およそ会社員のいろんな職域の中で営業ほど素晴らしい仕事はありません。

なぜならカイシャは売上がなければ成り立たないし、その売上を稼ぐのは営業だからです。だから組織の中で営業は隠然たる幅を利かせます。

営業ができるようになるためには、技術や市場など、その会社のビジネスが成り立つうえでの全ての背景を理解しなければいけません。

だから一度も営業を経験したことの無い会社員は、残念ながら花道を歩いたことの無い人材なので、出世の際、「遠回り」を強いられることになります。

営業と聞くと(じんましんが出る!)という人も多いでしょう。そういう僕も学生の頃は(営業職だけは、嫌だな)と思いました。でもこれは社会人としての経験に乏しい事から来る、よくありがちな脊髄反射に過ぎず、自分のキャリア形成についてじっくり考えを巡らせれば(一度は経験しておいた方が得だな)という結論に、当然、落ち着くはずです。

営業というと、嫌がる見込み客を強引に勧誘するとか、訪問をかけまくるとか、そういう「ど根性もの」的な臥薪嘗胆だけをイメージする人が多いけれど、「これ以外のやり方は無い」というようなルールは、営業にはありません。

僕が会社勤めしていた頃、若い人たちにアドバイスしたことは「若い人は、若い人らしいやり方で商売を作れば良いし、ベテランはベテランらしいやり方で営業すればよい」ということです。

ビジネスの世界では、右も左もわからない駆け出しの営業マンや営業ウーマンに対し、温かい目で迎える顧客も多いです。だから未熟なら、未熟なりに誠意と熱意で頑張れば、殆どの顧客は心を動かされます。

その反面、ベテランがあいまいな商品知識や不勉強のままで、昔ながらの泥縄式のやり方やプレッシャーで営業すると(なんだこいつは。使うメリットないな)と顧客から疎まれます。ベテランほど、研鑽し、絶え間なく新しい知識を仕込む必要があるのです。

このように営業のやり方は一つではないし、いろいろな成功の道があります。

しかしその中でも最上級に位置する営業の仕方が、エバンジェリスト的営業です。エバンジェリストとはキリスト教の「伝道師」ないしは「福音主義」のことを指します。

キリスト教のルーツはユダヤ教です。

ユダヤ教では「いつか救世主が現れる」と教えられます。でも、その救世主は、いままでのところ未だ現れていないのです。

それに対してキリスト教は「いや、ちょっとまて。あのイエス様という人物が、我々が待ち望んでいた救世主なんじゃないか?」とする主張です。だからキリスト教はユダヤ教のひとつのセクト、つまり枝分かれしたものと捉えられるわけです。

それはユダヤ教から見れば「異端」です。

だからユダヤ教徒は「そんな邪宗を信じてはいかん!」とイエス様のフォロワーをたしなめたわけです。

すると弱小勢力であったキリスト教は、つねに信者を広げてゆく必要に迫られたわけです。言い換えれば「拡大志向」です。だからキリスト教では「良いキリスト教徒は、どんどんキリスト教をひろげてゆくべきだ」という価値観があり、たとえばキリスト教のミッションがアフリカなどの未開の地でこんにちでも布教活動にいそしむのは、そういう伝統から来ています。

キリスト教を広めようとする者、つまり伝道師は、キリスト教の成立当初から「その考えは異端だ!」という批判や抵抗を受けてきました。だからdisりには慣れているのです。

いや、disりは(このひとたちは、わたしの主張に反応している。それが私にたいする反発であっても、反応しているということはわたしの言っていることに心を揺さぶられているからに違いない。すると……改宗させるまでに、あと一歩だ)と言う風にポジティブに捉えるわけです。

シリコンバレーでよく「テクノロジー・エバンジェリスト」というようなカッコイイ役職名を名乗るひとが居ます。日本人はそのテクノロジー・エバンジェリストの仕事を、単なる「企画」とか「ストラテジスト」と勘違いしている場合が殆どです。

でもエバンジェリストは「改宗」させないといけないのだから、これはたいへんな労力を要する仕事です。

エバンジェリストの好例はアップルのスティーブ・ジョブズでしょう。ジョブズはウインドウズが世界標準だった時代に「Mac」の良さを説いて回りました。1997年頃には「Mac」が絶滅しかかったことを覚えている人は少ないと思いますが、アップルにもそういう苦しい時代というものがあったのです。

もうひとつのエバンジェリストの例はセールスフォースのマーク・ベニオフでしょう。彼はもともとオラクルのトップ営業マンでしたが、「これからはクラウドの時代だ」と考え、未だクラウドが異端的だった時にセールスフォースという会社を創業します。それ以来、クラウドのアドバンテージを延々と説いて回ってきたわけです。

エバンジェリスト的営業は、たんに一個の商品を売るだけでなく、いままでとは違うやり方、これまでとは違う価値観、ひいては新しい「世界の見方」を提案するわけだから、これは大それた試みであり、茨(いばら)の道です。

しかし、その見返りも大きいです。なぜなら、それは自分自身が新しいデファクト・スタンダードを設定することに他ならないからです。

上に書いたように、営業をやるためには自社の製品や技術、さらに市場動向などを熟知する必要があるけれど、エバンジェリストとなると、更にワンランク上のスキルが必要になります。たとえば大勢の人の前で喋るプレゼンテーション・スキルは必須になりますし、他社とのコラボレーションなどをする能力も必要になります。

だから例えば田端信太郎君にクソリプを飛ばしている人種と言うのは、喩えて言えば十字架を背負って刑場に向かうイエス・キリストに対し、群衆の中に紛れた安全な位置から、ツバを飛ばす、あるいは石を投げている弱虫のユダヤ教徒……そういう構図になるわけです。

この場合、みんなから痛めつけられ、踏みにじられるほど、ドラマは盛り上がるわけで。

エバンジェリストとしては、これほど恍惚とする快楽は無いのではないかしら?


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