「三論宗(さんろんしゅう)」

「大乗起信論(だいじょうきしんろん)」
仏教論書であり「起信論」とも云います

2世紀ごろインドの仏教詩人アシュバゴーシャ(馬鳴/めみょう)に著書を5~6世紀ごろパラマールタ(真諦/しんだい)の訳により成立しました
中国梁(りよう)やシクシャーナンダ(実叉難陀/じっしゃなんだ)の2種の漢訳が伝わってます

著者「馬鳴(めみょう/メミヤウ)」
梵:Aśvaghoṣa
2世紀ごろのインドの仏教詩人
バラモンの論師から仏教に帰依しカニシカ王の保護を受け技巧的なカービヤ(美文体)文学の先駆となり叙事詩「ブッダチャリタ(仏所行讚)」などがあります

訳者「真諦(しんだい)」
梵:Paramrtha
インドの僧
梵語(ぼんご)経典を持って中国に渡り梁(りょう)末の戦乱で各地を転々としその間に金光明経・摂大乗論・中辺分別論・大乗起信論など多くの典籍を漢訳しました

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「八宗綱要(はっしゅうこうよう)」
仏教の概論書であり日本華厳(けごん)宗の学僧である東大寺「凝然(ぎょうねん)」の著でありインド・中国・日本の三国にわたる大小乗・密教に及ぶ全仏教を網羅する概説書として今日でも一般に広く読まれています
八宗とは倶舎(くしゃ)宗・成実(じょうじつ)宗・律(りつ)宗・法相(ほっそう)宗・三論(さんろん)宗・華厳(けごん)宗・天台宗・真言(しんごん)宗それら八宗の宗名であり成立・教説を概説します
倶舎・成実・律・法相・三論・華厳は南都六宗でありこれに平安仏教の最澄(さいちょう)の天台宗と空海の真言宗のニ宗を加えて八宗となります

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「三論宗(さんろんしゅう)」
日本に伝わった最初の宗派仏教であり別名「空宗」とも云いその教学の大成者は隋の嘉祥大師「吉蔵」でありその教えを受けた高麗「慧灌」が日本に伝えたのが625年です
三論宗とは中論・百論・十二門論と云う三部論書によって一宗を立てこの名称が使われてます

「中論」
龍樹の著作であり般若経に説かれた空の思想を体系付けたものであり龍樹の基本的な思想がここに見ら主として小乗仏教のとらわれの観念を打破して八不中道の正見を顕そうとしたもので500の頌偈から出来上がっています
インドではさまざまな学系によってこの中論は研究されこの龍樹の学系を継ぐ者は中派または中観派と呼ばれこの中論には青目・安慧・清弁・月称などの注釈書が残っています
漢訳された中論はこの内の青目の注釈とともに四巻本として後述の鳩摩羅什によって翻訳されました

「百論」
龍樹の弟子である提婆の著作であり提婆は仏教以外の系統や部派仏教の学説を盛んに論破した人であり百論は仏教以外のいわゆる外道の学説を破斥した100の偈によってできています
漢訳では前半の50偈しか伝わっておらず漢訳の百論は婆薮開士の注釈とともに四巻として鳩摩羅什に翻訳されました

「十二門論」
龍樹が空の思想を12の門に分けて述べたものであり中論の偈が多く引かれているので中論の入門書としてつくられたものです
龍樹には大品般若経を注釈した大智度論がありこれらの三論と同じ空を説いていますが特定の経典を注釈した論書(別申論)でありこれを所依の論書とはせずに全仏教を貫く道理を述べた通申論である三論を三論宗の正依の論としてます

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三論宗を中国に請来して翻訳したのは「鳩摩羅什」であり莎車国の王子「須利耶蘇摩」から教えを受けた龍樹の学系の人であり空思想と密接な関係のある経論を多く翻訳しました
鳩摩羅什の門弟には僧肇・僧叡・曇影・道生・僧導などがおり道生や僧導が江南に伝えて南地三論派の基礎を開きました

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「中論(四巻)」「百論(二巻)」「十二門論(一巻)」「大智度論(百巻)」を加えると四論となります
四論のうち三論は通申の論であり大小乗の様々な教えを宣べていて大智度論は別申の論である「大品般若経」について宣べていてます
中論は小乗(説一切有部等)を破し外道(バラモン教等)を破して大乗の教えをあきらかにし百論は外道を破してあわせてその他を破し大乗の教えをあきらかにし十二門論は小乗と外道を共に破して大乗の深い教えをあきらかにしてます
三論があきらかにする事は二諦であり三論宗の大意は「破邪」「顕正」の二つの門を規矩とし 破邪は迷いに沈む人々を救い顕正は則ち大法を広めるものです
宗の大要はこの二つが大宗を成立させてます

内外ことごとく破し
大小あまねく折る
有所得は何であろうとも皆な破る

破邪の他
別に顕正は無い
破邪し尽くしたなら有所得はない

一つの源を窮(きわ)めなければ
則ち戯論(無意味な議論)は滅せず
微小な真理を得なければ
則ち至道(悟りへ至る道)はあらわれず
源を窮めることはできない

戯論が滅び
理(ことわり)を究め尽くすなら
玄道(真理の道)はここに通じる
その言葉によって「正」を語るなら
すべては明らかであるだろう

有でもなく
無でもなく
また有無でもなく
非有でも非無でもない
言葉が断ち切られるところ
心の働きの滅するところ
ただ広がって寄る辺なく
寥々として拠り所もない
私は知らない
何と呼べば良いのか
強いて云えば
顕正と云う

既に有・無を離れたのであるから「空」に執着することもない
仏道の本質とは拠り所をもたない事である
有・無ともに絶したのだから実体的な真実は無い
顕正の意味はここにきわまる

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既に有・無を離れてしまった縁(関係性)によって生じる諸々の法(存在)は関係性によって生じる諸々の存在は仮の有であり仮の有は無所得であるがゆえ二諦・四中が成り立ちます
その二諦のうち俗諦(世俗的真理)の見方によって実相から離れずに諸々の存在が成立します
真諦(究極的真理)の見方によって仮の存在を認めた上で実相を説くことができます

空はそのまま有であり
有はそのまま空である
色即是空
空即是色

真実には二諦は否定される
有はこの場合空の有であるから
有といっても有そのものではない
空はこの場合有の空であるから
空といっても空そのものではない
非有であるから有に即して空と云う
非空であるから空に即して有と云う

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三論宗のあきらかにするのは無得の正観のみです

八不妙理の風は
妄想戯論の塵を払い
無得正観の月は
一実中道の水に浮ぶ

無得正観を以て観ずるなら
仮の存在である万物は
そのまま森羅万象となる

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一瞬(一念)での成覚は短
永遠程の時間(三祇)での成仏は長
一念は永遠を妨げず
三祇は一瞬を妨げず
一念はすなわち三祇
三祇はすなわち一念
一夕の眠りに百年のことを夢み
百年のことは還ってもとの一夕なるがごとし
三祇を経るためにあらゆる行いは積(積行)み重なり
一念である故に仏果速疾である
迷いを返して源(みなもと)へ還り
ただ塵を払えば
本来そなわった覚りの本体がありのままに顕れる
これを始覚仏とよぶ
迷いに対応して悟りという概念を立て
悟りに対応するから迷いが存在する

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「八不」
生ぜず
滅せず
断ならず
常ならず
一ならず
異ならず
去らず
来らず

八つの迷いを離れるために八不を説くこれが即ち三論宗の顕らかにする理です

三論宗では一切の法を解釈するために四種の釈義があります
(1)依名釈義
(2)因縁釈義
(3)見道釈義
(4)無方釈義

四重の二諦を立てます

(1)有を俗諦とし空を真諦とする
(2)有空を俗諦とし非空非有を真諦とする
(3)空有と非空非有を俗諦とし非非有非非空を真諦とする
(4)前の三重を俗諦とし非非不有・非非不空を真とする

外道(バラモン教等)・説一切有部・有所得大乗(地論宗・摂論宗)を破するためです

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二蔵
「声聞蔵」小乗教です
「菩薩蔵」大乗教です

大小の二教によって分類され「大智度論」の説です

三転法輪
根本法輪「華厳経」です
枝末法輪「阿含経」以後「法華経」までです
摂末帰本法輪「法華経」です

釈尊一代の教えはすべておさめ尽くされる「法華経」の説です

大小の二乗は顕らかにする理は同一であり受け取る人の機根が異なるために違いがあります
諸大乗教は顕らかにする道は異ならなず縁によっているから別の教えになります

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「三論宗の祖師」
大聖文殊師利(マンジュシュリー)菩薩を高祖
馬鳴(アシュバゴーシャ)菩薩を次祖

龍樹(ナーガールジュナ)菩薩は宗を広めた
龍樹は龍智(ナーガボーディ)菩薩および提婆(アーリヤデーヴァ)菩薩に教えを授けた
この二大論師は肩を並べて教化を施して龍智は清弁(バーヴァヴィヴェーカ)菩薩に授けて清弁は智光論師に授けて智光は師子光菩薩に授けました
提婆菩薩は智慧が甚だ深く弁論の才能に優れていました
論師はこの宗を羅睺羅(ラーフラバドラ)菩薩に授けて羅睺羅は沙車王子に授けて王子は鳩摩羅什(羅什・クマーラジーヴァ)三蔵に授けました
羅什三蔵は後秦(中国五胡十六国時代の姚秦)の時代に中国へ来たり大いに経典論書を翻訳しておもに三論宗を伝えました
四論は羅什師が翻訳したものです
翻訳の美しさは古今名声が高く深い智慧と才覚は三国に尊ばれました
道生・僧肇・道融・僧叡が肩を並べて法を相承し、曇影・慧観・道恒・曇済は志を同じくその美を讃え遂に曇済大師によって歩みを受け継がれさらに道朗大師に授けられました
道朗は僧詮大師に授けて僧詮は法朗大師に授けて法朗は嘉祥大師吉蔵に授けました
嘉祥大師は元々イランの人であり幼少のころ父とともに中国へ来て法朗大師のもとで三論を学びました
嘉祥大師はまことに三論法門の綱領であり古今に抜きん出ておりその威徳は象王の威厳があり智慧と弁論の光は日月も霞むようでありました
著作も甚だ多くて広く書かれており三論・法華をその心臓としており大小両乗はことごとく奥底まで窮めていました
諸祖の中でも特に大祖とされ経典の解釈は理を尽くしており加える言葉もなくそして嘉祥大師は三論宗を高麗の慧観僧正に授けました

日本へは慧観僧正は福亮僧正に授けて福亮は智蔵僧正に授けて智蔵は道慈律師と頼光法師に授けました
道慈は善議大徳に授けて善議は勤操僧正に授けて勤操は安澄大徳に授けました
相承して今に至るも絶えていません
明師が輩出してそれぞれ教えを広め三論宗が三国に失墜することなく伝承され義浄三蔵のいわくインドに二宗があり「瑜伽」と「中論」です

インドの四本の河川の流れは
同じ無熱池から出ている
七宗は分かれているが
みな三論から出ている

奈良時代の初期は三論宗が盛んで東大寺を中心に戒律がまもられ学問が発達していくに従い法相宗が栄えていきました

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