どう考えたって、これは行政が何かを執行する話には、直接つながりません。本レポートで掲げられている問題意識は、政治に届けられ、政治家によって喚起されるべき内容です。

だって、私たちの生き方に直接関わる話じゃないですか。いくらMETIが霞が関のブルドーザーだとしても、行政は法執行を前提としている機関です。そのためには何らかの法律が前提とされるべきだけど、少なくとも本件において、あらゆる法律の話はそのあとについてくるというのが、正しい順番ですよね。そうじゃなかったら、国会で毎度「予算委員会」とか開いてる必要がないわけですし。


いや、かくいうぼくも、当初は「METIはこれでどう行動するの?」と思ってました。そしてそれを小姑的なオッサンらしく「東芝殿をどう決着つけるのか、ちゃんとしてよね」と、斜め下のことを考えていました。

でもね、それもやっぱり、間違いだったと、いまは思うんです。本レポートの問題意識は、政治の側から改めて提起されるべき。

そして、これは仮定どころか妄想の中のさらなる妄想の話ですが、「というわけで政治に働きかけようとも思ってまーす」という意図が仮にMETIの誰かにあるのだとしたら、そういう政治運動をSNSを巻き込んだ「オープンリーチ」で進めるというのは、我が国の統治の観点からは批判的に検討されるべきだし、その戦略物資である本レポートは、やはり看過できない。

いやいや、それもぼくの妄想だと思います。たぶんそこまでは考えていないはず。そういう意図があるとしたら、こんな回りくどいことをする必要もないでしょうし。

ただ、そういうモヤモヤを生じされていることは、確かだと思います。そしてモヤモヤを生じさせることにも意義があるという意味では、やはり「ここまではうまくやった」という評価は、されるべきでしょう。

だから、本レポートの問題意識は、RIETIをはじめとした、科学的に堅牢な検討が得意な、そして行政とは一線を画している組織の方々に引き取っていただくのがいいんじゃないかと、いまは思っています。そこをいろいろ混ぜたら、やっぱり危ない。


それにしても、我ながら、ひどい雑文だ。しかも、あちこちに生意気なことを申し上げている気がします。気分を害された方がいらっしゃったら、申し訳ございません。

でもまあ、梅雨入り前の気持ちのいい日曜日に免じて、ご容赦いただけると幸いです。


※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
運営事務局に問題を報告

最新ブログエントリー