ど田舎のキモオタ中学生がロリータ・ファッションに目覚めるまで


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ごきげんよう。ライターの090です。

今回の記事は、タイトル通りの内容です。なぜメンヘラ.jpにこれが掲載されるのか全くわかっていません。以前、個人的に、ロリータ服にまつわる日記を書いたのですが、それを読んだ編集長に書けと言われました。謎です。

最初に申し上げておきたいことは、「これが王道のロリータだ」とは決して思わないでください、ということです。自分でもそんなこと思ったことは一度もありません。そもそもロリータに王道や正道などないとさえ思っています

単に私の思い出話ですので、ロリータ服に興味のある方、ロリータ服に興味のある人に興味のある方などに読んでいただければ幸いです。(ちなみに、ロリータについては「ロリータ」「ロリィタ」「ロリヰタ」など、あらゆる理由でさまざまな表記が存在しますが、今回は「ロリータ」表記で統一します。)

 

ロリータ服との出会いと目覚め

私がロリータ服と出会ったのは、確か中学3年生くらいのときだったと思います。
ど田舎のクソデブキモオタ女子中学生だった私は、それまでにも申し訳程度にファッション雑誌を買い求め、読んでいたこともありましたが、ほとんど興味が湧きませんでした。

思春期に入り、肌も体型も心もボロボロになりました。嫌な人たちに見た目を揶揄されても、自分でも自分の見た目が嫌なので反論できません。私は自分の容姿を諦めました。ついでに「将来の夢はお嫁さん」みたいな人生も諦めました。

おしゃれして歩いたとしても、嫌な人たちにそれを見つけられて、からかわれるのではないかという恐怖もありました。そんなこと気にしなければ済むのですが、気にしないでいられるほどの強さはありませんでした。

そのうち、ファッション誌よりもアニメージュやアニメディア、ニュータイプなどの雑誌を読む方が楽しくなりました。普通にオタクになったのです。

そんな折、当時一番親しくしていた友人が、一冊の雑誌を私に見せてくれました。その雑誌が『KERA!』でした。

『KERA!』をご存知ない方のために雑誌の概要を説明しますと、
・原宿系ファッション
・ゴシック、ロリータ、パンク、サイバー、和服デコラなどの、とにかく個性的なファッション
に特化した雑誌です。これが、私の人生を大きく変えることになります。

そこらへんの服屋じゃ見たことがないヘッドドレス、どこもかしこもレースとフリルで縁取られているブラウス、紅茶の一滴でも零してしまえばすべてが台無しになりそうな素材と柄のジャンパースカート。

スカートをひたすら膨らませるためだけに履くパニエに、見えないことが前提なのに細部まで作り込まれたドロワーズ。そして幼稚園以来履いたこともない白タイツに、紐を通すだけで日が暮れそうな編み上げのロングブーツ、「このサイズで一体何が入るんだ!?」と思ってしまう鞄。

すべてが機能的ではありませんでした。
しかし、すべてがもう爆発的に可愛かったのです。とんでもなく可愛かったのです。
私はすぐに「このファッションをしたい」と思いました。

そして、雑誌のページに書いてある服の情報を読み、卒倒しました。ひたすら値段が高いのです。バイト禁止の、ど田舎の中学生がおいそれと手を出せるようなものではありませんでした。

さらに、ロリータ服を扱っている店は、私の住んでいる県には無く、服を手に入れるには遥か遠い隣県へ行くか、当時は今ほど充実していなかった通販を使うしかありませんでした。とはいえ、当時の私は完全に燃え上がっていたので、「どんなに大変でもいい、絶対に絶対にロリータ服を着てやる!」と決意したのです。

 

ロリータになる決意

「どんなに大変でもいい、 絶対に絶対にロリータ服を着てやる!」

そう決意してから、すぐに思い出しました。

「私は絶望的に可愛くない」ということを。

それでも、私はロリータ服が着たい。どうしても着たい。自分の現状をできるだけ正確に把握しようと、鏡を見たり、体重計に乗ったり、ウエストや二の腕、太もものサイズを測る日々が始まりました。

そしていつしか、こんな風に思うようになりました。

「こんな肌だから何もしない」のでは、どうにもならない。
この肌をどうにかしなければ、服に申し訳ない。肌を少しでも綺麗にしたり、汚さを隠す努力をしなければ。

「こんな顔だから何もしない」わけにはいかない。
化粧品なんて、最悪、100均でも売ってる。顔が悪いなら、せめてメイクで少しでも良くしなければ。

「こんな体型だから何もしない」なんて、ただの怠慢だ。痩せろデブ!

見た目や服に対しての激しい自意識や向上心が芽生えた瞬間でした。そこからはなんとかして、少しでも可愛くなろうとしました。全てはロリータ服を着るため、ロリータになるために、です。

三つ編みでさえ綺麗にできなかったくせに、髪の毛を巻かねばならぬという強い気持ちで、ヘアアイロンを初めて買いました。普段着も、レースやフリルを用いたものが増えました。それまでデニムやパーカー、フリースばかり着ていたのに……。親も驚いていました。

手芸屋や百均で素敵なレースを見つけたら購入して、家で眺めていました。たまに制服の袖口やスカートの裾、靴下にレースを添わせて、もしこんな制服だったらいいのになあ……ともどかしく思っていました。

日常的に使う文房具などの小物や、食べるお菓子でさえも、「可愛い」と思えるもので揃えていきました。自分の感覚に素直になる癖が勝手に身につきました。

ケータイの待ち受けは、それまでだいたいネルフのロゴマークだったのに、今井キラさんの美しいイラストばかり使うようになりました。ストラップは、安物でもとにかく薔薇、クリスタルなどのそれっぽいモチーフのものを多用していました。授業中も、欲しい服や靴の絵を、おかしいくらいたくさん書いて、いつか着たい、私が着たい……と夢想しました。

ついでに、嶽本野ばらに傾倒しました。嶽本野ばらの小説には、たくさんのお洋服が出てきます。ブランド名もたくさん出てきて、私に憧れを抱かせるには十分すぎるほどに、お洋服の可愛さがギュッと詰まっていました。ロリータファッションやパンクファッション、ヤンキーの女の子も登場します。そして、可愛さも美しさも何もかもが過剰です。めくるめく過剰さに、読むたびにうっとりしておりました。

他にも、いろいろな本を、とにかく読みまくりました。澁澤龍彦とか、それこそナボコフの『ロリータ』とか。

一見、ロリータ服を着る行為には関係の無いことばかりですが、肝心の服が簡単に手に入らなかったので、せめて生活だけでもロリータ的なものになろうとした結果がこんな感じだったのでしょう。

知れば知るほど、ロリータファッションとは、外面・内面も合わせた極端なトータルコーディネイトの世界であり、「わたし」のすべてを変えなければ到底太刀打ちできないものでした。よって、私は無理やり何もかも変えました。

結果、体重は一時期「お前なんかの病気になったのか」と父に言われるぐらい痩せました(20kg近く変動があったような気がします。今思えば病気だったわけですが)。

肌については、皮膚科に行きましたが結果は思わしくなく、洗顔料ジプシーの果てにどうにかなりました。思春期が終わって油の量が減っただけかもしれませんが。

全く興味がなかったお化粧にも、真剣に取り組みました。『KERA!』や『ゴシック&ロリータバイブル』のメイク講座はもちろん、ときには『小悪魔ageha』も参考にしながら、自分の顔をいかに変えるか、試行錯誤していきました。

お化粧は、技術さえ身につければあとはただのお絵かきであり、顔は広大なキャンバスであることがわかりました。

試行錯誤の末に、「化粧は、自由に顔を決めることができる、非常に楽しい行為である」ということを知ることができたのも、ロリータ服と出会えたからでしょうね。

 

ロリータとの接触

高校に入ると、同志ができました。ロリータ服に憧れている人を見つけたのです。

その次のお正月、私は同志とロリータ服を買いに行くことになりました。「まずはお手頃な福袋から揃えていこう」という話になったのです。私たちは、交通費だけでロリータの靴下が2〜3足買えそうな距離の、隣県の地方都市まで行きました。

ケータイの地図アプリを頼りに、BABY, THE STARS SHINE BRIGHTのお店の前に着きました。すでに数十人の人が並んでいて、買えるかどうか不安になりましたが、同志と励ましあって2時間待ちました。寒かったです。

ようやく店が開きました。なんとか福袋を勝ち取って、ふと店内を見回すと、「かわいい」と「最高」の大洪水でした。脳が全て砂糖菓子になってしまいそうでした。

いつまでもBABYの店内にいたかったのですが、せっかく遠征したのだから他の店も見に行こうということになって、次はAngelic Prettyへ。

初売りで色めく店内で、とあるワンピースとバッチリ目が合いました。
吸い寄せられるようにそのワンピースのところへ行き、おそるおそる手に取りました。

「私が着る服は、これだ」そう直感しました。

店員さんに、試着したい旨を伝え、試着室へ行きました。
着てきた服を脱いで、ワンピースの背中や脇のファスナーを慎重に下ろし、ぎこちないながらも袖を通してからファスナーを上げて、裾や袖、襟を整えて、鏡を見た瞬間、

今までに見たことのない世界がありました。

着てみて初めてわかった、その裾の広がり。腕や脚に触れた、その布の感触。ふんだんに使われたレース、フリル、リボン、その可憐に揺れるさま。

そのすべてが、「この服を絶対に持って帰らねばならない」と私に告げていました。
鏡の前で一周、一周、もう一周。私はもう、このワンピースの、ロリータ服の虜でした。

その後、どのようにしてこの運命のワンピースを購入し、持って帰ったか、あまり覚えていません。

帰宅し、早足で自室へ入り、夢心地のまま運命のワンピースを着てみると、やはりそこには最高の服を着た最高の私がいて、本当に本当にこのワンピースに出会えてよかったと心の底から思ったのでした。このロリータ服を私はいつも部屋に飾って、見つめては高揚し、ひっそりと着用しては、身体中にじわっと浸透するような陶酔感を得ていました。

あれ以来、ロリータ服に袖を通すことは私にとっての一つの儀式になりました。気分が上がりすぎるので、おいそれと着ることができません。ロリータ服を着たい、という欲求は、いつも突然湧いてきました。そのたびに、髪や顔を過剰に飾り立てては、ロリータ服を着て、あふれんばかりの多幸感をかみしめていました。

そういえば、ロリータ服を着るたびに、インターネットのどこかで見かけた言葉を思い出します。
「落ち込んだ時は、自分を飾るんだよ」
というものです。最近、この言葉が年々実感をもって理解できるようになってきました。

自分を飾ることで、精神は完全に上がります。化粧で顔を変えて、コルセットで体型を矯正して、パニエを仕込んでスカートを膨らませる。おおきなボンネットを被り、髪型を変え、素敵な靴で足元を華やかに。そして、最強のドレスを着る。そして鏡を見る。そこにいるのは、さっきまで最悪だった私なのに、気分が最高なのです。

この世にはこんなに素晴らしい服と、服を着るという行為がある。そして、私にはロリータ服があるのだ、と思うとなんでもできる気持ちになりました。

 

在宅ロリータでも外に出たい!→出た結果

私は、ロリータ服を着ても滅多に外に出ない、いわば「在宅ロリータ」です。お化粧して、ウィッグを被って、全身完璧に着飾ったときでも、鏡を見ていればそれだけで本当に満足で幸せになれました。

床に何かを敷いておけば靴だって履けますし、わざわざ外に出ようという気持ちにはほとんどなりませんでした。

そんな在宅ロリータ人生ですが、「今日ばかりは全身完璧にロリータにせねば外に出られぬ!」と決意した日があります。入念にお化粧して、髪を巻いて、ボンネットを何度も被りなおしては角度を調整し、リボンを結びなおし、コルセットのラインが歪んでいないか何度も確認しました。鏡の前で何回もまわって、あらゆる角度から自分を確認して、思い切って外に出ました。

服が汚れたり、変なシワができたりしないか心配しながら目的地へ向かう道中、知らない大人に声をかけられました。『ゴシック&ロリータバイブル』のスナップ撮影でした。完全に嘘だと思ったのですが、周囲に素敵なロリータさんがたくさんいたので、嘘じゃないのかもしれない……と思いなおしました。

何が何だか全くわからないまま、ぎこちなくポーズして写真を撮っていただきました。
撮影後に、震える手で名前や服のブランド名を用紙に記入しながら、頭の中は驚きと喜びでいっぱいでした。

『KERA!』や『ゴシック&ロリータバイブル』に出会ったあの頃から、毎号毎号楽しみにしていたあのコーナーに私が……?こんな服着たい、こんな風に着たい、こんなメイクしたいと思いながら、穴が開くほど見つめていたあのページに私が……?

もう、いっそのこと、ドッキリでもいい。私は幸せだ。

後日、掲載された自分の写真を見て、家宝にすることに決めました。スナップ担当の方、ありがとうございます。

もともと家でロリータを着ていれば満足する在宅ロリータでしたので、他人のフィードバックを受けにくい環境だった私は、自分のロリータがこれで「正解」なのかどうかいまいち自信がありませんでした。しかし、こうして撮影されることで、「私の着方でもよかったんだな」という自信がつきました。

今後も、私は私のためのロリータを極めよう、私の信じた道を行こう、と思います。

 

ロリータ服は魂で着る

すみません、唐突に持論を展開します。

ロリータ服に取り憑かれる人は、生まれた時から心にロリータを着ているような人なのだろうと勝手に思っています。ロリータの魂を持って生まれてきたような感じです。

魂をロリータで装っている人は、身体で何を着ていてもロリータなのだ。と常々考えています。
もちろん、「魂がロリータじゃない人はロリータ服を着るな!」とか、そんな曖昧なことを言うつもりはありません(魂って目に見えないので、そんなこと言えるわけがない)。着るだけでもいいからどんどんみんな着たらいいのに、とさえ思います。

以前、「ロリータ服に興味あるけど、持ってないんだ」と言った友人がいました。よくよく話を聞いてみると、普段はカジュアルでさっぱりした服を着ていた彼女の中にも、確かにロリータがいると感じました。

早速、この友人を家に招き、手持ちのロリータ服を着てもらいました。彼女はとても喜んで、本当に嬉しそうに笑いました。魂レベルでしっくりくる服を着た私たちは、その時だけ、思う存分「ロリータ」になりました。

ロリータ服は、魂で着る服だと私は考えております。魂からロリータを着てみましょう。

魂を飾るための入門編として、とりあえず嶽本野ばらを読んで、下妻物語の映画でも見て、ALI PROJECTを聴いてみましょう。『ゴシック&ロリータバイブル』のバックナンバーを古い順番に、一ページ一ページを噛み締めながら読んでみましょう。「そもそもロリータってなんだろう」と思ったら、ナボコフの『ロリータ』に挑戦してみるのもいいと思います。他にも、感性を磨くために、美術館へ行って芸術に触れたり、美しいものとは何か、どういうものを美しいと感じるのかを自分に問うてみることも重要です。

大切なことは、これらの作品を見聞きして、何を思うかはあなたの自由だし、私の自由でもある、ということです。自分の感覚を心の底から信じ、貫き通すプロセスにこそ、ロリータの魂が宿る……と、私は考えております。

 

死ぬまでロリータ

ロリータは私にとって、病気みたいなものです。一生付き合っていかねばならない、いや、一生付き合っていきたい病気です。治す気がありませんし、治る気もしません。

正直言って、私はもう結構いい年です。それでも、ロリータ服は捨てられないし、一年に一回ぐらいは着てしまいます。着ないと心の形が保てません。

今朝も、「華美でない服装」を指定されているバイトへ向かうために、華美でない服を着ました。そんなとき、ふと部屋に飾ってある運命のロリータ服を見ては、思うのです。

「あちらが私の正装なのに……」と。

私にとっての正装、正しい姿は、ロリータ服を着ているときの姿なのです。

心がロリータなのですから、私は死ぬまで、一生ロリータでいることでしょう。憧れは一生モノです。

一生憧れられるものと出会えた恐ろしい奇跡に、そして、ロリータファッションを創り、支える全ての方々へ感謝します。


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会社員時代の自殺が未遂に終わり、いろんな意味で「サービスで生きてる」無職。生きてる以上、楽にやっていきたい。少しでも死にたい人のお役に立てればと思います。

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