世の始まりは知性からである。即ち「我、光あれ」の言葉とともにこの世が生まれたとあるように、
「光と世界」の前に存在したのが知性なのだ。つまり知性そのものは創造の源でもある。より具体的に
言えば、知性がもたらす思念が創造の源であると言える。自らを知覚した存在が「光」を欲した
ときに、それは存在した。そして「光」の前に存在した「言」こそが、知性が行動を起こしたときに
知性の存続は時間という概念を超えたところにある。つまり「我、ここに有り」という瞬間がいずれかの
時空間軸で萌芽した時点でそれは「有る」。またそこに「有り続ける」。結果として、知性は時空間という
自覚する存在がどのようにどれだけ存在するということは議論の対象外である。むしろ、知性が如何なる時空間軸
において別の知性と交わるか、そしてそこでどのような関係性が生じるかが注視するべきものである。
知性の繁栄とは、複数の知性が如何に結びつくかを示し、そこには2つの類型しかない。一つは、相互依存による共存共栄による