(昨日の日記/承前)
そのあとバスで中野駅まで出て、そこから中央線で新宿へ。十五分ほど中古CDを物色したあと、そそくさと小田急に乗り込む。約束の時刻が迫っているが、うまい具合に急行に乗り合わせ、二つ目の下北沢で下車。きっかり六時に到着。
ここに降り立つのも久しぶりだ。千葉に引っ越してからは足が遠のいた。なにしろ遠いのである。前回この街に来たのはおととしの夏だろうか(「吉野金次のためならば」
→ここ)。
五分ほど待つうち改札から旧友の Boe が現れる。昨日ウィーンから戻ってきたばかりだという。その彼もシモキタは随分久しぶりとみえ、方角がとんと摑めない様子。土曜の宵とあって道路は織るような人の波で溢れている。昔も今もここは若者の街なのである。
これから出かけるライヴハウス「440」も全く知らない。Boe がプリントアウトしてきた地図をみると、どうやらそこは三十数年前に小生が足繁く通った「下北沢ロフト」の所在地と指呼の距離にあるようだ。
駅から七分ほど歩き、所在を確認する。まだ開演まで間があるので少し腹拵えすることにする。近くに「ホッピー」の幟のある「紅とん」という店があったので、ふたりしてそこでまずは乾杯。積もる話を…といっても、互いの日記をネット上で読みあう間柄だから、四箇月ぶりという感じがまるでしない。黒ホッピーをお替わりし、ツマミを四品とってひとり千円ちょっとというのが嬉しい。シモキタはいいな。
そうこうするうち、開演時間が迫ってきた。七時ちょっと過ぎに「440」の敷居を跨ぐ。四十人ほど入れるだろうか、小ぢんまりしたスペースで、硝子張りなので街路から丸見えというのが面白い。チャージを支払い飲食チケットを手にして入場。図々しく齧り付きに席を取る。今日のお目当ては金子マリ。1970年代後半のわが懐かしくも眩いミューズだが、その後はとんと御無沙汰した。90年代に二度ほど聴き、あとは一昨年の十一月に見聞したきりだ(「次郎吉で金子マリを聴く」
→ここ)。昔日の面影を求めてしまうのがわれながら嫌で、なんとなく聴かずにいたのだが、Boe に誘われて出向いてみようかなという気になったのだ。
七時半。まずは前座に DAG FORCE (あるいはジョジョ)と名乗る若いラップ歌手が登場。実質的にこのステージがデビューなのだそうで、チベットなどの時事ネタを織り込んだ歌詞の鋭さとは裏腹に、実にうぶな初々しいパフォーマンスに好感がもてた。一曲だけ金子マリも登場してデュオを唄う。バックでベースを弾くのは、たぶんあれが金子マリの息子の KenKen こと金子賢輔なのだろう。
休憩を挟んで八時過ぎからいよいよメインが始まる。5th Eement Will というユニット名義でのライヴである。
ヴォーカル/金子マリ、北京一
ギター/岩田浩史、森園勝敏
ベース/大西真
キーボード/石井為人
ドラムズ/松本照夫
インストルメンタル・ナンバーに続いて金子マリが登場。まずは先のアルバムにも収録された「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」を唄う。かまやつひろしの往時の佳曲だ。続いてはボニー・レイットの「ザ・ベッド・アイ・メイド」。
このあたりでわかった。今日のマリちゃんは絶好調なのだ。声に伸びやかさと張りがあるし、無理にシャウトすることなく、歌の心を大摑みにするような包容力たっぷりの歌唱に彼女の今の境地が窺われる。二年前の次郎吉でのライヴとは大違いだ。煙草を手にし、時にタンバリンを叩きながら唄う姿は昔のまんま。ぐっと姐御っぽい貫禄は増したけれども。
ほどなくステージに北京一も登場し、和洋取り混ぜてソウルフルな歌を数曲。ふたりの息がよく合っているのが傍で見聞していてわかる。このあたり、曲名を詳らかにしないのが残念。タイトで粘りのあるバックバンドも聴き応え充分。往時のバックスバニーを彷彿とさせる、と言ったら褒め過ぎか。
一時間強のステージはあっという間に終わってしまう。
締め括りはサム・クックの「ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム」。そして(これはBoe君の愛唱曲だという)ウォッカ・コリンズの「オートマティック・パイロット」。この二曲が今夜の白眉だったのではないか。最後は客席のわれわれも立ち上がって踊り出し、いい感じに盛り上がったまま大団円を迎えた。
時計を見たら九時半過ぎ。ちょっと名残惜しい気分なので、帰り道沿いにあった広島風お好み焼の店でさらに杯を重ねた。
下北沢は金子マリのご当地。ここには駅脇の踏切際に彼女のご実家である葬儀社「金子総本店」(今は彼女が経営者だそうだ)があり、今日も通った商店街にも70年代後半には彼女の名を取った喫茶店「まり」があった。「下北沢ロフト」でバックスバニーのライヴを聴く機会も頻繁にあったし、街を歩いていたらサンダル履きで散歩中の彼女に出くわし、一言二言会話を交わした懐かしい思い出もある。同じその街で再び彼女の元気なステージに接することができたのは幸せの極みである。
十二月に出るという彼女の新譜を聴くのが楽しみになってきた。