事件の内容が既知であることを前提に書く。知らない人はURLを。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170516-00000560-san-soci
憶測を踏まえて、彼について思ったことを書く。
まず、彼がサイコパスと指摘されていることに関して、昨今のサイコパスについて誤解を述べる。(参照:サイコパス-冷淡な脳-)
現在、サイコパスは倫理観の欠如した人間の代名詞として、市井では乱用されているが、医学上、サイコパス及び精神病質は、脳の前頭前野皮質眼窩部と側頭葉前部、扁桃体などが18%ほど先天的に萎縮した遺伝的な発達障害者であることがわかっている。その結果、他者に対する共感能力の欠如が起因となり、倫理観の欠如が現れる。また、サイコパスの特質として、不安に対する鈍感さ、過大した自尊心がある。ここにおける自尊心は、精神医学における自己愛性パーソナリティ障害のナルシシズム的な歪んだ自己愛ではなく、正真正銘の等身大の自分を愛していることである。サイコパスは決して自暴自棄にはならず、不安も感じない。不気味なほど前向きだ。今回の青木被告の供述と境遇から、彼がサイコパスでないことは明白である。よって、ここからは彼に罪悪感と不安が備わっていることを前提として書いていく。
この事件についてブコメに書かれているのは、「オタクによる犯行に関する意見」や「自殺しろ」、中には「どうせなら他の奴をを殺せ」といった過激なものまであるが、この記事で最も注目すべきは彼の境遇だと思う。
彼は親から愛されず、周囲からのいじめによって虐げられ、生活費のために借金までし、健康も患っていた。経済的に困窮してまで、親に頼らず一人暮らしをしていたのは、おそらく自身を愛してくれない母親といるのが苦痛に感じることや、愛してくれない母親を感覚的に親ではなく他人に感じ迷惑をかけたくなかったことが関係していると思う。彼の自尊心と精神は、その環境によって着実に蝕まれていき、もはや人生に希望や魅力なんてものはほとんどなかったのだと思う。アニメやゲームは、おそらく彼にとっての現実逃避、唯一辛い現実を忘れさせてくれる憩いの場であったはずだ。彼にとってのオタクカルチャーは、犯行を助長するものでなく、むしろ疲弊した精神を癒し、こういった破滅的な末路を長引かせることに寄与したと思っている。残念ながら、それを回避させるほどの効果はなかったが。オタクカルチャーと犯罪者の関連、犯罪者とその境遇については後日追記するかもしれない。まずは今回の事件に対する意見と見解を述べる。
「自暴自棄になっていた」「死刑になろうとおもっていた。」という供述から、彼が死を願っていた、この現実から逃げたがっていたことが伺える。自殺を避けた動機については不明瞭ではあるが、やはりそれを為す気概がなかったのだと思う。「自殺すればいい」という直情的なコメントも見受けられるが、一人の幸も不幸も喜びも苦しみも感じる人間が、自らの意思で死を選択し実行する難しさを考慮しているのだろうか。自殺大国といわれることもある日本においては、他者の自殺は珍しくないかもしれないが、一人の人間にとっては、自身の全てに自ら終止符を打つ人生最大の決断であるはずだ。容易に成せることではない。
だから彼は自分ではない外部に殺害を委ねたのだろう。こんなことを言ってしまっていいのか不安ではあるが、少なくともこの国で最も効率よく確実に外部に殺害される方法は、司法制度における死刑執行を受けることだと思う。リスクを物ともせず、罪悪感を排斥、または抑制、自己欺瞞していることが前提であれば、この国で極悪非道な犯罪を犯すことは容易だ。多くの人々が周囲になんの警戒もなく、街を悠然と出歩いている。殺人を望む者にとっては、いつでも凶器などを用いて犯行を犯せる環境だ。それは多くの通り魔事件などが示している。そして今回、彼は「連続殺人をして、死刑になろうと思っていた」という判断に至った。しかし、この判断はもはや理知的な計画性があったかどうか怪しいところである。心身ともに疲弊していた彼には長期的な計画の想像と試行錯誤ができるとはあまり思えない。おそらく思いつきに近いのであろう。次は事件時の彼の心境と性的嗜好について書く。
彼が犯行の標的として、バイトの同僚を選んだ動機は、殺害成功の可能性の高さ、か弱く家に連れ込むことができるという合理性と「青木被告は女性が首を絞められ、乱暴される様子に興奮する性癖があった。」というものと関連している。ここで注意したいのは、彼の性的嗜好が「女性が首を絞められ、乱暴される様子」であって、「女性の首を絞めて乱暴すること」ではないことだ。昨今の、アダルト業界のカテゴリーに、二次元三次元を問わず、「強姦」というカテゴリーがある。また、そのコンテンツ量からこのカテゴリーの大きな需要が伺える。彼の自宅からそういった類のアダルトビデオが見つかっていると報道されていたので、彼もそのコンテンツの消費者であることがわかる。彼にとっての自慰行為は、オタクカルチャー同様、現実逃避の一つであったと思う。彼は創作物の、画面の向こうの非現実的な世界にある「女性が首を絞められ、乱暴される様子」に興奮することを、「女性の首を絞めて乱暴すること」で興奮することと混同していた。大きな罪悪感は性的欲求阻害するが、非現実的なアダルトコンテンツはその罪悪感をなくさせ、単純な性的欲求のみを刺激する。事実、報道によると、彼は被害者を絞殺後、「遺体を見て申し訳ないと思った」と供述しており、罪悪感が起因となり、強姦を行うことができなかった、したくなかったようだ。
犯行中、彼は被害者の首を絞めるリアルな感触の中、興奮なんてしないことに気づいていたはずである。しかし、もはや後には引き返せずそのまま犯行を遂行した。犯行後、彼は現実に戻り罪悪感を感じた。そして、ここで彼は「遺体の写真を撮った」と供述している。ここの行動の意図は明かされていなが、可能性の低い見立てとしては、画面の中に遺体を収めることで犯行を非現実的なものに感じたかったのかもしれない。犯行後、彼は当初の荒唐無稽な計画を断念した。これは殺人に対する恐怖と罪悪感が原因だろう。また、彼の「すっきりした」という供述は、犯行それ自体が爽快なものであることを示したものではなく、自首までの二日間の意気消沈と冷静さを含んだ思考からくる人生へのけじめを示すものであるように思われる。
被害者は彼とまともに話してくれる数少ない人間の一人であり、彼にとってはそれなり重要な存在だったと思う。自暴自棄になり盲目的に死に向かう彼はそれに気づいていなかった。二日間の冷静な思考と気持ちの整理の結果、自身の罪について、本来備わっていたわずか倫理観がその贖罪を判断した。死にたいではなく、死ぬべきだと。
裁判中の、深々と彼の、遺族と被害者に対する謝意は本心であると思う。死刑を望む彼に情状酌量を求める演技は必要ない。おそらく、自暴自棄からくる死への渇望、被害者を巻き込んだ罪悪感、それに連なる遺族への罪悪感、わずかな倫理観からくる自身のあるべき姿、などの多くが犯行後の彼の精神を放縦しているのだろう。
おそらく、常人であれば、「強姦」のコンテンツを消費して、「女性が首を絞められ、乱暴される様子」と「女性の首を絞めて乱暴すること」を混同しないと思う。しかし、死を望むほど精神的に追い詰められていた彼には、そこまでの自己洞察はできなかったのである。この記事を見ている人の中には、このコンテンツの消費者のような、あまり公にはできない欲望を持っている人もいると思う。しかし、あなたブレーキを踏むことができ、社会的な行動をすることがさほど難しくないであろう。だが、彼のブレーキはもはや壊れていた。彼を取り巻く環境が破壊したのである。
レイプもののAVが部屋にあった云々というところは少し引っかかるなあ。 いまどき、市販のレイプAVで絞殺にまで及ぶようなハードコアなやつは俺の目に入る範囲では見当たらないよ。そ...