痴漢冤罪問題に係る三◯義隆弁護士の主張が、ネットの一部で物議を醸している
お気づきの方は少ないとお見受けするが、この主張には恐ろしい論法が使われていることにどれだけの方が注意を払えただろうか
結論から言うと、属人論法と相対化によって自分の立場を強化しつつ、世論をあらぬ方向へ導こうとしている
属人論法とは、何を言ったかではなく、誰が言ったかで発言の評価や取り上げ方を変えようというもの
煙に巻きたい側が多用する論法だ
相対化は、口撃相手も悪いが貴方にも問題がある、だから先ずは貴方が正せと
こちらも追及を逃れたい側が多用する論法だ
「今の司法制度や運用には問題がある。国民の刑法認識や人権意識に問題があるからだ」
こう説けば司法制度側の行政組織や司法関係者の、これまでの怠慢から目を逸らさせることができる
意見が対立する、取締まられる側同士の潰し合いへと陽動することができるのだ
陳腐なやり方だが、ブコメ欄を見る限りその策略に容易く嵌ってしまっていることが見て窺える
彼の主張を鵜呑みにしたところで「では国民の認識が変わらなければ、司法を批判する自由はないのか。司法に変革を求める資格はないのか」と当然のように疑問が浮かんでくる
この一連の責任転嫁といっていい言動は、弁護士である自分を高みにおいて、言うことを丸呑みできない人間を貶め社会的評価を落とす以上の価値は持たない
弁護士は、弁護する相手の人格や経歴で態度を変えてはいけない職業である
だが三◯義隆弁護士は、権力に蹂躙される側に瑕疵がある。蹂躙されて当然、といっているに等しい