16276 (cache) 【プレスリリース】驚愕の新種! その名は「サザエ」 〜 250年にわたる壮大な伝言ゲーム 〜 | 日本の研究.com
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岡山大学・農学部・准教授 - 2007年度
推定分野

岡山大学大学院環境生命科学研究科(農)の福田宏准教授は、欧米の古文献を再調査した結果、日本では食用として広く知られている貝類のサザエが、これまで有効な学名をもたず、事実上の新種として扱われるべきであることを解明し、サザエの学名を新たに「Turbo sazae Fukuda, 2017」と命名しました。本研究成果は5月16日、日豪共同刊行の軟体動物学雑誌「 Molluscan Research 」電子版に公表されました。


サザエは、日本ではアサリやシジミと並んで最もよく知られた貝類であり、国民的アニメーションの主人公の名前にもなっています。しかしそのような種ですら、我々人類はアイデンティティを正しく把握できていなかったのです。このことは、生物の種の正確な識別と同定がいかに困難であるかを示す一端として示唆的です。


<本研究成果のポイント>

  • 地球上に存在するあらゆる動物の種のうち、学名のない種(未記載種)は、万国共通の国際動物命名規約に即し、新種として学名を記載・命名されなければ、生物学上、正式に認知されたことにならない。
  • 今日に至るまでサザエの学名は、1786年に英国の僧侶兼博物学者ライトフットが命名したとされる「Turbo cornutus」が用いられてきたが、実はこの名は中国に産する別種ナンカイサザエに相当し、サザエではなかったことが今回初めて判明した。
  • この混乱は、英国の貝類学者リーヴが、1848年に誤ってナンカイサザエとサザエを混同し、サザエを「Turbo cornutus」と呼んだことに端を発する。これ以後約170年にわたり、世界の貝類研究者全員がリーヴの誤同定に引きずられてきた。
  • リーヴは同時に、シーボルトが日本で採集したサザエを「Turbo japonicus」と命名したが、その際になぜかモーリシャスに産する全く別の種と混同し、後発研究者によってこの学名はモーリシャス産に固定されてしまった。国際動物命名規約のルールに従えば T. japonicus はモーリシャスの種の学名であり、もはや日本のサザエには適用できない。
  • ナンカイサザエは1995年にサザエと識別され、新種「Turbo chinensis」として記載されたが、この時記載されるべきだったのはナンカイサザエではなくサザエの方だった。T. chinensis は T. cornutus の不必要な新参異名であり、無効名である。
  • 結局、サザエには、史上一度も有効な学名が与えられたことがない。つまりサザエは、驚くべきことに、事実上の新種である。よって今回サザエを「Turbo sazae」と命名した。



図1.日本産サザエ(有棘型).



図2.中国産ナンカイサザエ(有棘型).



図3.Davila (1767) に掲載された真の Turbo cornutus。原図を左右反転させてある。棘が短く、間隔が狭く、肩に2列ある点で、図2(特に右下)に酷似することに注意。Davila, P.F. (1767) Catalogue systématique et raisonné des curiosités de la nature et de l’Art, qui composent le cabinet de M. Davila, avec figures en taille douce, de plusieurs morceaux qui n’avoient point encore été graves, tome premier より引用。


<歴史的経緯>

海産貝類のサザエ(図 1)は日常的に食用に供され、国民的アニメーションの主人公の名前になっていることもあり、日本人なら知らない人はいないと言っても過言ではありません。


サザエは動物分類学上、軟体動物門・腹足綱(=いわゆる巻貝類)・古腹足亜綱のリュウテン科(Turbinidae)、リュウテン属(Turbo)のサザエ亜属(Batillus)に属します。ほんの20 年ほど前まで、サザエ亜属の現生種にはサザエ(Turbo cornutus Lightfoot, 1786)のみが存在するとされ、日本・韓国・中国に同じサザエが分布すると信じられてきました。しかし 1995 年、小澤智生・冨田進(Ozawa & Tomida, 1995)は日本・韓国産個体と中国産個体が実は別種であると指摘し、中国産(図 2)を新種「ナンカイサザエ Turbo chinensis Ozawa & Tomida, 1995」として記載・命名しました。現在まで、この分類は広く受け入れられています。サザエもナンカイサザエもともに、殻に棘を持つ個体と持たない個体が出現しますが、棘を持つ個体同士を比べた場合、サザエ(図 1)は棘が長くて間隔が広く、肩に 1 列のみを生じるのに対し、ナンカイサザエ(図 2)は棘が短くて間隔が狭く、肩に 2 列以上を生じる点で、識別は容易です。


ところがこのたび、サザエの学名とされてきた「Turbo cornutus」について、ライトフット(Lightfoot, 1786)の原記載(学名の原典)を見直したところ、この学名はサザエでなくナンカイサザエに相当することが判明しました。ライトフットは、それ以前に刊行されたダヴィラ(Davila, 1767) の本に図示された個体に対して「T. cornutus」という名を与えたのですが、ダヴィラの図(図 3)を見ると棘は短く、間隔が狭く、肩に 2 列を生じており、しかも産地は「Chine」(中国)と明記されています。したがって、小澤・冨田によるナンカイサザエの学名 T. chinensis は T. cornutus の新参同物異名であり、無効名です。同時に、日本のサザエを「T. cornutus」と呼ぶのは誤りであり、これまで日本と韓国で刊行されたすべての貝類図鑑や論文は、サザエの学名を間違えていたのです。ダヴィラとライトフットの本はともに、日本には所蔵されていない希少本で、現在のようにインターネットのデジタルアーカイヴが発達する以前は、閲覧自体が困難でした。小澤・冨田はナンカイサザエを新種記載した際、ライトフットの原記載を見ていないと明記しています。


では、日本のサザエの学名はどうなるのでしょうか。その後の歴史的経緯を調べたところ、ダヴィラとライトフット以降、19 世紀半ばまでの欧米の文献に登場するのはすべて中国産(つまりナンカイサザエ)であり、日本のサザエは一度も言及例がありませんでした。これは当時の日本がいわゆる鎖国状態にあり、欧米人にとって浅海域の貝類の入手が困難であったためと推測されます。


欧米の文献に初めて日本のサザエが現れたのは 1848 年で、ロンドンの貝類学者リーヴ(Reeve, 1848)が一目で日本のサザエとわかる見事な絵を図示しました(図 4、左)。ところが、この時リーヴはサザエを誤ってナンカイサザエと混同し、「Turbo cornutus」 と同定しました。これ以降現在に至るまですべての研究者が、リーヴの誤同定に引きずられ続けたことになります。



図4.Reeve (1848) の図。左:サザエ(有棘型、「Turbo cornutus」と誤同定)、中:モーリシャス産 Turbo japonicus、右:サザエ(無棘型、「Turbo japonicus」として)。Reeve, L.A. (1848) Monograph on the genus Turbo. Conchologia Iconica Vol. 4 より引用。


一方、リーヴは同時に、シーボルト採集の日本産サザエの無棘型(図 4、右)を「Turbo japonicus Reeve, 1848」と命名しました。その標本は今もロンドン自然史博物館(旧・大英博物館自然史部門)に保存されており、これは確かに日本のサザエなので、本来ならばサザエの学名は T. japonicus となるべきでした。しかしあろうことか、リーヴは T. japonicusを命名した際に、サザエをインド洋のモーリシャスに産する全く別の種(図 4、中)と混同し、それらの両方を同じ著作の中に「T. japonicus」として挙げてしまいました。そして不運にも、その後の研究者によって T. japonicus という名はモーリシャス産の種に固定されてしまい、国際動物命名規約の取り決めに従えば、この名はもはや日本産サザエには適用できない状態となっています。


これ以降、サザエに対する有効な学名は、歴史上一度も提唱されたことがありません。「サザエ=Turbo cornutus である」「日本産も中国産も同種である」という 2 つの間違いがほとんど検証されることなく盲信されて来たため、誰もサザエに学名がないなどとは思わなかったからです。唯一例外的に、日本産と中国産を別種と正確に見抜いた小澤・冨田も、「サザエ=Turbo cornutus」という根本的な勘違いから自由になれず、新たに命名しなければならないはずのサザエを先人に倣って「T. cornutus」とし、命名する必要のないナンカイサザエを「T. chinensis」と名付けてしまいました。


<結論・教訓>

驚くべきことに、サザエは今日まで学名を与えられておらず、事実上の新種として扱われるべきことになります。そこで今回、サザエに対して新たな学名「Turbo sazae Fukuda, 2017」を命名しました。誰もが知っているはずのあのサザエは、今に至るまで名無しの状態で、正式に命名されるのを密かに待ち続けていたのです。

ダヴィラが最初にナンカイサザエを図示して以来、今年でちょうど 250 年が経ちました。その途方もなく長い間、上記の誤りが気付かれなかったのは、18 世紀の稀少文献の閲覧が難しかったことも要因の一つです。しかし、それにもまして大きいのは、「サザエのようなよく知られた種の同定が間違っているはずがない、学名がないはずがない」という研究者の先入観、思い込みにあったように思われます。このような思い込みが勝ると、当然ながら、学名の原典を再確認してみようという発想も失われます。170 年前に リーヴ が誤ってサザエとナンカイサザエを混同するとともに、サザエとモーリシャスの別種を混同して以降、これらの間違いが気付かれないまま連綿と伝えられてきたのであり、結果として、18 世紀から 21 世紀にわたる壮大な伝言ゲームの様相を呈してしまいました。

しかし、これは決して特殊な例ではありません。生物の分類学(識別、命名、同定、分類、相互の関係性の把握)とは、実在する種と先人が与えた名前との関係や、それらの変遷を問い直してゆく学問分野であり、その点で歴史学に重なりますが、同時に、人の持つ先入観・思い込み・伝言ゲームとの闘いをつねに強いられます。誰かが誤った見解や偏った解釈を述べ、後発研究者がそれを鵜呑みにしてしまえば、間違いは際限なく流布され、ついには誤りの方が正解であるかのように受け止められることもあります。

目の前にいる生きものの名前と所属を正確に決定し、他者へ伝え、情報共有することは、人類にとって決して容易なことではなく、むしろ困難極まる課題とみるべきでしょう。昨今は生物多様性とその保全が重視されるようになりましたが、その最も基礎をなすべき命名と同定の信頼性が揺らぐと、例えば、保全すべき稀少種と駆逐すべき外来種とを混同してしまうなど(サザエは日本産と中国産が混乱していたのですから)、当初の目的と真逆の弊害をもたらしかねません。

我々は、よく知っているつもりのサザエすらも、今の今までアイデンティティを把握しきれていなかったのです。この一件は、生物に関する我々の知識は今なお甚だしく不完全で、錯誤や偏見も多く混入しており、そのことを十分に自覚した上で自然界に接するべきであるという教訓になりうるでしょう。

<論文情報等>

論 文 名: Nomenclature of the horned turbans previously known as Turbo cornutus[Lightfoot], 1786 and Turbo chinensis Ozawa and Tomida, 1995 (Vetigastropoda: Trochoidea:Turbinidae) from China, Japan and Korea

掲 載 誌: Molluscan Research DOI: 10.1080/13235818.2017.1314741

著 者: Hiroshi Fukuda

発表論文はこちらからご確認いただけます。

http://dx.doi.org/10.1080/13235818.2017.1314741

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