源孝道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

移動: 案内検索

源 孝道(みなもと の たかみち、生年不明 - 寛弘7年(1010年))は平安時代中期の貴族漢詩人清和天皇の第九皇子である貞真親王の孫で、従五位下・源元亮の子。後に伯父(または叔父)の満仲の養子となった。官位従五位上越前守

弾正少弼左衛門権佐大和守を歴任。寛弘4年(1007年)に越前守に任ぜられるが、寛弘7年(1010年)の3月30日以前に在任中のまま卒去[1]。極位は従五位上であった。一条朝に盛んに行われた作文会の講師を務めるなど、同朝の文人としての活躍が見られ、『本朝麗藻』や『類聚句題抄』、『擲金抄』に作品が収められている。同時代の漢詩人、大江匡衡は孝道を「凡位を越ゆる者」と評している[2]

系譜[編集]

  • 父:源元亮
  • 母:源経基の娘
  • 生母不明の子女
    • 男子:源永成
    • 男子:源政隆

脚注[編集]

  1. ^ 御堂関白記寛弘7年3月30日条によれば、除目にて、越前守である孝道が死去したため、木工頭・大江雅致が後任として越前守に任ぜられている。
  2. ^ 江談抄 五』詩事。

参考文献[編集]

  • 上田正昭他『日本人名大辞典』講談社、2001年