認知の嫁の母親をみてる。少し精神的に落ち着かない時期があって数日間、精神病棟に入院していた。鍵付き。牢屋だよ牢屋。
ブラックジャックによろしくでしかみたことがない。
こういう時に限って、いつも、寄り付かない身内が忘れた頃に駆けつける。見慣れない雰囲気の病棟に、まずは圧倒される。一時的な感情が込み上げることで、人は冷静さを直ぐに欠いてしまうようだ。
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義母より10歳以上若い、嫁の叔父に呼びつけられる。
「どういうつもりだ。姉さんをあんなところに閉じ込めて。君達にも血はかよってるのだろう。」
僕と嫁が説教される。
「数日間、落ち着くまでだから」嫁が口を挟む。
「そういう問題ではない。」
「だから、施設から言われて。」嫁が更に口を挟む。
「施設、施設もういい。君達には頼まない。私の方で一旦引き取る。」
どうやら、人は一時の感情に流されて行動してしまう生き物らしい。
数日間の入院を経て、義母は叔父さんの家に向かうことになる。黙り込んだ義母を見ながら送り出す。
「大丈夫かなぁ。何日持つかなぁ、施設には連絡する?」嫁が聞く
「施設には、1日延びますとだけ伝えて。」僕は嫁にいう。
叔父は何も知らない。脳が萎縮しているという現実。平穏に装っているものの、物理的には何も考える事が出来ない事実。それが何を意味するかを理解出来ないだろう。
悪いが、あんたの想い出たっぷり姉さんは、もうこの世にいない。あんたが連れて帰ったのは、姉さんの被り物を着た病気の老婆でしかない。
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見送って半日も経たない間に、叔父から嫁の携帯に連絡が入る。義母が家の中で暴れている。直ぐに来て欲しいとのこと。
啖呵をきった割には、正直早すぎるではないか。やれやれ、余計な仕事を増やすなよ。まじで。
叔父は興奮冷めやらぬ表情で言ってきた。姉さんが突然暴れたんだ。
先月買ったばかりの、4Kテレビを壊された。パネルにヒビが入ってる。見てくれ。残酷すぎるだろう。脈絡のないテレビの説明を延々としてくる。
結論として連れて帰ってくれ、テレビの修理に10万はかかる。多分、そういうことを言いたいのだろう。
頑張って修理してくれたまえ。あんたとこの、4Kは、10万円を出せば直るのだから。
うちの、4Kは特別仕様だから、100万でも100億でも治らないのだよ。
- キツイ(看るのが大変)
- キケン(暴れる、噛みつく)
- キタナイ(着替えない)
- クサイ(風呂に入らない)
病人を介護するというのは、つまりそういうことだ。
介護しない身内は、修理すれば直るであろう4Kテレビを見て休日の余暇を満喫するに違いない。
介護をする私と嫁は、治療しても治らない4Kをひたすら看て休日の余暇を悲しむ。
不公平であるが、どうってことはない。介護貧乏ではあるが、まぎれもない現実がそこにある。目を背けることは出来ない。
仕方がないことだ。しばらくは、当ブログ名も下級的の名称からは離脱出来そうにはない。
僕には、障害の弟がいる。義母は、僕に娘をもらってくれと言った。僕じゃなきゃ娘は嫁にいかせないと身内に豪語した。障害者がいる家庭の結婚は綺麗毎では済まない障壁もある。もう20年も前の話だ。
決して捨てたくないはない、小さなプライドが僕にもある。引きずってすり減りそうなプライドでも捨てずに生きていく。
介護のゴールは死である。口に出せば、身内の反感を買うがあたり前のこと。死から逃れることは誰も出来ない。ゴールを迎える迄の過程を大切にしつつ自分も大切にする。Win-Winでいくつもりだ。
義母は施設に入っている。誰に何を言われようが、身内と疎遠になろうが、僕にできる義母への一つの恩返しなのである。
最期まで読んでいただきありがとうございました。
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