グーグルなど「データの巨人」が小説『1984年』で描かれた管理社会をほうふつさせる世界を創り出している。大量のデータを武器に市場の動きを細かく把握。新興企業が参入できなくなる状態を危惧する声が出始めている。ただし、企業分割など、かつて同じく巨人だった石油会社に適用した手段は時代にそぐわない。新たな策が必要だ。
有用な製品・サービスが誕生すると、莫大な利益を生む産業が生まれ急成長する。すると、その産業を制した企業の拡大を止めようと規制当局が独占禁止を理由に介入する。1世紀前に問題となったのは石油だった。現在は、デジタル時代の石油ともいえるデータをめぐり同様の懸念が広がっている。米アルファベット(グーグルの親会社)、米アマゾン・ドット・コム、米アップル、米フェイスブック、米マイクロソフトなど「巨人」の勢いはとどまるところを知らない。
この5社は世界で最大規模の時価総額を誇る上場企業であり、収益はうなぎ登りだ。2017年の第1四半期には5社合わせて250億ドル(2兆8200億円)以上の純利益を上げた。米国内でのオンラインサービスに支払われた金額のうち半分は、アマゾンが占めている。米国のデジタル広告市場が昨年拡大した分はほぼすべて、グーグルとフェイスブックの手に帰した。
こうした寡占状態を受けて、デジタル市場の巨人たちを解体すべきという声も上がる。20世紀初めに米国の石油産業を牛耳ったスタンダード・オイルが分割されたように、である。
本誌(英エコノミスト)はこういった極端な措置に対して異を唱えてきた。企業規模が大きいこと自体は罪ではない。デジタル企業の巨人たちが成功を収めることで消費者も恩恵を受けてきた。今やグーグルの検索エンジンやアマゾンの当日配送、フェイスブックが運用するニュースフィードのない生活を望む人はほとんどいないだろう。
加えて、政府が独占禁止法に基づき通り一遍の調査を行っても、こうした企業をとがめることはできない。暴利をむさぼるどころか、そのサービスの大半は無料なのだから(実際にはユーザーは大量の個人情報を提供する形で代償を払っている)。
だが不安材料はある。インターネット企業は利用者の情報を手中に収めることで強大な力を得ている。石油の時代に生まれた(企業規模でその価値を測る)競争の概念は、「データ経済」と呼ばれる、大量のデータが基盤となる経済においては時代遅れに映る。新たな物差しが必要だ。
■「量」は「質」に転じる
石油時代と比べて何が変わったのか。スマートフォンとインターネットは膨大な量のデータを日々生み出している。これらがいつでもどこでも取得、利用できるようになり、従来とは比べものにならない価値を持つようになった。
例えば私たちがジョギングしている時やテレビを見ている時、交通渋滞で動けない時でさえ、あらゆる行動が記録され、データ化される。腕時計から自動車まで多岐にわたるデバイスがネットとつながるにつれ、データの量は増える。自動運転のクルマは1秒当たり100ギガバイトのデータを生成するという試算もある。