下記は、マリー・アントワネットの最期の日を、小説風にまとめたものです。
革命広場は、熱気と狂気に包まれていた。
王妃の処刑。
その歴史的事件を目撃するために、大勢の民衆が集まっている。
群衆のはるか後方。
一人の男が、自らの迂闊さを呪っていた。
男は、歴史家だった。
真実の歴史を、後世に伝えることが天命だと信じ、書物にまとめている。
だから、今日の出来事を一部始終逃さずに目に焼き付けるつもりであったのだが、遅れた。
この位置からは、彼女の顔は見えないだろう、とため息を吐く。
王妃の名は、マリー・アントワネット。
今年の初めに、この場所で処刑されたルイ16世の妻であり、本日ここで人生を終える人物であった。
「共和国バンザイ!」
ふいに誰かが声をあげた。
それをきっかけに、次々と叫び声が上がる。
「オーストリア女に死を!」
「売女!」
男に、王妃との面識はない。
だから、罵倒されるほどの極悪人なのかどうかは、知る由もない。
ただ・・・、と男は思う。
国王ルイ16世も、革命以前は、民衆からは絶大な人気を得ていたはずだ。
だが彼は、その民衆の手によって処刑される。
彼の罪は、「国王であった」こと。
ただそれのみ。
王政の象徴として断罪されたのだ。
それなのに最近では、「ルイ16世は愚王だった」と言う者が多い。
そして、彼らはこう続ける。
だから処刑されて当然だったのだ、と。
「破廉恥なアントワネット!」
叫び声が聞こえて、男の思考は中断される。
群衆の間から笑い声があがった。
アントワネットの場合は、何の象徴として処刑されるのだろう。
富だろうか。
特権階級だろうか。
「パンがなければ、ケーキを食べればいいのに」
そう彼女が言ったと噂されている。
これだって、真実かどうか。
ざわっ。
広場にざわめきが起こる。
「アントワネットだ・・・」
ささやき声が聞こえた。
人垣が割れて、そこを荷車が進んでいる。
広場が静まり返った。
アントワネットが降りてきた。
「おお・・・」
声があがる。
男にはそれが、称賛を含んでいるように感じた。
彼女は、一人で大地に立ち、誰の助けも借りていない。
ここからでは見えないが、誰ひとりとして、蔑みの声をあげないところをみると、凛とした表情をしているのかもしれない。
そして、彼女は断頭台に立った。
文 清水喜文
革命とは、
今までの支配層が没落し、それまで抑圧されていた層が権力を握る。支配者層と被支配者層が逆転したら、革命と呼ばれるのです。
「Chikirinの日記」より
昨日の記事、
最も裕福な8人と、貧困層の36億7500万人の資産額がほぼ同じ - Trial and Error / 清水喜文ブログ
を書いている時に、なぜか頭の中をフランス革命という言葉が、行ったり来たりしました。
現在は、人類史上、類を見ないほどの激しい格差があります。
それなのに、支配層の姿が見えにくい。
直接的には、摂取されているわけでも、支配されているわけでもないので、裕福層の者を対象として見えないのです。
また、上位が没落しても、違う誰かがそこに上がるだけで、何も変わりません。
誰かを打倒すれば、何かが変わるという単純な話ではないのです。
ルールを変えなければ。
誰もが、金を奪い合うゲームに参加させられています。
真面目に働くだけでは、このゲームは勝てない。
この世界のルールを理解して、うまく立ち回る者だけが上へ行く。
時々、ルールは地味に変更されます。
変更できるのは、この世界の勝者たち。
これは数のゲーム。
優勝者が掛け金を独り占めするとして、参加者全員が10円ずつ負けたとしたら、世界人口72億人×10円で、720億円が、手に入る仕組み。
(FXや宝くじなどをする人を見ていて、僕が抱いた勝手なイメージです。ごめんなさい)
だから、なるべく多くの参加者がいて欲しい。
参加者を釣る方法は、自動車、マイホーム、ブランドの服、バッグ、海外旅行などの購入意欲を誘う。
もっと欲しい、もっともっと欲しい、が参加条件。
最近、ミニマリズムという考え方が広まりつつあります。
「最小限の物で、精神的に豊かに暮らすこと」と僕は認識していますが、
この考えこそ、支配者層に抵抗する手段なのかも、と思っています。
この時代の革命は、もう始まっているのかもしれません。