2017-05-19

痴漢冤罪の論争は救われない容姿問題

最近、「痴漢冤罪」について話題になった。

これは非常に深刻な問題である

なぜなら、現状の社会問題右傾化などの原因も内包していると感じるからだ。

現代日本において右傾化などというのは非常に大きな問題に語られるが、所詮個人個人問題しかない。

しかし、それが解決できない問題なのだ

周りと仲間はずれにされるのが嫌だとか、セックスができないとか、不細工だとかそんなものだ。

逆に皆が美男美女になることを望んでなれるなら、あっさりと性愛的なもので団結出来て解決するものだと思っている。

痴漢冤罪というのは誰が悪いか論争になった。

誰かは「男が悪い」といい、別の人間は「行政司法が悪いのに女叩きをする輩は屑だ」、「混雑を放置している鉄道会社にも問題だある」など様々な意見が聞こえてくる。

少なくとも、容姿が醜い自分からしたら行政司法が悪いというのはニュースやらで事例を見る限り本当だと感じる。

ただ、痴漢冤罪において男性女性の間で社会的な損失はとても差があるということは事実だ。

心理的な云々などというが、職や行動の自由の方が大切だと感じる人が殆どだろう。

痴漢冤罪に関しては女の方が社会的物質的に失うものがないという有利性があるのだ。

そして、被害者とされる女性のために事実確認をしないで正義という暴力を「女性が言う加害者」に振るう男がいたりもするのだ。

ネットでは「正義マン」などと揶揄されているらしい。

まるで、高校生の時に自分にはイジメに近いことを行い、女には優しくする慶応に受かった男みたいだ。

男性孤独さというものが顕になっている。

他にも、単純に女性擁護してもメリットがないと感じる人間が多いのだろう。

セックスさせてくれなくて、痴漢冤罪をふっかけて公安に突き出す可能性がある存在なら憎む人もたくさん居るだろう。

何が言いたいのかと言えば、結局は個人個人の救いがたい容姿問題やらが衝突しているだけなのかもしれない。

皆が、美男美女になれば団結も出来るし、もっと世の中リベラルになるはずだ。

容姿の分断やらが妙な歪やらを生み出していそうだと、自分の酷く深いニキビあとが大量についた大きな顔を見て思う。

自分自由が好きだし、皆が生き生きと自己表現出来る世の中を望む。

そのためにも容姿が良くなりたい。

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