私たち一人ひとりが、かけがいのない「命」を持っています。
普段ほとんど自覚することはないかもしれませんが、例えば身内に不幸があった際、亡くなった人を偲んだりしたときに「命」の尊さやその儚さを感じますし、身近なところに赤ちゃんが生まれたりしたときは、その新しい命の誕生の歓びと同時に生命の尊さを感じます。
皆さんはそんな経験をこれからたくさんするはずです。
さて、今日は私たち人間だけでなくもっと動物や植物の命まで考えてほしいと思います。
私が小さいときのお話になりますが、小学校2年生の遠足でのできごとで、心に残っていることをお話ししましょう。
お弁当を食べ終わり友達と遊んでいるとき、普段見ているアリよりも2倍以上大きなアリがいることに気付いた私と友達は、そのアリを相手に怪獣のゴジラごっこをしました。何をするかというとそのアリを踏みつけるというものです。一見、無邪気な遊びに見えましたが、冷静になればとても残酷なことです。私たちの様子を見ていた校長先生に「君たちは何をしているんだ!アリがかわいそうじゃないか。やめなさい!」と叱られました。私はびっくりして泣き出しました。その後で担任の先生に「アリさんにもお母さんやお父さんがいるやろ。自分の子供が急に、人間に踏みつけられて死んでしもたら、そら悲しむやろうなあ」と言われ、本当に情けなくて悲しくなって大泣きしたのを今でも覚えています。
私たち人間はこの地球上では間違いなく生物の頂点にいるわけですが、他の生き物の命の尊さを忘れては絶対にいけません。彼らも必死で生きてその種を次に繋げる本能を持っています。むやみな殺生は無用です。
日本には食事をする前に「いただきます」と、手を合わせる習慣があります。
皆さんは「いただきます」の意味を知っていますか。それは、今から食する食材(肉や魚は勿論のこと野菜、果物も)は、すべてが命を持っていた生き物であり、私たちは生きるために「その命をいただく」という意味なのです。西洋にも「謝肉祭」という儀式があるのを聞いたことがあるでしょう。それも同様で、「人間は生きていくために、動物を食べる。その動物の『命』に感謝する」という意味です。だから無駄な殺生はいけないのです。
話は変わりますが、私たちの家の近所や学校の周りに野良猫を時々見かけますね。最近はこの猫に餌付けをして捕獲してから、子供を産めないように手術をして猫を生かす運動をされている方々がおられます。この猫を地域猫と呼び、この運動をされている人に保護されているのですね。色々な野良猫に対する考え方があると思いますが、私たちは命を大切にするという観点から、この人たちの考えを尊重しなければなりません。
また、海外の人達の動物の命に対する考え方は、私たちの文化とは違っています。例えば、オーストラリア人の方と一緒に食事をしたときのことですが、ステーキは普通に食べられましたが、次に出てきた伊勢エビがまだ生きていたために、それを食べることを拒絶されました。エビが目の前で生きたまま調理をされることが、耐えられないのがその理由だったのです。
このように、育った文化や風習によって同じ人間でも「命」に対する感じ方が違うことを、私たちはお互いに知り、生き物に対する考え方を理解し合わなければなりません。それが、異文化理解でもあります。
同じ地域で暮らすのならなおさら、先ほどの猫のように、さまざまな人が持つ「命」に対するそれぞれの考え方を理解し合うことが大切です。
さらに、これからグローバル社会で生きる皆さんは、しっかりと国際感覚を養って行くためにも、自分の考えを相手に押しつけるのではなくお互いの文化や思想を尊重しなければなりません。
特に本日のテーマとなりました「命」の尊さについてこれからもよく考えてください。
以上で今日のお話は終わります。