自分が本当に精神疾患か分からずに、悩む日々でございます。

どうも、うつ病または双極性障害であるはずのブロガーほっしーです。

実は最近、自分が本当に精神疾患なのかどうかについて悩んでいます。

理由は単純で、症状がほかのひとよりも軽いから。

 

私はこのブログを書き出して、1年半以上になります。

ブログに対して応援メッセージや、自分の体験を載せてほしいとの声をたくさんいただいて、実際に掲載させていただいたりもしてます。

参考になる話がいっぱい! 精神疾患の体験談記事まとめ

記事を掲載する前に、ちょっと手を加えさせてもらってるんですが

ほっしー
ほんと、壮絶だな…自分は相当幸せなのでは…つーか、ほんとに精神疾患なのかもわからなくなるな。

と、思うことがあるんですよ。

幸せなことのはずなんですけどね(笑)

 

ただ、あなたも同じように、

自分は本当に精神疾患なのだろうか?甘えなんじゃないだろうか?

と思っているのではないですか?

 

 

「うつ」といっても十人十色ということはわかっている

女性
うつっていっても、いろんなパターンがあるよね?

まさにその通りで、うつ状態で何もできない人もいれば、好きなことだったらできる人もいます。

「うつ病のうつ状態」と「双極性障害2型のうつ状態」の違いについて

 

双極性障害なら、◯◯だったらうつ状態、◯◯だったら躁状態というように、きっちり区分けできないこともある。

つまり、あの人の症状と比較して、自分は軽い、重いからどうこうと考える意味は全くありません。

私がうつ状態でもブログを書き続けられるからといって、あなたは自分を責める必要はありませんし、私も精神疾患であるかどうかを疑う必要もありません。

変な話ですが、お医者さんに精神疾患と言われているので、とりあえず精神疾患なのです(笑)

 

ま、それがアタマでは理解できたとしても、心で納得することが難しいんですがね。

私は顔と名前を公表して活動してますから、ブロガーさんと会うと

男性
ほっしーさんって、精神疾患に見えないですねw

と言われることがよくあります。

話しやすいように、自分から「見えないって言われるんですよ〜w」と絡むこともありますがw

それはそれでありがたいことなんだけど、どこか心の中で引っかかるんですよね。

…と、思いつつも、気を使われるよりは1億倍マシだとも感じてますw

 

うつの症状も長い間でていないと言っても過言ではありません。

昨年は落ち込みが激しくなる冬至の時期に、断薬したこともあって、うつ状態になりました。

レクサプロの断薬を精神科医の忠告を無視して勝手にやってみた結果…

しかしこれも、断薬したわりには普通のうつでした。

まあ、良いことなんですが…なんかこう…手応えがないうつだったというか…(笑)

断薬の経験があるひとは、離脱症状が起きたり、超絶悪化したりと大変な目にあってます。

いつも落ち込む時期なので、そのせいなのか、断薬のせいなのか、区別がついてません。

断薬したわりには落ち込みがしょぼいという事実は、私のメンヘラ人生に影を落としていますw

 

いくらうつ症状が十人十色とは言え、私のはあまりにも軽すぎる。

ほっしー
わかってるけど軽すぎる…わかってるけど…

 

診断が確定できないという「救い」

精神疾患のほとんどが、いまだ未解明でここの数値がアレだからうつ病ね!といったことにはなりません。

 

防御力+5ぐらいですが、「精神疾患」もある意味盾になってます。

免罪符になるほどの、高レベルな装備ではありません。

精神的なもんですよ。RPGでいうところの、木の盾ぐらいですかw

 

精神障害者という枠組みは気持ちのよいものではありませんが、その言葉に守られているという事実もあります。

もし、自分が精神疾患ではなかったら? と考えると、いったいどこに所属することになるんでしょうか。

プー太郎ですか。甘えですか(笑)

 

客観的な診断方法が確立されていないことが私たちを苦しめる一方で、

誰でも装備可能な状態になっている精神疾患…難しいところです。

客観的診断が導入されて白黒つけられるようになった世界で、グレーな人間がどうなるのか…。

ほっしー

障害者雇用の人とかどうなるんだろ…。

考えるとちょっと恐ろしい気もしますよね。

 

病歴が長いと、精神疾患がアイデンティティになってしまう

私はまだ3〜4年のペーペーですが、すでに精神疾患である自分にすっかり慣れてしまいました。

精神疾患者は、10年選手も珍しくないです。

そうなってくると、もはや精神疾患である日常が当たり前になってくるんですよ。

フォロワーさんからこんなリプライを頂いたことがあります。

フォロワーの女性
私は健康だった頃の自分を覚えていません。

私も同じ気持ちですが、これ、すごいことですよね。

病気であることが日常。不健康であることが日常。

 

もちろん、そんな状態からは「いずれ」抜け出したいと思ってます。

が、客観的診断の導入によって、診断が確定するということは、「日常を奪われる」ような感覚。

だからこそ、心のどこかで診断なんて確定しなくてもいいと思っているのかもしれません。

 

それに、「あなたは精神疾患ではありませんね。」と言われたら、

これまでの治療は一体なんだったのだ?という話になりますよね。

怒りのあまり、精神科に突撃して精神科医をぶん殴るかもしれません(やりません)

 

すっかり病気と性格が同一化してしまって、

本来なら喜ばしい「診断の確定」が「人格の否定」に繋がるような気がするという歪んだ発想になってます(笑)

これも認知の歪みというやつなのだろうか。

認知の歪みとは? 実例とともにわかりやすく10個解説してみる

 

自分が精神疾患かどうかなんて、悩んでも意味が無い

はい。そうなんです。

自分が精神疾患かどうか? については、悩んでも全く意味がありません。

これはコントロール不可能なことなんですよ。

それに、ちょっとポジティブに考えてみれば、精神疾患ではなくなったとしてもそれほど変わることはありません。

  • 現時点では、客観的な診断方法が確立されていない
  • 自分が精神疾患ではなくなったとしても、生活は急に変わらない
  • 周りの人間だって、鬼じゃないんだから急に態度を変えたりはしない
ほっしー
まあ、そういうことじゃねえんですよね。プライドの問題というかw

ここは精神疾患者として、永久に悩み続けるところだと思います。

本当は生きているだけでも十分なのになぁ。

昔書いた記事なんですが、こういうときに読み返すと救われます↓

すでに心が壊れているのに、まだ自分を傷つけるの?