線路を逃げる事件が相次いでいます。Photo by alexxis from Flickr
今年も行ってまいりました、東京レインボープライド。会場の代々木公園にはのべ10万人もが来場したと報道されていましたが、ほんとたいへんな人出でした! ここ5年ほど毎年、足を運んでいますが年々増えていくのを肌身で実感します。
ブースが立ち並ぶ一帯は、まさに芋の子を洗うような混雑。そこを通り抜けたとき、一緒に歩いていた彼氏(レインボープライドは初めて)がこんなことをいったのです。
「さっき女性のお尻に手が触れちゃってさー、痴漢と間違われるかと思っちゃったよ」
……ん? アナタいま、とてもおかしなことをいわなかった? 私は思わず立ち止まりました。これだけの人がいれば、見知らぬ人の身体に意図せず接触してしまうことはあるでしょう。背中や腕ならまだしも、胸やお尻、Vゾーンといった本来なら性的関係にある相手しか触れないだろうところに手が当たってしまう可能性もあります。でも、わざとでないならすぐに謝ればいいのです。
意図的でないとはいえ、他人の身体的領域を侵しておきながら謝罪はせず、「痴漢と間違われたら」と自分が“冤罪”の被害者になることを心配する……これは不思議です。たしかに、ここに加害・被害の構図はありません。なにしろすごい混雑だったので、ちょっとぐらいの接触なら女性側が気にしていなくてもおかしくないです。でも、もしイヤな思いをするとしたら、それは同意なく触られた女性のはず。それなのに自分が被害者になることを心配するのって、やっぱりおかしくない?
私がいうのもヘンかもしれませんが、彼はとても善良な人間です。それなのに、この発言。“痴漢”が話題になると、多くの男性は条件反射のように“冤罪論”を持ち出します。たしかに冤罪事件はゼロではないのでしょう。しかし本来、それと痴漢問題とはまったく別のステージで語られるべきものです。
被害者にされたくない
それなのに、自分たちの性が加害する“痴漢”については考えず、自分たちの性が被害者になりうる“冤罪”についてだけ饒舌に語り、強く主張する……かねてからこの現象を疑問に思っていました。が、どうやらこれはネット上だけで声が大きくなる輩にかぎらず、広く男性に共通する発想なのかもしれない。私はそう感じました。
「なんで謝らなかったの?」
「いや、一瞬のことだったし」
「でも、痴漢だと間違われるのはイヤなんだよね?」
「わざとじゃないって、証明できないからね」
その場で謝罪したほうが、「わざとじゃない」ってことを伝えられると思うのですが、男性の発想はそうではないようです。もちろん自分のパートナーひとりをもって男性全体を語るようなことはあってはなりませんが、この「自分は悪くないから謝るなどのコミュニケーションをとる必要はなく、でも被害者と間違われるのだけは御免だ」という発想こそが、男性の“冤罪論”の根底にあるように思えてきました。
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