高階敏忠

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高階 敏忠(たかしな の としただ、生没年不詳)は平安時代中期の貴族右近衛中将高階師尚の孫で、宮内卿・高階良臣の子。官位はは従五位上右衛門権佐

経歴[編集]

永延2年(988年)正月の除目で肥前国司に任ぜられる[1]右衛門権佐を経て、永延3年(989年摂津守に任ぜられる[2]。この時、右衛門権佐を務めていた。位階従五位上[3]

歌人として活動した高階貴子(儀同三司母)や、源兼俊母は兄弟の成忠の系統だが、敏忠の系統からは院政期に活動した高階栄子や、高階泰経などが出ている。

官歴[編集]

  • 永延2年(988年)正月29日:肥前国司
  • 時期不明:右衛門権佐、左衛門権佐
  • 時期不明:従五位上
  • 永延3年(989年)4月5日:摂津守

系譜[編集]

  • 父:高階良臣
  • 母:不詳
  • 妻:不詳
    • 男子:高階業遠(965-1010)

脚注[編集]

  1. ^ 小右記』永延2年正月29日条
  2. ^ 『小右記』永延3年4月5日条
  3. ^ 尊卑分脈』高階氏