平野ノラをテレビで見てると、バブル景気を思い出す。
今ではありえないこともあって、不思議な時代だった。
当時、ポン吉はちょうど学生だった。
家賃が高い
土地転がしという言葉が象徴している通り、不動産価格は右肩上がりだった。
だから家賃はとにかく高かった。
都心から離れた駅から徒歩15分の1K風呂なし築数十年のアパートでも月3.5万円していた。
2年後に引っ越したところは、やはり都心から離れた駅から徒歩15分の1K風呂ありのアパートで、家賃は6.5万円だった。
学生もバブル
学生のイベントも派手だった。
年に何回か開催される大学のサークルの一大イベントはダンパだった。
ダンパとはダンスパーティーのことで、都心のディスコを貸し切って行われていた。
ポン吉は幽霊部員に近かったが、その時期が近づくと1枚5000円ほどするダンパのチケットを何枚か買わされていた。
ポン吉は主催者サイドなのでチケットは必要ないので、買わされたチケットは誰かに売らなければならない。
つまり、それがポン吉のノルマだった。
ディスコに入るにはドレスコードがあった。
入り口の受付で服装チェックにOKをもらわなければ入場できなかった。
スニーカーやジーパン(デニム)はNGだった。
男はスーツを着ていく人が多かった。
学生のポン吉でもDCブランドと呼ばれていたメーカーのスーツを持っていた。
DCブランドのスーツは、たいていは10万円ほどでどんなに安くても5万円を下回ることはなかったと思う。
中にはアルマーニやヴェルサーチといった高級ブランドを身にまとったつわものたちもいた。
これがダンパになると、主催者側の男の服装は黒のタキシードが当たり前のように必要になってくる。
タキシードは蝶ネクタイだしシャツも専用のもので、カマーバンドとかいう腹巻のようなものも必要だった。
一式そろえると10万円はしていたと思う。
そこまでしてやっと、みんなと一緒にダンパに参加できた。
トリクルダウン(おこぼれ)
出費も多かったが、ポン吉のような学生でもバブルのおこぼれにはありつけた。
飲食店でバイトしていた頃、
お客さんからチップをもらったり、
忙しい時に終電が過ぎても働いてると店長がタクシー代と言って、毎回1万円をくれた。
実際にタクシーで帰ると5千円ほどだったが、若かったので朝まで遊んで始発に乗って帰宅していた。
それに当時、終電の後で5千円の距離ではタクシーに乗車拒否されていた。
1万円をくれた店長と朝まで飲むこともあった。もちろん店長のおごりで。
新人類として就職
就職活動も今とは違ったように思う。
会社説明会に出席すると、交通費程度の金一封があった。
1日に数社まわると結構な金額になった。
一次試験は「じゃんけん」という会社が話題になったりして、世の中はうかれていた。
ポン吉たちの世代は上の世代から、新人類と呼ばれていた。
今までの常識が通用せず、価値観の相違が大きくて理解しがたい世代だと言われていた。
会社に入っても、新入社員歓迎会は派手なところが多かった。
ポン吉の入社先でも配属部署ごとに歓迎会が行われていたが、
老舗旅館でやったり屋形船を貸し切ったりと豪勢だった。
携帯電話は存在していたが、まだ一般的ではなかった。
その代わり今はもう見ることがなくなったポケベルが普及していた。
ポン吉は使ったことはないのだが、電話の0から9の数字を組み合わせてポケベルに暗号のようなものを送信していた。
電気製品がアナログからデジタルに移行していった時代だった。
レコードやカセットテープは数年後には姿を消した。
バブル降臨
ポン吉のような新入社員でもゴルフを始める人は多かった。
ポン吉が会社の人とゴルフに行った時、プレイ中にヘリコプターの大きな音が聞こえてきた。
ポン吉たちはプレイを中断してヘリコプターが去っていくのを待ったが、ヘリコプターはどんどん近づいてきた。
ついにはクラブハウスの近くに着陸した。
ヘリの中から、平野ノラのように肩パッドの入った赤いボディコンスーツを身にまとった派手な感じの女性と、土地を転がしてそうなおじさんが降臨してきた。
2人を降ろすと、ヘリはすぐに空高くへと飛び去った。
結局
あの時、ポン吉は自分がバブル時代にいることを理解していなかった。
実体のないバブルだったというけれど、当時ポン吉たちの手元にトリクルダウン(おこぼれ)があったのは事実だ。
物としては残っていないけれど、今では経験できないことを体験できた。
平野ノラをテレビで見るたびに、あのヘリから降臨してきたボディコン女性を思い出す。
ポン吉たちは浅き夢みし新人類だった。