初めてお会いした方と名刺交換したのですが、
「珍しい苗字なので、名前を呼ばれる際によく間違われるんです」
と言っていました。
その方、「床入」さんという名字でした。
「とこいり」さんと呼ぶのが正しいそうですが、ゆかいりさん、と呼ばれることも多いそうです。
床という字は「ゆか」「とこ」と呼ぶことが多いと思いますが、その理由を調べてみたら、ずいぶん古い時代まで遡ることになってしまいました。
今回は、床の読み方が2種類ある理由について書いてみます。
床と牀(しょう)
床と言う文字は、中国の「牀(しょう)」という文字が略されたものだと考えられています。
牀(しょう)は、寝台という意味のある文字です。
1966年に出版された『建築古事記』という本があるのですが、その中にも床について書かれた部分がありました。
本によると、「とこ」は「止処」つまり「住まい止まる」という意味から発しており、中国の「牀」を「床」に略して「止処」と呼ぶようになったのは、「とこ」が住まいの中で最も大切な場とされていたからである、といった説明があります。
貴族と庶民の床
牀という文字が伝来したのは、飛鳥時代から奈良時代にかけてだと考えられています。
住まいの中で大切な場所とされた「とこ」ですが、貴族と庶民では全く違うものでした。
貴族の住まいでは、とこは一段高い場所に設けられていました。
一方、庶民の住まいでは、土間の一か所に藁を敷いた粗末なものでした。
支配者層は、いつの時代も「高さ」で権力を誇示していたのかもしれません。
「とこ」から「ゆか」へ
平安時代になると、寝殿造りという建築様式が一般化してきます。
寝殿造りは、土間と一段高い「とこ」を作ることはせず、住まいの全部を板敷にする建築方式でした。
板敷にした場所を「ゆか」と呼ぶようになったのは、その頃からだと考えられています。
この「ゆか」は、「斎所(いか)」という言葉に由来しており、清浄な場所という意味があります。
当時、「斎所(いか)」や「ゆか」は、仮名書きで表現することがほとんどでした。
これは、「とこ」と区別するためです。
鎌倉時代になると、庶民の住まいはそれまでよりも暮らしやすいものに変化します。
庶民の住まいに設けられた、寝台の「とこ」と板敷の「ゆか」が混同されてしまい、床という字が「ゆか」とも「とこ」とも読まれるようになってしまいました。
つまり、鎌倉時代からは「とこ」と「ゆか」は同じものだと考えられるようになったとされています。
畳の登場
畳が使われるようになったのは、平安時代からです。
当時は、必要な際に板敷の床の上に置くという使われ方をされていました。
今で言う、座布団のようなものだったんだと思います。
そのため、「たたみ」という呼び方は、「たたむ」という動詞が名詞に変化したものが由縁と考えられています。
床の間
室町時代になると、多くの住まいで仕切りが用いられるようになってきます。
そのため、必要に応じて板敷の床の上に畳を置くという使い方に不便が生じてきます。
住まいを建てる際に、板敷の部屋と畳敷きの部屋が分けて造られるようになりました。
畳を敷き詰めた部屋を「座敷」と呼ぶようになったのも、この頃からだとされています。
当時の住まいには、座敷に囲まれた部屋の中に、一段高く板敷のままの「とこ」の部屋を残すことが多くありました。
その部分を「床の間」と呼んで、座敷と区別していました。
現在の床の間とは、若干意味が違いますが、元々床の間とは「座敷に囲まれた板敷の部屋」という意味があったそうです。
畳の縁
畳の縁(へり)は、踏んではいけないと考えられている場合が多くあります。
以前に記事を書いたことがあったのですが
これ以外にも、畳の縁には意味があります。
現在の畳に近いものは、平安時代頃から使われていました。
それ以前は、薄く巻いて収納できるような畳が使われていました。
平安時代に使われていた畳は、身分によって大きさや縁の色や模様が違っていました。
平安時代末期に権勢を誇った平清盛は、宴の席で安徳天皇の横に座りました。
その際、天皇しか座ることが許されていなかった縁模様の畳に座り、清盛は自分の力を誇示したとされています。
少なくなった「床の間」
最近は、床の間がない家も増えてきました。
床の間の本来の役割を考えると、身分制度や階級制度が希薄になってきた事とは、どこかで通じているような気がします。
参考文献