歴史から抹殺された通州日本人虐殺事件

「通州事件」と言っても、知っている人は少ないだろう。

いわゆる“南京大虐殺事件”の半年前、昭和12年7月29日、北京からほど近い通州で中国兵により日本人250人余がむごたらしく虐殺された事件だ。

当時、朝日、東京日々はじめ日本の新聞各紙は1面で大々的に報じ、雑誌なども後追いした。

『恨みは深し通州城』(作詞/佐藤惣之助 作曲/古賀政男)など8曲もの歌謡曲として歌われ、眞山青果原作で『嗚呼 通州城』という芝居まで上演された。

当時の日本人なら誰でも知っていたであろう、この悲惨な事件は戦後、日中両政府によってほとんど黙殺と言うにふさわしい扱いを受けてきた。

岩波の近代日本総合年表にも1行も記されていない。その事を渡部昇一さんたちに批判され、最近の版では記載されている――それが通説になっているが、この原稿を書くためにチェックしてみると、最新の版でも1行も書かれていなかった。

ついでに愛用している小学館の『現代史年表』も調べてみたが、こちらも1行もナシ。

7月29日、通州城内で何が起こったのか、なぜ起こったのか。

加藤康男さん(ノンフィクション作家)の最新刊『慟哭の通州』(飛鳥新社刊)はこの事件を徹底的に取材、数多くの資料を発掘してその謎に迫っている。

わが社刊行だから、手前みそと言われるかもしれないが、どうしても読んでいただきたい。

7月29日深夜3時過ぎ、城内南方から聞こえた2、3発の銃声が事件の発端だった。

数日前主力の歩兵第2連隊は南苑に向かい、その夜、城内に残る守備隊は自動車部隊(つまり輜重兵)53名を含むたった163名。武器も十分ではなかった。

邦人の安全を守るべき中国兵の保安隊が城内に3300名、城外に2500名。

その保安隊が東西南北の城門をすべて閉め、反乱を起こしたのだ。

奮戦空しく守備隊は1時間ほどでほとんど全滅。中国兵たちは容赦なく民間人を殺りくする。女性も子どもも容赦ない。

しかも、その殺し方が尋常ではないのだ。

当時18歳、北京で中国語の研修中だった河野通弘さんの手記も今回、加藤さんが発掘した貴重な記録だ。

〈保安隊は日本人家屋を襲い、射殺、殴殺、地に頭を叩きつけて殺す。婦人は殺された上に、青龍刀で首、腹などを斬りさいなまれ、まさに修羅場であった。(中略)虐殺方法には中国何千年という伝統がある。古代、中世のそれと変わらぬ残虐さで居留民は虐殺されたのだ〉

中国人と結婚、事件を目撃した佐々木テンさんが晩年に残した証言について加藤さんはこう書いている。

〈あまりにも凄惨かつ鬼畜のような猟奇的行為が語られ続け止まらない。私は幾度ももう引き写すのをやめようかと、キーボードから指を離したくらいだった。読み始められる前に、どうかある覚悟を持たれて読み進めていただきたい。また途中で気分が悪くなられた方はどうか本を伏せていただきたい。体調を崩すほどの蛮行は続くからだ〉

ぼく自身、とても読めず、その部分はほとんどを飛ばして読んだ。

加藤さんは、資料によってこの事件が決して突発的なものではなかったと断じている。

迫真のノンフィクションだ。