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親子鍋(後篇)
「よろしかったのですか、ご一緒しても」
オシボリをシノブから受け取りながらセレスティーヌが申し訳なさそうに尋ねる。
「親子水入らず。ならセレスさんが加わってなんの問題もないと思うが」
そう言って微笑む先帝を見ながら、コンラートは今日の注文をどうするか思案していた。クシカツはこないだ食べたばかりでもあるし、祖父には少し重いかもしれない。
ここの料理はどれも美味しいという評判をセレスから聞いていたが、如何せん異国の料理だ。
品書きを見てもどういう料理か見当が付かない。
当て推量で頼んでもいいのだが、例えば汁ものと汁ものや豚肉と豚肉が重なってしまうようなことがあればどうにも体面が悪いことになりそうだ。
まさか女性と一緒の食事というものがこれほど気を使うものだとは思わなかった。
普段は女性の方や御付の者がなんとかしてくれるのだが、今日の三人の中ではコンラートが気を使わなければならない立場にある。
まさか帝国皇帝その人が居酒屋の注文に苦労しているとは三百諸侯の誰が想像できるだろうか。
知恵を絞って方法を考えていると、コンラートに妙案が下りてきた。
「済まない、隣のテーブルと同じものを頼む」
奥の席で親子連れのつついている料理が三人でつつくにはちょうどよさそうに思えた。
一つの鍋を複数人で食べるというのは宮廷の常識から考えれば下品極まりないような気もするが、ここは帝都ではない。
「水炊きですね、畏まりました」
気持ちのいい笑顔で注文を受けると、シノブがてきぱきと準備をはじめた。
持ち運び可能な焜炉がテーブルに据え置かれると、陶製の鍋が運ばれてくる。
「しかし二人が好き合っていたとはなぁ」
「好き合っていたと言いますか、一目惚れと言いますか」
しどろもどろになるコンラートの方に、セレスが恥ずかしそうに頭を預けた。
東王国から王女摂政宮セレスティーヌ・ド・オイリアの王室籍離脱の報が各地へ布告され後、セレスは段々と年頃の少女のような振る舞いを見せるようになっている。
それがなんとも初々しく、コンラートは幸せな日々を過ごしていた。
「で、帝国議会はどうするつもりだ」
「その点は手抜かりありません。既に手は打ってありますよ、お祖父さま」
準備の進む鍋の具合を見ながらコンラートは微笑んだ。
コンラートが諸侯に対してセレスティーヌとの婚約を発表すると、反響は予想以上に大きかった。
東王国の王女摂政宮との婚約。
それだけでも重大事だというのに、その王女摂政宮は身分を失って、ただのセレスティーヌとして帝国へ嫁いでくるという。反対意見が噴出するのも当たり前のことだ。
その反対意見をコンラートは巧みに捌いている。当然、セレスも協力してくれていた。
反対している者の中心となっているのは、子のないコンラートの後釜に自分の子孫を据えようと考えている大貴族たちだ。
帝室が存続した方が平和も続くと考えている下級貴族たちの意見を巧みに取り上げつつ、コンラートとセレスの策は止まらない。
ヴァニラをはじめとしてこれまで帝室が長く禁制としてきた嗜好品の市場流通を開放したのだ。
これは、婚姻による特別な計らいであるということも申し添えてある。
大貴族の中には禁制品が解禁されることで利益を得られる者が少なくない。こういう連中を切り崩し、結婚反対派の団結を阻止する策だ。
謀略に関して言えば、セレスの腕は超一流だった。
偽書についても嵌められたわけではなく、泳がせていたという。
それを逆手に取ったのが、幼王ユーグだ。
セレスが奇譚拾遺使を私物化していた証拠として、王女摂政宮解任の材料に使っている。さすがに<英雄王>の息子とあって、なかなか巧妙な策だ。
まさか実の弟に裏を掻かれると思わなかったからこその失敗だったが、セレスはあまり気にしていないようだ。
それよりも今は帝国での動きを楽しんでいる。
元々が帝国の事情には深く精通しているのだ。表向きは協力体制にある大貴族の裏を掻く戦術でバラバラにしておいて、利益をちらつかせてこちらの味方に引きずり込む。
これがわずか十九歳の少女の手管だというのだからコンラートも舌を巻くしかない。
敵にすれば恐ろしいが、味方としてはこれほど心強い味方もいなかった。
「煮えましたよ」
シノブの声で鍋を見ると、美味そうに湯気が立ち上っている。
古都へ来てからというもの、温かい食べ物を食べる機会が多い。何かと理由を付けて帝都への帰還を送らせているのは、また元の冷たい食事に戻るのが嫌だというのも理由の一つかもしれない。
毒殺に気を付けねばならないのは皇帝として当然のことだが、温かいものを食べてみると湧いてくる活力の違いに驚かされる。
帝都に帰ったら、司厨長に命じて温かい食事を食べられるように制度を改めようと考えていた。
自分だけなら耐えることもできるが、セレスにも今と同じような冷たい食事を強いるのはなんとも申し訳ない気がしたからだ。
「さ、食べるとしようか」
先帝はそう言うと器用にハシを使って見せた。
セレスもコンラートも、ハシは使えない。少し悔しくて祖父の横顔を盗み見ると、にやりと自慢げに笑みを浮かべる。見せつけたくてこっそりと練習していたのだろうか。
ポンズの椀に鍋から出汁を掬い、セレスに手渡そうとする。が、どうにももたついてしまう。
「コンラート様、貸してください」
杓子を受け取ったセレスの手並みは見事だ。
「大したものだな。さすが王女摂政宮」
「からかわないでくださいまし、お祖父さま」
いつの間にかセレスも先帝のことをお祖父さまと呼ぶようになっていた。
今回の見合い騒動に端を発する先帝と皇帝の喧嘩は終息に向かい、今では前よりもむしろ仲よくなっている。その間に、セレスも加わったという格好だ。
反対派の貴族の言葉ではないが、敵国同士の王族だったのだ。ほんの数日前までは考えられない事だった。
コンラートが東王国へ送った関係改善の使者は、ことごとくが無視されている。
とは言え、すぐ戦争に発展することだけは避けられそうな情勢だった。
幼王ユーグは直ちに政治を掌握していたが、それでも混乱の全てを未然に防ぐことはできない。これまで国政を一手に引き受けていた王女摂政宮としてのセレスティーヌが抜けた穴をなんとかする為に奔走している状態では、帝国と事を構えることはできないだろう。
東王国に放っている密偵の報せからすると、姉を取られて寂しがっているだけなのではないかという気もしてくる。
見様見真似でハシを使い、ミズタキのキャベツを口に運ぶ。
なるほど、これは美味い。ただのスープ煮とはまた違った味わいがある。
キャベツと言えば帝国で採れる主要な作物の一つだが、色々な食べ方があるものだ。
談笑しながら、鍋をつつく。それだけでも何とも楽しい。
鶏も煮えてきた。
めでたくブギョーに就任したセレスの取り分けた鶏肉を肴に、先帝はさっそくトリアエズナマで喉を潤している。ラガーの喉越しに笑み崩れる姿を見ていると、帝国を背負って立った先帝というよりも、歳相応の老人にしか見えないのが面白い。
祖父のために適当な肴を二、三注文しながら、コンラートもミズタキを食べる。
美味い。
人と一緒に同じ鍋をつつくなど今まで考えたこともなかったが、この美味さは誰かと一緒に食べるから生まれるものなのではないか。
セレスがいて、祖父がいる。
今の自分は何と恵まれているのだろう。
祖父が鍋底から鶏の団子を見つけたらしく、嬉しそうに口に放り込んだ。謹厳な祖父のこういう姿を見るのは、コンラートにとってもはじめてのことだ。
「……余もああいう風に歳を重ねられるかな」
思わず口を突いて出た言葉に、セレスは一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに微笑みに変わる。
「できますよ。二人なら」
コンラートの顔が熱くなったのは、湯気のせいだったのかそれとも。
隣の席から聞こえる和やかな談笑も耳に心地い。
幸せというのは、こういうことを言うのだろうか。そんなことを考えながら、コンラートもトリアエズナマを頼むために手を上げるのであった。
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