【ネタバレ注意!!】映画『メッセージ』は原作小説の「感動」を伝え切れていない:『WIRED』US版の考察
「言語と時間」の関係をテーマに、言語学者とエイリアンの交流を描く映画『メッセージ』。その原作であるテッド・チャンの傑作短編『あなたの人生の物語』はどこかユニークなのか? 映像化で成功したこと、うまくいかなかったと感じられることは? 『WIRED』US版スタッフが、原作小説と映画を比較した。
TEXT BY WIRED US STAFF
TRANSLATION BY YASUKO ENDO/GALILEO
WIRED(US)
わたしたちの言語と、時間に関する概念には多くの共通点がある。たとえば、どちらも前へ向かって、次から次へと進んでいくものだ。読者はこの文章を後ろから前へと読まないだろうし、時間もさかのぼることはできない。その点に着目して生まれたのが、テッド・チャンのSF短編小説『あなたの人生の物語』である。
1998年に発表されたこの驚くほど複雑な物語は、2016年に『Arrival』(邦題『メッセージ』、2017年5月19日日本公開)というタイトルで映画化され、アカデミー賞で8部門にノミネートされた。
物語では言語学者が、宇宙から来た謎の知的生命体に導かれるようにして、人類の言語の性質、そして時間そのものについて考えを深めていく。その原作小説と映画について、『WIRED』US版のスタッフたちが語った。
※以下ネタバレあり、未見の方は閲覧厳禁。
──原作を読んで泣きましたか?
サラ・ファロン(シニアエディター):ええ。いまでも文章を思い出すと、心のなかでまた泣いてしまうくらい。
ジェイソン・キーヒ(アソシエイトエディター):自分も同じ。うるっときて、泣きそうになった。
ジェイ・デイリット(エディトリアル・オペレーション・マネジャー):その通りだね。ぼくも帰りの電車の中で涙を流してしまった。ルイーズと彼女の娘の関係がとてもリアルで、しかもルイーズが記憶を呼び覚ますのではなく、未来を予知しているというのが一層痛ましい。本当に悲しくなりました。
アンナ・ルイーズ・ヴラシッツ(エディトリアルフェロー・原文記事公開時):わたしは泣きませんでしたが、読み終わったあと、わが子を抱き締めざるをえませんでした。
子どもをもつことは「人生を変える体験」だといわれています。でも、実際にそのときが来るまではどんな感じがするのかはわかりません。つまり、子をもつかどうかを決めるときに、子をもつことの意味を理解している人はひとりもいないということです。仮に自分が未来を知れるとしたら、ルイーズと同じように、自分も子どもをもつことを決めただろうかとずいぶん悩みました。
──主人公が言語学者であることについてはどう思いますか?
キーヒ:言語学者は、SFではあまり日の当たらない職業のひとつに違いありません。しかし、エイリアンとのファーストコンタクトという状況では、まさにぴったりの存在です。
小説を読んで、原作者のチャンが言語学の基礎をきちんと理解していないのではないか?と疑問をもつことはありませんでした。説明が難しすぎると感じたこともなかったです。言語学の説明は、物語のプロットにとてもうまく組み込まれていて、登場人物たちのセリフも自然でした。
デイリット:チャンが言語学者の主人公を登場させたことはあまりにも理にかなっていて、どうしてこれまでのSFに出てこなかったのかと不思議に思えたくらいです。
でも、SFに詳しいアダム・ロジャーズ(『WIRED』US版副編集長)に言われて、映画『スターゲイト』でジェームズ・スペイダーが言語学者を演じていたことを思い出しました。もしかしたらぼくは、言語学者を軽視していただけなのかもしれません。だって言語学者は、レーザーガンを手に走り回ってエイリアンを襲撃したりしませんから。彼らはもっと、巧みで無駄のないアプローチを好みますよね。
──原作の構成についてはどう思いましたか?
ファロン:わたしは原作を2回読みました。何が起こっているのかを把握すると、小説の構成がいかに完璧であるかがよくわかります。
たとえば、物語には特定のフレーズを繰り返すところがあります。ルイーズは娘の遺体の身元確認に行って、「そう、その女の子。その子がわたしの娘」と言います。そして物語の終わりの方でもまた、大勢の赤ちゃんのなかから娘を見分けられると語る場面で同じセリフを口にするのです。気づきましたか? ストーリーの内容が見えてくるにつれ、チャンは時系列のバラバラなシーンを相互に、よりリンクさせるようにしているのです。
デイリット:まったく同感です。構成には「同時的認識様式」(事象を同時に経験し、その根源に潜む目的を知覚する認識様式)というテーマが見事に反映されています。ぼくたち人類の、ちっぽけな「逐次的認識様式」(事象をある順序で経験し、因果関係として知覚する認識様式)のためにデザインされた媒体にとって可能な範囲内において、ではありますが。
ヴラシッツ:ファロンが、細部まですべて理解するために小説を2回読んだということは、多くのことを示唆していると思います。まるで2回読まざるをえないよう、あえてそう組み立ててあるようにも感じます。
それは、物語や演劇や映画を、何回も体験することでその豊かさを理解することの価値を示しています。これはルイーズが、時間から解放されても彼女の人生は損なわれないと考えることに似ています。この物語の構成自体が、「何回も体験すること」の素晴らしさを称えているのです。
──映画に登場したエイリアンの見た目は気に入りましたか?
ファロン:恐ろしすぎるわけでも非現実的なわけでもなく、いい感じでした。彼らには前方も後方もないし[訳注:7個の眼が頭部を取り巻いている]、くるくる巻き上がる腕で一度に多くの作業ができる。そうしたところはまるで、複数の文字を合成して一文字にした「合字」のようです。人類は、前や後ろ、中央がある言葉をもちますが、彼らエイリアンは「semagram」(表義文字:ルイーズがノンリニアな文字言語を説明するために使った概念)を使うからです。
デイリット:ぼくはコミカルでかわいらしいと思いました。ワイン樽から逃げ出そうとしているタコみたいで。でも、見た目は別として、地球に何かを強奪しに来たわけではなく、ただ観察にやって来たという人類学的な気質にも惹かれました。
──映画と原作で共通していたところ、違ったところは?
ケイティ・パーマー(シニアエディター):原作、映画ともに、決定的なターニングポイントが同じだったのは素晴らしかったと思います。ある言葉が2つのストーリーを結びつけるところです。物理学者のゲーリー[訳注:映画ではイアン・ドネリー]が「ノンゼロサムゲーム」と口にするシーンがあり、その直後に、ルイーズが娘とその言葉について話すシーンに移るのです。
キーヒ:映画のそのシーンは、はっと目が覚めるようなよさがありましたね。映画と原作には違いもありました。小さな違いとしては、映画ではルイーズの知覚が変化する様子が、「サピア・ウォーフの仮説」(言語が知覚のあり方をかたちづくるという考え)を強調するように描かれていました。それから、原作と違って映画では、中国人が悪者扱いされていました。いかにもハリウッドらしいやり方です。
デイリット:映画は原作に「インスパイア」されたのであって、「基にした」のではないように感じます。たとえば映画のほうがずっと好戦的で、国家を対立させています。賛成できない変更点もありましたが、作品のスケール感についてはよかったと思います。原作のエンディングは、小説としては申し分ありませんが、大作映画としてはうまくいかなかったでしょう。
でも映画では確かに、ルイーズが「逐次的認識様式」から「同時的認識様式」へ移行していく様子がうまく表現されていました。原作ではその認識様式が変わっていくにあたって、あるひらめきが訪れた瞬間はありませんでしたから。
──ヘプタポッドは「4次元の生物」といえるのでしょうか? 人類が目の前にあるものを見るときと同じように、時間の連なりを瞬時に見て取ることができるのでしょうか?
ヴラシッツ:わたしはそうだと思います。でもそれよりも気になるのは、ルイーズのように人間が突然──あるいは少しずつ──時間から解放されることは可能かどうかということです。この物語に関してわたしは、ルイーズが時間から解放され、複数の思考を順番とは関係なく同時に体験したものだと解釈しています。
しかし、人類はそういったかたちで、順番と関係なく出来事を理解できるのでしょうか? それは、オードリー・ニッフェネガーの小説『きみがぼくを見つけた日』のように、ひとりの人間が、ほかの人とは違う順番で時間を体験するということでしょうか? それともルイーズは、すべてを2回以上体験しているのでしょうか? 一度順番通りに体験したことを、あとで順番と関係ないものとして受け入れるのは難しいような気がします。わたしにとっては、この点が最もSFらしいところでした。
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