2015.05.12 Tuesday
中世ヨーロッパの説話
JUGEMテーマ:読書
私、アーヴィングの『スケッチ・ブック』を読んだ際、アメリカにも浦島的な話があったとはね、へぇーっと、「リップ・ヴァン・ウィンクル」の話に感心しておりましたが、アメリカにもあったのね、どころじゃないんですね。
12世紀のフランス文学に、『ブルターニュのレ』または、『レ・ブルトン』と言われるケルト系伝説の物語詩があるそうです。その中にある「ギンガモール」は、こんな話です。
王の甥であるギンガモールは、見目麗しい騎士でした。王妃はギンガモールに心奪われ、王の留守中に言い寄りますが、ギンガモールはこれを拒絶します。気を悪くした王妃は、ギンガモールに、それを追うものは誰も帰ってこないという白い猪を狩りに行くよう仕向けます。森で猪を追ううちに、ギンガモールは泉で水浴中の美しい乙女たちを見かけます。乙女が立ち去れぬよう、乙女の衣を隠そうとしますが、見つかってしまい、3日後に猪をつかまえてあげるから自分の屋敷に泊まるように言われます。乙女に恋したギンガモールが、彼女の愛を求めたところ、乙女はそれに応えてくれました。乙女の立派な宮殿には多くの騎士や美しい女性がおり、その中には白い猪を追って帰ってこなかった騎士たちもいました。宮殿で素晴らしいもてなしをうけたギンガモールは、3日目に猪をもらって帰ろうとしたところ、乙女から驚くことを告げられます。実はもうすでに300年がたっているのだと。そんなことを信じられないギンガモールは、とりあえず帰ってみることにします。乙女はこう忠告しました。ここへ戻ってくるまでは、どんなにのどが渇いたりお腹がへったとしても、何ものんだり食べたりしてはいけないと。自分の国に帰ったギンガモールは、本当に300年たってしまっていることを知り、乙女のところへ戻ることにします。ところが途中で空腹のまありりんごを食べてしまったところ、たちまち老人の姿になってしまいます。そこへ馬に乗った乙女が現れ、ギンガモールを叱責して連れ去っていきました。
不倫のお誘いを拒絶した結果の災難、白い獣の追跡、水浴中の乙女の衣隠し、禁止の約束を破る……浦島要素に留まらない、何この盛りだくさん感あふれる話。
12世紀の説話集『ヌーガエ・クリアーリウム』にあるブルターニュ王ヘルラの話は、小人の国の王の結婚式に参列し、3日後に戻ってみると、200年経っていて、貰った犬が地面に飛び降りるより前に馬を降りると体が塵と化してしまうため、今でも馬から降りられずにさまよっているという話だそう。
14世紀のニコル・ボゾンの『道徳訓話集』には、こんな話があるのだとか。ある僧が、天上の悦楽の一番小さなものの一つをお示しくださいと願い続けたところ、見たこともない小鳥が飛んできて歌い始めます。僧はこの鳥について森に入り、小鳥の歌に聞きほれましたが、鳥が飛び立ってしまったため、僧院に戻ったところ、すでに300年たっていて、僧はたちまち死んでしまいました。
同様の話は12世紀の『説教集』にもあるとのこと。
「リップ・ヴァン・ウィンクル」も、移民によってもたらされたドイツ民話がもとになっているそうですが、ヨーロッパにも浦島的な仙境的な異界から帰ってみれば、ものすごく長い月日が過ぎていたという話は色々あるようです。
「タム・リン」とか「タンホイザー」的なイケメン騎士が山中や森で美女に出会って異郷に連れ込まれる系の話は結構あるように思っていましたが、戻ってきてみれば大いに時間が過ぎている印象はあまりなかったので、意外です。
時間差のない話の場合、異郷に留められるのが7年というパターンが多いように思います。カリプソがオデュッセウスを留めたのも7年じゃなかったでしょうか。また、連れ込まれる異郷が、洞窟など隘路を経て至る山中や地中の世界が多いのも興味深いです。古の地母神的なものとの繋がりを感じずにはいられません。
さて、実は東西浦島話は、この書では枕にすぎません。日本とヨーロッパに似た話があるというところから、民間説話の伝播に関する研究について、インド起源説の流行から衰退などの話を挟み、経路についてはまだまだ不明ながら、明らかに伝播したものに違いない、東西世界で類話が多数ある興味深い話が6つ紹介されています。
6話すべてがとっても興味深いです。
その一つは、井戸や谷といった穴的なものの中で、木や草につかまっている男の話。地上では凶暴な獣が狙っているため穴から出ることができず、穴底には毒蛇がいるため降りることもできない状況の中、つかんでいる頼みの木や草の根は、白黒二匹の動物に齧られていていつまでもつかわからない、そんな絶望的な状態にもかかわらず、上から口中に落ちてきた3滴の蜜の美味しさに、思わず苦境を忘れてしまうという内容。あー、どっかで聞いたことあるあるな、人生の寓意。
この話、さまざまな経典に登場する仏教説話の一つであり、日本にも仏教を解して古くに入ってきていました。この同じ話が、ヨーロッパにも存在するのですが、それは『聖バルラームと聖ジョザファ伝』というキリスト教の聖人の伝記がもとになっているそう。それもそのはずで、この聖人伝は、お釈迦様の伝記がアラビアを経由して西洋へ伝わる中でカトリックの聖者伝に変化していったものだったからです。また、インドの『パンチャ・タントラ』をもとにしたペルシャの『カリーラとディムナ』の翻訳からというルートも同時に存在したようです。
この話が、日本へ来たポルトガルの宣教師の手で、再び日本へもたらされるという面白さ。
続いて、親子、または兄弟、伯父・甥といった二人組の泥棒が王の宝物庫への秘密の穴を出入りして盗みを続けるも、罠にかかって年長者のほうが抜け出せなくなり、年少の相方が自分たちの正体を隠すためにその首を切り落として逃げる話。王のほうは、なんとか犯人を炙り出そうと死体を餌にして罠を張るも、犯人の機転で逃れられ続けます。
古くはヘロドトスの『歴史』にエジプトの話として登場しています。日本では『今昔物語集』にありますが、これは仏典の『生経』の説話がもととのこと。ヨ−ロッパでは東方に起源を持つ『七賢人物語』に登場して広く流布しているそうです。紀元前のヘロドトスの書中の物語は、後世の物語に比べると抜けている部分があり、これが伝播したとは考えにくいとのことや、当時のエジプトの風習と異なる内容を含むことからエジプト起源の話とは言えなさそうという指摘など、興味深いです。
他には、自分が殺してしまったと思った人によって、隠蔽のために死体が別の場所に運ばれ、そこではまた別の人物が自分が殺したものだと思って、また罰の場所へ運び…といったことが繰り返される「五度殺されるはなし」があります。これはは、アラビアンナイトにも含まれており、ヨーロッパにも、日本の昔話にも存在しますが、それぞれを結びつける経路は不明とのこと。
また、自分の身を危うくする手紙をそうとは知らないまま自ら届けさせられるも、その内容が途中で書き換えられたことで危機を脱する「すり替えられた手紙」の話もまた、類和は数あれど経路は不明なのだそう。
あとは、神様や仏様のお告げであるかのように見せかけて、意中の女性を我が物にした聖職者の話「ささやき竹」や、人に捕まった小鳥が、三つの知恵をさずけることを条件に逃してもらう話「小鳥の歌」についてふれられています。
どれも東西の多くの類話に触れられた充実した内容ですが、伝播の経路についての結論は書かれていません。まさに、「いくつかの字のうまったパズル盤」が提示されているかのよう。この残された謎がまた、本書をさらに面白くしています。