主張のまとめ
実家住み無職の男女(20代後半~)は、就職すると不幸になりやすい
教育&人事の仕組みが不整備な企業で、自己裁量権の薄い仕事を延々とやらされる羽目になりがちだから。
職務経歴が血だらけの無職を雇ってくれるところは、辞めてしまう人だらけの職場――ノルマの厳しい営業職、3K職くらいである。
そういうところでは、理屈抜きの人事や業務がしょっちゅう行われている。
つまり頭で考える正論とは、別物の理不尽に耐える能力が必須になる。
引きこもりの大半はなんらかの精神障害を抱えているという説があり、実家無職=引きこもりではないにしても、気質が似ていると決めつけて考えるのならば、彼らもまた理不尽耐性がない可能性がすこぶる高い。
したがって、現時点で実家無職の人間が働けるような会社、やらせてくれる業務では不幸に陥りやすい。
『文句の言えない不満足な環境』に人は苦しむ
無職の男女が実際に働き出すと、実はブラック企業が少ないことを思い知るはずだ。
ネットの影響で相互監視が強まっているから、不当な扱いをされる率は減りつつある。
ゆえに、法にもモラルにも違反していない企業の中で、退屈な雑用に苦しむことになる。
そこで不満を持つのは自分のせい(実力不足・不運)であるから、明確な悪意が近くにある場合よりもストレスに蝕まれやすい。
「みんな良い人。でも仕事が退屈。給料も安い。だけどみんな優しい。みんな真面目。みんな笑顔。みんな手を差し伸べてくれる。なのに辞めたい……。つまらない。こんな良い職場なのに。すごい辞めたい……」
悪意のない空間で、苦痛が募る状態ほど不幸なことはない。
死ぬまで働かない覚悟を持つべき
生活保護もあるのだから、命懸けで働きたくないと心に誓えば、死ぬまで無職を継続するための突破口に気づける。
社会と調和出来ない状態が長引いていることを『異常』と見做す社会なのだから、働きたくなくてしょうがないのであれば、それはもはや生活保護を貰う権利がある。
「甘えるな」という言葉は酷い差別だから、気にする必要はない。
真に働きたくない状態がどれだけ辛いかは、本人にしか分からないのだから、それにも関わらず罵倒するのは、病気の人を嘲っているのと変わりがない。
権利は勝ち取るものであるから、働きたくない人は徹底的に働かないという状態を継続すべきだ。
自己裁量権の薄い仕事=不幸生産業務
長年、実家無職の男女(20代後半~)が外へ働きに出ると、高確率で『不幸の値』が上昇してしまう。
彼らが一念発起して、職務経歴が息をしていない――『死体の履歴書』を企業に提出して採用されたところで、『雑用』以外の仕事をやらせて貰える確率は低い。
暇と退屈の倫理学の中で、國分功一郎が、「人類が目指してきたはずの豊かさ、それが達成されると逆に人が不幸になってしまうという逆説」と語っているように、僕たち人類は、「何かを完成させるため」の仕事でなければ満足出来やしないのだ。
更に本書では、「若者たちは自分の才能を発揮する機会が得られないために不幸に陥りがちである」という、イギリスの哲学者バートランド・ラッセルの主張も続けて掲載している。
とどのつまり、自己裁量権の薄い仕事=退屈で不幸な仕事になりやすいという解釈が可能ということだ。
出来上がった世界――豊かな社会がつまらないのは至極当然
虫取り少年で説明すると、オオクワガタやトノサマバッタを大量捕獲するまでは楽しいが、飼育は退屈だから餓死させてしまうパターンが良くあるものだ。
要するに、実家無職がどこかの企業に属して雑用をさせられるのは、「虫けらの飼育だけしろ!」と命令されているも同じなのである。
一番の楽しさを省いて、退屈な部分のみ押し付けられてしまうのだ。
余談になるが、「年上を敬え! 偉人に感謝せよ!」というのは筋は通っていながらも横暴な話であり、本来は僕たちの目前で、そういう者たちが跪くべきなのである。
「最も希少価値の高い、『新世界を切り開くという喜び』を頂戴しました。あなたたちが、のろまの薄らバカだったおかげで、快楽を独り占め出来たのです。完成された退屈なお城の中でせいぜい頑張って生きて下さいね。本当にありがとうございました」
あらゆる古代の優秀な者たちへ、天国で僕たち無能愚民に深謝せよ。
実家住み無職の男女が、就職することで直面する絶望について
時折、新人を育てるコストは1000万円以上という主張が飛び交う訳だが、それは新卒をしっかり育てる場合の投資額であり、たらたらと実家無職をやっていた者たちには、ろくな教育など施されない。
就職先で待ち構えているのは、代替可能な雑用を朝から晩まで――下手すると未来永劫やらされるという多大なる苦痛だけである。
数値化しにくい作業も評価してくれる人事システムが整っているなら、まだ未来は明るいが、末端社員のことまで徹底して考えてくれる企業はそうそうない。
よって、その作業の頑張りは評価に直結せず、ただただ「やらされ感」が増してゆき、莫大な退屈に押しやられてアイデンティティが崩壊するだろう。
余裕なき社会を生きる我々は、気が狂っている
尋常ならざるストレスに晒されると人は、ふとした拍子に我を忘れる。
「ピピピ君、ちょっと」と名を呼ばれても、言葉が脳をすり抜けて行ってしまい、反応出来ないことがままある。
「ピピピ君! おいピピピ! 何ぼーっとしてんだよ、てめぇ」
余裕のない企業では自分だけでなく他人もピリピリとしているため、歯車がズレると怒号が飛び交うなんてことは珍しくない。
世界同時不況、物が売れず利益が上がらない時代は、会う者皆、常軌を逸しているのである。
それだけに留まらず、上司というのは現金なもので、本気の頑張りを当然視して褒めてはくれないが、ちょっとサボったときに限って、「なにやっているのかな? 仕事中だよね? 社会人だよね? 休憩時間じゃないよね? 勤務中だよね? この時間も人件費が掛かっているよね? 言われなくても分かっているよね? こんなこと言いたくない気持ち分かってくれるよね? 二度目はないよね? 理解したよね? 頑張ってよね? これはパワハラじゃないよね? 君のための説教だよね? ありがたいよね? 感謝してるよね? 頷いてくれるよね?」と、放置した生ゴミの腐敗臭みたいな執拗さで責め立てて来る。
あまりにも冷たい空気に心身を晒していると、次第に思考停止してしまう。
幸せなのか不幸せなのか、自分が生きているのか死んでいるのかも分からない状態がやってくる。
「あれやれこれやれ」と指を指され、挙げ句の果てには言葉すら掛けて貰えなくなり、淡々と暗黙の中でやるべきことを夜分遅くまでこなして退社し、クソみたいな給料を貰って、「はぁ……これがわたしの人生か……」と疲れながらも、その疲れさえ忘れさせてくれる天使の腕みたいな絶望が頭を撫でてきて、アンニュイな己に自己陶酔しながらまた次の日が来て……。
あれは死神の大鎌だったんだ……と過去を振り返る頃には、既に首から上がなくなっていて、希望の光も、救いの言葉も掴まえられやしない。
このように実家無職が挽回しようたって、未来は真っ暗だ。
こんな暗い闇は見たことない……と生唾の前に寒気を飲み込むことになるだろう。
もしも働きに出てみろ。
週5、週6で朝から晩まで働くことになり、「ちょっと彼女(彼氏)欲しいなー」と思って習い事なんてしてみたら痛感するぜ。
あ、レッドオーシャンだってな。
そらそうだろ、他の腐るほどいる正社員と、同じような時間に働いて、同じように生きて、同じような休み時間にハンティングに出発したのだから、敵だらけの視界になるのは必然。
そんでよ、絶望はそんなもんじゃ終わらない。
「頑張って働いたから、たまに奮発して美味しい店へ突撃だ!」
そう思って行ってみろ、ゴミのようにパンパンに詰まった人間どもが飯をかっくらっているぜ。
裕福なクソガキも沢山いてな、「くちゃくちゃ、ぺちゃぺちゃ、おぎゃーおぎゃー!」つー感じの不協和音がミキシングされて、鼓膜に襲撃を仕掛けてくるんだ。
てめぇは奇声に塗れて踊り出すかもしれねぇな。
人生がズタズタになるぜ。
本当にそれでもお前は働きたいのか? 働かなくちゃならないと思っているのか?
そんな最悪な人生を覆すほどの有能さがお前にあるのか?
仮に有能さがあるのならば、なぜ実家無職になった?
実家無職ということは、お前に劣ったなにか、劣等感をはじめとした心の病みがあるんじゃないのか?
人より劣っている状態――ただでさえハンデを背負っているのに、経験も知識も薄くて、最悪の未来をひっくり返せるのか?
お前は実家無職でぐちぐち言って生きていた方が良いんじゃないのか?
今お前は、自分の今の状態をクズだと思っているのかもしれない。
それに引け目を感じて動き出したいと思っているのかもしれない。
だが、実際に働き出してみろ、お前はクズでも優秀でもない、宙ぶらりんのクソつまらない有象無象になってしまうんだぞ。
なんの特徴もない、使えない奴になるってことだ。
そんな奴を好きになってくれる存在がいると思うか?
いるかもな。地球は広いからな。
だが、そういう奴と出会えるかどうかは別の話だ。
当たり前だが、イケメンや美女は有限だ、フツメンも有限だ。
上から順にまともな男女は奪われてゆく。
お前に残ってるのは、クズかブスかブサイクだよ。
お前のことを好きになるかもしれなかったあの子、あいつ、あの野郎は、お前が気付かぬうちに、お前より幸せで金のある連中が盗んでゆく。
甘くねぇんだよ。
てめぇが実家無職を辞めて最初に驚愕することはなにかといえば、耐えなくちゃならないのが「働くこと」そのものだけじゃねーってことだ。
人生そのものが辛くなるってこと忘れんな。
お前はどこまでもクズであるべきなんだよ。
クズ性を光らせれば、その異常性を愛してくれる人々がいる。
実家無職の男女は徹底的に落ちこぼれた方が良い。
これは事実だ。
働いて食う飯が美味いという人間もいる。
それは深い達成感のあとに飯を食うからだ。
実家無職のお前が今から働いたって雑用しかさせて貰えねぇ。
不平たらたらで働いた後の飯は不味いぜ。
疲労困憊していて味覚も正常じゃなくなってからよ、何食っても粘土の味がする。
もちろん雑用だって見方を変えれば、素晴らしい仕事だし、達成感だってある。
だが見方を変えなきゃ、普通は達成感がねぇんだよ。
だからみんなやりたくねーんだ、んだから常にその仕事が募集されている。
本当に素晴らしい仕事で達成感があると誰もが思える仕事なら、実家無職だったお前みたいなもんに回さねーんだよ。
冷酷に冷静に考えて、現実を直視してみろ。
お前が実家無職になったのだって、そういう残酷さに耐えられなくなったからだろ?
ずっと実家無職をやっていると、社会と触れ合う機会が少なくなって、そういう理不尽な部分のリアリティが醸し出す匂いを正確に感じ取れなくなる。
だからいつの間にか、「もしかしたらまだ人生に取り返しが付くかも知れない」という夢物語を持つようになってしまう場合がある。
いいか聞いとけ、それは幻想だ。
お前はなぜ実家無職になった? なんらかの問題があったからだろ。
一度あった問題は二度三度と起きるものだ。
七転び八起きの次にあるのは、また新たな転倒であることを忘れるな。
年老いて転ぶと、若い頃よりずっと痛ぇーぞ。
二度と立ち上がれなくなるかもな。
お前が社会復帰するときっとこう感じるだろう。
「社会はわたしのことを小馬鹿にしてさえくれない。ただ働くだけじゃ何も満たされないんだ……」ってな。
社会の人々は、自分に取って有益な存在以外に対しては常に無感情だ。
そんな化け物じみた「無」をお前が妄想で味付けして、絶望という料理を完成させてしまう訳よ。
企業もバカじゃないから、微妙な立ち位置にお前らを配置しながらも、「承認」というテクニックを用いて、ありがとうを連発するなりして、安い給料でしょうもない仕事をいつまでもやらせようとしてくる。
しかも外界に出ると、自分よりずっと幸せな人を見てしまう機会が増えるから、相対的幸福度がぐっと低下するぜ。
これは脅しじゃなくて、事実なんだ。
遊び暮らして、金がなくなったら国の税金で生きた方がずっと良いぜ。
重要なポジションで働ける人っていうのは、間違いなく無職の奴らよりも幸せ者だから、「幸せな時間をありがとうございます」ということで彼らは多額の税金を納めていると考えろ。
それゆえ、彼らより幸せじゃない無職が、彼らの税金を利用して生活するのはなんら悪いことではない。
これこそ真の意味での、相互扶助である。
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ツイッター・フォロバします(๑¯Δ¯๑)/
「真面目な社会人」を売りにするということは、その肩書きがなくなってしまえば、「なんの価値もない人」に成り下がるリスクを抱えているということでもあるよね。
— ピピピピピ@プロ社内ニート (@pipipipipi_wara) May 17, 2017
やはり日頃から頭のおかしい発言を連発して、「そういう異常者なところが好き」と思って貰えるようにするのが最良な気がする。