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昭和考古学とブログエッセイの旅へ

昭和の遺物を訪ねて考察する、『昭和考古学』の世界へようこそ

劣等感という魔物と、その上手い付き合い方

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昼休みに何気なくニュースをチェックしていると、こんなものが見つかりました。

 

netallica.yahoo.co.jp

 

テレビ業界の事など私には関係ないので、どうでもいいっちゃどうでもいい(笑)

 

しかし、記事を見ていて、

「ああ、このプロデューサー、自分に自信がなかったんだな」

と。

 

 


威張るということ

 

「威張る」という言葉があります。
「威勢を張る」が略された言葉と言われていますが、威張る自体は人間が持っている動物としての本能でしょう。
それ自体は、私は否定しません。
ブログであれこれ書いている、私を含むブロガーたちも、広~~~い意味では「威張る」です。
それをいちいち気にしてたらキリがないし、悪いこととも思わない。自由に威張らせておけばよろし。


しかし、「威張る」に「何か」がつくと、途端に臭わない悪臭を放ち、世間の嫌われ者と化します。
その「何か」とは何でしょうか。


1.上に媚びへつらう

部下や下級生、つまり自分より下の地位の人間には偉そうにしているクセに、自分より上の地位の人には手もみ足もみで媚びへつらう。
慣用句いわくの「太鼓持ち」。わかりやすく言うと「スネ夫」です。

 

「権力」というのは人を変える、とよく言いますが、媚びる方はその人自身に媚びるのではなく、その人が持つ「権力」に手を合わせているのです。
つまり、あわよくば自分も同じ地位に就いて、権力を振り回したいと。

上には媚び、下には威張る。
これを権威主義的パーソナリティ」と言います。
意味はWikipedia先生をご覧く・・・見ても説明がくどすぎてよくわかりません(笑)

簡単に書くと、「権威に弱く、権威万能と思う権威主義が性格となって現れたもの」ということですね。

 

2.自慢話・武勇伝が多い

男は全般的に自慢したがりー、武勇伝語りたがりーですが、それが度を越すと嫌な雰囲気を醸し出します。
たまにいると思います。口を開けば自分の自慢話や武勇伝しか語らない人を。

 

私が若い頃のバイト先に、こういう人がいました。Aさんとしておきましょう。

そのAさん、口を開けば、


「俺は本社の(偉いさんの)Bさんと仲がいい」
「副社長からお酒誘われてね」
「大学のサッカー部で全国大会に出た。Jリーグからも誘われた」


とかなんとか、それがどないしてん!という自分の自慢話&武勇伝ばっかりでした。

自慢話だけならいいのですが、今ならパワハラで一発レッドカード的なこともふつうにやり、逆らおうものなら
「オレは本部の人事の○○さんと仲がいい。だからお前なんかクビに出来るんだぞ」
と。それって脅迫罪じゃね?

なので、バイトやパートさんからはゴキブリのように嫌われ、指示されてもほぼ全員面従腹背

当時はただの鬱陶しいおっさんでしたが、今冷静になって思い出してみると、自分に相当自信がなかったんだろうなーと、怒りどころかちょっとした哀れみを感じます。

 

3.やたら攻撃的になる

劣等感は、必ず嫉妬、妬みを伴います。

自分が持っていないもの、あるいは持てないものを持っている人が羨ましい。

そんな人を見る度に、自分の黒い部分が晒されているような気がする。

自分が嫌になってくる。

そんな自分を守るために、そういう人を攻撃するのです。

動物であれば、ただ攻撃するだけで終わるのですが、人間はなまじ知性を持っているがために、何かと大義名分を作り自分を正当化しようとします。そのせいか、威張る人は意外に口八丁手八丁が多い。

もちろん、攻撃されている人はたまったものではありません。攻撃している方に問題があるのに、それに向き合わずすべて他人のせいにする。

はて、そんな国がどこかにあったような。気のせいかしら(笑)

 

こういう人たちには、ある心理的な共通のキーワードがあります。それは「劣等感」。
劣等感は人としての弱さのことですが、人間、誰しも弱い部分があります。

弱い部分を認めることができない。もしくは人に見られたくない。
その「弱さ」を隠すために、過剰に攻撃的な言動に出る。それが「威張る」になって出て来る。
ツンデレ風に書くと、
「お、オレは弱くなんかないんだからな!」
「攻撃は最大の防御なり」ってことですね。

 

その裏返しとして、「虚栄心」があります。
劣等感を持つことによって生まれるのは、「自分への自信のなさ」です。
それも、もちろん他人には知られたくないし、自覚はしているが認めたくはない。
それを知られたくなく、自分で自分にウソをつくために虚栄を張る。つまり威張るのです。

 

歴史人物から見る劣等感


古今東西の歴史を紐解くと、そういう人物はいっぱい出てきます。
その膨大なデータベースの中から、ライフワークである昭和史の牟田口廉也陸軍中将(1888-1966)を挙げようと思います。


彼は陸軍大学を卒業後、陸軍省参謀本部の役職を歴任した、軍人としてのエリート街道を進んでいました。今では日本陸軍軍人の中でも人間のクズ以下という評価の彼ですが、若い頃はかなりの有望株だったのです。


しかし、二・二六事件が彼の運命を狂わせることになります。
二・二六事件は、表向きは統制派・皇道派の派閥に分かれていた陸軍内の、皇道派だった青年将校の反乱・・・
ということになっていますが、「昭和最大のミステリー」と言われるほどの謎多き事件。そんな単純なものではありません。

 

牟田口は皇道派の将校だったわけですが、二・二六事件後の皇道派の一掃人事で地方の部隊長に飛ばされてしまいます。
事件後に実権を握った統制派将校は、
皇道派の奴らには、東京の土は二度と踏ません!」
予備役(クビ)よりはマシなものの、事実上の永久追放でした。

 

その1年後、牟田口大佐率いる中国駐屯部隊が、中国軍とおぼしき部隊に発砲され、小競り合いが起こります。
いったんは停戦したのですが、牟田口は中央の命令を無視し中国軍基地への攻撃を始めます。
これが、俗に言う昭和12年(1937)の「盧溝橋事件」です。

 

盧溝橋事件の日本軍側の現場責任者が牟田口だったわけですが、なぜ彼は独断したのか。

「今までエリート街道を走り、今頃は陸軍省参謀本部の班長くらいになっていたはず。
それなのに、今はしがない地方の聯隊長。中央に目にものを見せてやる!」

軍エリートとしての出世を完全に絶たれ、プライドは粉々に砕けた牟田口。
自分への自信も失っていました。
そこへ、自信を回復させる天佑がやってきました。そのチャンスを逃すはずはない。
それが日本と中国の泥沼の戦争へと発展していくとは、予想だにしていなかったと思いますが、元エリートだったらそれくらい戦略的に見るべきですし、それが本来の高級軍人のお仕事です。
自分の決断と行動が今後の時勢にどう影響するのか。それを見極められないようでは下士官・兵レベル。将校としては落第です。
彼の劣等感と虚栄心が、目を曇らせたとしか言いようがありません。
あるいは、自分を永久追放した中央への復讐だったのかもしれません。


それから7年後、舞台は東南アジア、ビルマ(現ミャンマー)へと移ります。
中央に戻れず現場の指揮官暮らしを続けていた牟田口は、ある壮大な計画を立てます。
それが、悪名高きインパール作戦でした。

 

結果は歴史が語る通り。敢えて書きません。

道に転がる日本兵の死体の山を見たイギリスの将軍が、

「この計画を立てた日本の将軍は、世界史上最も愚かな軍人として歴史にその名を残すだろう」

と言ったほどの無謀な作戦でした。

しかし、牟田口は死ぬまで、

 

「作戦は完璧だった」


「失敗したのは自分のせいではない。部下が俺の言う通りにしなかったせいだ」

 

と言い放ち、その過ちを決して認めませんでした。
前線で戦い、戦友を目の前で亡くし、生き地獄を体験した元兵士たちは当然激怒。

あいつだけは畳の上で死なせるわけにはいかない!」

元部下によるガチの暗殺計画まであったそうです。

 

また、牟田口は部下に対して非常に高圧的で、常に威張り散らしていたと言います。
二・二六事件以降人が変わってしまったという、信憑性は乏しいですがそういう証言もあります。
自分の意見に逆らったというだけで部下をクビにしたり、インパール作戦で命からがら帰ってきた部隊長たちに、ねぎらいの言葉どころか炎天下の中で何時間も説教をたらす。せっかく帰って来れたのに、牟田口の空気を読まない説教中に倒れ、そのまま亡くなった人もいた程です。
果ては現場が食うものもなく、草や甘露で飢えをしのいでいた時、彼は司令部で毎日女をはべらせての酒池肉林。
そりゃ恨まれますわ。

 

牟田口と同じく、二・二六事件で「永久追放」となった人物に、「マレーの虎」こと山下奉文大将がいます。

彼も事件後は現場のドサ回りばかり経験し東京には戻れず、その結果終戦後のフィリピンの裁判で絞首刑という、軍人としては不名誉な最期を遂げましたが、人としての度量は非常に大きな人物でした。

何かの因縁か、フィリピン戦線では皇道派将校を追放した張本人中の張本人、武藤章中将(戦後、極東国際軍事裁判で死刑)を参謀長に迎えたのですが、それがなかなかの名コンビだったと、参謀として仕えた堀栄三中佐が述べています。

同じ境遇ながら自分を見失わなかった山下と、自分を見失い劣等感の鬼と化した牟田口。牟田口は「器ではなかった」ということか、それとも山下の器が特別大きかったのか。


牟田口元中将の人生を俯瞰してみると、不可抗力とは言え人生のつまづきから始まり、
挫折から生まれた
「オレはこんなはずではなかったのに・・・」
「同期のあいつは東京でぬくぬくとやってるのに・・・」
という劣等感と自信の喪失。
そして、その裏返しとしての虚栄心と、除け者にした中央に一泡吹かせてやるという復讐心。
一つのつまづきが、人をこうも狂わせてしまうものなのか。


たかが劣等感と侮るべからず。一個人の劣等感が何十万もの関係ない人を死なせ、間接的ながら国さえも滅ぼしてしまったのだから。

 

劣等感との付き合い方


威張っていても劣等感の解消にはなりません。むしろ威張ることによってそれが増幅されてゆくことすらあります。
そこが、威張る人の哀れなところです。自分は心のすき間を埋めているはずが、逆にすき間を広めていることになる。
それに気づいていないのです。

 

かく言う私も、昔は劣等感の塊と言ってよいほど、劣等感にさいなまれてきました。
もちろんそんな自分が嫌いで、そんな自分に自信が生まれるわけがない。

それがいつの間にかなくなっていたのですが、それでも100%なくなったとは言い難い。劣等感を100%無くすことは不可能でしょう。
しかし、日常でその魔物が顔をもたげてくることは、ほとんどなくなりました。


なぜあれだけの劣等感を事実上克服できたのか。冷静になって考えてみました。

 

1.人との比較をやめ、「過去の自分」と戦う

劣等感の種は、人との比較から始まるといっても過言ではありません。
人との比較とは、他人の優れたところばかり見えてしまうということ。
これって、実は他人の長所を鋭く見ることができるメリットでもあるのです。
が、自意識過剰だったり見方が歪んでいたりすると、それが「敵」に見えてしまう。
劣等感を持つと、自分と向き合うことができなくなるのです。

 

人と比較してどうだのという事はやめましょう。

比べるべきは、「過去の自分」です。

今の自分が前の自分より成長しておればそれでOK。


2.自分の弱さを認める、受け入れる

劣等感の種その2は、「弱い自分を認めることができない」ことです。

 

人間は、弱い所を人に見せたがらない生き物です。

生物学の観点で考察すれば、弱肉強食の動物の世界は「弱い=死」につながり、生命の危険すら脅かされます。

なので、弱いところを見せたがらないという事自体は悪くないのです。

しかし、それを自分の中で認めないと、徐々に「認知の歪み」が発生します。

その歪みがだんだんと大きくなり、表面、つまり性格や他人に対する言動となって出てきます。

 

弱い自分でもいいじゃないか。それが自分だ。

 

弱いところを認めると、強がり威張る必要がなくなります。

そして、弱いところを他人に見せ、どうぞ笑って下さいと。


本当に劣等感があれば、

 

parupuntenobu.hatenablog.jp

 

こんな記事書けませんて(笑)

 

3.自分を理想化しない

私の劣等感の大きな源泉が、実はこれでした。

 

「自分はこうあるべきだ」


「自分はこういう姿でないといけない」

 

自分が勝手に作った枠に自分を押し込め、自分で苦しんでいたのです。

劣等感の種の一つは、理想の自分と現実の自分とのギャップから生まれます。
その落差が大きいほど、劣等感は大きくなります。

それを隠すために、理想の自分を持っている人に対し攻撃的になります。


よくある構図で例えると、

理想「女にモテモテ」

現実「女にモテない」

答え:モテる人やリア充を攻撃する

攻撃される方は心当たりがないので、たまったものではありません(笑)

 

もうひとつ、成り行きで研究対象と化してしまったものに、

「好き避け」

があります。

parupuntenobu.hatenablog.jp

 

parupuntenobu.hatenablog.jp

 

「好き避け」の原因の一つに、その一つに好きな相手を理想化することがあります。

相手を理想化してしまうと、自分が


「あたしなんてダメな女に振り向いてくれるわけがない・・・」


「あの人と釣り合わない」


となってしまう。
しかし、相手のことは好き。好きだからいろいろ想像してしまう。

 

このタイプの「好き避け」の厄介なところは、相手を想えば想うほど劣等感が増幅してしまうこと。
しかし、相手を想わない恋なんて有りえません。あったらそれは恋なわけがない(笑)
出会う度にその劣等感を蒸し返されるので、好きなのに避けてしまう。あるいは冷たくあしらってしまう。


この「好き避け」は、おそらく劣等感を解消しない限り、相手への理想化を止めない限り、治りません。
積極的に自分と向き合い「治療」しない限り、永遠に治ることはありません。


この「理想化」は、調理方法さえきちんとしておれば、現実の自分から理想の自分へと向上させるエネルギーにもなります。
向上心を爆発させ、一気に高みまで上がることもできます。

アドラー心理学」として巷で話題となっている、アルフレッド・アドラーは、

 

「劣等感が、あなたが自己成長するための心の原動力になるのであれば、劣等感はむしろ持っておいた方がいい」

 

と述べています。
しかし、向上心の燃料が切れた「理想化」は百害あって一利なし。現実打破のための「理想化」も、諸刃の剣なのです。

 

「理想化」を解消するにはどうすればいいのか。難しい問題です。

しかし、これだけはわかっています。

「理想化」が激しい人は、完璧主義なのだと。

完璧主義である以上、自分は完璧でなければなりません。完璧であるべき、この縛りにさいなまれることになります。

その完璧主義をやめる方法は、やはり完璧じゃない自分を受け入れる、認めることしかないかなと。
そして、そんな自分を最後は笑い飛ばす。
いっそのこと、ブログにそれを書いて文章化し、読者に笑っていただくのも解消法かもしれません。


最後に


そうやって劣等感の鎧を脱いでゆくと、最後にあらわれるのは生身の自分です。

ゲームのファイナルファンタジーⅤには、戦士や黒魔術師などの数々の職業(ジョブ)があります。
しかし、いろんな職業を経験した後に残る最強の職業は、「すっぴん」という生身の自分でした。ものまねし最強伝説はさておいて(笑)

 

生身の自分、つまり「すっぴん」になると本当に楽になります。ありのままの自分がどれだけ「自由」で「最強」か。
そして、劣等感という鎧が如何に自分の重しになり、苦しめていたかがわかります。

「すっぴん」になった結果、天然になったりアホーになったりすることもあります。

でも、それが「本当の自分」なのです。

私の場合は、素はけっこう天然で大雑把キャラですが、

「しっかりしないといけない」

「人として立派でないといけない」

という鎧に身を包んでしまい、30代の10年間はほぼ身動きが取れず。今だから言いますが、10年間「鬱病状態」だったと言っていいでしょう。

もじ自伝を書くことになったら、この10年間は白紙にしたい、書くことがないほどの黒歴史ならぬ「白歴史」なのです。それくらい、劣等感って恐ろしいのです。

 

しかし、不惑になりその鎧をすべて脱ぎ捨て、一人のアホーに戻りました。

すると、今までの憂鬱感・原因不明の苦しみが消えていき、身軽になりました。

その結果として、劣等感も消えていったのだと思われます。

 

鎧を脱ぐのは容易なことではありません。そして恐怖を伴います。
しかし、劣等感という魔物を飼い馴らす方法は、いったん鎧を脱ぐことしかありません。

 

劣等感に悩まされ、身動きが取れない人たちの一服の清涼剤になったことを祈りつつ、今回は筆を置く・・・じゃなかった、ブログの場合はどう言えばええんやろ・・・パソコンをそっ閉じしますでええんかな?まあいいや(笑)

 

 

☆☆最後までご覧いただき、ありがとうございます。

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