ある一人のエジプト人が日本で医師になることを目指した。前例がほとんどない。「だからこそ、きっと面白い」。そう思って挑戦したオサマ・イブラヒムさん。見事に夢を実現し、今は日本のトップレベルの病院で眼科医として働いている。「完璧に日本語を話せるようになるのは、とても大変なことですが、この壁を乗り越えられれば素晴らしい世界が見えてきます」と語る。
オサマ・イブラヒムOsama Mohamed Aly Ibrahim1982年、エジプト・アレクサンドリア市生まれ。アレクサンドリア大学医学部を卒業し、エジプトの医師免許を取得。2007年に来日、慶應義塾大学大学院医学研究科に進学し、11年に博士号取得。来日当初より日本の医師免許取得を目指し、研究と日本語の勉強に専心する。16年、念願の医師国家試験合格を果たし、東京都の認可を得た唯一のアラブ人医師となる。現在は東京大学医学部附属病院に勤務する。
自分自身に「やってみたらどうか」と言ってみたんです
——エジプトに生まれ、アレクサンドリア大学の医学部を卒業し、医師になったオサマ・イブラヒムさん。当地で1年間の初期研修を終え、日本に来た。誰も歩いていない道だから、面白いことがたくさんあるはずだ。そう思ってチャレンジしたという。
オサマ 日本でアラブの人が医師になったという話を、私は聞いたことがありません。それだからこそ、チャレンジしたいと思ったんです。子どもの頃から空手を習っていましたから。師範はよく、私たち弟子に日本という国がどんなところかを話してくれて、いつしか「日本に行きたい!」と思うようになりました。
エジプト南部のエドフ神殿にて(写真提供=オサマ・イブラヒム)
大学4年生のときでした。イタリアのパレルモ大学に短期留学する機会を得たんです。行ってみると、26カ国の医学生が100人集まっていて、そこに日本人がいたんですね。すぐに仲良くなって、私が「日本に行きたいんです」と伝えると、その人は「日本に来たら、いろいろと案内しますから、ぜひ来てください」と言ってくれました。これは行くしかないと思い、しばらくして本当に行きました。観光で2週間ぐらい。もう一つの目的は、この国で医療や医学の最先端を学ぶことができるか、働くこともできるか、私なりに調査することでした。
私はそれまで、医師免許を取ったら米国に行こうと思っていました。それが、この旅行で考えが大きく変わりました。日本は、米国よりも良いかもしれない。医療技術に関しては、最先端のものがあふれている。医学の研究も盛んだ。治安もいい。これは素晴らしい。しかし、一つだけ大きな障壁がある。それは、日本語でした。
この国では、日本語ができないとつらい目に遭うことになると思いました。さらに医師になるのであれば、日本語を完璧に身に付ける必要がある。本当にできるのか。自信はゼロ。でも、日本語をマスターできれば、必ず道は開け、きっと良いものをたくさん受け取れるだろうと思ったんです。そう思って決断しました。この国で医師になる。誰も歩いたことのない道だから、大変だけど、きっと面白いはず。自分自身に「やってみたらどうか」と言ってみたんです。
新聞記事をテキストに「スカイプ」で会話
——エジプトで眼科医になった後、来日して慶應義塾大学の大学院の医学研究科に進学したオサマさん。日本では、日本語の勉強をしながら、眼の病気に関わる研究をしながら、まずは博士号の取得を目指した。通常は4年かかるところを、3年で修了。また、日本語能力試験で一番難しいN1にも認定された。実は、オサマさんの日本語学習を支えた日本人がいた。
オサマ 私がいたアレクサンドリアで日本語を学べるところはありませんでした。カイロにはありましたが、そこまで行くなら、日本で勉強した方が効率が良いと思ったんです。少しでも早く日本に行って、必然的に日本語を話さなくてはならない状況の中で学んだ方が早く身に付けられると考えました。でも、来日して、大学院の勉強をしながら日本語を学ぶのは大変でした。学習時間は1日2時間ぐらい。日本語学校に通ったこともありましたが、生徒が複数いて、私の話す時間はあまりない。効率がよくありませんでした。
外国語を学ぶとき、一番大事なのはアウトプットです。言葉を覚えたら、無理にでも使う状況を作り出して、すぐに日本人と話した方がいい。これを毎日やると、学習の効率性がとても上がるんです。何か良い方法はないか。いろいろと調べていると、区役所のボランティアセンターで日本語を教えてくれる方を紹介してくれると聞いたんです。さっそく行ってみると、当時68歳の女性が私の担当になってくれることになりました。米田さんという方で、とても優秀で、日本語の教え方もとても上手でした。この出会いが、大きな変化を生み出したんです。
私が、日本で医師になりたいことを伝えると、日本語の学習時間を増やす必要があると言われました。ただ、お互いに忙しく、毎日会うのが難しかった。どうしようかと一緒に考えて、それぞれが自宅のパソコンで「スカイプ」という無料サービスを使って、テレビ電話の会話をしようということになったんです。米田さんはこのために、パソコンを初めて買って操作を覚えてくれました。私は今でも彼女に本当に感謝しています。これで毎日、日本人とコミュニケーションをとりながら日本語の勉強ができるようになりました。毎回、新聞の記事をテキストにしました。「天声人語」などの1面のコラムや、医療や医学に関わる記事を読みました。読み方を間違えれば、そのたびに彼女が指摘してくれました。難しい言葉は、米田さんが分かりやすく説明してくれました。彼女も「この日本語の意味は私も分からない、調べておくね」と、一緒に勉強できることが楽しそうでした。一対一のやり方がとても効率的で、日本語の能力がどんどん上がっていきました。米田さんのおかげで、私は日本語能力試験のN1の認定を受けることができました。