話がループしてるような気はするんですが、ちょっと当たり前の前提を確認しておきたくなりました。当たり前の話なのでご承知の上お読みください。
私は男性であり、私にとって痴漢は大問題ですし、私の奥様は女性であり、奥様にとって痴漢冤罪は大問題です。お互いに、他人事でもなんでもありません。お互いに切実です。
私は男性ですし、通勤で電車を使っている身なので、痴漢冤罪はひとごとじゃないですし大変怖いです。痴漢冤罪(に限らず冤罪一般)が少しでも発生しなくなってくれることを望んでいますし、自分に何が出来るのかを色々と考えています。
けど、それとは全然関係なく、それと何の矛盾もせず、奥様や娘たちが痴漢に遭うかも知れないことを考えると、心底痴漢が怖いですし、痴漢を許せません。痴漢被害によって人生が狂ってしまった女性も知っていますし、娘がそんなことになったらと思うとぞっとします。
もちろんこれはしんざき奥様からも同じ話で、私が痴漢冤罪に遭って拘留されることは奥様にとっても恐怖以外のなにものでもありませんし、冤罪を許せないと思います。
まず大前提として、
痴漢は男性にとっても女性にとっても共通の敵ですし、
痴漢冤罪は男性にとっても女性にとっても共通の敵ですし、
痴漢は「男性」の犯罪ではないし痴漢冤罪も「女性」の犯罪ではない、男性と女性の対立というのはこの問題において一切起きるべきではない、ということは確認しておくべきだと思うんです。
なんかどうしても、痴漢やら痴漢冤罪の話になると「男性」と「女性」を対立項にしたがる人っているんですよね。時には、痴漢被害者を責める文脈や、男性一般の性欲を責める文脈まで出てくる始末です。
そうじゃないですよね、憎むべきは「男性」じゃなくて「痴漢」だし、「女性」じゃなくて「冤罪を作る司法・警察」や、場合によっては「作為的に冤罪を着せようとする者」ですよねって話なんです。
そりゃ率から言えば痴漢の中には男性が多いかも知れませんが、痴漢被害者に男性がいないわけじゃないし、痴漢被害者の身内にも男性はいるかも知れない。冤罪だって同じことが言えます。ここで男女対立なんて本来発生しない筈なんです。
その上で、
「痴漢と痴漢冤罪どっちが問題か」なんて議論はなんの意味もないですし、「どっちも問題です」以外に回答はない。そもそも比べるような話じゃない、と思うんです。
そんなことを、この記事や、この記事のブコメを見ていて考えました。
冤罪の話をする前に「痴漢死ね」と叫ぶ
はてなブックマーク:冤罪の話をする前に「痴漢死ね」と叫ぶ
元記事は元記事で、「冤罪よりも痴漢の方が問題だ」ってとれるようなニュアンス(皮肉っぽいですが)には決して賛成できません。ただ、ひどい痴漢が本当にひどいってのは私も認識していますし、「冤罪が被害者の人生を壊し得るのと同じように、痴漢も被害者の人生を壊し得る」ということ自体は、男性女性関係なく認識しておくべき話だとは思います。
だから私は、たとえば「痴漢よりも冤罪の方が問題」だとか(もちろんその逆も)、あるいは痴漢による被害と冤罪の被害を比べるような文言、「女性が悪い」とか「男性が悪い」とかいう文言には一切賛成出来ません。
どっちもひどいし、どっちもダメです。どっちも「男性のせい」ではありませんし、どっちも「女性のせい」ではありません。
これは、多少口酸っぱく言ってもいいことなんじゃないか、と思うんです。
勿論、痴漢がなくなれば必然的に痴漢冤罪もなくなるわけで、痴漢を撲滅出来ればそれに越したことはないんですが、これについては痴漢についての話を聞けば聞くほど正直絶望的な気分になります。。。満員電車だけの話じゃ全然ないんですよね、アレ。本当にありとあらゆる場所で発生し得る。すれ違い様に触ってくる痴漢とか、一体どうやって撲滅すればいいのか本当に見当がつかない。やいばのよろい着た方がいいんじゃないかしら。
とはいえ、きちんとした証明ノウハウの確立や誤認逮捕判明の場合の撤回、要は「司法・警察しっかりしろ」という話は痴漢に対する抑止効果にもなる筈ですので、そこについては引き続き訴えていきたい所存です。
今日書きたいことはそれくらいです。