茜橋で待ってます
今夜、7と共にいた数字の時に
茜橋で待ってます
白いコピー用紙にプリントされた文字。
週に1回、決まって水曜日に投函されるこの紙を見るのは、これで3度目だ。
何が目的かは分からないが、入れたヤツの目処はだいたい立っている。
どうせワカマツ達の誰かだろう。2月に入って自由登校が増えたから、きっと暇なんだ。
それにしても、凄い執念だ。SNSのメッセージをブロックしているからって、わざわざ家にまで来ることはないだろう。
こんな寒い時期に厚着をしてポストに紙を入れている姿を想像すると、何とも言えない気分になる。
そこまでして、俺をからかいたいのか。
「また変な紙入ってたの?」
やるせない気分になり、玄関先で立ち止まっていると、俺の姿を確認した母親が居間の窓を開けて顔を出した。
「あぁ。しつこいねぇ」俺は力なく返事をし、一緒に入っていたピザ屋の広告とその紙をヒラヒラと振った。
「あんまりなら、先生に相談すれば」
「いいよ。そんな事しなくても。もうすぐ卒業だから」
頬に刺さる風が痛い。
あと約1ヶ月で高校生活も終わりだ。
その時がくれば自分を囲む煩わしさとも、この街ともおさらば出来る。
もう少しの辛抱だ。
***
アオバ先生
最後の一生のお願いだから、今度の金曜のシフト代わって。4時から9時までのやつ。まじで何でもするから。お願い、アオバ先生!
アオバ先生……。いつもは呼び捨てなのに、頼み事がある時だけアオバ先生。
最初の一行で内容が分かる。
俺は今、先週送られてきたメッセージと全く同じものを見ている。この現象は、間違いなくデジャヴというヤツだ。
サキヤマさんがバイトを始めて約3ヶ月。俺はその間に、幾度も彼女のシフトをカバーした。いや、代わるのはいい。コンビニのバイトも嫌いじゃないし、お金だって必要だ。ただ、頻繁に登場する「一生のお願い」が嫌なんだ。しかも最近は、しれっと「最後の一生のお願い」にバージョンアップしている。元々、意味が崩壊しているところに追い打ちをかけるボディブローが許せない。
了解。金曜ね。
何か他に打ったほうがいいと思うが、メッセージだと誤解を生む可能性がある。
次だ。次にバイトが被ったら、その時は面と向かって「一生のお願い禁止令」を伝えよう。
気が強い彼女の事だ、絶対に何か言い返してくるはず。そうなったらすぐに話をずらそう。深追いはやめておいた方がいい。
うん、やっぱり状況次第だな。言えたらでいい、無理は禁物だ。
***
「しかし、迷惑な寒さだよねー」少し遅れて裏口から出てきたサキヤマさんは、両手をコートのポケットに突っ込んだ。
「今日、結構混んだね」歩くスピードを少し緩め、彼女の歩調に合わせる。
「本当だよー。こんなに寒い日に出歩くなって感じ。あ、そうそう。この前、シフト代わってくれてありがとね。助かった」
「うん、それは問題ないんだけど、あのさ、あの、バイトの交代を毎回頼むときに……」
「ねー、それ何が入ってるの?」サキヤマさんは話を遮り、俺のカバンを叩いた。
「え? 何って?」
「カバンの中だよ。いつもバイトに持ってきてるよね? 何が入ってるの?」
「大したものは入ってないよ。本とかノートとかくらい」
「どんな本が入ってるの? 何? エロ本? うわぁー、バイト先にエロ本とか変態だね、アオバは」
「え、何で勝手に決めつけるの? エロ本なんか入ってないよ」
「じゃあ、何の本?」
「いいじゃん、何でも。絶対サキヤマさんが興味ない本だよ」
「でた。最低だね。そうやって人を決めつけて見下してさ。嫌だね、根暗は」
「根暗って何だよ。別に決めつけた訳じゃないって。詩集だよ。黒田三郎って人の詩集が入ってる」俺はカバンの外側をさすった。
「詩集? サブロウ? 何それ、本気で言ってるの? サブちゃんの詩集? そんなの読んで面白いの?」
「サブちゃん? 変な呼び方しないでよ。ほら、だから言いたくなかったんだよ! 絶対バカにすると思った。サキヤマさんはどう思っても、俺はそのサブちゃんが書いた詩が好きなんだよ!」
「分かった、分かった! ごめんなさい! 『好きなんだよ!』って急に熱くなって、ビックリするでしょ。何? 修造? あー、アオバはやっぱり面白いねー。このバイト始めるまで、そんな印象、全然なかったよ。クラスでは、本ばっか読んでるイメージしかなかったからね。私達の間では、『簿記検定』ってあだ名が付いてたもん」
「え、そうなんだ。出来ればそういう情報は聞きたくなかったよ」
簿記検定。もはや生き物ですらない。なんにせよ、酷い呼び名だ。
コンビニを出て10分ほど歩くと、茜橋に着く。
手紙を受け取るようになってから、一応注意して橋を歩くようになったのだが、今のところ何も変わった様子はない。
渡りきるのに3分ほどかかるこの橋は、街の真ん中を切り裂くように流れている玉鈴川に架かっており、東側に広がる平地と、再開発が進み新興住宅地やマンションが群立する西側の台地を繋いでいる。
橋の中央にある膨らみは、ちょっとした夜景スポットになっていて、気温が暖かくなると南側の川沿いに連なる工場のライトや、西の高台に立ち並ぶマンション群の光の階段などにカメラを向ける人達を見かけるようになるが、冬場はその寒さの為か閑散としている。
この街は、美しい。
北には緑が繁り、南には大好きなオレンジのライトが溢れる。東の商業地域へ行けば大概の物は揃うし、西の人工的な建造物群は想像力を刺激してくれる。
この街は、美しい。
でも、ここに居たくはない。
この街で生まれ、この街で育った自分とは、もうこれ以上、共に生きていきたくはない。
(18年間やり通してきた役柄を、引き続き演じる)
この街に留まる自分を想像すると、いつもそのイメージが頭をよぎる。周りの配役やセットが大幅に変わらない限り、この劇は終わらない。でも、それじゃあ、同じ役しか回ってこないんだ。
自分が想像出来る自分になるのが怖い。「やっぱり、こうなった」を受け入れる勇気がない。
全部、真っ白に戻したい。
舞台を壊して台詞も忘れて、衣装も脱ぎ捨てて、綺麗さっぱり真っ白に。
「いつも工場の夜景見てるよね? 飽きないの?」視界に入るお馴染みの景色は、俺の左側に回ってきたサキヤマさんの顔で塞がれた。
「飽きないよ。それに、いつも同じじゃないって。今日は特に寒いから、普段よりクリアに見えるし」
「うわっ。それ、昨日の帰り、エミちゃんも同じこと言ってた。何? あんた達、付き合ってるの? そういえば、エミちゃんもバイト先に本を持ってきてるしねー。それに、アオバさ、教室でエミちゃんとは喋ってたよねー。えぇー、やっぱりそういう関係?」
「そんな訳ないじゃん。付き合ってないよ。エミちゃんとは家が近いし、親同士の仲も良いから昔から知り合いなだけで、ただそれだけだよ」
「へぇー。まぁ、確かにねー。簿記検定にエミちゃんはもったいないしねー」
「その呼び方、やめてくれないかな。簿記検定って、試験じゃん。人につけるあだ名じゃないよ」
「本当だ! 確かに、試験だ! 言われるまで気がつかなかった! そうだねー、ちょっとそれは酷いね。じゃあー、簿記マンってどう? 人間ぽくない? 簿記マン!」
「なんか、それ響きがギリギリだよ。もう、簿記から離れてくれませんかね。勘弁して下さい」
「でた。変態。気持ち悪っ! ギリギリって、こっちは簿記マンってしか言ってないじゃん。いつも変なことばっかり考えてるから、ちっちゃい『つ』を想像しちゃうんだよ。うわぁー、とりあえず家帰ったら通報しとくから、連行される準備だけはしときなね。じゃあ、またねー、簿っ記マン!」こちらを振り向かずに手を振ったサキヤマさんは、大袈裟に逃げるフリをしてマンションの入り口へと消えていった。
ダウンのフードを被り、左右を確認する。
ありがたいことに、目に見える範囲に通行人はいない。不名誉なあだ名を叫ばれ、逃げるようにして女性が建物に入っていった状況だけを誰かが目撃したら、本当に通報されかねない。
帰りに送って欲しい、と頼まれたことはない。ただ、サキヤマさんの住むマンションが橋からすぐの距離にあるので、同じ時間にバイトが終わる日は、自然と彼女を家まで送るようになった。
誰もいない夜の通り。両手を後ろに伸ばして、深呼吸をする。肺に取り込まれた冷気が心地良い。寒さは人の背筋を正す。街全体が緩む夏よりも、空気がピキッと引き締まる冬の方が、個人的には好きだ。
(エミちゃんも同じこと言ってた)
エミちゃんもオレンジ色のライトが好きなのだろうか。
彼女がバイト先に持ち込んでいる本は、どんなジャンルなのだろうか。
昔から面識はあっても、突っ込んだ話は1度もしたことがなかった。
優しくて、おとなしくて、いつも笑っている動物好きな子。
俺が知っているエミちゃんの特徴は、どれも表向きなものだけ。彼女が何を考え、どんな思いで工業地帯の明かりを見ているのか、俺は知らない。
時間と距離は比例しない。
どれだけ長い間近くにいても、心の内側を晒し合わなければ、毎日流れてくるニュースと同じで裏に真実が隠れていようとも、表面の事実しか分からないのだ。
視線を右側に移し、北側を覆い尽くす黒を見つめる。
輝く夜景は、そこにはない。
これが本来の色。
夜のまんまの、本音の色。
俺は暗闇が怖いから、華やかな明かりに魅せられる。
何もない無が怖いから、自己主張をする光に目を奪われる。
でも、それは夜本来の姿じゃない。
いつでもいい、どれだけ時間がかかっても構わないから、今、目の前にある真っ黒を美しいと思えるようになりたい。
頭に被っていたフードを外した俺は、橋のたもとまで戻り、斜めに下る坂道を走っておりて、家路を急いだ。
***
水曜日。
予想通り、ポストには白いコピー用紙が入れられていた。
茜橋で待ってます
今夜、7と共にいた数字の時に
茜橋で待ってます
先週と同じメッセージを受け取った俺は、その紙をゴミ箱に捨てる代わりに、自分の部屋へと持ち込んだ。
何かが、おかしい。
この紙を入れたのが本当にワカマツ達ならば、何故こんなに回りくどい事をしているのだろう。
書かれている内容は、謎掛けのようになっている。
もし俺を誘き寄せるのが目的ならば、誘い出す対象が言葉の謎を解けていない時点で、この作戦は失敗となる。
それに、俺が過去何回かそうしていたように、コピー用紙を捨ててメッセージを無視してしまえば、カモは永遠に現場には現れない。それでは意味がないはずだ。
学校が自由登校になり、クラスでからかうチャンスがないという理由だけなら、以前のように、バイト先のコンビニに顔を出してバカにすればよいだけの話だ。
つまり、どう考えても、この方法ではワカマツ達側に何のメリットもない。
ベットに寝転がり、コピー用紙を日の光に透かしても、隠された文字などは出てこない。水に浸けたら、と思い立ったが、体を起こす前に気持ちを抑えた。
送り主は、忍者ではない。
茜橋で待ってます
この部分は、きっと言葉のままだ。
茜橋、俺が知っている限り、この街で茜橋と名のつく橋はあそこだけだ。
今夜、7と共にいた数字の時に
問題は、この部分だ。
この紙が投函されるのは決まって水曜日。「今夜」というのは水曜日の夜で間違いないだろう。
じゃあ、「7と共にいた数字の時」というのは?
書かれている文は「いた」と過去形になっている。
なぜ「いる」のではなく、「いた」となっているのだろう?
でも、ここが仮に「いる」となっていても、文の意味は通じない。
理解できない箇所を一旦置いて全体を見ると、水曜の夜「7と共にいた数字の時」に、この手紙を入れた張本人が茜橋で俺を待っているという事になる。
本当に、誰かが俺の事を待っているのだろうか?
いや、そんなはずがない。
誰が好き好んで、俺なんかを待っているというのだ。
やっぱり、何かのいたずらだ。
仰向けになったまま、白い天井を見つめる。
近所の子供の鳴く声に、横のアパートの駐車場から聞こえるエンジン音。
いつもの日常が、ここにある。
今日は水曜日。バイトがない俺は、昨日と同じ部屋着を着て、テレビを見ながら夕飯を食べ、風呂に入った後、本を少し読んで眠るのだろう。
明日は木曜日。登校日で学校に行く俺は、久しぶりに会うワカマツ達にからかわれ、クラスメートの前で恥をかくのだろう。そして、何とも言えない気持ちで帰ってきた後はすぐに着替え、バイト先のコンビニへ向かう為に、茜橋を渡る。
3月の卒業まで、この繰り返しだ。
天井のライトの脇に、蜘蛛の巣が張られている。
絡まったまま動かなければ、いつか食べられてしまう。
1ヶ月以上先に控えている出発の荷造りは、もうとっくに済んでいる。
準備は万全だ
やらなければいけない事は、何もない。
後は、繰り返すだけ。
ならば、役柄を変更するのに、時を待つ必要があるのだろうか?
舞台は確実に変わる。では、今この瞬間から役を変更してもいいじゃないか。
(俺なんか)
(誰かが、俺なんかを待っているはずがない)
決まり切った感情の服を脱ごう。
絡まったまま食べられるのはごめんだ。
十分、恥はかいてきたじゃないか。今更、1つや2つ増えたところで、大したことではない。
茜橋で待ってます
今夜、7と共にいた数字の時に
茜橋で待ってます
何かに賭けてみたい。
「動かない」という選択肢以外の結果を知りたい。
大きく伸びをしてベットから起き上がった俺は、外行きの服に着替え、何かヒントになる情報を求めて図書館へと自転車を飛ばした。
(後編へ続きます)