2017-05-17

増田哲学 Ver 01

世の始まりは知性からである。即ち「我、光あれ」の言葉とともにこの世が生まれとあるように、

「光と世界」の前に存在したのが知性なのだ。つまり知性そのもの創造の源でもある。より具体的に

言えば、知性がもたらす思念創造の源であると言える。自らを知覚した存在「光」を欲した

ときに、それは存在した。そして「光」の前に存在した「言」こそが、知性が行動を起こしたとき

まれる「想い」、即ち「思念である

知性の存続は時間という概念を超えたところにある。つまり「我、ここに有り」という瞬間がいずれかの

空間軸で萌芽した時点でそれは「有る」。またそこに「有り続ける」。結果として、知性は時空間という

概念の上位構想として存在しうる。

自覚する存在がどのようにどれだけ存在するということは議論対象外である。むしろ、知性が如何なる時空間

において別の知性と交わるか、そしてそこでどのような関係性が生じるかが注視するべきものである

知性の繁栄とは、複数の知性が如何に結びつくかを示し、そこには2つの類型しかない。一つは、相互依存による共存共栄による

知の拡大である。もう一方は、一個性による他、そして多の支配による侵略の拡大である。一方は永遠なる存続と

相互補完により実現する存在であり、他方は、一個性支配下により存続が左右される。

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