「何年経っても『ありがとう』をきちんと言葉にして伝え合うことが夫婦円満の秘訣です」と語られたインタビュー記事は、誰のものだったか分からないほど、これまでたくさん見かけたような気がするし、一般的に「ありがとう」は重んじられている。
いくら気心知れているからといって「ありがとう」と言わないのは良くないとされているし、夫婦は感謝の気持ちを言葉にして伝え合っていくことで良い関係を維持できるものだというのは、もはや個人のコメントの域を超えて一般論だ。
しかし、私は旦那さんに「ありがとう」をほとんど言ったことがない。
最後に言ったのはいつだったか思い出せない。今月は間違いなく言っていないし、先月も言ってないと思う。結婚してから言ってないような気がする。それほど言う機会がないフレーズだ。
夫婦になることを選んだのだから、やって当然
思っているのに声にしていないわけではない。旦那さんに対して「ありがとう」と思う瞬間がない。そんなタイミングがない。
だって、夫婦になることを選んだ以上、やって当然のことしかない。
「養う」と言ってプロポーズをし、「俺ちゃんと頑張るから子ども欲しい」と言って子種を仕込んで私を妊娠させたのだから、給料を全額私に渡すことは当然だ。働いている時間以外の全てを私に使うことも、結婚をして、自分の異性交遊枠をお互いの一択にする契約を結んだのだから当然だ。
もしそれを本人が当然だとは考えていなかったら、どういうつもりで結婚したの?という話になる。平均的な働き方と収入の男が、女を養ったり、子どもを作ったりするのなら、稼いだお金と働いてない時間の全てを家庭のものにするべきだ。少なくともそうしないと全然足りない。
彼が「夫」になる人生を選んだ以上、妻の私に対してすることはどれも、してくれなかったら「話が違う」というクレームの対象であって、「してくれて、ありがとう」の対象ではない。
ケーキを買ってきてくれても、感謝の気持ちはわかない
改めて考えてみると、結婚をしてから、ありがとうを言う機会が全然ない。
仕事帰りにケーキを買ってきてくれることが時々ある。その時も「ありがとう」とは言っていない。そもそも思っていない。
だって、私の方が毎日買い物に行き食事を用意しているし掃除も洗濯もしている。
それに私は彼と結婚をしたことで、他の男の人に美味しいものを食べさせてもらう機会やプレゼントをもらう機会を絶ったわけだから、「他の男の分まで俺が一人で用意する!」という心意気は持って欲しいし、夫は妻のことを、妻は夫のことを幸せにする係なのだから、彼が私を喜ばせようとしてくれるのは当然のことだ。「こんなことしてくれて、ありがとう!」とは思わない。
私たちはもう、いつでも関係を解消できる彼氏彼女ではなく、いろんな大変な手続きをしないと別れることのできない夫婦になったのだから、彼氏程度の生半可な気持ちでいられたら困る。結婚するということは、めちゃくちゃ相手の面倒をみて生きていく、ということだ。
ケーキは好きなので「やったー!」とは思うし喜ぶけれど、感謝の気持ちはわかない。
私のおかげでそれだけで済んでラッキーだね!
世の妻は、夫が家事を手伝うと「ありがとう」と言ったりするけれど、私は彼が家事をやっても「ありがとう」とは言わない。
そもそも二人の家なのだから、何をしてくれようとそれは手伝ってくれているわけではなくて、それは彼にとっても自分のことだからやって当然だ。その汚れを作っているのは彼であり、ほとんどの家事を生み出しているのは彼だ。
家事10割のうちの8割をやってくれたら「私の分までありがとう」と思うけれど、たった1割をやってくれたところで、むしろ私は9割をやっているので「全部やってくれる奥さんで良かったね! 私のおかげで、それしかやらないで済んでるんだよ! ラッキーだね! 棚ぼただね!」と言う。
先日、深夜に突然シュークリームが食べたくなって、買いに行かせたことがあったけれど、その時も「ありがとう」とは言わなかった。
なぜならその突然の食欲はつわりの一種だったから、種馬である彼も当事者に当たる。私の個人的な気まぐれな食欲ではない。シュークリームが食べたくなった原因を作ったのは、そもそも彼だ。
私を妊娠させて出産を望んだ以上、つわりモンスターに襲われる私をサポートするのは当然だ。本当なら襲われる係だって交代制にしてほしいけれど、これは女体が担当する定めになっているので仕方がない。せめて、暴れ出したモンスターの要求物を調達する係くらいはやってくれというものだ。夜中にシュークリームを買いに行くのは、お腹の子どもの父親として当然のことすぎて、感謝には至らない。
「ありがとう」を言われたい人は、自分のことしか見ていない
でも、もしもこれが友達だったなら、めちゃくちゃ「ありがとう」と言う。なぜなら友達の場合は、やってくれて当然なことなど何一つないから。恋人でもそう。
そのくらいに、結婚という契約は責任の重いものだし、夫婦とは異常な関係だ。
「ありがとう」と言わない私に対して、彼は何も違和感を持っていないと思うし、彼もまた私に対して「ありがとう」と言わない夫だ。
そもそも「ありがとう」を重んじる人は、「ありがとう」と言われたい人なのだろうけど、そういう人は自分のことしか見ていない。
何かをしてあげる時も、それによって喜ぶ相手のことを想っているのではなく「こんなことをしてあげてる私」のことを見ている。
だから、相手から「ありがとう」と言われないと、お披露目した「こんなことをしてあげてる私」を無視された気持ちになり、気分を害するし、「なんでよ! ちゃんと、してあげてる私のこと見てよ!」と怒る。
だから「ありがとう」を重んじてるタイプの他人に何かをしてもらった時には「ありがとう」と言う。きっとその人は得点稼ぎのためにやってくれてるのだから、それに応えるべく「ありがとう」と言う。ありがたいと思ってなくても、その方が良い空気になるので相手のためを思って言う。
「ありがとう」の代わりに私たち夫婦が発する言葉
私は毎日、彼に対して、食事作りを始めとしてかなり多くのことをしてあげていると思うけれど、それをする目的は喜んでる姿を見ることであって、してあげた私を見せつけることではないから「ありがとう」と言われないことを気になったことがない。
感謝の言葉よりも、喜んでいる姿の方が、もう一回やってあげたくなるし、やる気が出る。
私たち夫婦はお互いがしてくれたことに対して「ありがとう」とは言わないけれど、「えらい」とは言う。
してくれて当然なことの場合も、意外と当然を守る人って少ない世の中だから「ちゃんとしてて、えらいね」という意味で「えらい」と言うし、「そこまでしてくれるんだ!」という場合もやっぱり「えらい」と言う。やらなくてもいいことなのに、そんなことまでしてくれて「えー、すっごく良い子だね、えらいね!」という感覚で言う。
家事などに対して「ありがとう」と言う人って、「やるべきことをきちんとこなしてくれてありがとう」と考えていて、だからもしそれをやらなかった時は不満を抱いたり怒る人なんじゃないかとも思うのだけど、「ありがとう」と言わない彼の場合、私が何もやらなくても何も言わないと思う。やらなくても普通で、やると「えらい」だけ。
そんな感じなので、私たち夫婦の会話には「ありがとう」「どういたしまして」というくだりがないけれど、その代わりに「嬉しいの?」「うん嬉しい」という会話をよく交わす。いいことをしてあげた、と思ってる時に言う。
私も彼も、お互いに何かをしてあげる時、そのことで自分がどう評価されるかは見ていない。相手の満足度を見ている。嬉しそうなら十分に、してあげた甲斐がある。
私の手料理を食べた旦那さんが放った嬉しい一言
彼は帰宅時間が見えない仕事をしているので、毎晩の食事は基本的に事前に作っておいて、温めて食べるだけの状態になっているのだけれど、彼の帰宅が何時であっても私は彼の食事に同席する。先に寝ていた場合も、彼がご飯を食べる時には私は起きる。食べてるところが見たいからだ。
食べてるところを見ないと、その日のお料理が彼にとってどのくらい美味しかったのかが分からない。私はそれを知りたいので同席する。
今夜の献立は、今後もまたリピートしていいものなのか、この手の味付けは彼にとってツボなのか否か。それを知りたくて、自分が食べるわけでもないのに、私は彼の食事に必ず付き添う(そもそも、私が彼と同じ食事をとるのは休日だけで、平日は基本的に違う内容のものを食べているので、彼の食事は彼のためだけに用意していて、何時帰宅であれ100%見ているだけで一緒に食べるパターンはない。本当にただ見るためだけに、わざわざ起きている)。
彼に食事を作るようになってから、食べてる姿を見るところまでが料理だと思うようになったけれど、それは「ありがとう」と言われたいからではない。
先日、彼が私の手料理を食べながら「これってお弁当にもできるの?」と訊いてきた。彼の職場では昼食が支給されるのでお昼は作っていないのだけど「お昼も美咲ちゃんのご飯が食べたい、お昼も作ってほしい」とのこと。
職場での支給があるのに、あえて毎日お弁当を用意するとなると、それははっきり言ってかなり面倒くさい提案だ。でも、嬉しかった。
食べてる彼を観察し続けたことで、「こういう味が好きそうな気がする」というカンがだいぶ当たるようになった。
自分が食べるわけでもない献立を毎日考えることも、作ることも、冷静に考えるとかなり面倒くさい作業だ。でも、毎晩食べてるところを見ながら「これ作ってもらえて嬉しい?」と訊き、「嬉しい」と答えて嬉しそうにモグモグする顔を見ていると、明日もまたこの作業があることを別に面倒くさく感じないから、結婚生活は本当に不思議なものだ。
「多分このお料理を作ってあげたら喜ぶだろうなぁ」と思って用意したご飯で、まんまと喜んでる姿を見るのが大好きだ。