私がはじめてこの本を手にしたのは、たしか小学6年生のときだったと思う。ニューヨークの現地校から東京の小学校に転校してきて、漢字が読めずに不登校になりかけていた。
熱が出た(あるいはお腹が痛い)とウソをついて学校を休んだ日は、暇にまかせ、英語の本を読みあさっていた。
自分が所有する子ども向けの本は何度も読んでしまい、父親の書斎の本棚をながめていて、たまたま古びた表紙の本を手に取り読み始めた。それが英語版『フラットランド』だったのだ。
この本は、現実世界に適応できずに苦しんでいた私にとって、数学的な空想世界への「不思議な旅」となった。それで不登校が解消されたわけではなかったが、ある意味、私にとっての救いの書でもあったのだ。
この本を読んでから、私は「次元」について興味が出始め、アインシュタインの4次元世界、すなわち相対性理論を真剣に学びたいと思うようになった。
そして、気がついたら、大学の物理学科に進みアインシュタインの理論をマスターし、しまいには、大学院で多次元宇宙論(超ひも理論の宇宙論)で博士論文を書くところまで突き進んでしまった。
実際、『フラットランド』に刺激を受けて、数学や物理学の道に進んだ科学者は多い。ガンダムに刺激を受けて宇宙飛行士になる人と同じで、『フラットランド』は数学者・物理学者製造装置なのかもしれない。
さて、『フラットランド』がイギリスで最初に出版されたのは1884年。
ヴィクトリア時代というと、歴史のはるか向こう側のはずだが、題名も含め、現代の最新書き下ろしだと言われても、ほとんど違和感がないほど先進的な本だ。なにしろ、多次元について、わかりやすく書かれた、科学書の顔を持つ冒険物語なのだ。
しかし、当時は、ほとんど評価されなかった。おそらく、本書の革新性は、産業革命が一段落し、大きく現実主義に傾いていたヴィクトリア時代の人々の目には、単なる空想物語に映ってしまったのだろう。
長らく埋もれたままだった本書が、ようやく脚光を浴びるのは、アインシュタインの「相対性理論」が発表されて、4次元の可能性について、世間が考え始めたことがきっかけだった。
あのネイチャー誌でも『フラットランド』の先見性が取り上げられ、「アインシュタインが4次元について語る、30年以上も前に、多次元を主題にした本があったとは!」「これは予言書ではないのか?」といった受け止め方をされたのだった。
ここで著者のアボットについても少し触れておこう。
アボットは、神学者の家系に生まれ、弱冠26歳でシティ・オブ・ロンドン・スクールの校長にのぼりつめるほどの人物だった。
神学者としてだけでなく、数学と古典にも秀でており、その三つの才能がうまく一つに昇華したのが本書だ。数学をわかりやすく説明しつつ、神学や古典文学の知識がそこかしこにちりばめられている。
ヴィクトリア時代には、絵画をはじめとする芸術的分野で、社会的な地位や知識に関係なく、万人が理解し受け入れられる作品を作ろうというムーブメントがあり、本書もその潮流に乗っているのかもしれない。
昨今、物語仕立てで哲学や科学や数学を読ませる本は、一つのジャンルになっているとすら言ってもよいが、本書はまさにその先駆けなのだ。