ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックスGuardians of the Galaxy Vol. 2/監督:ジェームズ・ガン/2017年/アメリカ
血の繋がりから絆の繋がりへ
TOHOシネマズ六本木ヒルズ スクリーン9 I-15で鑑賞。
あらすじ:I am Groot.
キャスト
- クリス・プラット
- ゾーイ・サルダナ
- デビッド・バウティスタ
- ヴィン・ディーゼル(声)
- ブラッドリー・クーパー(声)
※ネタバレしています。特に注意書きはしていません。
- おすすめ
ポイント - 今回、予告がとてもよく出来ていたのではないか?と思いますね。内容に触れられていないんだもん。それでいて、面白そうだから見ようと思わせる力があるんだもん。
今だから言えることだが、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』(2014年)のときは、そこまで惹かれなかったのだった。4〜5回見ては、見るたび内容を忘れ、毎回新しい気持ちで楽しんで見て、また忘れ、を繰り返した。そうなった理由はわからない。グルートに関しては小さいより大きい方が可愛いがそれは私の好みの問題である。小さいのも可愛かったよ。
私は、アクション映画については地のストーリー部分とアクションを分けて受け止めがちで、ストーリーはともかくアクションは良かったとか、よくある。今作は、地のストーリーの間もテンションが高く、切り離して考えなくてよいところが良かった。飽きない。ギャグが多すぎるきらいがあるが、これはこういう映画なのでよいと思う。
前作と比べ主要な登場キャラクターが増えた。そうなると、たいていうっかりとっちらかるところを、それぞれにアクションだけでない見せ場とバックストーリーを与えて丁寧に描いている。ないがしろにされている人がいないのがよい。あえて言うなら金色の人たちが、電池欲しいだけで動いてることくらいか。彼らは装置として見れば良いのでまったく問題ない。爆弾としての機能を無視すれば(無視しなくても?)電池はマクガフィンに近いかもしれない。
全体的に父と息子の物語である、生みの親より育ての親とはよく言ったもので、前半からずいぶんヨンドゥ推しだなと思っていたらそういうオチになるのかとたまげた。ヨンドゥにメリー・ポピンズをやらせたのはやられた。メリー・ポピンズは子供を救いに来る(『ウォルト・ディズニーの約束』(2013年)で言われていたことは無視するとしてだな。いい映画ですよ)。『メリー・ポピンズ』(1964年)見返すべきなのではないのかしらん。
たいてい父親と息子の話は、最終的に和解するものだが、これは父殺しの話でもあるわけで、しかし、罪の意識を感じさせないのは、実の父親の凶悪さによるところである。悪い奴だから殺しても良い、と言うとすごく安易なのだが、悪いからというところに理由を持って来ず、思い出がない、絆がないというところに持ってきているか?とも思う。まあ、エゴはたいがいひどい神様だから絆も何もないのやもしれん。いや、でもスター・ロードがフラッと行ったのは事実だし、父を殺そうというとき多少は複雑な思いがあったのだろう。再会したいっとき、分かり合えた多幸感はあったのだから。スター・ロードは、失われた少年時代をキャッチボールによって取り戻す。「造られた郷愁のようなもの」であることに気づかぬまま。ヨンドゥが「頭じゃなくて心だ」と言うのは割とクリシェっぽくもあるが、あるいは普遍的であるとも言える。ヨンドゥを突然主要キャラに置いておいて、結局殺し、泣かせに持っていってしまったことは如何なものかという意見がありそうだとは思う。
家族をテーマにしたとき、血の繋がりを重要視しすぎることは、時代にそぐわなくなってきているのかもしれない。ワイスピシリーズもだが、疑似家族ものが続いたのは偶然か?時代の変化があるのではないか?グルートとロケットも親子のようなものだ。ガモーラとネビュラについては、彼らの中でここだけ血の繋がりのある家族である。(追記:血縁関係がないと教えていただきました。じゃあ完全に擬似家族の物語になるわけですね)。そして、スタンダードな和解の姿がある。こういった基本も押さえつつ、家族ものとしては変化球というかんじ。ドラックスは人を見た目で判断しない、いい奴だ、デリカシーないだけで。というわけで、これは本当におすすめですね。
私は、アクション映画については地のストーリー部分とアクションを分けて受け止めがちで、ストーリーはともかくアクションは良かったとか、よくある。今作は、地のストーリーの間もテンションが高く、切り離して考えなくてよいところが良かった。飽きない。ギャグが多すぎるきらいがあるが、これはこういう映画なのでよいと思う。
前作と比べ主要な登場キャラクターが増えた。そうなると、たいていうっかりとっちらかるところを、それぞれにアクションだけでない見せ場とバックストーリーを与えて丁寧に描いている。ないがしろにされている人がいないのがよい。あえて言うなら金色の人たちが、電池欲しいだけで動いてることくらいか。彼らは装置として見れば良いのでまったく問題ない。爆弾としての機能を無視すれば(無視しなくても?)電池はマクガフィンに近いかもしれない。
全体的に父と息子の物語である、生みの親より育ての親とはよく言ったもので、前半からずいぶんヨンドゥ推しだなと思っていたらそういうオチになるのかとたまげた。ヨンドゥにメリー・ポピンズをやらせたのはやられた。メリー・ポピンズは子供を救いに来る(『ウォルト・ディズニーの約束』(2013年)で言われていたことは無視するとしてだな。いい映画ですよ)。『メリー・ポピンズ』(1964年)見返すべきなのではないのかしらん。
たいてい父親と息子の話は、最終的に和解するものだが、これは父殺しの話でもあるわけで、しかし、罪の意識を感じさせないのは、実の父親の凶悪さによるところである。悪い奴だから殺しても良い、と言うとすごく安易なのだが、悪いからというところに理由を持って来ず、思い出がない、絆がないというところに持ってきているか?とも思う。まあ、エゴはたいがいひどい神様だから絆も何もないのやもしれん。いや、でもスター・ロードがフラッと行ったのは事実だし、父を殺そうというとき多少は複雑な思いがあったのだろう。再会したいっとき、分かり合えた多幸感はあったのだから。スター・ロードは、失われた少年時代をキャッチボールによって取り戻す。「造られた郷愁のようなもの」であることに気づかぬまま。ヨンドゥが「頭じゃなくて心だ」と言うのは割とクリシェっぽくもあるが、あるいは普遍的であるとも言える。ヨンドゥを突然主要キャラに置いておいて、結局殺し、泣かせに持っていってしまったことは如何なものかという意見がありそうだとは思う。
家族をテーマにしたとき、血の繋がりを重要視しすぎることは、時代にそぐわなくなってきているのかもしれない。ワイスピシリーズもだが、疑似家族ものが続いたのは偶然か?時代の変化があるのではないか?グルートとロケットも親子のようなものだ。ガモーラとネビュラについては、
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- ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社 2015-01-21
by G-Tools , 2017/05/17
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