古典的自由主義とオーストリア学派
ラルフ・レイコ 著
偉大なるルートヴィヒ・フォン・ミーゼスに捧ぐ
目次
第一章 古典的自由主義とオーストリア学派
第二章 真の自由主義と偽の自由主義
第三章 知識人と商業界
第四章 ケインズが自由主義者?
第六章 フランス自由主義の中心性
第七章 ルートヴィヒ・フォン・ミーゼスの『リベラリズム』、ファシズムと民主主義と帝国主義について
ラルフ・レイコの導入
この小論集の導入に、ほんの少しの言葉を。本書とその最初のエッセーのタイトルには間違えがあるが、悲しいかな、皮相的な混乱を避けるためにはそのような誤称が得策であった。というのも、「古典的」自由主義などなかったのだ。たった一つの自由主義しかなかったのであり、これは私有財産と自由市場に基づいていて、始まりから終わりまで有機的に発達したものである。
今ではこの教義とは逆の「現代」自由主義と呼ばれる何かがあり、これは実際には民主社会主義と区別がつかない。
私は、これがジョン・スチュアート・ミルとジョン・メイナード・ケインズのような作家の自由主義への殿堂入りで例示されるような詐欺であり、イデオロギー的に動機付けられた詐欺であると考えるべき相応の理由を述べているものと信じる。これらの作家についてはここで相応にものを言うべきなのだ。
読者は私がときおりF・A・ハイエクにかなり批判的であることに注目するだろう。おそらくとても驚きながら。というのもハイエクは私のシカゴ大学大学院での専攻上の教授であって、私の博士論文委員会の主任であったのだから。これが誰かを惑わせることはないだろうと私は信頼している。ハイエクはオーストリア経済学の偉大な実践家の一人であり、素晴らしい学者であって、私は彼にいつも最高の敬意を抱いてきた。彼に対する私のはっきりとした不同意は、第一に、彼の公然たる福祉国家趣味に関わっており、第二に、彼はイギリスの自由主義の伝統を買いかぶり、フランスの伝統を見くびっていると私が解釈していることに関わる。この種々のエッセーの集まりにメインテーマがあるとすれば、それはイギリスではなく、一世紀以上に渡ってバンジャマン・コンスタンからギュスターヴ・ド・モリナーリまでの最良の自由主義思想家を送り出してくれたフランスである。
これにはまた、私にとってのヒーローにしてドイツ自由主義の指導者であるオイゲン・リヒターを含めている。私は――時代の潮流に反して「レオニダス王のテルモピュライ戦でのスパルタ軍のように」――そしてルートヴィヒ・フォン・ミーゼスその人のように、揺るがず仁王立ちし続ける自由の闘士たちが本当に好きだ。
私の祖父は希望をもってイタリアのシチリアからアメリカ合衆国に渡り、ついにはここで幾つかの小さな成功を収めた。私は彼らに感謝しており、かつてそのような地であったゆえに彼らがやって来たところ、アメリカに、感謝の意を示したい。最後のエッセーは我々が今直面している準ファシスト国家に強い遺憾の意を示す。
ヨーク・ギド・フルスマンの序文
「歴史は過去を顧みるが、それが見せしめる教訓は来たるべき物事に関わっている。それは怠惰な静寂主義を教えない。先立つ世代の偉業を凌ぐよう人を奮起させるのである」 ― ルートヴィヒ・フォン・ミーゼス[1]
[1] Ludwig von Mises, Theory and History (New Haven: Yale University Press, 1957), p. 294.
本書には過去二十年を通して書かれてきた小論集が含まれている。これらが始めて発表されたときに、私はそのほぼすべてを読むことができた。これらは自由主義とオーストリア経済学派の歴史に関する私の教養の中心的な部分になっており、私の知的発達の早い頃からレイコ教授と彼の作品に出会えたことを本当に光栄に思っている。
レイコの思想史、政治史、および経済史に関する広く深い知識は以降の各エッセーで明白であり、実際、本書のほぼ各ページで明白になる。読者はまた彼の冷めた機知を認めると同時に、彼が主題の研究に持ち込む熱い情念を味わうだろう。レイコ教授は英語と同様に、ドイツ語とフランス語、およびイタリア語の原典を引用しつつ、断固として自由主義的でありながらもアングロサクソンの視座に偏ることはなく、自由主義の歴史に関する独創的な学識を我々に差し出してくれる。おまけに、彼には明らかに先立つ世代の偉業を凌ぐよう己の読者を奮起させる才能があるのだ。私たち多くのドイツ人がドイツ世紀末の真の自由主義の闘士たるオイゲン・リヒターを初めて耳にしたのはレイコの本Die Partei der Freiheit(『自由の党』)[2]でのことだった。リヒターは社会民主主義的な中傷者以外のほぼ全員に忘れられていたけれども、過去十年で返り咲きを果たし、彼の主著はふたたび出版されている。今では彼の言行が新世代の知識人と政治家に霊感を与えている。教えをありがとう、レイコ教授。ドイツが真の自由主義の伝統に立ち返るならば、我々はベルリンにリヒター広場へと向かうレイコ通りを開くのがいいだろう。
[2] R. Raico, Die Partei der Freiheit (Stuttgart : Lucius & Lucius, 1999). この本はhttp://docs.mises.de/Raico/die_partei_der_freiheit_raico.pdfでオンラインで読むことができる。
ラルフ・レイコの学者精神はただの虚ろな青空から現れたものではなかった。それは勤勉の果実であり、また前任者と当代人の作品に基づいている。レイコが功を添えるのは彼の師ルートヴィヒ・フォン・ミーゼスの遺産に対してであり、ミーゼスは自身をして優れた歴史家であって、本書は彼に捧げられた追悼である。彼らはレイコがまだ一九五〇年代初期の高校生だったときに初めて出会い、その若さにもかかわらず、彼はミーゼスのニューヨーク大学のセミナーに出席していた。そこで彼はマレー・ロスバードら多くの若い知識人に出会い、十年後、今度は彼らが真の自由主義の大黒柱になったのである。これらの若者たちはミーゼスのセミナーで学者精神の意味に関する薫陶を受けていたのだろう。学者とは緩く結ばれたたくさんの諸事実に関する生き字引ではないし、あるいは何らかの凝った研究方法の小賢しい技巧家でもないし、あるいはその主な能力が知的セクトの抽象的な言語を操ることである「言説の秩序」(フーコー)の一員でもない。学者とは実務的な基礎の熟達者に他ならない。彼は関与する事実と方法のすべてに完全に馴染んでおり、気まぐれな最新の用語法にさえ通じている。しかしそれだけではなく、彼の主題を本当に見通しきっているのだ。彼は事実を単なる併記ではなく原因と帰結の観点から説明することができる。彼は用語上の気まぐれを見抜いて慎み深いスタイルでものを書くことができる。印象付けることではなく伝達することを求めているからだ。そして彼は狭くならざるをえない科学的調査の領域を超えることができる。己の分野の具体的な主題を述べることができ、分野そのものを適切な文脈と視座で述べることができる。彼は視野を開けることができるのだ。
ここには我々がルートヴィヒ・フォン・ミーゼスとマレー・ロスバードの作品に見出すような学者精神の面影がある。また我々が以降のページに見出すような面影もある。レイコ教授は彼の分野の局面を、すなわち、行い、人柄、考えを、すべてカバーしているのだ。しかし彼は単なる歴史家ではなく、偉大な伝統内での偉大な教育者でもある。
ヨーク・ギド・フルスマン
フランス・アンジェ
二〇一一年一一月
目次
第一章 古典的自由主義とオーストリア学派
第二章 真の自由主義と偽の自由主義
第三章 知識人と商業界
第四章 ケインズが自由主義者?
第六章 フランス自由主義の中心性
第七章 ルートヴィヒ・フォン・ミーゼスの『リベラリズム』、ファシズムと民主主義と帝国主義について
(出典: mises.org)
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