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僕の人生、変な人ばっかり!

経験から物事を語るように心掛けています。街で見かけて気になった人、有名人、変な体験談、作品評などを書いてます!

ワンピースを読まなくなった理由をガチで考察してみました【フォクシー編】

 ワンピースが好きです。でも、魚人島あたりで読むのをやめました。その理由を考察しました。読者向けの内容になります。

ONE PIECE 33 (ジャンプ・コミックス)

ONE PIECE 33 (ジャンプ・コミックス)

 

 

はじめに→構成と精神性

 当時のワンピースを読んでいて最初に違和感を感じたのは、フォクシー編です。ワンピースという作品のプロット(=物語上の構成)で必要かな? と頭に残っていました。

 ◯◯編と括られるところには、複数の重要なテーマが入れられています。

・その土地の重要なキャラと絡む

・重要キャラの過去

・強い敵を倒すことでその土地の遺恨・問題の解決。

 結果的に

→仲間の成長、絆が深まる。

 

例:アーロン編

・ノジコ、風車のおっさんと絡み

・ナミの過去が判明し

・遺恨の根本的な原因のアーロンを倒すことで解決

 結果的に

→ナミが真の意味で仲間に加入。一段階強くなりますよね。

 

 バラティエ編もそう、バロックワークス編もそう。空島編もそうです。

「ワンピースっていっつも同じだからつまらない。お決まりの展開だよね」という人の心理は「予想に反さない」ことを表しています。逆説的に言えば、構成が美しく描写に無駄がないということです。まずは、ここで好き嫌いが分かれると思います。

 ちなみに、僕はこの展開が嫌いではありません。その理由は、この構成によって仲間の精神性が垣間見れるからです。僕はこれが好きだから、ワンピースが好きになりました。

 これは文中で言及していきます。

 

フォクシー編を見ての疑問(当時の印象との比較)

・デービーバックファイト→「仲間を失うぞ!」と言っておきながら、んなことはないと読者はわかり切っている。なのになんでやる必要があるんやろ? 空島直後ゆえ海賊であることの強調のため? んー。それだと弱い気がする。

・遺恨と言えるものの解決がない。強いて言えば竹馬おじさん。でも解決したのは青キジ。フォクシー海賊団のくだりをまるまるカットしても問題ないっちゃない。

・フォクシーの敵キャラとしての個性が弱すぎる。

・ウォーターセブンが長いから、サラッとした息抜き的な話を入れたかったのかな。

・まあ、ゾロとサンジのところが面白いからいっか。

→これは、

「…おいコック 10秒手ェかせ」

「…妥当な時間だな」

 普段は相容れない二人が、敵を倒す時間計算に関しては共通の価値観を見出していることが伝わる描写です。アラバスタでも「2秒だ」ってありましたよね(アーロン編でも)。この場面は読み返しても面白いと思いました。

 当時はこんなふうに考えていました。ただ、読み返してみると違いました。

 

ワンピースの世界における倫理観の変化 

 基本は一対一、正々堂々、真正面での戦い、会話アリ能力説明が主です。自己紹介や能力説明もなく、いきなり暗殺されたりすることはないですよね。というのも、相手の心を折るための戦いだったからです。

 つまり、自然に倫理観の整理が行われていたことを意味します。この倫理観の整理が行われてないと、相手の心を折ることは出来ません。「卑怯だ!」というような発言を生むことになります=心が折れてない。

 

 これからはタイマンだけじゃないですよ。というメッセージがデービーバックファイト(+青キジの登場)なのかなと考えることが出来ます。

 今回で言えば、

・外野が勝敗に関係してくる(スリラーバーク編の影などもそうですね)

・一回戦い終わっただけで終わらない(これはモリア戦後のバーソロミューくまだったり、シャボンディ諸島の戦桃丸などにも象徴されます)

 また、緩い雰囲気で行われたデービーバックファイトが、青キジというキャラの重要度・存在感を増すための演出でもあります。青キジの重要性は、ロビンというキャラの重要性にも直結することになります。

 

ウォーターセブン編でのミスリードの誘い

 デービーバックファイトで仲間を奪われることはない。次は船大工が加入するんだろうなあ……と読者は自然に思っていたと思います(現に加入しますが)。なぜなら、今までの構成がそうだったからです。

 ただ、ウォーターセブンでは

→ウソップの一時脱退

→ロビンの一時脱退・過去

→フランキーの加入・過去

→メリーとの別れ・サニーとの出会い

 という詰め込まれた展開になっています。

 

 秀逸だと思うのは、ウソップとロビンが違った理由で脱退することです。ロビンはウソップが決闘して一味を離脱することを知らずに、政府と取引しますよね。

 大切なのは、それらの一味の流れを最短で理解したのがフランキーという点です。これがあることで、フランキーの一味に馴染む速度が上がります(スリラーバーク編で後述)。

 フランキーは自分が造ったバトルフランキーを利用され、結果、大切な人を失ってしまいます。それをアイスバーグに責められます。これらの描写から、存在を創り出す創造の「楽しみ」だけでなく、存在することの「苦しみ」もまた理解していることが伝わります。

 そんなフランキーだからこそ、存在を否定され続けてきたロビンに響く

「存在することは罪にならねェ」

 というセリフが言える(生まれる)わけです。僕はこういった、キャラクターの精神性が出る描写が大好きです。

 

 今までと違った展開に

「一味はどうなってしまうんだろう……」

 一回でもこう思わせるためのフラグと考えるならば、フォクシー編の存在意義は大いにあると考えることが出来ます。

 

 ただ、一点思ったこと。フォクシー戦のアフロに関しては、ルフィとウソップのくだりがあります。だったら、そげキングにはアフロをつけた方が良かったのに……と思いましたが、これはブルックの伏線と考えれば、まあ大丈夫でしょう。

結果

 ウォーターセブン編の序章(0章)として捉えることで解決。違和感なし!

 

ウォーターセブン編へ続きます