明治維新という時代
ニワトリからアヒルの帝国軍隊(8)
帝国軍隊が、海外で武力行使をし、外国に自己の要求をおしつけることを定着させ、専守防衛と国内の治安維持と四民平等と自由の担い手たりとする創業の銘を放擲するまでに、わずか4年しかかからなかった。
そこからさらにアジアの憲兵となるには、もうひとっ飛びである。その筋書きを描き、実践して行ったのは、帝国軍隊のドン、山縣有朋であった。
(進隣邦兵備略表)
1880年11年、帝国軍隊参謀本部長(当時は海軍の軍令も統括した)・山縣は、『隣邦兵備略』を上奏した。その概要は以下のとおりであった。
国際関係を、万国対峙、各国国境を画して軍備を強固しなければ独立を守ることはできないと認識、条約や国際法を、強者の名目、弱者の悲哀を訴える道具に過ぎないと断じる。
その上で、西欧列強や清国の軍備を過大に計上し、これと対峙するための軍備を早急に整備する必要性があることを訴えた。
(陸海軍拡張に関する財政上申)
1882年8月、山縣は、「陸海軍拡張に関する財政上申」において、さらに切迫感を加えて軍備増強を訴えた。
西洋列強は遠いのでそれはおくとして、直接近傍の国(清国をさす。)の状況を見るとき、陸海軍を拡張し、大艦隊を擁し、四方に展開しなければ、わが国をあなどる直接近傍の国(同前)に乗ぜられてしまう。「坐シテ此極ニ至ラハ我帝国復タ誰ト倶ニ其独立ヲ維持シ、誰ト倶ニ其富強ヲ語ラン。」
(主権線・利益線)
その後、山縣の上奏、上申に従い、わが国の軍備増強が図られたことは言うまでもない。
やがて明治憲法が発布され、1890年11月29日施行となるが、その施行日に第1回帝国議会が開会される。このとき山縣は、内閣総理大臣やがて内閣総理大臣に任ぜられおり、翌12月6日、施政方針演説で、以下のように演説した。
「思うに国家独立自営の道は、一に主権線を守御し、二に利益線を防護するにあります。何をか主権線という、国境これです。何をか利益線という、わが主権線の安全とかたく関係しあう区域これであります。今日列国の間に立って、国家の独立を維持しようと欲するなら、ただ主権線を守るのみでは足れりとせず、必ずや利益線を防護しなくてはなりません。それゆえに陸海軍に巨大の金額をさかなくてはなりません。」
主権の及ぶ範囲即ち国境の外にそのバッファゾーンとして利益線をとり、その防護のため軍備を増強しなければならないと山縣は言明した。
利益線は、朝鮮に、台湾に、満州に、更に中国、アジア全体に広げられ、同時に、国境も広げられていく。その基いは、ここに据えられたのである。
(まとめ)
ここまで読み進めて頂いた方には、もうおわかりであろう。帝国軍隊の創業の銘は、実は、憲法上の疑義を押し切って、1954年7月、戦後のわが国に創設された自衛隊の任務と同じである。それは専守防衛と公共の秩序の維持である。
自衛隊は、以後、さまざまな任務を小出しに追加されてきた。しかし、2016年3月の安保法制の施行後も、この大枠を維持することを政府も明言しているではないか。即ち、自衛隊は、創設後63年も経た現在も、海外で武力行使をすることはできないのである。それは何故か。それは世論とそれに依拠した国民運動に裏打ちされた憲法9条1項、2項の規範力である。
憲法9条をなくす、あるいはこれを改定して、1項、2項の規範力を弱めればどうなるか。それは帝国軍隊の足取りをみれば言わずもがなである。
(第二話終わり)
帝国軍隊が、海外で武力行使をし、外国に自己の要求をおしつけることを定着させ、専守防衛と国内の治安維持と四民平等と自由の担い手たりとする創業の銘を放擲するまでに、わずか4年しかかからなかった。
そこからさらにアジアの憲兵となるには、もうひとっ飛びである。その筋書きを描き、実践して行ったのは、帝国軍隊のドン、山縣有朋であった。
(進隣邦兵備略表)
1880年11年、帝国軍隊参謀本部長(当時は海軍の軍令も統括した)・山縣は、『隣邦兵備略』を上奏した。その概要は以下のとおりであった。
国際関係を、万国対峙、各国国境を画して軍備を強固しなければ独立を守ることはできないと認識、条約や国際法を、強者の名目、弱者の悲哀を訴える道具に過ぎないと断じる。
その上で、西欧列強や清国の軍備を過大に計上し、これと対峙するための軍備を早急に整備する必要性があることを訴えた。
(陸海軍拡張に関する財政上申)
1882年8月、山縣は、「陸海軍拡張に関する財政上申」において、さらに切迫感を加えて軍備増強を訴えた。
西洋列強は遠いのでそれはおくとして、直接近傍の国(清国をさす。)の状況を見るとき、陸海軍を拡張し、大艦隊を擁し、四方に展開しなければ、わが国をあなどる直接近傍の国(同前)に乗ぜられてしまう。「坐シテ此極ニ至ラハ我帝国復タ誰ト倶ニ其独立ヲ維持シ、誰ト倶ニ其富強ヲ語ラン。」
(主権線・利益線)
その後、山縣の上奏、上申に従い、わが国の軍備増強が図られたことは言うまでもない。
やがて明治憲法が発布され、1890年11月29日施行となるが、その施行日に第1回帝国議会が開会される。このとき山縣は、内閣総理大臣やがて内閣総理大臣に任ぜられおり、翌12月6日、施政方針演説で、以下のように演説した。
「思うに国家独立自営の道は、一に主権線を守御し、二に利益線を防護するにあります。何をか主権線という、国境これです。何をか利益線という、わが主権線の安全とかたく関係しあう区域これであります。今日列国の間に立って、国家の独立を維持しようと欲するなら、ただ主権線を守るのみでは足れりとせず、必ずや利益線を防護しなくてはなりません。それゆえに陸海軍に巨大の金額をさかなくてはなりません。」
主権の及ぶ範囲即ち国境の外にそのバッファゾーンとして利益線をとり、その防護のため軍備を増強しなければならないと山縣は言明した。
利益線は、朝鮮に、台湾に、満州に、更に中国、アジア全体に広げられ、同時に、国境も広げられていく。その基いは、ここに据えられたのである。
(まとめ)
ここまで読み進めて頂いた方には、もうおわかりであろう。帝国軍隊の創業の銘は、実は、憲法上の疑義を押し切って、1954年7月、戦後のわが国に創設された自衛隊の任務と同じである。それは専守防衛と公共の秩序の維持である。
自衛隊は、以後、さまざまな任務を小出しに追加されてきた。しかし、2016年3月の安保法制の施行後も、この大枠を維持することを政府も明言しているではないか。即ち、自衛隊は、創設後63年も経た現在も、海外で武力行使をすることはできないのである。それは何故か。それは世論とそれに依拠した国民運動に裏打ちされた憲法9条1項、2項の規範力である。
憲法9条をなくす、あるいはこれを改定して、1項、2項の規範力を弱めればどうなるか。それは帝国軍隊の足取りをみれば言わずもがなである。
(第二話終わり)
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